観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

キャノンのサービス

2009-02-26 22:28:55 | メカ(機械)
 カメラが好きで何台か持っています。現在主に使っているのはキャノンのパワーショットG9ですが、その前にはIXY DIGITAL 50という小さなカメラを愛用していました。
 横浜に行ったときのこと、山下公園で写真を撮り、帰り際、軽い気持ちでバックを車の後部座席のシートに放りました。帰宅してカメラを開けてみると、液晶の中央部が、縦にフィルムが剥がれたような感じになっており、恐る恐る電源を入れると、案の定、何も映らなくなっていました。衝撃で液晶が破損したのです。当たり所が悪かったのでしょう。まだ購入して間もない頃で、真っ青になりました。
 しかたなくキャノンのサービスセンターに連絡すると、宅急便業者が集荷に来てくれ、修理が終わった後にも、宅急便で送り返されて来ました。保証期間内ということで、費用はなし。宅急便の代金さえ不要とのことでした。液晶の故障は、私の過失によるもので、初期不良でも何でもありません。それなのに、修理費ゼロの上に宅急便代さえタダとは! 思わず絶句してしまいました。さすがは天下のキャノン、一流企業だわい、と感心しました。以来、私はますますキャノン贔屓になっています。顧客の側に立ったサービス体制ができている企業だと思います。
 ちなみに、その後、デジカメにはすぐにカバーを買いました。現在のG9には純正のカバーをつけて愛用しています。液晶にはカバーが必需品です。お使いでない方は、ぜひご用意ください。

平日のコンサート

2009-02-25 22:25:11 | オーディオ・音楽
 勤め人が7時に始まるコンサートに駆けつけるのはしんどいですね。会議が延びて、それでも何とか間に合ったのはラッキーでした。
 レセプションルームで開かれたコンサートはワンドリンク付き。選択の余地無く、缶ビールをもらって席に着くとすぐに開演でした。松島啓之氏はジャズトランペッターとして活躍中のアーティスト。今回は、ピアノの吉岡秀晃氏、ベースの井上陽介氏とのトリオでした。トランペットというのは吹きっぱなしというわけにはいきませんから、やはりピアノとベースの演奏時間が長くなります。松島氏は一番年下ということもあったのか、二人の演奏になかなか入り込めなかったような感じでした。遠慮があったのでしょう。
 ピアノの吉岡氏は根っからのジャズマンでした。流麗なメロディーラインはクラシックのようでもあり、コミカルなベースとの掛け合いはコメディアンであり、情熱的で音の粒が一つずつ立つような演奏はジャズの楽しさを存分に堪能させてくれました。求道者のような松島氏とは対照的な気がしましたが、絶妙の取り合わせだったかもしれません。ベースの井上氏も温かさを感じさせる演奏で、ずばらしい雰囲気を醸し出していました。
 松島氏のトランペットは、非常に真面目で好感が持てました。とても端正で丁寧な演奏だったと思います。ジャズのトランペットをメインに聞いたのは初めてでしたが、何か懐かしい音色でした。豆腐屋さんのラッパを思い出したからではないでしょうが、南洋の夕暮れの空を思い出しながら聴いていました。
 休憩時間に2本目のビールを調達に行くと、何と無料でした。すごく徳をした気になりました。気に入らなかったのは、前の熟年カップルですかね。夫婦ではないようでしたが、とても楽しそうに演奏を聴いていました。あんなのが私の理想なのですが。

