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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

目からウロコ

2010-01-21 22:36:20 | 仏教学
 目から鱗という話は、以前にもした記憶がありますが、先日、また体験することがありました。
 仏教の根本にある思想の1つに、四苦というものがあります。生、病、老、死の4つをさすとされ、ブッダは、それを目にし、そこから離脱することを求めて出家したと言ってもよいでしょう。
 このうち、病、老、死が苦しみなのはわかりますが、どうして生が苦なのか、釈然としないものがずっとありました。この「生」は、ブッダの悟りの内容とされる十二因縁の中にも含まれており、そこでも何をさすのか難しいところです。生まれる際の苦しみとされたり、いろいろな説明がなされています。
 先日、某教授の公開講演会の中で、輪廻のことが説明されました。私たち日本人の中では、死者はあの世へ行ったことになっており、お盆や墓参りで供養しています。しかし、インドでは違うのです。インドには墓はないようです。生物は輪廻転生しているので、生まれて死んだら、次の生が待っています。カーストにより、ほとんどの人は最下層の生活をしている。貧困の中で食べることにも事欠く生活です。死ぬと言うことは、また苦しみが一から始まることを意味するわけで、絶望であると言えます。しかも、そんな生活ではあっても、人間に生まれたのはまだよい方なのです。来世が動物や虫だったら目も当てられません。
 私は、なるほどと思いました。これはインドのことを知っていなければ理解できないことでしょう。私たちとて、生きることは辛いとは思います。でも、私たちの感覚とは根本から違うのです。宗教に限らず、生まれた背景を知ると言うことは大切なのだと今さらながら思いました。

こんなんでいいんですか?

2009-11-04 22:00:08 | 仏教学
 某書店の店頭で、F社から出ている中学校の新しい歴史教科書というのを見る機会がありました。どうして教科書が見られたのかという経緯は今回抜きにして、噂に聞く本を興味深く眺めました。とはいっても、時間もなく、しっかり読んだのは断片的です。ここに紹介するのも長くなるので、表紙の裏、つまり冒頭のページを報告しておきましょう。
 この教科書、表紙を開くと「日本の美の形」と銘打って、埴輪と仏像のカラー写真を載せています。なかなかセンスがいいんじゃないのと思ったのも束の間でした。
 最初の写真は「縄文のヴィーナス」と呼ばれる土偶。「妊娠している女性をかたどって、安産への願いを示している」と説明した後がいけません。「形としても美しい像である」と結んでいます。どこがどう美しいのか、まったく説明がありません。
 次は飛鳥時代。「聖徳太子のもとで発展した、日本で最初の仏教文化」と唱っています。確かに聖徳太子は、仏教を日本に定着させた人だ。後世、太子信仰もさかんになります。しかし、「聖徳太子のもとで」と言って良いのかどうか、正確さには欠けるという気がします。そして、次に大きく写真が載り、説明も長いのが、わが阿修羅像です。そこには「美を感じ取る豊かな心をもつ日本人は・・・こわれやすい彫刻を、長きにわたって守りぬいてきた。・・・昔の人から託されたかけがえのない文化遺産である。・・・私たちは・・・次の世代に伝えていかなければならない」と、ステレオタイプな説明が長々と続くのです。
 ちょっと待った、と思わず思いました。これを書いた人は、明治の廃仏毀釈を隠蔽しようとしているのでしょうか。寺院を焼き討ちにし、仏像を破壊し、おそらく宝物を略奪したであろう民衆の姿を思い起こせば、こんな文章は書けないはずです。興福寺だって荒廃し、仏像は堂の隅にがらくたのように打ち捨てられ、五重塔さえ売りに出された時期があったのです。そういう感性の持ち主だからこそ、阿修羅をこんなふうに説明しています。「3つの顔と6本の腕を持つ異教の神を、作者は少年の気高い姿として表現している」と。
 阿修羅が「少年」だと誰が決めたのか。拝観した者が、少女だと思えば、少女で構わないはずです。どうして「少年」と決めつけるのでしょうか。私には理解できません。エッセイとして書くのだったら、私はとやかく言いません。でも、これは教科書です。まだ、阿修羅に出会ったことのない子供達に、「少年」と決めつけた書き方は許せません。
 さらに続く、東大寺戒壇院の広目天像、興福寺の無著・世親像についての説明にも納得できない部分が多々あります。
 不正確で主観を押しつける教科書、それが話題の歴史教科書への私の見解です。

