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もう一度改革クラブ

2009-07-21 21:14:46 | Weblog

本日、ついに衆議院が解散された。

 

選挙は国会議員の再就職活動との本音を隠し持つ国会議員が多い中、一人、自信をもって「彼こそは日本を救う真の国会議員である!」と胸を張って推薦できる人物がいる。

 

それは、「改革クラブ」の西村真悟議員である。

 

去る7月12日、堺市泉が丘にて「日本再興 西村真悟 夏の集い」が開催された。

 

冒頭西村真悟議員は、徳富蘇峰が昭和二年に書いた次の文章を紹介した。「且つ夫れ国家興隆すれば、理想を以て生活とし、国家が生活を掲げて理想とすれば国家は衰退する」。

 

「生活が第一」は民主党のキャッチフレーズである。国民の日銭の心配をするあまり、国家の舵取りを誤りはしないかと気が気でない。昭和二年(わたくしの父方の祖母は昭和二年生まれです)、今からはるか八十年以上前の言葉が、平成の御世にて実現されようとは、よもや蘇峰も思ってはいまい。

 

国会議員には国家を運営してもらわなければならない。庶民の暮らしに精通している必要はない(精通していればプラス材料になる、という程度である。もちろん、庶民の暮らしに精通している議員がいてもいい。その程度である)。

 

国家の運営を任せられるのが西村真悟議員である。

 

西村真悟議員は、たとえ少数者でも(勝ち目はなくても)立ち上がらなければならない (信念を貫かねばならない)と仰り、次のような話をされた。

 

それは蒙古襲来の話である。13世紀前半、日本に攻めてきた蒙古軍は総勢3万。その3万の軍勢にたいして、日本にいったいどれだけの勢力があったことか。一説によるとたった80騎で立ち向かったとのことである(数字には諸説あります)。

 

堂々と80騎で戦ったのだ。

 

もしあのとき、圧倒的少数者の日本人が戦わなかったら。もしあのとき、圧倒的少数者の日本人が怯え、逃げ惑っていたら。もしあのとき、圧倒的少数者の日本人が己の命を顧みずに向かって行かなかったら、今の日本はいったいどのような状態になっていたことか。

 

だから、たとえ少数者であっても、圧倒的に不利な状態であったとしても、やらねばならぬときにやらねばならぬのだ。

 

このようなことをお話になった。

 

ひょっとすると、端から勝負はついているのかもしれない。負け戦と戦う前からわかっているのかもしれない。神風など吹かないかもしれない。しかし、それに臆せず立ち向かう先祖を戴くのが、我々日本人である。かならず思いは通ずると先人が身をもって我々子孫に教えて下さった。

<WBR>

 

わたくしは、この話を聞き、次のことを思い出した。

 

少し前になるが、藤原和博さんの講演会に参加した。東京杉並区立和田中学校で「夜スぺ」を始めた人である。今でこそ有名になり、心ある人なら誰でも知っているし、「夜スぺ」を支援し、さらに共に行動する人もどんどん増えた。が、最初は大学生のボランティアたった1名、生徒5名で始めたらしい。

 

講演会の席上、藤原さんがポツリとおっしゃった一言が忘れられない。

 

「何でも最初は一人なんです」。

 

そう。最初は何でも一人なのだ。最初っから大勢の支持を得て事を為せることなどないのだ。

 

「何も変わらない」「誰がやってもいっしょ」「興味ない」「いそがしい」

 

最初は一人でしんどいけど、コツコツがんばれば道が開ける。

 

いや、コツコツがんばるしか道を開くことはできない。

 

というわけでみなさん、8月30日の衆議院総選挙の際、比例区には「改革クラブ」とお書き下さい。

 

改革クラブですよ!!!!