セイコーファイブ

2009-02-25 06:44:25 | メカ(機械)
 ブランド品を持ちたいという気はありません。品質保証のひとつの指標としては、ブランド品を買うという選択はあると思います。ですから否定するつもりはありません。ただ、私はあまり価値を認めないと言うだけです。
 現在使っているのはカシオの電波時計で、狂いもなく大変よいのですが、プラスチックケースの所々の塗装が剥げてしまったので、新しいものが欲しくなりなした。そこで、日曜日に、ホームセンターで腕時計を購入しました。セイコーファイブという商品です。新聞の広告で通信販売で売られていることは知っていました。今は少なくなった機械式の腕時計で、国内では生産されておらず、逆輸入品のようです。通販は1万円前後でしたが、チラシを見ると5千円ということで、お買い得感もありました。
 時計コーナーに行ってみると、文字盤が青のものが一つ、白が二つしか残っていませんでした。少し安っぽい気がして一度は止めかけましたが、この機を逃したらいつチャンスがあるかわからず、とりあえず青の方を買っておくことにしました。青い文字盤は悪くないのに、小さなロゴマークがびっしり刻まれており、それが光ってうるさい感じです。ステンレスのバンドはデザインもよく、それほど安っぽさを感じさせません。裏はスケルトンになっており、心臓のように動いて時を刻む様子や、自動巻用の重りが動く様が見えます。思ったほど厚みがなく、コンパクトな所は素晴らしいと思いました。
 ソーラーでよいものもありますが、私は自動巻とはいえ、私が腕を動かしてねじを巻き、歯車が一つずつ動いて時を刻む機械式のものが、好ましいように思います。それ以上の理由はありません。一生懸命、こつこつと時を重ねていくという仕組みが好きだということでしょうか。
 買ってからネットで調べてみると、一言でセイコーファイブと言っても、種類がいろいろあるのですね。いろいろ見ていたら、いくつか欲しくなってしまいました。腕が何本もあるわけではないので、いくつも買ってもしかたないのですが。

ステップワゴン 燃費記録更新の秘密

2009-02-24 02:29:32 | メカ(機械)
 今週末も約100キロの距離を、高速主体に走りました。今回はオイル交換をしてすぐの走行になりましたが、1リットルあたりの燃費としては久々に15kmを超えて15.1km/㍑を達成しました。ちなみに新しいオイルは、オートアールズのRSガードサイバーという製品で、4Lで3980円でした(工賃別)。最近は、まったく同じ道を、ほぼ同じ条件(同時間帯、満タン給油直後)下で何度も走っていますが、リッターあたり15kmを超えたことはありませんでした。したがって、これは明らかにオイル交換による燃費の向上といってよいと思われます。
 エンジンオイルなどは、たいしたものではないと考えてきましたが、これほど燃費に関係することから見ても、侮れないということを今さらながら感じました。知人の中にも、無頓着な人が多いですが、3000キロごととか、3ヶ月ごとに交換しろとは言わないまでも、汚れたり粘性が落ちたまま走ることは、相当なダメージになるのではないかということはアドバイスしたいと思いました。
 電子部品の集まりと言われるようになった車ですが、オイルという、極めて機械的な部分では、まだまだアナログな乗り物だと思えて、なんだかうれしい気持ちになりました。

きれいでない絵を

2009-02-18 03:11:31 | マイ・ギャラリー
 自画像です。自画像はずっと描いていました。「自分好き」というわけではありません。手軽な人物ということになると、自分しかいなかったのです。
 描いていて面白いのは、人物画が一番だと思います。造形的な面白さもありますし、内面をどれだけ描けるかという問題もあります。技量のない私ですが、チャレンジ精神を刺激してくれます。
 もちろん女性像がきれいです。若い頃、美形の女性と出会っていたら、私はきっと画家になっていたと思います。のめり込んで描くだけの情熱があったと思います。不幸にして、そういう出会いはありませんでした。もう絵に対する情熱も冷めてしまいました。
 私が絵を描くとき、最終的に意識した作家は、故小松崎邦雄先生でした。小松崎氏のような明るくボリュームのある人物像を描きたいと思っていました。この小品も、そうした思いで描いたものです。サムホールです。
 きれいとは言えない絵をお目にかけて申し訳ありません。

 