ふたつの千手観音

2009-10-11 00:15:14 | 仏教学
 昨日、電車に乗って気づくと、中吊広告に、池袋の東武百貨店で開催される松本明慶展と、上野の森美術館で開催されるチベット展の広告があるのに気づきました。どちらも、趣は違いますが、千手観音像が刷り込まれています。通勤客の頭上に二つの千手観音像がいらっしゃるというのは、不思議な構図でした。
 松本明慶氏は大仏師の称号を得た慶派の承継者。弟さんの死を契機に仏を彫り出し、師匠に弟子入りしますが、師が他界したため、そこでの修業は1年。二人の師は持たないという信念から、以後は独学で高い技術を身につけていき、慶派を盛り立てて行きます。木の中には仏がおり、仏師はそれを彫り出す仕事だと言います。だから、氏は設計図もなく木に鑿を当て、一木造りの仏を巧みに彫り出していくのです。
 氏のお人柄だと思いますが、40名近い弟子を抱えて、技術を伝承されています。昔、私が見たテレビ番組では、そのお弟子さんの一人で、金工や彩色を担当している女性を見ました。彼女は、大変美しい方でしたが、実家に帰るのは元旦だけ。あとは1年中、仏像作りに没頭していました。私も、それほどまでに打ち込める仕事がしてみたかったと思います。もちろん、凡人の私では無理だったでしょうが。
 一方、チベット仏教では、密教が花開きました。チベットの密教はいろいろ誤解されている面もありますが、インドで最後に流行した密教の教えを取り入れ、それを中心として発展してきました。さまざまな修行法が行われていますが、その根本にあるのは、菩提心と空観という仏教本来の教義です。活仏制度が導入され、モンゴルや中国の思惑が入り乱れて翻弄されたチベットですが、現代でもダライラマは複雑な立場にあり、宗教と政治の関係の難しさを考えさせられます。今回の展覧会でもポタラ宮が大きく取り上げられ、そこからの出展もあるようですね。
 それにしても、電車の中吊広告に、二つの千手観音像があるというのも奇妙な感じがしました。日本人の疲弊した心は、やはり仏を求めるものなのでしょうか。

私の生活の智慧

2009-03-06 00:41:42 | 仏教学
 気遣いに対して感謝できない人などいない、いたとしてもよほど特殊な人のような気がしていましたが、実際はそうでもないのですね。「感謝できない」という言い方も、多少宗教的で一般的な気がしません。しかし、日常の中では、私達は常に周囲に気配りをして生活しています。できるだけ他人から感謝される行為をしたいし、感謝される行為を相手にも期待していると思います。
 私のすぐ身近にも、感謝のできない人がいます。辛いのも不幸なのも自分だけで、その原因も相手に求めて、絶対に自分には求めようとしない。悪いのは常に相手なのです。だから、感謝などという感情が生まれるはずがありません。毎月、給料の明細票を渡しても当然のように受け取るだけ、賞与に対しても同様です。家事を手伝っても、事情があって毎週実家に帰省するのに付き合っても、ねぎらいの言葉もありません。それどころか、入浴しても着替えを出してくれることもなく、唯一の息抜きさえ、「自分が嫌だから」という理由で相手から奪ってしまう。気に入らないことがあるとぷいと家を出て、帰りが深夜になっても、詫び一つありません。自分の好悪や感情だけで行動し、それが相手に与える影響には無頓着です。
 飲んだくれてぼんやりしているのが嫌だと他人を責めながら、自分は体調が悪いと言っては、すぐにその場に寝転がる。神経質だと言って、毎日掃除だけは入念にしているようですが、少しのゴミにも目くじらをたて、少しでも汚れようものなら鬼のように怒り出して、場の雰囲気をだいなしにしてしまう。一番大切なものは何か、何が重要で何がそうでないのか、私達は物事に優先順位をつけながら、行動したり判断したりしていますが、そういう頭がないようです。そもそも、自分が神経質だと言う人ほど、実際にそうでないことが多いものです。少なくとも、神経質な人は、待ち合わせ時刻に毎回遅れるような人ではないはずです。
 来世があるとしたら、もう二度と、会うのさえ嫌な人物ですが、私は、最近になって、感謝する部分が出て来ました。毎日、修行をさせてもらっているようなものだからです。仏教の修行の根本は六波羅蜜というもので、布施、忍辱、持戒、精進、禅定、智慧の六つをさします。平たく言えば、順に、他に施すこと、堪え忍ぶこと、戒律を守ること、努力すること、精神を安定すること、智慧を持つこととなりましょう。相手が自己本位であり、変わらない以上、自分が変わる以外にありません。私は、日々、自分と戦い、相手を立て、自分を曲げる努力をしています。これは相手を見下した傲慢な態度と誤解されかねませんが、そうではありません。私自身にも多分に自己本位な部分があるから、「相手と戦い」ではなく「自分と戦う」と述べたのです。私は、相手を感化し変えようとは思っていません。相手には、そういう資質さえないと思いますし、自分にそれのできる器量があるとも思っていません。ただ、現状を維持するためだけに無償の奉仕をしていくことが、自分を変えてくれると信じているのです。
 これは以前の自分には考えられないことです。私のような偏屈な人間でも、親身になって相談に乗ってくださる方々がいたからこそ、私も助けられてここまで来れました。恐らく、限界は、私の方ではなく、相手の方に来ることでしょう。それは避けられないように思います。だから、私は一日一日を大切にしていきたい。一期一会の気分です。さんざん不幸を嘆いてきた私ですが、そんな末期の目から見れば、今だって幸せであると思えるのです。リストラされずにすみ、家族だっている状況は、恵まれています。たとえ先はどうなろうとも、今を精一杯生きたいと思います。

