二人のバイオリニストの生い立ちがわかる本として、私の手元に
「ヴァイオリンと翔る」諏訪内晶子
「五嶋節物語 母と神童」奥田昭則
の二冊がある。これは、市販されている中で、それぞれのバイオリニストに関する一番代表的な本だと思う。
←幼いころから没頭しなきゃいけない楽器だからたいへんだね
まず、ひとつはバイオリニスト本人が書いた本で、もうひとつは他人がバイオリニストの「母」について書いた本であるということが違うのだが、これはたまたまこうなったということでなくそのままバイオリニストとしてのあり方の違いを表している。
五嶋みどりの場合は、まず母が優れたバイオリニスト、そして時代背景と家族事情から挫折させられたバイオリニストであって、その母が自分の持てる才能と技術と熱意と、そして人生のすべてをつぎ込んだところがバイオリニストの成り立ちとして大きな特徴である。もちろんその注ぎ込んだ先に五嶋みどり本人の才能という大きな器があったからうまくいったわけなんだけど。
この本を見る限り、その育て方はかなりいびつなもので、節は赤ん坊に離乳食を食べさせるということすら知らず、その後も相当いい加減な食生活をさせていたことをうかがわせる記述がある。しかも、バイオリンについては非常に厳しく教える一方で、バイオリン以外は全部世話してやり、「小学校に入って勉強しているとき、時間がもったいないからと食事をみどりの口に入れてやり、身の回りのことも節がした。みどりが十五歳になるまで節は荷物をいっさい持たせなかった」という具合である。
諏訪内晶子の方は、特に音楽一家ということもなく、父が買ってきた童謡のLP五枚組が音楽に触れるきっかけになった。それをあまり気に入って聞き続け、すぐに覚えてしまったので、「音楽に興味があるのかも」と音楽教室に連れて行かれた、となっている。
その後の記述にも、音楽上のことについて、親からアドバイスのようなものがあったという記述はまったくなく、強いて言えば、チャイコフスキー・コンクールで高熱を出したときに、あきらめて次を狙えばいいではないかと母が言ったというくらいである。
五嶋みどりの場合は、音楽作りにも深く母が関わり、ディレイ先生についてからも通常つけるべきアシスタント・ティーチャーはつかずに引き続き母がみどりの練習を支えた。ディレイ先生はみどりの弾き方を見て、母のバイオリンの技術と教える技術に安心したからそうなったわけで、考えてみればすごいことである。
テンポ・チャート(各有名バイオリニストが、曲のどこでどのテンポを取っているかを調べて表にしたもの)を作るときも、母が図書館に通いつめ、みどりが学校に行っている間にLPを聞きまくって電子メトロノームでテンポを聞き取っては記録を作っている。
諏訪内晶子の子ども時代のエピソードで深い感銘を受けたものが二つある。ひとつは、小四のときの初挑戦のコンクール本戦でテンポ設定を誤った反省に立ち、次のコンクール前には、長い夏休みにひたすら規則正しい生活をしたくだりである。どんな場面でもぶれない自分の中の「絶対テンポ感」を育てようとして、本人が考え、本人が実行した作戦である。実際そういう効果があるのかどうかわからないが、強い意志と執念が感じられる。
もうひとつは、幼いころから、レッスンのあとには必ず、先生から言われたことをすべて楽譜に色鉛筆で書き込む習慣があったという話である。日ごとに色を変えて書き込むので、何度もレッスンを受けた曲であれば虹色の楽譜になる。いつも、レッスンで言われたことをすぐに思い出して記録して、一度言われたことは身に着けて次のレッスンに臨むということが絶対のノルマになっている。
そういった取り組みが諏訪内晶子を支え、後のチャイコフスキー・コンクールのときには、高熱を押してステージに立ったにもかかわらず「脳から送られる信号がきちんといつもの早さで指先に伝達されること、それだけを注意してステージに上った」「「弾ける!」という、前向きの予感があって、十五分間、無伴奏ヴァイオリンの長丁場は、一瞬の弛緩もなく、やりたいことが総てやり通せたという満足感のうちに終わった」という境地にたどり着くのである。