ドールコレクション3

2009-02-17 03:50:34 | ドール
 アーマンド・マルセルのビスクドールです。保証書には1913年という制作年が記載されています。目はブルー、髪はブロンドのオープンマウスです。銀座にあるお店で一目見て気に入って購入しました。委託販売のようでした。
 ビスクドールとしては、ジュモウのように白い顔がよいとされていますが、ドイツの人形は子供の顔を作ろうとしているのか、意図的に赤く焼いているように思います。この人形も、顔が赤すぎる点が価値を下げているようです。
 身体のパーツはコンポジションです。内部でゴムを張って手足をつないであるようです。多少ゴムのゆるみが出ています。
 この人形は、あまりモチーフにしてきませんでした。最初に描いたこの絵が気に入ってしまい、満足していたからかもしれません。絵ではリボンと肩のあたりしか見えませんが、ドレスもきれいで凝ったものです。おそらく、オリジナルではないでしょう。
 1913年は大正2年です。可憐な人形は、現在まで、波乱の時代を見てきたわけです。どういう人が愛玩し、どういう人達が引き継いで、現在、日本の私の手元にあるのか。そんな空想をかき立ててくれるのが、ビスクドールの浪漫であると思います。
 サイズは得意のサムホールです。
 今回は写真でなく絵をアップしました。本来は「マイギャラリー」のカテゴリーにすべきでしょう。 

アブサンのこと

2009-02-16 13:44:05 | 
 はるか昔のこと、恩師のお宅にお邪魔した際、「君は絵を描くそうだから」とアブサンを飲ませていただきました。色も味も灰汁のような印象を受けました。原料であるニガヨモギのものなのか、ほのかな青臭さとざらざらしたのどごしで、あまり旨いものだとは思いませんでした。ロートレックやゴッホが、なぜ愛飲したのか理解できませんでした。彼らは、中毒になっていたいたわけですから、旨いとかマズイという感覚ではなかったのでしょうが。
 アブサンは中毒になるということで、長い間、発売が禁止されていたそうですね。確か恩師もそんなことをおっしゃっていたように思います。私は貴重なお酒を飲ませていただいたことになります。現在は、また売られているのでしょうか。手にはいるのであれば、もう一度、味わって、ロートレックやゴッホを偲んでみたいと思います。本当は、彼の地へ行って飲むのが一番よいのでしょうが、あの飛行機の長い時間を思い浮かべると、二の足を踏んでしまいます。そして、一人ではなあ、と思うともう駄目ですね。
 アブサンから、カストリを想像するのは私だけでしょうか。カストリとは、密造焼酎のことで、酒の粕を絞りとった怪しい酒。終戦後に流行したもののようです。メチルアルコールなどが入っていて、健康を損ねる人も多かった由。そのあたりが中毒性のあるアブサンとの類似点でしょうか。坂口安吾の家にはドラム缶で買ってあったと言います。私は飲んだことがないので、いつか舐めてみたいと思います。飲む勇気はちょっとありません。

こんな旨い酒があったのか

2009-02-15 22:52:36 | 
 福井県永平寺町にある黒龍は評価の高い蔵元ですね。先日、純米大吟醸で、長期低温熟成された「黒龍石田屋」というお酒を飲む機会に恵まれました。11月に発売される限定品で、定価は1万円ほどらしいですが、なかなか手に入らないようです。青いガラスの4号瓶は口が細く、下がどっしりと作られた美しいものでした。
 それは知人のお宅に招かれたときのこと。お正月に開けたそうですが、あまり美味しいので、酒好きの私のためにとっておいてくださったという有り難いお話。残念ながら開栓後一ヶ月半ほど経っていましたが、そのお気持ちがうれしく、それだけで十分といった感じでした。いくら冷蔵庫に入っていたとはいえ、多くを期待しませんでした。ところが、一口飲んで驚きました。たしかに、少し気が抜けたような、平面的な感じはありましたが、それを差し引いても、なめらかな旨さは格別でした。まったく刺激がなく、それでいてしっかりした旨みもある。淡麗でなく、それでいて菊姫や天狗舞のようなこってりした味でもない。何と言えばよいのか、甘いとか辛いとかいうのでなく、旨いのです。吟醸香はさすがに抜けたのでしょうが、私には程よく感じられました。あまり吟醸香の強いものは飲み飽きしますが、まったくそのようなことはありませんでした。
 実に真面目にしっかりと作られた酒だと感心させられます。奇をてらうことなく、基本を忠実に守って作れば、これだけ美味しい酒ができるのでしょう。秋になったら、必ず手に入れて、正月に飲みたい酒です。久しぶりに、旨い!という酒に巡り会いました。黒龍、評判は知っていましたし、過去に飲んだこともありましたが、これだけの酒を造っているとは知りませんでした。ずばり認識が変わりました。