行くべきか行かざるべきか?

2009-03-05 00:01:01 | 仏教学
 今月末から開催される「国宝阿修羅展」に先だって、カルチャーセンターで開かれた講演会に参加しました。
 今回は焼失した西金堂に焦点を当てた企画のようです。西金堂は、光明皇后が母の供養のために734年に建立したもので、当時尊重された『金光明最勝王経』の一シーンを立体的に表現したというもののようです。堂内に安置された仏像は28体と伝えられ、その中には、今回の展覧会の目玉である「八部神王」「羅漢十体」も含まれていました。
 西金堂は1046、1180、1327、1717年と火災で焼失したことが知られています。1717年に焼失した後は再建されることもありませんでしたが、仏像だけは火災のたびに運び出され、焼失を免れてきました。乾漆像という軽量であったことが幸いしていたのでしょう。
 講演会では、それほど目新しい話題はありませんでした。ただ一点、十大弟子や八部衆の沈痛な面持ちについて、『金光明最勝王経』巻四にあるシーン、光り輝く金鼓から妙なる音が響き渡り、人々に懺悔を説くように聞こえたという場面を重ねるならば、居合わせた聴衆が、法悦でなく懺悔の表情を浮かべていると解釈が成り立つことを教えていただきました。なるほど、十大弟子や八部衆の表情は懺悔のためなのかと納得できました。
 今は国宝館に安置されている仏像たちも、岡倉天心らが美術院で修理を施すまでは、破損したまま東金堂内に山積みされていたと聞きました。十大弟子のうち4体は寺外に流失し、戦災で焼失したり、心木だけになったり頭部だけになったりしています。また、西金堂内にあった梵天・帝釈天像の2体はサンフランシスコに渡ってしまいました。数奇な仏達の運命を考えても、あの繊細な阿修羅はよく残ってくれたと思わずにいられません。
 創建当時の阿修羅は、朱色に塗られたけばけばしいお姿であったことがわかっており、当時を完全に復元した像も作られています。日本における当初の仏教の受け止め方を示唆する問題として、面白いと思いました。私達は、室町時代以降の侘び寂びといった観点から仏教をとらえがちですが、上代や中古といった時代では随分趣が違っていたようです。
 「興福寺創建1300年記念 国宝阿修羅像展」は3月31日から6月7日まで東京国立博物館で開かれます。八部衆8体、十大弟子6体の現存全14体が史上初めて東京で拝観できるという展覧会です。やっぱり行くべきなんでしょうか。

