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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

社会に貢献?

2024年11月23日 | 日記
 社会に貢献?

 既に会社をリタイアして20年近く経っているFacebook 友達がいまして、私の出来ないゴルフやマージャンを楽しみ奥様とは旅行や外食をし、また孫達との楽しい時間も持っている様子は喜ばしいものです。ところが私より15才年上で93才のFacebook 友達の大先輩が時々「高齢者施設に入っていて朝昼夕の食事をしているだけで何も社会の役に立っていないのが空しい」とコメントされますと、そのゴルフやマージャンの友達が「私の悩みも同じで、孫のお世話をしている時の他は何も社会の役に立っていなくてそれが空しく、なにかボランティアでもやった方が良いのだろうか」とお返事のコメントを書いています。

 この2人の友達は現役時代には八面六臂の活躍をして社会に貢献し、社会に影響を与えた人達なのにリタイアするとこんな悩みが重くのしかかっているようです。これは何故でしょうね。リタイア後には給料は少なくて仕事が単純でも良いから仕事をしなさいとか、コミュニティに参加してそこでボランティア活動をしたらどうですか?と週刊誌等が提案していますね。

 しかし、それが悩みの解決になるのでしょうか?私は仕事もボランティア活動もなんだか嫌です。社会の役に立っていないと個人としての価値が無いと言う押しつけがましい考え、それが今の社会の常識なのでしょうが、なにか忘れているような気がします。仕事で成功した人がその後も更に悩んでいる。この問題を解かないといけないようです。

 私は30才の時にヨガに出会い、それからほぼ毎日会社が始まる前に道場へ行きヨガの練習をしてから出勤していましたが、39才の終わりの頃にヨガのサマーディ(解脱)を体験しました。私は真っ白な光で有り、またその真っ白な光を見る者である。その境地をヨガではサット(在る事)チット(在る事を知る事)アーナンダ(在る事を知る事で湧き上がる歓び)と表現しています。そしてそれが自己の本質。

 これはいわゆる自己の探求ですね。しかし、この自己の探求では何が得られるのでしょうか。なんでヨガの練習をするのか。また日本仏教ではなんで坐禅をするのか。自己の本質を知った時に何が得られるのか。鈴木大拙は、得られるのは「安心」だと言っています。これ以上なにも探求する事が無いと言う「安心」。これです。

 世の中には社会的な価値の他に独創の価値、存在の価値が有ります。そしてそれが分かりますと社会の役に立っていないと言う悩みも消えてしまいます。

 ヨガの練習も日本仏教の坐禅も社会の役には立ちませんが、人類の役には立ちます。哲学とはそういうものでしょう。人類は何が欲しいのか、人類はいつになれば安心出来るのか。これが分かると定年後の仕事もボランティア活動も気にならなくなりますよ。

 これをアメリカ風に言うならばマテリアルワールドからスピリチュアルワールドへ、なんでしょうかね。

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犬追い運転

2024年11月09日 | 日記
犬追い運転

 私は22才の時、就職を翌月に控えた3月に熊本の実家で自動車の運転免許を取りました。教習所は熊本市内と阿蘇の中間あたりの田舎に有り、なので仮免許での路上教習も田舎の信号機も無い鉄道に沿った1本道をまっすぐに走り、適当な所でUターンして教習所へ戻ると言う単純なものでした。教習所へ戻るのに鉄道の踏切は超えましたけれど。

 教習所では運転の心構えも教えてくれまして、映画での運転シーンではハンドルを左右に動かすけれどもあれは間違い、直進する時にハンドルは動かさないのだと言われました。なかでも私の記憶に残っていますのは「犬追い運転」をしなさいと言うものでした。猟犬は獲物を追いかける時に獲物がどこへ行くか見当をつけてそっちへ向かうのでは無く常に獲物に向かって走る、つまり定めた目的への直線では無く現状への曲線を走るのだと言うのです。そして運転する時も「あの車はこっちへ来ない」とか「あの歩行者は道を渡らない」とか予断を持たず、常に現状に対応しながら運転しなさいと言われたものです。

 この「犬追い運転」、人生にも当てはまりますね。子供の頃に持った夢に向かって一直線に進み、そしてその夢を叶えたMLBの大谷選手のような人は稀で、多くはそうでは無いでしょう。私の子供の頃の夢は(爬虫類や両生類が好きでしたので)生物学者になる事でしたが、テレビで洒落た広告を流す酒類メーカーに興味を持ってそこに就職、好きな人が出来て結婚、生まれた子供達を可愛がり、そして30才の時にヨガに出会ってその思想の雄大さに驚き・・・と言った具合にその時その時の現状に対応して生きて来ました。