紀伊の旅

2009-02-15 00:01:28 | 旅行
 07年のちょうど今頃(2月16~18日)、長年行きたいと思っていた熊野を訪ねました。
仕事が終わってから東京駅に駆けつけ、17:36発のひかり383号で名古屋まで行き、19:45発ワイドビュー南紀7号で新宮に着いたのは22:53。その夜はビジネスホテルに泊まり、翌朝、徒歩で神倉神社へ行きました。仕事が終わってからでも紀伊半島の先まで行けるのは驚きでした。
 熊野へ行くにあたっては、知人から情報を仕入れ、三山よりも神倉神社がよかったという情報を得ていました。住宅街を過ぎると、小高い山の頂に大きな岩倉が見え、その偉容に期待が高まりました。山道を登り、岩倉の直下に立つ社を拝み、眼下に広がる町並みを見下ろすのは何とも愉快なものでした(写真)。ホテルに戻って、小さなロビーで朝食を取りました。テレビは、その日行われる藤原紀香さんの結婚式の話題で持ちきりでした。
 この日は、熊野速玉神社、本宮大社を参拝しました。エメラルド色の川に沿ってバスで行った本宮は、実際以上に秘境のような気がしました。新宮で食べたさんま寿司は美味でした。夕方、JRで紀伊勝浦まで行き、港にある足湯で暖まった後、竹原という有名店でまぐろ料理を肴に地酒を堪能し、忘帰洞で有名なホテル浦島に宿泊しました。港の桟橋から船で行くホテルです。ここは私の行った温泉の中でも、風呂の素晴らしさ、多彩さではダントツでした。私はあそこほど素晴らしい風呂に入ったことがありません。また是非行きたいと思います。朝食付き6450円で、ツインルームを占領できたのも満足でした。一人ではもったいない部屋でした。ホテルでは中国か韓国からの旅行者が多いのが印象に残りました。
 翌日はJR紀伊勝浦から那智に出た後、那智大社を目指してひたすら歩きました。具体的には、浜の宮王子、補陀洛山寺、まんだらの道、市野々王子、多富気王子、大門坂、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、大滝などが見所でした。那智大社では牛王護符を手に入れ、三山の護符を揃えることができました。古道のごく一部しか歩いていませんが、雰囲気は堪能できたと思います。今度は白浜あたりに泊まって、古道をしっかりと歩きたいと思いますが、実現できるでしょうか。
 熊野古道は、私の行ってみたい場所の最後の地でした。あれ以来、あそこに行ってみたいという場所がありません。私の旅は行き場を失っています。気になっているのは屋久島くらいでしょうか。