心の探究

2009-02-13 12:54:46 | 仏教学
 大学の研究チームの報告によると、他人の不幸を聞いたときに働く脳の部位は、報酬を受けたときの心地よさに関する部位と同じなのだそうです。つまり、他人の不幸は蜜の味という言葉が、脳科学から証明されたということのようです。
 科学技術の発達は、例えば遺伝などの問題でも、遺伝子の塩基の配列などに問題をすり替えている。生命そのものよりも、化学物質やそれが伝達される情報という面が重視されているようです。実際、生命の本質とは、その通りなのかもしれませんが、まだ結論を出すのは早計でしょう。同様に、反応する脳の部位が同じだと言っても、その反応の中身はどうなっているのか。反応が電気的な数値としてとらえられたというだけで、イコールであると結論することはできないと思うのです。
 私は、受験世代に育ち、競争社会で働いてきました。高校受験の際、同じ中学から受験して中学浪人になった友人がいました。彼とは小学生の頃からの友達でしたが、彼は私に対してライバル意識を隠さず、いつも敵対心を向けられているような気がしました。正直、私は辟易していました。彼が中学浪人になったと聞いても、私はたいして同情もせず、むしろ、嘲笑していた面があったかもしれません。私は、そんな自分を密かに恥じていたのでしょう。一年後、高校受験の間際になって、近くの神社に友人の合格祈願に行きました。雪の降る寒い日でした。
 私が、友人の不幸から感じたのは、確かに電気的な刺激としては、心地よさを感じる部位と同じだったかもしれません。しかし、その後の展開は、脳のどこをどう伝わって一年後の行動につながるのでしょうか。私は、霊魂や霊界を信じません。ですが、ここには心や精神というもののメカニズムが働いていると思います。化学物質や情報だけでは解決できないものがあると思うのです。私は、その心の解明を仏教の英知によってやってみたいと思うのです。

信仰について

2009-02-12 04:16:12 | 仏教学
 信仰のある方は幸せだと思います。揶揄するわけでなく、本心からそう思います。失礼な譬えになりますが、「鰯の頭も信心から」と言うように、自分で心の平安が得られるなら、何を信じようが個人の勝手であるし、第三者がとやかくいうことではないと思うのです。これが、誰かを教団に巻き込もうとしたり、教理を信仰のない人に押しつけようとしたり、世の中のすべてを教理に照らして考えたりするようになってくると、拒否反応を示す人も出てくるわけです。素晴らしい信仰を他人にも紹介したいという善意であることはわかりますが、それが行きすぎると困惑することも多くなります。
 私は仏教を学び、その世界観や人間観に興味を持っています。具体的には、仏の慈悲や仏像の美しさ、精神性というものを好ましく思います。キリスト教にも関心があり、多少の関わりも持ちましたが、裁く神、男性的な神よりは、人間的なキリストの苦悩や聖母の慈愛というものに惹かれます。弱い自分を支えてくれるものというのが、私の宗教の定義なのでしょう。
 昨年から、月に1回程度、ある宗教団体の修行(?)に参加しています。形式的に見れば、私は信者ですが、実際には信者ではないと思っています。回りくどい言い方になりますが、それが実際でしょう。私は、現代の宗教のひとつの実践例として、毎回、いろいろな観察をさせてもらっている感じです。信者に満足感を与える修行の形態、演出法、権威付けや集金・勢力拡大のシステム等々、興味深いものがあります。そのうちミイラ取りがミイラになるのではないかと危惧されるかもしれません。私は、たぶん、それはないと思います。私は宗教によって救われるタイプの人間ではないと思うからです。個人崇拝は苦手ですし、霊界の存在というものも信じることができません。ただ、大乗の精神にのっとり、わかりやすく言えば人助けをしていこうという教団の思想は、私に欠けているものを教えてくれるようです。私を誘ってくれた人物も人格者として尊敬できます。
 私は、仏教の研究をライフワークに選びました。そして、内的な信仰を求めています。その基幹となるのは、釈迦の仏教、原始仏教だと思います。それをまた勉強し、自らが理解すると同時に、多くの方々に紹介することが、当面の目標であると考えています。仏教の基本的な理念のひとつが「中道」ということです。極端に偏らないということですが、現在の仏教は、さまざまな偏りを内包していると思います。そうした自己矛盾が排他性を生んだり独善に陥ったりさせているのではないでしょうか。
 私は、仏教が最も重視する般若波羅蜜、すなわち智慧によって、生きていく指針を得たい。そのために、もっと勉強と実践を積んで、真の仏教を多くの方々に紹介したい。そう考えています。

