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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

マントラの効用

2024年02月03日 | 日記
マントラの効用

 私の父は兵隊には行かず九州北部の大牟田の工場で事務を執っていました。そうしますとそこは軍事工場ですから米軍のB29の爆撃を受ける事になります。焼夷弾はあちこちに落ちて、焼夷弾の油の火が父のゲートルに燃え移ったそうで、相当危険な目に会っていました。父の話では米軍の激しい爆撃の最中、父の近くでしゃがみこんだおばさんが手を合わせながら「ナンマイダ ナンマイダ ナンマイダ ナンマイダ!」と呻(うめ)いていたそうです。それは分かりますね。今にも爆弾で体を吹き飛ばされそうな時に南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とか南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)等と悠長な念仏(マントラ)は唱えていられませんで、念仏(マントラ)は短い方が集中出来、そうやって自然と気が狂うのや気を失うのを避けていたのでしょうね。これは人生の中でも滅多に無い非常時のマントラです。

 それでは平常時のマントラにはどんな効用が有るのでしょうか。Bing に「マントラの効用は?」と質問して見ましたら次のような答えが出て来ました。「マントラは瞑想やヨガの中で重要な役割を果たしています。特定の言葉やフレーズを繰り返す事で心を静め、集中力を高める効果が有ります。また、マントラを唱える事でストレスの軽減やリラックス効果も得られると言われています」。うーむ、それはそうなのでしょうが、何だか当たり障りの無い表現ですね。

 インドではマントラを唱える時には数珠を使い、マントラを唱える度にひとつひとつ数珠の珠をくりながら数え、あらかじめ決めて置いた回数のマントラを唱えるのだそうです。それではそのマントラの効用とは?

 私はマントラを唱える時に数珠は使わず、またインドのヨギ(ヨガ行者)のように何十回も唱える事はせず、毎朝祭壇に向かって2度唱えるようにしています。私のマントラは先生からいただいたもので秘密ですが、ポピュラーなマントラとしてはオーム マニ パドメ フーンやオーム ナマ シヴァ ヤー等が有りますね。そしてマントラを唱えますと先程のBing に有りましたように集中力が出来たりリラックスしたりの効果が有りますけれども、一番は神様への親しみを覚える事でしょう。神様への親しみを覚え、神様を身近に感じるのは大切な事です。そして日本とは違ってインドでは、与えられた神では無く、自分の好きな神様を持てば良いと言い、私もそうしています。

 また時折、自家製のマントラも私は使います。マントラには集中力をつけたりリラックスしたり神様に親しみを覚える効用がありますけれども、マントラを唱えている間は他の想念が起こるのを阻止する働きも有ります。私達は日頃、気が散ってばかりいますが、ここは集中!と言う時には集中集中と念じるよりも受け身の態度になる方がより集中出来るようで、そう言う事は宮本武蔵の五輪の書にも書いて有りますね。相手が上から来ると思えば下が手薄になる、右から来ると思えば左が手薄になる、左から来ると思えば右が手薄になる。ところで五輪の書の五輪とはサーンキヤ哲学に出て来る地水火風空の5元素、そして5つのチャクラ(輪)の事ですね。それは地(筋肉の働き)水(生殖器官の働き)火(消化器官の働き)風(呼吸器官、循環器官の働き)空(発声器官の働き)を示します。

 そこで私は時折、宮本武蔵のように、集中が必要で気が散らないようにしたい時には「受け身、受け身、受け身」と心の中で唱えるようにしています。



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自己実現

2024年01月20日 | 日記
自己実現

 欧米の社会心理学には自己実現と言う言葉が有ります。簡単に言いますと自分のパーソナリティが周りの人達のパーソナリティに影響を与える事を自己実現と表現するようです。例えば科学者がその研究を認められてノーベル賞を受賞する、これです。もっとスケールを小さくしますと、良い大学を出て良い会社に入り、認められて会社の役員になる。自分のプレゼンテーションが認められて採用される。インフルエンサーになる。まあ、気分の良い事。

 しかし自己実現は良い事ばかりでは有りません。ウクライナが戦争に負ければロシアのプーチンにとっては自己実現ですし、日本の尖閣諸島を中国領にし、更には沖縄も中国領にしてしまえば習近平にとっての自己実現。またハマスがイスラエルをせん滅してしまえばハマスの、そしてイスラエルがハマスをせん滅してしまえばイスラエルの自己実現と言う事になります。嫌ですね。

 このように自己実現は功罪相半ば、と言うより実際には悪い方に偏りがちですよね。どうしてそうなるかと言いますと自己実現とは人間の欲のひとつの結果とも言えるからです。綺麗な言葉を使っても欲は欲。

 欧米風の社会心理学の自己実現、これは底が浅くて駄目ですね。

 一方でヨガの自己実現、これはどうでしょうか。

 ヨガのアーサナ(ポーズ)をやりプラーナヤーマ(調息)をやり瞑想状態に入りますと、運が良ければ、想念が停止し、それまで隠れていた霊性が燦然と現れる、これがサマーディ(解脱)の状態ですが、これをヨガでは自己実現と言います。私は真っ白な光で有り、またその光を見る者。これをヨガではサット(有る事)、チット(有る事を知る事)、アーナンダ(有る事を知る事で湧き上がる歓び)と言います。