心の探究

2009-02-13 12:54:46 | 仏教学
 大学の研究チームの報告によると、他人の不幸を聞いたときに働く脳の部位は、報酬を受けたときの心地よさに関する部位と同じなのだそうです。つまり、他人の不幸は蜜の味という言葉が、脳科学から証明されたということのようです。
 科学技術の発達は、例えば遺伝などの問題でも、遺伝子の塩基の配列などに問題をすり替えている。生命そのものよりも、化学物質やそれが伝達される情報という面が重視されているようです。実際、生命の本質とは、その通りなのかもしれませんが、まだ結論を出すのは早計でしょう。同様に、反応する脳の部位が同じだと言っても、その反応の中身はどうなっているのか。反応が電気的な数値としてとらえられたというだけで、イコールであると結論することはできないと思うのです。
 私は、受験世代に育ち、競争社会で働いてきました。高校受験の際、同じ中学から受験して中学浪人になった友人がいました。彼とは小学生の頃からの友達でしたが、彼は私に対してライバル意識を隠さず、いつも敵対心を向けられているような気がしました。正直、私は辟易していました。彼が中学浪人になったと聞いても、私はたいして同情もせず、むしろ、嘲笑していた面があったかもしれません。私は、そんな自分を密かに恥じていたのでしょう。一年後、高校受験の間際になって、近くの神社に友人の合格祈願に行きました。雪の降る寒い日でした。
 私が、友人の不幸から感じたのは、確かに電気的な刺激としては、心地よさを感じる部位と同じだったかもしれません。しかし、その後の展開は、脳のどこをどう伝わって一年後の行動につながるのでしょうか。私は、霊魂や霊界を信じません。ですが、ここには心や精神というもののメカニズムが働いていると思います。化学物質や情報だけでは解決できないものがあると思うのです。私は、その心の解明を仏教の英知によってやってみたいと思うのです。

信仰について

2009-02-12 04:16:12 | 仏教学
 信仰のある方は幸せだと思います。揶揄するわけでなく、本心からそう思います。失礼な譬えになりますが、「鰯の頭も信心から」と言うように、自分で心の平安が得られるなら、何を信じようが個人の勝手であるし、第三者がとやかくいうことではないと思うのです。これが、誰かを教団に巻き込もうとしたり、教理を信仰のない人に押しつけようとしたり、世の中のすべてを教理に照らして考えたりするようになってくると、拒否反応を示す人も出てくるわけです。素晴らしい信仰を他人にも紹介したいという善意であることはわかりますが、それが行きすぎると困惑することも多くなります。
 私は仏教を学び、その世界観や人間観に興味を持っています。具体的には、仏の慈悲や仏像の美しさ、精神性というものを好ましく思います。キリスト教にも関心があり、多少の関わりも持ちましたが、裁く神、男性的な神よりは、人間的なキリストの苦悩や聖母の慈愛というものに惹かれます。弱い自分を支えてくれるものというのが、私の宗教の定義なのでしょう。
 昨年から、月に1回程度、ある宗教団体の修行(?)に参加しています。形式的に見れば、私は信者ですが、実際には信者ではないと思っています。回りくどい言い方になりますが、それが実際でしょう。私は、現代の宗教のひとつの実践例として、毎回、いろいろな観察をさせてもらっている感じです。信者に満足感を与える修行の形態、演出法、権威付けや集金・勢力拡大のシステム等々、興味深いものがあります。そのうちミイラ取りがミイラになるのではないかと危惧されるかもしれません。私は、たぶん、それはないと思います。私は宗教によって救われるタイプの人間ではないと思うからです。個人崇拝は苦手ですし、霊界の存在というものも信じることができません。ただ、大乗の精神にのっとり、わかりやすく言えば人助けをしていこうという教団の思想は、私に欠けているものを教えてくれるようです。私を誘ってくれた人物も人格者として尊敬できます。
 私は、仏教の研究をライフワークに選びました。そして、内的な信仰を求めています。その基幹となるのは、釈迦の仏教、原始仏教だと思います。それをまた勉強し、自らが理解すると同時に、多くの方々に紹介することが、当面の目標であると考えています。仏教の基本的な理念のひとつが「中道」ということです。極端に偏らないということですが、現在の仏教は、さまざまな偏りを内包していると思います。そうした自己矛盾が排他性を生んだり独善に陥ったりさせているのではないでしょうか。
 私は、仏教が最も重視する般若波羅蜜、すなわち智慧によって、生きていく指針を得たい。そのために、もっと勉強と実践を積んで、真の仏教を多くの方々に紹介したい。そう考えています。