全体を通して、世界の一流にたどり着く人の「凄み」を思い知らされるところは共通なのだが、一方はその凄みが「母から」、もう一方は「本人から」感じられるといったら言い過ぎだろうか。
また、デビュー経路が、五嶋みどりの場合は神童として奇跡のステージから、諏訪内晶子の場合はコンクールから、ということも対照的である。たぶんそのことは演奏のあり方にも大きな影響を与えることだと思うが、とにかくありとあらゆる面で違う二人のバイオリニストが、どちらも世界レベルに到達したことは非常に興味深いことである。
もっとも、五嶋みどりのほうがもしバイオリニストとして開花しなかったらかなり困ったことになっていたと思うので…親としてはそっちパターンは避けるべきだろうけれども…って、見誤るような才能のカケラもないので関係ないですけど…
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「ヴァイオリンと翔る」諏訪内晶子
「五嶋節物語 母と神童」奥田昭則
の二冊がある。これは、市販されている中で、それぞれのバイオリニストに関する一番代表的な本だと思う。
←幼いころから没頭しなきゃいけない楽器だからたいへんだね
まず、ひとつはバイオリニスト本人が書いた本で、もうひとつは他人がバイオリニストの「母」について書いた本であるということが違うのだが、これはたまたまこうなったということでなくそのままバイオリニストとしてのあり方の違いを表している。
五嶋みどりの場合は、まず母が優れたバイオリニスト、そして時代背景と家族事情から挫折させられたバイオリニストであって、その母が自分の持てる才能と技術と熱意と、そして人生のすべてをつぎ込んだところがバイオリニストの成り立ちとして大きな特徴である。もちろんその注ぎ込んだ先に五嶋みどり本人の才能という大きな器があったからうまくいったわけなんだけど。
この本を見る限り、その育て方はかなりいびつなもので、節は赤ん坊に離乳食を食べさせるということすら知らず、その後も相当いい加減な食生活をさせていたことをうかがわせる記述がある。しかも、バイオリンについては非常に厳しく教える一方で、バイオリン以外は全部世話してやり、「小学校に入って勉強しているとき、時間がもったいないからと食事をみどりの口に入れてやり、身の回りのことも節がした。みどりが十五歳になるまで節は荷物をいっさい持たせなかった」という具合である。
諏訪内晶子の方は、特に音楽一家ということもなく、父が買ってきた童謡のLP五枚組が音楽に触れるきっかけになった。それをあまり気に入って聞き続け、すぐに覚えてしまったので、「音楽に興味があるのかも」と音楽教室に連れて行かれた、となっている。
その後の記述にも、音楽上のことについて、親からアドバイスのようなものがあったという記述はまったくなく、強いて言えば、チャイコフスキー・コンクールで高熱を出したときに、あきらめて次を狙えばいいではないかと母が言ったというくらいである。
五嶋みどりの場合は、音楽作りにも深く母が関わり、ディレイ先生についてからも通常つけるべきアシスタント・ティーチャーはつかずに引き続き母がみどりの練習を支えた。ディレイ先生はみどりの弾き方を見て、母のバイオリンの技術と教える技術に安心したからそうなったわけで、考えてみればすごいことである。
テンポ・チャート(各有名バイオリニストが、曲のどこでどのテンポを取っているかを調べて表にしたもの)を作るときも、母が図書館に通いつめ、みどりが学校に行っている間にLPを聞きまくって電子メトロノームでテンポを聞き取っては記録を作っている。
諏訪内晶子の子ども時代のエピソードで深い感銘を受けたものが二つある。ひとつは、小四のときの初挑戦のコンクール本戦でテンポ設定を誤った反省に立ち、次のコンクール前には、長い夏休みにひたすら規則正しい生活をしたくだりである。どんな場面でもぶれない自分の中の「絶対テンポ感」を育てようとして、本人が考え、本人が実行した作戦である。実際そういう効果があるのかどうかわからないが、強い意志と執念が感じられる。