 そして、ひとたびサマーディ(解脱)を体験しますと、サマーディ(解脱)から覚めて元の自分に戻っても人間の真実が見えるようになります。

 同じ自己実現と言っても欧米の社会心理学の自己実現とヨガの自己実現とはまるで様相が違いますね。神を自分達の部族長と見るような中東や欧米の社会的な宗教とひたすらに自己を探求するインドの宗教との違いでしょうが、私はヨガの自己実現が好きです。

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幸せに生きる智慧

2024年01月06日 | 日記
幸せに生きる智慧

 私のお気に入りのブログ「うちこのヨガ日記」でうちこさんがヨガの小路きみまろと表現しているシュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールに興味を持ち、KKロングセラーズ発行、シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールの言葉を集めた「ヨガ大聖者からの贈り物 幸せに生きる智慧」をアマゾンで買ってみました。

 シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールはビートルズにヨガの思想を教えたマハリシ・マヘシュ・ヨギのお弟子さんのようで、またその名前がビートルズのジョージ・ハリソンにインド楽器のシタールの演奏を教えた、そしてノラ・ジョーンズの父親であるラヴィ・シャンカールと同じなので、何だか怪しい、アメリカのヨガビジネスの人かもと思わせます。そして本の表紙は彼の顔の写真になっており、黒い長髪に口髭にあご髭、そしてクリっとした丸っこい目が微笑んでいて、これはもう。またうちこさんがヨガの小路きみまろと表現しているので、バグワン・シュリ・ラジニーシのように喋りまくる人なのだろうと思わせます。そしてこの奇抜な名前と奇抜な顔に似合わない「幸せに生きる智慧」と言うなんともぬるい本の題名、私は既に偏見の塊となってこの本を開きました。

 しかし、本を開いてみますと事前の印象と大分違う。私より10才年下のこの人はアメリカを起点に世界の紛争解決に奔走していて、2006年にはノーベル平和賞の候補にもなったそうです。

 お話はバグワン・シュリ・ラジニーシとは違って簡潔な表現の言葉が続いていました。そしてその内容はかなり本格的なヨギ(ヨガ行者)の言葉です。心は自分の主人では無く自分の一部である。そこでプラーナヤーマ(呼吸法)と瞑想で心を整えて、心と体と環境世界とは全く別の霊性(真我)、これを真の自己(セルフ)と表現していますが、それに至って下さいと言います。これは霊性(プルシャ)と現象世界(プラクリティ)とが実在するサーンキヤ哲学ですね。プラーナヤーマ(呼吸法)と瞑想によって心(マナス)から自我意識(アハンカーラ)へ、そして統覚(ブッディ)へと遡った末に霊性(プルシャ)へと跳躍する、サーンキヤ哲学の構造です。

 そしてまた、事象は転変する(自分の心も他者の心も)。過去や未来に引きずられずに(執着せずに)「今」を観なさい。本の最後の方はかなりビジネスに寄せた話題にはなっていましたが、お勧め出来る本でした。

 そこで折角なので少しだけ、私が気に入った所を抜粋しておきましょう。

 理性と信念は、どちらか一方だけでは存在できません。~理性は日常であり、繰り返しです。信念は冒険であり、探求です。

 心がすっかり「今、この瞬間」にある時には、情熱的になる意外ないのです。一方無感動になるのは、あなたが人生の根源から遠ざかっている時です。

 言葉を超えたものを見つめ、語りましょう。そうすれば、人生に嘘がなくなります。言葉を頼る事、それは「無知」です。言葉を超えると、それは叡智です。

 私たちは人の気持ちが自分の思い通りになるようにと、どこかで望んでいますが、それは不可能な事です。「こうあるべきだ」という「無知」があなたを不幸にします。

 欲望を抱いている時、今この瞬間に喜びを感じることができるでしょうか?そして、喜びに満ちている時に、欲望が湧いてくることがありますか?

 あなたはまさに「今」、自由で、満ち足りています。この「今」という瞬間にただ気付くのです。過去を後悔せず、未来に何も望まないことです。

 生命は物質(肉体)とバイブレーション(霊)の組み合わせです。

 宇宙のすべてのものは「意識」から生まれ、「意識」の表れなのです。


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創立50年

2023年12月19日 | 日記
創立50年

 日本ゴーシュ・ヨガ道場から案内の電話が有りました。道場の設立は1973年なのでこの12月で創立50年になる、ついては古くて熱心な生徒さん達に声を掛けて12月16日に道場で記念の集まりをすると言うものでした。私が入門したのは1979年の4月ですから創立5年目だったようです。私は出席しますとお返事しましたが、さてお祝いはどうしたものだろうか。

 ジバナンダ・ゴーシュ先生は今年の4月9日に他界され19日にはお別れの会が有りました。それから8か月後の催しですから盛大にお祝いと言うのもよろしく無い。そこで色々と考えましたが、紅白のワインをお持ちする事にしました。赤ワインはイタリアはピエモンテのバルバレスコ2014、白ワインはフランスはブルゴーニュのプーイイフュイッセ2016、これなら創立50年について遜色ないでしょう。仏教には禁酒の戒が有りますが、ヨーガ・スートラには有りませんし。気を使いながら地味に集まって地味にお祝いをしましょう。

