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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

Facebook 友達への説明 臨済録

2025年01月04日 | 日記
Facebook 友達への説明 臨済録

 Facebook 友達の中のお2人からインド思想の説明をしてくれとのリクエストが有りましたので次のように書いてみました。

 臨済録の中で弟子が臨済に「仏の境地とはどんなものでしょうか?」と聞きますと臨済は「著衣喫飯屙屎送尿 ちゃくいきっぱんあしそうにょう(服を着、飯を食い、大小便をする事」と答えています。しかし、これは解脱体験の境地を指すものでは無く、解脱体験をしたあとの抜け感を指すのだと私は解釈しています。

 親鸞は「阿弥陀仏は光である」と言っていますが、私達の本質は真っ白な光であり、またその光を見る者です。これをヨガではサット(在る事)チット(在る事を知る事)アーナンダ(在る事を知る事で湧き上がる歓び)と表現しています。
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Facebook 友達への説明 仏教

2024年12月28日 | 日記
Facebook 友達への説明 仏教

 Facebook 友達の中のお2人からインド思想の説明をしてくれとのリクエストが有りましたので次のように書いてみました。

 原始仏典の肝は縁起説法と無常説法です。縁起説法は「AによってBが起こり、BによってCが起こり、CによってDが起こり・・・」、つまりその結果から原因へと遡り、最後には苦を脱すると言う説ですが、それが発展して空の思想になります。現象世界は因(直接の原因)と縁(間接的な原因)とで編み上げられた仮の世界であり、その仮の世界の中には永遠の魂などは実在しないと言います。これは正法眼蔵の中で道元も「永遠の魂などが有ると言うのは外道の了見である」と述べています。

 つまり仏教は現象世界も霊性も実在しないと言うゼロ元論なのです。まあ、ブッダはそこまで考えなかったのでしょうが。

 ブッダが誕生した時に「天上天下唯我独尊」と言ったそうですが、これは仏教思想では無くヴェーダーンタ思想です。ただアートマン(魂、霊性)だけが光り輝いてるとの主張であり、魂、霊性を認めない仏教思想ではありません。

 インドの3大思想は二元論のサーンキヤ哲学と一元論のヴェーダーンタ思想とゼロ元論の仏教ですが、当時の人達はそれらの区別をあまり考えずに寛容だったようですね。
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Facebook 友達への説明 サーンキヤ哲学

2024年12月21日 | 日記
Facebook 友達への説明 サーンキヤ哲学

 Facebook 友達の中のお2人からインド思想の説明をしてくれとのリクエストが有りましたので次のように書いてみました。

 サーンキヤ哲学は一般にヨガの哲学と言われていますが、霊性(プルシャ)と現象世界(プラクリティ)の両方が実在するとする二元論です。当初プルシャ(霊性)は自分の事をプラクリティ(現象世界)であると誤解しますが、プラクリティはプルシャの前でダンスを踊って見せて「あなたはプラクリティでは無くてプルシャなのよ」と説明、そこでプルシャは自分は霊性であると理解して本来の姿に戻ります。ここでプルシャは男性名詞、プラクリティは女性名詞だそうです。

 プルシャはプラクリティの活動を見ているだけで何もしません。一方プラクリティは展開を始め、統覚→心→体→環境世界へと展開します。つまり心と体と環境世界は同根でひとくくり(プラクリティの展開)で、それとはまったく別に霊性(プルシャ)が実在します。

 サーンキヤ哲学は霊性(プルシャ)の実在と共に現象世界(プラクリティ)の実在を主張、ここが私は大好きです。ここで男性名詞のプルシャはシヴァ神、そして女性名詞のプラクリティはシヴァ神の妃のパールヴァティーに相当します。

 サーンキヤ哲学はのちに発展してタントラ化するのですが、タントラの主役であるシャクティ(別名クンダリニー、女性の性的なパワーを神格化したもの)はプラクリティに相当し、(体の基底部に居る)シャクティ=クンダリニーが上昇し(体の登頂に居る)シヴァと合体して恍惚世界に到るそのシヴァはプルシャに相当します。