もうひとつは、幼いころから、レッスンのあとには必ず、先生から言われたことをすべて楽譜に色鉛筆で書き込む習慣があったという話である。日ごとに色を変えて書き込むので、何度もレッスンを受けた曲であれば虹色の楽譜になる。いつも、レッスンで言われたことをすぐに思い出して記録して、一度言われたことは身に着けて次のレッスンに臨むということが絶対のノルマになっている。
そういった取り組みが諏訪内晶子を支え、後のチャイコフスキー・コンクールのときには、高熱を押してステージに立ったにもかかわらず「脳から送られる信号がきちんといつもの早さで指先に伝達されること、それだけを注意してステージに上った」「「弾ける!」という、前向きの予感があって、十五分間、無伴奏ヴァイオリンの長丁場は、一瞬の弛緩もなく、やりたいことが総てやり通せたという満足感のうちに終わった」という境地にたどり着くのである。
全体を通して、世界の一流にたどり着く人の「凄み」を思い知らされるところは共通なのだが、一方はその凄みが「母から」、もう一方は「本人から」感じられるといったら言い過ぎだろうか。
また、デビュー経路が、五嶋みどりの場合は神童として奇跡のステージから、諏訪内晶子の場合はコンクールから、ということも対照的である。たぶんそのことは演奏のあり方にも大きな影響を与えることだと思うが、とにかくありとあらゆる面で違う二人のバイオリニストが、どちらも世界レベルに到達したことは非常に興味深いことである。
もっとも、五嶋みどりのほうがもしバイオリニストとして開花しなかったらかなり困ったことになっていたと思うので…親としてはそっちパターンは避けるべきだろうけれども…って、見誤るような才能のカケラもないので関係ないですけど…
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お話し上手で面白く聞かせていただきましたが、
まったく参考にならず…才能に恵まれた子どもたちで本当に幸運でしたね~と感心するばかりでした。
真似するのは危険すぎます。
>もしバイオリニストとして開花しなかったら
かなり前に卓球の福原愛さんのお母さん著の本を読んだ時にも思ったんですけど、、、
開花したから語る方も語ることが出来るし、読む方も(努力が美談として)読めるけれども、そうはならずに…かと言って途中でさっさと辞めさせることも出来ずに…という状態で、偏った日々を過ごしている子もたくさんこの世に居た(る)んじゃないか?と思うとちょっと複雑な気持ちになるんですよね。
芸術・スポーツ部門は、大人になってから自分の意思で始めても年月的に間に合わない部分があると思うので、それを「偏った」と表現するのも間違っているとはわかっているんですけど。
すごい人だなーと思いました。芸術的な才能というだけではなくて、自分の目指すものに向けて突き進むパワーとか、周りの人も巻き込んでいく人間的な魅力とか。
いいな~私も聞きたい。
でも確かに、
> 真似するのは危険すぎます。
しないけど、できないけど(^^;;
参考になりませんねー。
でも卓球はまだしも、もう少し大きくなってから本人の意思で始める場合があると思うんですけど。
音楽で、しかもバイオリンでは、本人の意思を待ってたら遅すぎるってものですからね。親が始めてしまうのはしょうがないけど、不必要にバランスを外さないことと、早めの才能の見極めと転進する勇気ってのが必要ですね。
個人的には,
「父が買ってきた童謡のLP五枚組が音楽に触れるきっかけになった」という,諏訪内さんのエピソードに妙に共感・・・じつは私自身の音楽のルーツも子供の頃に親が歌ってくれた童謡や唱歌だったりするものですから~
あと,基本的には,親が子供の進路のレールをひいてやるっていうのがどうもイヤな私.
