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脱・東京裁判史観 その2

2007-02-21 02:03:44 | Weblog

<<戦争を知らない人間は、半分は子供である。>> 大岡昇平『野火』

「戦争を知らない」とは、直接の体験の有無だけを指しているのではなく、むしろ「戦争」に対する、多元的な眼差しと想像力の欠如のことであろう。
 東京裁判と占領下においてつくりあげられた太平洋戦争に対する一元的な見方から自由にならないかぎり、戦後六十一年を経た今も、日本人は「半分は子供である」といわざるをえないだろう。
 日本が戦ったあの戦争は、アジアにおいていち早く近代国家となった日本が、西洋列強の帝国主義と対峙し、その白人支配からの脱却をめざしたものであったといわれる。
 先ほど引用したクリストファー・ソーンは、日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国の終焉をはやめたと指摘する。東京裁判史観を覆す西洋の歴史家のこの見解を、日本人はどう受けとめるのか。
 昭和十六年十二月八日の開戦の報に接したとき、日本人の多くは、この戦いが西洋列強の苛烈な経済封鎖に対する、自存自衛のための戦争であると感じた。しかしその感覚は、戦後になって全くなかったかのようにされた。
 戦争体験のない世代の一員として、私はかつての日本人が総力をあげて戦い、敗れた大戦争とは何であったかを考えてみたい。そのとき、これまでの戦後史観の圧倒的な否定論、すなわち「あの戦争は誤った侵略戦争だった」と決めつける議論に安易に与したしたくはないということである。いわゆる東京裁判史観から自由になって考え、日本人としての主体性と勇気を取り戻したいのである。

富岡幸一郎『新大東亜戦争肯定論』(飛鳥新社)