『そうか、もう君はいないのか』 城山三郎 新潮社
奥さんとの出会いと別れを淡々と述べて、心にしみる作品です。ベストセラーになるのも当然だし、こういう本が売れるということがうれしい気持ちにさせてくれます。
城山氏ご夫婦が結婚するまでには、劇的な出会いと再会があったのですね。互いに初対面のときに強く感じるものがあったのでしょう。ピピッときたものがあったから、その後、再会したときに、結婚まで進むことができたのだと思います。文面からは、かなり違う性格のように思われますが、通じ合うものがよほど強かったのでしょう。
検診から戻った奥さんが、歌を歌いながら帰ってくるシーンは印象的です。癌と知っても夫に強がってみせる姿が健気で心打たれます。
筆者は病院に通い、食事の介助をしたり他愛もないお喋りに興じると述べた後、「そして、こういう時間ができるだけ長く長く続くように、なにものかに祈る」と書いています。そういうものだろうと思う。こういう事態に陥って初めて、人は日常のいとおしさ、平凡であることの幸福に気づくのでしょう。
しかし、死が奥さんを連れ去ります。思い出したくないのでしょう、城山氏の記述も淡々としています。それが、心の傷の深さを感じさせます。
その後、死を受け入れられない筆者は、奥さんに話しかけようとして「そうか、もう君はいないのか」と気づく。読む者さえいたたまれなくなるような孤独感、絶望感が感じられます。この言葉が本のタイトルに使われたのでしょう。印象に残る言葉です。
巻末に添えられた、次女の方の文章は素晴らしいですね。さすがは作家の娘だと思います。ご両親の姿をよくとらえて書いていらっしゃいます。失礼ながら、この親にしてこの子あり、という感じです。不覚にも涙がこぼれ落ちました。
この本を読んで、私は幸せだと思いました。私は、配偶者に先立たれても、けっしてここまでの悲しみを味わうことはないと思うからです。
奥さんとの出会いと別れを淡々と述べて、心にしみる作品です。ベストセラーになるのも当然だし、こういう本が売れるということがうれしい気持ちにさせてくれます。
城山氏ご夫婦が結婚するまでには、劇的な出会いと再会があったのですね。互いに初対面のときに強く感じるものがあったのでしょう。ピピッときたものがあったから、その後、再会したときに、結婚まで進むことができたのだと思います。文面からは、かなり違う性格のように思われますが、通じ合うものがよほど強かったのでしょう。
検診から戻った奥さんが、歌を歌いながら帰ってくるシーンは印象的です。癌と知っても夫に強がってみせる姿が健気で心打たれます。
筆者は病院に通い、食事の介助をしたり他愛もないお喋りに興じると述べた後、「そして、こういう時間ができるだけ長く長く続くように、なにものかに祈る」と書いています。そういうものだろうと思う。こういう事態に陥って初めて、人は日常のいとおしさ、平凡であることの幸福に気づくのでしょう。
しかし、死が奥さんを連れ去ります。思い出したくないのでしょう、城山氏の記述も淡々としています。それが、心の傷の深さを感じさせます。
その後、死を受け入れられない筆者は、奥さんに話しかけようとして「そうか、もう君はいないのか」と気づく。読む者さえいたたまれなくなるような孤独感、絶望感が感じられます。この言葉が本のタイトルに使われたのでしょう。印象に残る言葉です。
巻末に添えられた、次女の方の文章は素晴らしいですね。さすがは作家の娘だと思います。ご両親の姿をよくとらえて書いていらっしゃいます。失礼ながら、この親にしてこの子あり、という感じです。不覚にも涙がこぼれ落ちました。
この本を読んで、私は幸せだと思いました。私は、配偶者に先立たれても、けっしてここまでの悲しみを味わうことはないと思うからです。
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