 50才を超えたら老後を見据えて家のリフォームをしなさいとか交通便利なマンションに引っ越しなさいとか聞きますけれど、体の変化に対応しないリフォームをしてしまったとか引っ越ししてマンションの狭さや管理費の高さに耐えられず失敗したとか言う話も有りますでしょう。10年後20年後に見当をつけて準備をしても、そうなるとは限りません。世の中はどんどん変化していて冷凍食品も(30年前より)ずっと美味しくなっていますし、そのうち食事の宅配業者も増えてくるでしょう。

 現在93才のFacebook 友達の大先輩は奥様を亡くされたあと高齢者施設で暮らしておられますが、今の生活に1番必要なのはPCで、テレビを観るのでは無くネットサーフィンをするのが良いのだそうです。そうしますとこれからはそう言う老人が増えますでしょうし、Wi-Fi 環境の無い高齢者施設は避けられるようになるかも知れませんね。

 これから起こる事に見当をつけてもそうなるとは限りませんし、また「まさか」と言う事も起こります。東日本大震災がそうでしたし今年の能登半島地震もそうでしたね。そして世界ではロシアのウクライナ侵攻。また悪い事だけでは無く、宝くじに当たるなどして思わぬお金が入るかも知れませんよ。

 世の中はどんどん変化していますし、またこれから何が起こるかも分かりません。私達の生活も現状に対応していく「犬追い運転」が良いようです。

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サハスラーラ・チャクラ

2024年11月02日 | 日記
サハスラーラ・チャクラ

 私は毎朝うちの祭壇でシヴァ神にお花とお線香をあげてご挨拶していますが、その時にゴーシュ先生から頂いたマントラを2度唱えています。大きく息を吸い、そして息を吐きながらマントラを唱え、それを2度繰り返すのですが、最近その際に意識の場所に変化が起きています。

 大きく息を吸い上げる時に意識はお腹→胸→鎖骨から首のあたり→アージュニャー・チャクラ(眉間のあたり)と上昇するのですが、最近ではアージュニャー・チャクラ(眉間のあたり)を通り越して、息を吸い終わる時に意識は頭のてっぺんまで昇っているようです。頭のてっぺんはサハスラーラ・チャクラ(千弁の蓮の花のチャクラ)と言いまして、アージュニャー・チャクラが決断の働きをするのに対してサハスラーラ・チャクラは神との交信をする場所だと言いますね。ですからサハスラーラ・チャクラまで息を吸い上げますと、何だか良い事が起こりそうな気がします。

 ヨガのインストラクターが「ヨガでは吐く息が大切だ」と言うのをよく耳に(目に)しますが、これはどうでしょうか。私が初めてヨガの指導を受けた北欧出身でインドのシヴァナンダ・アーシュラムで修行をしたペール・ウインターさんは息を吸い上げる事の大切さを教えておられ、お腹→胸→鎖骨→首→眉間まで目いっぱい息を吸うようにとの事でした。目いっぱいに息を吸い終わりますと、膨らんだ風船が勝手にしぼんで行くように自然に大きく深い息が出来るようになりますから、「吐く息が大切だ」と言う前に目いっぱい息を吸うのが良いでしょうね。

 サハスラーラ・チャクラ(千弁の蓮の花のチャクラ)まで大きく息を吸い上げましょう。
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南十字の星に泣く

2024年10月26日 | 日記
南十字の星に泣く

 妻は10時前に2階の寝室に上がりますので12時に寝る私は、それから2時間余りYouTube を楽しみます。アリィ・ヴェナブル(ブルース、ロック)→エミリー・リンジ(ポップス)→サンタナ(ラテンロック)→エミルー・ハリス(カントリー)→アンドレア・モティス(ジャズボーカルとトランペット)→リンダ・ロンシュタット(カントリー)→ロイ・オービソン(ポップス)・・・と続き、新しい才能も探しながら。そして最後の20分はジャパニーズ・ハワイアンで締めます。

 渚ゆう子の「ラハイナルナ」「南国の夜」から日野てる子の「夏の日の思い出」「南国の夜」「南十字の星に泣く」「小さな竹の橋」の6曲なのですが、不覚な事に、「南十字の星に泣く」のあたりで5分ばかり寝入ってしまいます。ほぼ毎晩の事なのでジャパニーズ・ハワイアンに入りますと私は自分に「寝るなよ、寝るなよ」と申しつけるのですが、駄目です。眠ります。何故でしょうかね。

 昔、松田聖子の声は赤ん坊に心地良く、松田聖子を聞かせると赤ちゃんが眠ると言う話を聞いた事が有りますが、赤ちゃんに心地良い音域や声の質が有るんでしょうね。そうしますと渚ゆう子や日野てる子の声はその音域と声の質で高齢男性には心地良いのかも知れない。