ブックリスト~『旅する力  深夜特急ノート』

2009-02-11 12:29:29 | 読書
『旅する力  深夜特急ノート』 沢木耕太郎  新潮社

 2008年11月に出た『深夜特急』関係の最終便となる本です。『深夜特急』は、著者が26歳のとき、香港からロンドンを目指したユーラシア大陸横断の路線バスの旅を描いた大作です。私も文庫本で読んでから、多くの人にも勧めています。今回の本は、著者が深夜特急の旅を振り返り、旅というものを再度考察するとともに、深夜特急の旅の裏話のような内容も入っていて興味深いです。ノンフィクションが好きな私は、沢木氏の大ファンで、ほとんどの作品は読んだつもりですが、今回も楽しく読むことができました。沢木氏は、あの旅を何度も反芻することによって、旅に対する解釈をどんどん深めていらっしゃると感じます。
 私が最も感動したのは、巻末近くでした。現代人は、予期しないことが起きるということを予期しないところに問題があるのではないかと述べています。氏がテーマとするスポーツでも、その場面場面で予期せぬ事態が起こり、瞬時にそれに対応するところが見所であり、醍醐味だと思います。旅も同じだというのです。なかなか予定通りに進まないのは、旅も人生も同じですね。そうした思いもよらぬ事に対処していくことによって、人は少しずつ成長していく。そして、旅の力が増していくというわけです。
 私は若いときから、がちがちにプランを立てて旅行するタイプでした。知人には、宿も決めずにふらりとインドへ行ってしまう人もいますが、私などにはとうてい考えられないことです。そうした勇気のなさが、人生に悔いを残すことになりました。私は、もう自由な旅をする年齢でもなくなってしまいました。淋しい気がしますが、それが、私の器だったのでしょう。
 この本を読んで、また一人で旅がしたくなりました。近くでよいから、そこへ行って、自分を見つめる時間がほしいと思います。

死にたいと言われたら?

2009-02-10 22:28:19 | コラム
 身近な人間から「死にたい」と言われたらどうしますか? この場合は「自殺したい」ということです。
 一ヶ月ほど前、私は、そう言われて困りました。深夜でした。
 最初に浮かんだ思いは、何とか引きとめなければならないという思いでした。心身共に疲れ切って動けないということでしたので、すぐに手首を切るとか飛び降りるというような、切羽詰まった状況ではありませんでした。時間をかけて話せば、説得できるのではないかという余裕が、こちらにはありました。
 しかし、生来、我が儘で頑固な上に、互いに強い絆を持たない相手には、私の言葉は全く通じないようでした。私は、もう手の施しようがないのかもしれないと思い、半ば自分の覚悟を決めました。すると、不思議なことに、相手のいなくなった、かなり先までの生活がイメージとして見通せました。何より、閉塞感で一杯の気持ちが解放されるかもしれないという期待が、頭をもたげてくるような気がしました。
 「最後に『命の電話』というものに相談してみたい」と相手が言うので、電話番号を調べて伝えました。案の定、話し中で通じませんでした。私は、自分と相手との細い絆が、またさらに細くなったことを感じました。「命の電話」に電話したいというのが何とも暢気で、本当に死にたいと考えているのかという疑念を生んだことと、自分は「命の電話」にも劣るのだということを思い知ったからです。
 私は、代わりに、信頼できる人に電話するように言いました。ある人物が浮かんだからです。相手は、その人に電話したようでした。私は席を外し、ときどき、様子をうかがうようにしていました。
 二時間ほどたったでしょうか、相手は、自殺をあっさりと撤回していました。数時間前が嘘のように、生気が戻っていました。「一喝されて、我に返った」ということのようでした。私は、安堵するとともに、相手の単純さに苦笑しました。怒りではなく、喜びでもありません。正直に言えば、侮蔑に近い感情だったと思います。
 相手は、早晩、また「死にたい」と言い出すに違いありません。私はどう対処したらよいのか、ずっと恐れています。

