鵺退治二回目
現代語訳つづき
應保の頃(1161年~1163年)、二条院が天皇だった時、鵺という化鳥が禁中で鳴き、しばしば、二条天皇を悩ませたことがありました。その時も、先例に習い、頼政が呼ばれました。
時季は5月20日ほど、まだ宵の時間に一声鳴いただけで、2声目はありませんでした。目当てにする物もない闇で、姿形も見えないので、矢の狙いを定めることができませんでした。
そこで、頼政は、まず大きな鏑矢を取ってつがえ、鵺の声がした内裏の上へ射上げました。
すると、鵺は、鏑矢の音に驚き、虚空の中で、「ひひ」と声をたてて鳴きました。
頼政は、次に小さな鏑矢をつがえ、矢を放ちました。放たれた矢は「ひいふつ」と飛んでいき、やがて、矢と鵺が落ちてきました。
史跡 少々無理やり 二条天皇にちなみ現二条城
慶長8年(1603)に徳川家康の命により、御所の守護と将軍上洛時の宿舎として、現在の二の丸部分が築造とされる。その後、三代将軍家光の時に増築され、寛永3年(1626年)に現在の規模になったとされている。
彫刻
唐門 国指定重要文化財 推定築造1626年ごろ
二の丸御殿 築造1603年ごろ
内部欄間等にも多く彫刻あり。(内部撮影不可)
鵺がまったく登場しない号でした。
つづく
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