 そしてジャパニーズ・ハワイアンは本場のハワイアンと違って音声に湿気が多く、ハワイと言うより東南アジアの熱帯雨林地帯を思わせます。

 南十字の星に泣く

南の海へ忘れに来た筈なのに
駄目よ 私は 駄目よ
いつも いつも こうして
なみだ なみだ たたえた
海の 海の 響きを 聞きながら
南十字の星に泣く

かなしい恋を流しに来た筈なのに
逢いたい 私は 逢いたい
愛の 愛の くちづけ
すぎた すぎた 日のこと
今も 今も 心に 浮かべては
南十字の星に泣く

あきらめようと約束した筈なのに
いやよ 私はいやよ
いつも いつも 優しく
ほほと ほほを 寄せあい
夜と夜をかさねた 人だもの
南十字の星に泣く

 作詞の岩谷時子は「私」を「わたし」ではなく「あたし」と発音するよう日野てる子に指示したそうですね。

 それにしてもこれは1967年の曲ですよ。1ドルが360円で日本がまだ貧しかった時代に南十字星は南半球から見える星、とても行けない頃なのに時代を先取りし過ぎです。


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神に感謝で心が穏やか

2024年10月12日 | 日記
神に感謝で心が穏やか

 久しぶりに娘が孫を連れてうちに来ました。駅前のファミリーレストランでランチのあと駅前商業施設で孫のズボンを買い、それから私の運転で西松屋へ移動。親子(娘と孫)が予定(期待?)していた充分な買い物をしたあとサーティーワンでアイスクリームを食べてから帰宅。娘は近況を話し孫は買って貰った都営バスの玩具で存分に楽しむ。

 そうこうするうちに夕暮れ時になり、夕食のあとで解散とします。私は夜の運転が嫌なので妻に運転を代わって貰い、妻の運転で和食のお店へ行きました。楽しい夕食のあと、娘達の帰りの駅はこのお店の近くに有ります。ところが孫がこの駅の電車で無く別のローカルな電車に乗りたいと言い、ローカルな電車の駅は遠いので私が「駄目だよ」と言いましたが妻は「いいよ」と答えます。妻が運転で私は助手席、そして娘と孫は後部座席に座りました。

 やがて車は暗くて閑静な道に入ります。真っ暗な片側1車線の道路を走りますと先には変則的な十字路が有り、そこを右折してローカルな駅に向かうのですが十字路は結構狭い。右折する先は下り坂(向こうからは登り)ですが道は少し左カーブになっています。そこに右折先から1台の車が登って来て左折のウインカーを出しますがヘッドライトが眩しい。その車を睨みながら妻が十字路で右折のウインカーを出しますとそこへ左の狭い道から別の車が1台直進して来ました。ルールでは左側からの直進優先ですが十字路が変則的なのでこっちを右折させてから直進する方が左からの車には楽。

 私達は左側からの直進車に会釈をしながら妻が右折のハンドル。すると突然目の前に黒い服の男!私からは咄嗟に「ワァ!」と叫び声が出て、瞬間、妻がブレーキを踏み込む!男を跳ね飛ばす直前に車は止まってくれました。その時は風を通す為に窓を半分開けていましたのに私の叫び声が聞こえなかったのか、また寸前にブレーキ音と共に車が止まったのに、黒い服の男は驚きもせず何事も無かったかのように右から左へと歩いてフェイドアウトしました。「怖かったねえ、男を跳ね飛ばすところだったよ」と興奮収まらずのうちに車はローカル電車の駅に着き娘達とはお別れ、そして再び真っ暗で閑静な住宅街を走って私達夫婦は帰宅しました。

 帰宅はしましたものの私達の心はざわざわ。「あの人はイヤホンをしていたわよね」、「でも事故になったら、それはいい訳にもならないよ」。助手席にいた私でさえ心のざわざわが収まらないのに、運転していた妻はなおさらの事。気分が悪いわと少し休んだあと、妻はリビングの棚に飾っている陶製のシヴァ神の像に手を合わせてお礼の祈りをしました。私達の神様への愛と此度の事故回避には何の因果関係も無い筈ですが、神様に感謝しますと少しは心が穏やかに落ち着くようです。私も神様に感謝しようっと。あの突然の興奮が収まるにはあとは時間だけで、そしてタラレバを考えない事。

 しかしあの時の事故回避、あの黒い服の男を跳ね飛ばしていても全くおかしく無かったのに。

 思い返せばあれは神秘体験だったような気もします。

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