 インド思想は細密な哲学の中に突然男女の神様が登場しまして、なんだか思想の熱帯雨林みたいですね。ともあれサーンキヤ哲学はヨガの哲学ナンバーワンです。

 補足:タントラとは何かを説明するのは大変難しいのですが、タントラには古典ヨガのヨーガスートラには無い特徴として①身体の働きを大切にするところ(体内の7つのチャクラ=輪や、3本のナーディ=脈管の存在や、数多くのアーサナ=ヨガのポーズ、バンダ=締め付け、ムドラー=印、等を説明)や②イマジネーションの羽を大きく広げて羽ばたかせるところが有ります。

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Facebook 友達への説明 ヴェーダーンタ思想

2024年12月14日 | 日記
Facebook 友達への説明 ヴェーダーンタ思想

 Facebook 友達の中のお2人からインド思想の説明をしてくれとのリクエストが有りましたので次のように書いてみました。

 ヴェーダーンタ思想とはヴェーダ時代の最後の思想と言う意味だそうでして、その思想の根幹は「霊性が心を作り心が世界を作る」と言うものです。霊性(ブラフマン=アートマン)だけが実在すると言う一元論でして、認識の表象は人が勝手に作り上げた幻(マーヤー)であるとして、現象世界(認識の表象)をマーヤー(幻)として退けます。この時に認識の表象だけで無く認識の対象も実在しないとして一緒に片づけます(ここがひっかかりますね)。

 ヴェーダーンタ思想はウパニシャッドとも言いますが、膨大なウパニシャッドはその内容がまだ一貫しておらず、またヨーガスートラのようなヨガの技法についても述べていません。サーンキヤ哲学のように(ヨガの技法を丁寧に説明する)ヨーガスートラや(ヨーガスートラを哲学の面で支える)サーンキヤ・カーリカーのような明確な経典はヴェーダーンタ思想には見当たりません。強いて言うならばヨーガ・ヴァーシシュタがそれにあたるでしょうか。

 しかしインド思想の根本はヨガであり、ヨガのサマーディ(解脱体験)をどう理解しどう説明するかで二元論のサーンキヤ哲学になったり一元論のヴェーダーンタ思想になったりゼロ元論の仏教になったりしますので、どれか好きなのを選べば良いでしょう。

 ヴェーダーンティスト(ヴェーダーンタ思想の人)はその思想を説明するのにサーンキヤ哲学の用語を多用しますし、インド思想は結構混然としていますね。

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広島と山口

2024年12月07日 | 日記
広島と山口

 先月はうちの人が古希(70才)を迎えましたのでそのお祝いを兼ねてパッケージツアーを探し、2泊3日で広島と山口へ行って来ました。

 1日目

 広島には9時40分に着いたのでこの日はゆっくりと安芸の宮島の観光をしました。宮島口からフェリーで宮島へ渡り(宮島が島だとは知りませんでした)、(和様と唐様の)五重塔と(豊臣秀吉が途中まで建設した)千畳閣を見たあと厳島神社に入場します。朱色の社殿と隙間の空いた廊下が印象的だが社殿と海とのコントラストが見事。いちおう拝殿の写真は撮りました。そして社殿を出た所で外人さんが私達夫婦のツーショット写真を撮ってくれましたが、普通の顔をしていると「はい、笑って」と注文されます。

 厳島神社の拝観が終わりますと紅葉谷公園→大聖院→白糸の滝と歩いてみます。紅葉谷公園の紅葉は全くの不発でしたがそこで食べたかやくうどんはなかなかで、牡蠣、穴子、牛肉、卵焼きが入っていました。大聖院や白糸の滝のあたりは人もまばらで、日本人よりも外国人の方が多く、よく調べているなあと感心します。