ブックリスト~『そうか、もう君はいないのか』

2009-02-08 00:00:32 | 読書
『そうか、もう君はいないのか』  城山三郎  新潮社

 奥さんとの出会いと別れを淡々と述べて、心にしみる作品です。ベストセラーになるのも当然だし、こういう本が売れるということがうれしい気持ちにさせてくれます。
 城山氏ご夫婦が結婚するまでには、劇的な出会いと再会があったのですね。互いに初対面のときに強く感じるものがあったのでしょう。ピピッときたものがあったから、その後、再会したときに、結婚まで進むことができたのだと思います。文面からは、かなり違う性格のように思われますが、通じ合うものがよほど強かったのでしょう。
 検診から戻った奥さんが、歌を歌いながら帰ってくるシーンは印象的です。癌と知っても夫に強がってみせる姿が健気で心打たれます。
 筆者は病院に通い、食事の介助をしたり他愛もないお喋りに興じると述べた後、「そして、こういう時間ができるだけ長く長く続くように、なにものかに祈る」と書いています。そういうものだろうと思う。こういう事態に陥って初めて、人は日常のいとおしさ、平凡であることの幸福に気づくのでしょう。
 しかし、死が奥さんを連れ去ります。思い出したくないのでしょう、城山氏の記述も淡々としています。それが、心の傷の深さを感じさせます。
 その後、死を受け入れられない筆者は、奥さんに話しかけようとして「そうか、もう君はいないのか」と気づく。読む者さえいたたまれなくなるような孤独感、絶望感が感じられます。この言葉が本のタイトルに使われたのでしょう。印象に残る言葉です。
 巻末に添えられた、次女の方の文章は素晴らしいですね。さすがは作家の娘だと思います。ご両親の姿をよくとらえて書いていらっしゃいます。失礼ながら、この親にしてこの子あり、という感じです。不覚にも涙がこぼれ落ちました。
 この本を読んで、私は幸せだと思いました。私は、配偶者に先立たれても、けっしてここまでの悲しみを味わうことはないと思うからです。

お通夜にて

2009-02-07 05:26:24 | コラム
 仕事がらみの通夜に行ってきました。亡くなった方とは面識がありません。経済的な理由があって、珍しく自宅が会場でした。故人は存じませんが、故人の生活した場所での通夜ということで、葬祭場とは違う雰囲気でした。
 地図を見ながら探し当てたお宅はマンションでした。和室に棺が安置され、祭壇はありませんでした。急逝されたとのことで、遺影もありません。棺の顔の部分は扉が開いていましたが、こちらには足が向いていたので、拝むことはできませんでした。来訪者は棺を右手にして、リビングから、読経する僧の横顔を挟んで、遺族と正対しながら焼香するような形になっていました。部屋の隅に、未亡人と二人の男の子が、窮屈そうに座っていました。奥さんはずっと号泣されていました。長男が高校生、次男は中学生、それに2歳くらいの長女がいらっしゃるはずでしたが、長女の姿だけ見えませんでした。以前、長女を見かけたことがあります。活発で元気な女の子でした。
 ご家族は信仰がおありで、リビングには大勢の読経の声が溢れていました。背後にそれを聞きながら焼香をすませ、すぐに外に出ました。玄関から廊下まで、かなりの弔問客が並んでいたからです。帰りは、駅前まで戻ってから、前に行ったことのある蕎麦屋に入りました。カウンターで日本酒を二合飲み、もり蕎麦を食べました。遺族の今後の生活が思われて、不安な気持ちになりました。それよりも辛いのは、長女にお父さんの記憶は、あまり残らないだろうということでした。幼少時に父を失った長女の悲しみは癒えることはないでしょう。将来、一番辛いのは彼女なのではないかと思いました。
 私は故人よりもだいぶ年上です。改めて、いつ死んでもおかしくないのだということを感じました。「いつ死んでも大丈夫、保険にも入っているしな」などと思ってきましたが、そんなことではすまされないこともあるのではないかと考え、お酒のおかわりは控えました。私が死んでも、あんなに悲しんではもらえないでしょう。それを考えると、あと1本は飲みたいところでしたが。