国宝正福寺地蔵堂

2008-11-04 22:45:46 | 仏教学
 11月3日の文化の日、東村山の正福寺では地蔵祭りが開催され、国宝地蔵堂の特別拝観が行われました。
 地蔵堂は1395年の禅宗建築で、都下では最古にして唯一の国宝建築物です。鎌倉の円覚寺舎利殿に酷似した外観は、上層こけら葺きで屋根が大きく反って実に優美なものでした。内部には、右手に錫杖、左手に宝珠を持った延命地蔵尊立像が祀られています。高さ約1.3メートルで、鎌倉時代の作だということでした。
 列をなした拝観者に混じって参拝した後は、周辺の商店から露店が出ていて、焼き団子やおでん、綿菓子、煮込み、饅頭などが賞味できました。地元の銘酒「金婚」も直売されていました。また、雅楽や舞の奉納も行われており、あでやかな巫女さんたちの踊りも結構なものでした。
 地元の方々が守り、伝えてきた寺院であることが、祭りの様子からも窺えました。参拝後は、バス停にして2つほど歩いて、峯薬師の特別拝観にも出かけました。こちらも老人を中心に檀家の方々がご奉仕されており、地域の信仰の要であることがわかりました。
 信仰とは、市井の人々の中で息づいていてこそ価値があるのだと改めて実感されました。庶民の生活の場に溶け込んだ国宝建築のたたずまいが、とても印象に残る一日でした。

親はありがたきかな

2008-09-12 23:19:10 | 仏教学
 今日はまたしても帰りが遅くなり、一昨日同様、公園のベンチで月見をしながらひとり酒を飲みました。
 帰宅してみると、大学から通知が届いており、今月末付けでの修了が決定しました。口頭試問がしどろもどろで不安でしたので、一安心しました。家人よりも先に老父母に電話すると、大変喜んでくれて、こちらの方が感動してしまいました。改めて、親は有り難いものだと思いました。
 思えば、仕事と家事を終えた深夜、一人起き出して机に向かう夜が幾晩もありました。仕事の段取りをつけて休暇を取り、小遣いをはたいて上洛し、スクーリングを受けました。テキスト履修やスクーリングは2年間で終わったのに、修士論文だけで、その後3年もかかってしまいました。暗中模索、孤立無援の中、途中で退学していった学友もいました。私も何度辞めようと思ったかわかりません。しかし、初心を貫きたいという思いだけで、ここまでやってきました。学位授与式への出席が許され、喜んでよいはずなのに、通知を読んだ直後は、それほど気持ちの昂ぶりはありませんでした。気持ちがとうに萎えてしまっていたのです。修了したからと言って、何のメリットもありません。個人的な道楽、無駄遣いとさげすまれてもしかたありませんでした。
 しかし、父に「よく頑張ったね。たいしたものだ」と言われて、小学生のようにうれしかった。ご両親を亡くされた方には申し訳ありませんが、親だけがいつも味方で、私のことをわかってくれているのだと思うと、たまりませんでした。
 家人が寝静まった今、ひとりこっそり祝杯をあげています。恐らく、故郷でも、酒好きの父が、同じように祝杯をあげてくれているでしょう。
 
 
 