 ひと通り巡ってみますとまだまだ時間が有るので、もう1度大鳥居を見たくて海岸まで降りてみました。

 海岸へ出てみますとそこは無料の為か外国人達の多い事。大鳥居を間近に見ていますとここでも外人さんが私達夫婦のツーショット写真を撮ってくれます。そしてここでも「はい、笑って」。そしてうちの人が外人さんの写真を撮ってあげました。

 2日目

 この日の午前は原爆ドームのあたりを散策しました。原爆ドームもそうですが、やはり原爆を投下された街の土を踏んでいますとテレビで見ているのとはまるで印象が違い、被爆者(被災者)の心境に近づける気がしました。そしてバスに乗りますと次は山口は岩国の錦帯橋の観光でした。錦帯橋は木造の複数のアーチ型の橋で、アーチを下る時に少し右の膝が痛みます。これから先大丈夫だろうか。錦帯橋から少し歩くと白蛇の館と言うのが有って、そこで白蛇の写真を撮りました。来年は巳年(蛇年)なのでお正月に使えそう。

 午後は念願の秋吉台と秋芳洞の観光です。私の父は山口高商(現在の山口大学経済学部)を出ていますので、幼い頃に父は秋吉台や秋芳洞の話をよくしてくれまして、大人になったら1度は秋吉台や秋芳洞を見てみたいという思いがここで叶いました。カルスト台地の秋吉台は私が想像していたよりもかなり狭くて少し失望しましたが、昭和の始め頃に大学生だった父はここで何を思っていたのだろうかと想像を巡らせました。そして秋芳洞に入りますと中は少しばかり蒸し暑く、1kmばかりの暗い穴道を下って進みます。ここで私の右の膝は痛みを増し、私は手摺りを確保しながら地下道を進みました。鍾乳洞は大変立派なもので、これは世界に誇れます。あちこちに石灰の柱が垂れ下がり、また石灰の棚田のような場所も有り、トルコはパムッカレの石灰棚温泉を思い出しました。しかしここの暗闇の照明下の石灰棚と青空の下の白とブルーのパムッカレの石灰棚とは大分印象が違います。

 3日目

 3日目は山口の日本海側をあちこち(山口が日本海に面しているとは気づきませんでした)。先ずは船に乗って青海島を見物。それからバスは狭い道をどんどん登って行き(舗装はされているが車の交差が出来ない程)、SNSでバズって有名になったと言う元乃隅神社に到着。山の上から海まで多数の朱色の鳥居が続いており、海の青に鳥居の朱が映える事。長い石段を下り終えて景色を見渡し、再び小高い山を登りますとそこには一段と大きい神社の鳥居が有って、鳥居の上部に賽銭箱が取り付けて有りました。この賽銭箱にお賽銭を見事に投げ入れると何か良い事が起こるそうで、シニアの大人達が次々に挑戦しますが皆さん失敗、コインを投げ上げてもなかなか賽銭箱に入りません。そこにうちの人も挑戦。2度は失敗しましたが3度目に見事に成功、これから何か良い事が起こりそうです。宝くじでも買ってみましょうか。

 次にバスが向かったのは角島大橋、青い海に白くて長い橋の映える事。海は右から左へのコバルトブルーからエメラルドグリーンのグラデーションはこんな景色が日本に有ったのかと驚かせてくれます。そしてここからは萩の城下町→松陰神社・松下村塾、更に島根の小京都津和野へ足を延ばして街並みを散策、森鴎外ゆかりの養老館などを見て島根の萩・石見空港へ向かい、1日に2便しか飛ばないという飛行機で羽田空港へ帰って来ました。

 今回のツアーではあの厳島神社よりも秋吉台と秋芳洞が私にはメインでした。いつかは訪れたかった秋吉台に立って若き日の父が何を思っていたかに想像を巡らせる事が出来、本当に有意義な3日間のツアーでした。そうそう、右の膝の痛みも治りましたよ。


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