なのでこれだけ読んだら,普通の音楽環境の中から,自分自身の才能と努力であそこまでのぼりつめた諏訪内さんのほうに,よりエールを送りたくなるのが本音かな。
(でも,離乳食もまともに与えないなんて母親としてはかなり問題もあるけど,それでもMIDORIや龍くんという世界的ヴァイオリニストを生んだ節さんの功績については,正当にみとめてあげたい,とも思いましたよ)
天才バイオリニストでかつ頭脳も非凡な子供を一人ならず二人育て上げた母親とは・・?と興味深深でいきました・・・
関西のおばちゃん的な語り口は面白くはありましたが、
yokoさんのおっしゃるとおり、全く参考にはなりませんでしたね・・
・・周りの人を巻き込むパワーというより・・多分、こんな母親がわが子の友達の母親にいたら、付き合えるかなあ・・・ちょい、ハードル高そうです。あ、天才児をわが子の友達レベルで考えるのはハナから間違ってますが・・・
講演会途中からは、大学入試で物理が満点だったとかなんとかイケメン龍くんのそんな話でしたねえ・・いずれにしてもご立派です。
それからご存知ですか?諏訪内さんのお父様はアンダンテさんと同じ会社でしたよ。
昔、チャイコフスキー・コンクールで優勝されたとき社報に出てました。お父様はクラッシックより演歌が好き、みたいなことをおっしゃってました。
節さんがすごい人なのはもぅ、本からでもびんびんに伝わってきて、親や元夫の妨害がなければふつうに自分がバイオリニストになってたんだろうけど。そこで、家庭の事情を跳ね返して今度は子ども(たち)をバイオリニストにしちゃったというのがものすごいパワーと才能ですよ。
でもね、やっぱりあんまりアンバランスなのは、大成しないときつらいっすよね…
> 大学入試で物理が満点だったとかなんとか
はは(^^;;
自慢の息子でしょうねぇ。それに年がいってからの子どもだからかわいさひとしおってとこですか。
生まれた時期も性別も違うから、みどりちゃんに感じるものと龍くんに対するものはずいぶん違うことでしょう。
> 諏訪内さんのお父様はアンダンテさんと同じ会社でしたよ。
そうなの??
音楽やる人は「二代目」以降が多いから、「クラシックより演歌が」のところから突然諏訪内さんが出てくるのはびっくりですね。
私は在京の大手AV機器メーカーS社のデジタルオーディオの開発を30年勤めリタイアした者です。
元々クラシックファンでしたが、学生の頃弘田三枝子さん通称ミコちゃんの天賦の歌声とその才能に衝撃を受け、ジャズやポップスや歌謡曲のLPやシングルを多数購入してファンになっていました。
後日、彼女の母親が彼女の類い稀な才能を信じ、米軍キャンプや開店前のキャバレーなどのリハーサルで実戦的な訓練を重ね持ち前の声量とリズム感に正確な英語の発音や発声技術を向上させていったようです。
その為に、家庭生活を犠牲にしてしまったこともあったようです。
ミコさんは私の三才年上で同じ二月生まれなので今年御年67才になられましたが、今も演奏活動を現役で続け新譜も発表されています。
五嶋みどりさんのバイオリンを聴けるのは彼女を生んで更に才能を開花させて下さったお母上様の賜物です。
同様にミコちゃんの天才を生んで更に開花させて私たちがそれを聴くことが出来るのも彼女達の類い稀な母があってのことです。
「天才の母に感謝」の言葉を奉げたいと思います。
長文失礼しました。
まず本人に素質がなければお話になりませんが、それを開花させるにはやはり親の采配の良し悪しが重要ですね。
そうやって花開いた才能が、数多くの人々を感動させることを考えると、「天才の母」の貢献はとても大きいものだといえると思います。
ただし天才を開花させる母の働きかけは、かなり極端なものも多く、花開かなかった場合の生活や教育のゆがみはまたたいへん重いものになるだろうと…子育て中の身としてはそちらに心配してしまいます。
挙げていらっしゃるミコちゃんの場合は、歌ですから、本人の才能も意思もはっきりした年齢以降がむしろ勝負ですね。バイオリンは特に幼いころが重要なので、大成したケースの陰に何件の…と考えると怖いんです。