大仏師定慶

2008-09-03 00:05:31 | 仏教学
 初日、試験が終わった足で駆けつけたのは三十三間堂でした。一千体の観音様が整然と並ぶ様子は圧巻で、毎回足が向いてしまいます。観音像の中には、必ず自分や恋人に似ている方がいらっしゃると言います。私は、別れた女性の顔が数人浮かんで閉口しました。千体の中尊として祀られているのが、湛慶作の十一面観音坐像です。洗練され円熟した技法が用いられ、深い精神性が感じられるお姿は秀逸です。我が国を代表する仏像彫刻の一体でしょう。
 翌日は、宇治平等院を訪ねました(写真)。本尊と浄土庭園の修理が終わってからは初めてでした。定朝作の阿弥陀像は、素朴ではありますが、おおらかで清新な印象が強く、見とれてしまいました。また、鳳凰堂も建築史に残る名作だと確認できました。
 最終日は奈良興福寺国宝館に行ってしまいました。またしても阿修羅像と対面しましたが、今秋、六部衆と十大弟子像は東京で公開されることを初めて知りました。薬師寺の日光・月光菩薩のときのように、また凝ったライティングで、仰々しい展示がなされるのでしょうが、私は国宝館に展示された阿修羅像が好きです。東京では見ないでしょう。阿修羅像が無事に上京し、また安全に帰れることを願います。
 国宝館には定慶作の梵天像が安置されています。定慶は鎌倉を代表する仏師の一人で、宋の芸風の影響を受け、高く結った頭髪、くせのある衣、豊麗な彩色等、独特の作品を作ったとされています。私は彼のファンで、鞍馬寺や大報恩寺でも作品を拝観してきました。そうそうたる作品が並んだ国宝館でも、定慶の梵天は抜きん出てリアルで息をのむほどでした。なまめかしい仏様という感じでしょうか。ぜひ、注意してご覧ください。
 最後は、やはりお寺の話題になってしまいました。すっかり観光客になりきってしまった旅でした。学位授与式に参加できるかどうか、まったく自信がありません。
 
 
 
 

通信制大学で学んで

2008-08-15 14:27:48 | 仏教学
 十年ほど前、通信制大学に入学しました。既に4年制大学を卒業していたので、3年生の専門課程に編入できました。仏教学を専攻したのは、昔から興味があったためで、信仰とは無関係です。現在も、私に信仰はありません。
 最初に送られてきたテキストは難しく、読んでも理解不能でした。そこで、神田や高田馬場の古本屋街を歩き回り、基本的な書物を集めて読みました。私は、昔から古書店巡りが趣味でしたので、苦になりませんでした。
 各科目の履修は、まず、課題についてレポートを提出します。レポートは1単位あたり原稿用紙4枚の分量だったと記憶しています。レポート試験に合格したら、最終テストを受験し、筆記試験で60点以上取れば単位が認定されます。他に、スクーリングの科目があり、長いときには3週間近く、大学に通いました。
 卒業論文の口頭試問の折に大学院への進学を勧められ、調子に乗って修士になりました。科目の履修は、レポートだけになったので学部の頃より楽でした。しかし、仕事も多忙となり、生活も変化して、論文だけが残り、仕上げるのに2年かかってしまいました。先月、ようやく修士論文を提出し、来月初旬の口頭試問に臨む準備をしています。
 通信制の大学とは、以上のような感じです。仕事をしながら勉強するのは確かに大変ですが、目的を持って生活することは、やはり大切だと思いました。お金はかかったものの、得難い体験をすることができたと感謝しています(来月、修了できたらもっと感謝します)。

仏像のこと

2008-06-26 19:53:06 | 仏教学
 旅行に行って仏像を拝観するのか、仏像を拝観するために旅行するのか、どちらかわからないほどに仏像が好きです。以前、京都に住んでいたこともあり、多くの仏閣で仏を拝んできました。私自身は信仰はありませんが、仏像の精神性には心打たれるものがあります。著名な仏像はほとんど拝観したと思います。
 京都では東福寺の楊貴妃観音、禅林寺の見返り阿弥陀、三十三間堂のご本尊、三千院の阿弥陀三尊像などをよくお参りします。奈良では、東大寺戒壇院の四天王、新薬師寺の十二神将、室生寺の十一面観音、聖林寺の十一面観音。滋賀になりますが、渡岸寺の十一面観音などが心に残ります。
 中でも一番好きな仏像を一体だけ挙げろと言われたら、悩みますが、やはり興福寺の阿修羅像になるでしょう。いつも行くたびに、目が釘付けになり、動くことができなくなってしまいます。153cmの体躯は、闘争の鬼神であるはずが、八部衆の中でも甲冑をつけず、華奢で優美な印象を受けます。三面六臂の異形でありながら、しなやかで美しい。その表情は少女とも少年ともつかず、鋭い眼光の中に深い憂いと悲しみが宿っているようです。奈良時代の昔にこのような深い精神性を持った像が造られたことも奇跡なら、それがこうして現代まで残されたことも奇跡と言えるでしょう。今度はいつ拝観できるかわかりませんが、あのお姿は、いつも私の心の中にあるようです。