 当日道場に着きますと既に20人ばかりが集まっています。道場を継承されたジバナンダ・ゴーシュ先生の次男のブバイさんがご挨拶をされ、またブバイさんファミリーのご紹介も有りました。会場には軽食が用意され、そこには私が持参した2本のワインも有ります。誰かが持参したスパークリングワインでの乾杯のあと歓談に入り、ブバイさんから若き日のゴーシュ先生ご夫妻のお話や先生が亡くなられるまでのご様子などが語られます。

 お話が少し落ち着いて周りを見ますと懐かしい顔ばかり。ほんわかとした雰囲気でただヨガの練習が好きな渥海さん。武道の達人で長老(86才)の福田さん。福田さんと私は2015年と2016年に銀座の泰明小学校で行われたインド大使館主催の国際ヨガの日の催しでゴーシュ先生に随行しました。福田さんの後ろには大病を克服されたばかりの松島さん、お元気そうです。そして蓑田さんご夫妻。お2人は道場で結ばれ、お嬢さんの名前は(ヨガのアーサナから取った)朝菜さんと言います。大昔に道場でインストラクターをされていた原口さんは群馬からお越しでした。そして皆さんが夫々に道場入門の年を言い合って盛り上がりますと、だいたい皆さん私よりも古いようでした。あの時私達は若かった。

 皆さんのお話が尽きない中2時間が経ちまして会はお開きになりましたが、先生の事務所で欲しい物が有ったら持って帰るように言われ、事務所を覗いてみました。ヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュ先生の本が有ります。ベンガル語の本なので全く読めませんが、表紙が先生の写真なのでこれはいただきます。ヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュ先生はあの有名なパラマハンサ・ヨガナンダの弟で、ゴーシュ先生の奥様のコルナ先生のお父上です。また2016年のカレンダーの、上半分がドゥルガー女神の絵が有りました。このカレンダーは以前にゴーシュ先生からいただいていましたが日に焼けていて色が薄くなっていますがこれはくっきりとしているので貴重です。

 そしてなんと。道場がここに引っ越す前にはプラーナヤーマのあとに黙読していた8ページの、ババ・タラクナス(シヴァ神)を称える詩(ベンガル語のカタカナ表示)の冊子!これは良く残っていたものです。ああ懐かしい。これらの頂き物は道場の布製の手提げ袋に入れて持ち帰りました。

 さて、ブバイさんのお話では、日本ゴーシュ・ヨガ道場は来春にはゴーシュ・ヨガと名前が変わるそうです。世代交代です。

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不安の元

2023年12月09日 | 日記
不安の元

 心は体の付属品ですから、体が活発に活動している時に心はぴったりと体に寄り添って想念を巡らせます。あっちへ行こう、ここを曲がれ、一旦ストップ。例えば営業活動をしている時も、この時間だけは得意先Aと商談出来るし次の得意先Bは何時でも商談OKだから先に得意先Aに向かい、次に得意先Bだね、と言った具合。

 しかし体が活動を終えて静かになった時、心は体に合わせて休む事はせず、勝手に想念を巡らせ始めます。私達は体が休憩している時にそれに合わせていちいち眠ったりはしませんでしょう。しかし困った事に、浮かんで来るのは不安の想念ばかり。どうして楽しい事や嬉しい事が思い浮かばないのでしょうか。

 体の願いは只ひとつ生きる事、つまり死なない事。食べるのも寝るのもSEXをするのも生きる為、つまり死なない為ですよね。ですからこうして体は死ぬまで死を恐れ続けます。体が活発に活動している時は気にもならないのですが体が休むと次々と不安の想念が頭を持ち上げる。これが体と心の死なない為の仕組みです。そしてこの仕組みが分かりますと、不安の想念が次々と浮かび上がって来てもそれに苛(さいな)まれる度合いは減少します。今、体は死を恐れているのね、と分かればずっと気は楽になりますよ。世の中、そんなに危ない事は起こりません。

 お話は変わりまして、定年退職をした頃から母が他界するまでの10年余り、親族との間で訳の分からない諍いが続きました。社会的な通念や責任を無視しての勝手気ままな主張には辟易しましたが、その度になんとか話し合いを続けて熊本地震も母のお世話も見送りも葬儀も無事に乗り越えて来ました。そしてこれは過ぎた事です。

 最近、リタイア生活でのんびりと想念を巡らせていまして、面白い事に気付きました。こうした嫌な思い出の数々はちっとも思い出さず、思い出すのは楽しかった事、嬉しかった事ばかり。これから先の事については(マイナスの)不安の想念が起こりがちなのに過ぎた過去については(プラスの)楽しかった思い出ばかり。これはどう言う事でしょうか。

 体は知っているのです、過ぎた過去に自分が死ぬ事は無い。体は心を随分と振り回してくれますね。

 そして最後にひと言、日本人は不安が無いと不安になります。

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