アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

繰り返し、するべきか否か

2018年05月09日 | ピアノ
モーツァルトのソナタとか弾く場合、テーマが出てきたら必ず繰り返し記号、って具合にけっこう繰り返しありますよね。あれって弾いてます??

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私は人前で弾くときは基本、繰り返しなしです。まぁ時間の都合で繰り返しがしにくいって場合もよくあるんですけど、それだけじゃなくて、二度同じことでみなさんのお耳汚しをするのが心苦しいっていうか、こっぱずかしいっていうか…長々聞きたくないだろうなって忖度してしまうわけです。

私の推しピアニストのひとり、シフ様のフランス組曲とか、あとモツソナもですけど、繰り返しするといろいろ装飾音つけたり音変えたりしてるんですよ。鮮やかな名人芸に感服するばかりですけど、だからなおさら、同じもの二回繰り返すのって、やっぱやめとこか、ってなっちゃうんです。

「子供の情景」を全曲演奏しようという無謀なチャレンジのために、確保してある時間は15分枠。これって、繰り返しは省略する前提でまぁ収まるだろって見通し(いや正確にいえば現時点では見通しなぞ立っていないが)なのですが、それでいつも繰り返しは省略して弾き進めようとするとですね…

第一曲「異国から」で
「シーソーファ#ーミレー、シーソーファ#ーミレー、シーソーミーレドー、ラーレーシー」
で繰り返し記号があります。これを乗り越えて次の
「シードーラーシーソーラーファ#ーソー…」
に行こうとすると妙な心理的抵抗があって、ついもう一回、
「シーソーファ#ーミレー、シーソーファ#ーミレー、シーソーミーレドー、ラーレーシー」
って弾いてしまいたくなるんです。繰り返しをしなくても、既に「シーソーファ#ーミレー」は二度言ってるんだけどね。

シフ様じゃないですから二回目を変えたりはしていません。というか、古典モノはよく装飾入れたりするけど、シューマンらへんの曲は勝手にバリエーションしたりしないものじゃない? よく知らないけど。

すると、artomr先生曰く、「そこで繰り返したくなってしまうのは真っ当な感性だ」というのです。繰り返すべきだと。

----「子供の情景」イベント資料より
シューマンは自身の最良の作品を何時間も繰り返し弾くことを好んだという。これは極めて示唆に富んだ逸話で、この瞬間のシューマンは、音楽の時間と空間の中で生きている。
新ウィーン学派やドビュッシーのように、音楽的創意の「たえざる更新と発展」を目指し、「繰り返し」を極度に避ける立場からすると、繰り返しは単なる冗長としてしか認識されないだろう。しかしシューマンやシューベルトの作品のようなロマン主義が具現化された音楽に聴かれる、執拗なまでの繰り返しは、聴き手を音楽の時間と空間の中へ引き込む、呪文のような機能を果たしている。イサーク・アルベニスがピアノ組曲《イベリア》の第一曲に与えた題名、Evocacion - まさにある音楽的世界を「喚起」するための前奏曲 - このような意味を〈見知らぬ国々と人々〉にも認めることができる。
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呪文…催眠的効果。なんか曲の世界へ連れ込まれてしまうというか、特に入り口だけに、きちんと繰り返すのもよいかとも思えてきた。

というか、古典作品の繰り返しと、やや位置づけが違うような?? 初めて聞く音楽だから繰り返し聞かなきゃわからないとか(録音もないし)、王宮やサロンでざわざわしながら聞いてるから大事なところは二度流さなきゃわからないとか、自由に装飾するから複数回弾くのもちょうどいいとか、そういう理由でなしに、繰り返す効果を求めて繰り返す。

artomr先生は、楽譜にある繰り返しをすべて入れただけでなく、楽譜によってあったりなかったりする繰り返し(私の楽譜にはない)も入れてたので、演奏は18分くらい? 15分じゃぜんぜん足りない勢いです。さらに私の場合は速い曲を速く弾けないわけで、どうやったってはみ出すよねぇ。どうしようかなぁ…はじめの繰り返しだけなんとか入らないかな。

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コメント (2)
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