観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

上野の桜最新情報です

2010-03-31 23:11:05 | 旅行
今年度も終わりですが、冬のような寒さが戻って、調子が狂っています。
 日曜日、草津から帰った足で上野へ繰り出し、花見をしました。寒いのは草津だけだったのだろうという思いこみでした。でも、東京も寒かったのですね。午後4時だというのに、ありったけの服を着込み、途中は傘までさしての花見でした。まさに酔狂です。
 ところが、大学生と思われる若者を中心に、花見客はかなりいました。桜の花も寒さのせいで5分咲きといった感じだったでしょうか。今年は、遅いなあということが実感されました。
 若さを羨ましいと思いました。皆、世俗の憂いもなく見えたからです。私にも、あんな頃はあった。真剣に悩んでいるようでしたが、その内容は今にして思えば取るに足りないものでした。
 花見で冷えた体を、アメ横の居酒屋で温め、帰路につきました。
 今日は、定年退職される方と、窓から桜を眺めつつ、お別れをしました。私だって、そう遠くない将来、同じ立場になるのです。そのとき、最後の日を自分はどのような気持ちで迎えるのだろうかと思うと、辛い気がしました。誰にも送られず、職場を後にする自分が見えるようでした。
 桜というのも、だんだんと辛い花になっていくようです。どういうふうに言ったとしても、歳を重ねるとは、そう言うことなのですね。

草津旅情

2010-03-30 20:38:06 | 旅行
 3月28日~29日、知人と草津へ行ってきました。行き先は温泉があればどこでもよかったのですが、知人が草津に行ったことがないということで、リクエストに応える形になりました。しかし、それが間違いでした・・・。どうも天気が悪いらしいということはわかっていたので、真冬にも耐えられるような服装で行ったつもりでした。しかし、現実はそれを超えてしまいました。
 草津は10数年ぶりでした。以前、どうやって行ったのかも覚えていません。今回は、JR長野原草津口からバスで入るルートをとりました。高崎でイワナ寿司を買い、ビールの飲み始め。千円の価値は十分ありました。1時間半ほどかけて鈍行で長野原草津口まで行きました。途中、今話題の八ッ場ダムの現場とおぼしき場所を通過。壮大な橋梁が天をまたぐ姿を見れば、ここでやめることはもうできないだろうと思われました。
 そこからバスで30分ほど行くと、草津バスターミナルです。長野原草津口に着いた頃、少し降り始めたかと思う程度だった雪が、草津に着くと吹雪に近い天候になっていました。雪の湯畑を見て、西の河原(写真)を歩き、送迎バスでかんぽの宿へ直行。もちろん、途中で地酒を仕入れたことは言うまでもありません。
 かんぽの宿は素晴らしかった。7500円でお釣りが来る値段で2食付きです。食事の内容も、夜は会席で温かい皿がしっかりサービスされましたし、朝のバイキングは種類も豊富で美味でした。はっきり言って倍の値段でもよいと思えるほどでした。雪を見ながら入った温泉も、掛け流しで快適なものでした。お部屋も綺麗で、広いです。このお宿、安い、うまい、お得で申し分ありません。
 翌日はほぼ直行で帰ってきましたが、バスから野生のニホンカモシカが見えました。その後、JR長野原草津口にくっついた丼モノを出すお店で、舞茸弁当を買って電車に乗りました。何と500円ですが、これもうまい!オススメです。高崎に着くまで4合の日本酒を飲みました。
 車窓から見る景色は、梅の花がなければ冬でした。寒かったけど、のんびりくつろげる楽しい旅でした。ちなみに知人は野郎です。

雨の日の出来事

2010-03-24 23:01:34 | コラム
 今日は、午後から冷たい雨になりました。仕事が少し遅くなり、帰りはバスを奮発して乗り込みました。バスは雨のせいか、時間帯もあってか、大変込んでいました。ふと気づくと、見覚えのある横顔が目に入りました。声をかけようとも思いましたが、人違いかもしれませんし、名前を忘れてしまったこともあり、できませんでした。
 女性は63、4だと思います。以前の職場関係の方で、私にはよくしてくださいました。仕事の合間にいろいろお話ししているとき、同僚の女性と息子さんのお見合いがうまくいかなかったというような話が出たことがあります。彼女は、私から見ても、気だてがよくチャーミングな女性でした。30代半ばくらいに見えたこともあり、既婚だとばかり思っていましたが、独身だと知って、少しときめいたかもしれません。同性から見ても、好感を持てたから息子さんのお嫁さんにと考えられたのでしょう。
 私は彼女に好感を持っていました。会話を交わしたことはほとんどありませんでしたが、仕事ぶりを見ていて、素敵な女性だと憧れていました。彼女のほうでも、ときどき私を気にかけてくれているようなことを言ってくれました。しかし、当時の私は、まったく自分に自信がなく、彼女とお付き合いできるなどとは、これっぽっちも考えませんでした。彼女を恋愛の対象だと考えることなど、夢にも及びませんでした。
 今日、バスの中で、そんな昔のことを思いました。今のようなずうずうしさがあったら・・・チャレンジだけでもできたと思います。断られていたら、今日のような思いをすることもなかったでしょう。
 誰のせいにするつもりもありません。すべて自分が悪いのですが、生きることが不幸になることだということを改めて感じました。いい歳をして甘ったれていると非難されても当然だと思います。思いますが、今日は雨の中を歩きながら、そんなことを感じました。バスの中の女性には結局声をかけずに別れました。

ドールコレクション5

2010-03-22 22:32:24 | ドール
  既に、油彩画をマイギャラリーにアップしている人形です。ジュモーのレプリカで、姉が羽振りの良いときに購入したものを私が譲り受けました。
 ジュモーはアンティークドールの白眉といってよいでしょう。フランスの人形らしく、少しきつい顔立ちで、ビスクの白さ、きめ細かさはほれぼれしてしまいます。かつて、私も人形店で、小さなジュモーに惚れたことがあります。30センチ程度の小ぶりの人形ながら、気品と風格を持った芸術品でした。バブルの頃で200万円の値札がついていて、さすがに手が出ませんでした。何度か通って、見るだけで楽しんでいましたが、ある日、なくなっていたので店員さんに訪ねると、ふらりと来店した男性が「娘にプレゼントする」と言って購入したそうです。羨ましい方です。私にはできませんでした。
 私は多くのジュモーを見てきましたが、この人形のようなジュモーは見たことがありません。レプリカというより、制作者のオリジナルの部分が強いように思います。私は、投資の対象として人形を見ているわけではありません。置いておいて美しく、心が慰められるなら、真偽は関係ありません。この人形は、顔立ちとしてはオリジナルのジュモーより優しい感じがして好ましい。ですから、問題はありません。ただ、あの200万円のジュモーと比べると、オーラはまったく違います。さすがに本物だけが持つ気品は、レプリカにはありません。とうてい及ぶものではありません。でも、実際問題として200万円出せない以上、レプリカで十分満足できます。レプリカにはレプリカの味わいがあります。それでよいのだと思います。

仕事を早引きして面会に行く

2010-03-21 22:05:43 | コラム
 若い頃、大変お世話になった方が入院されたと聞いて駆けつけました。今の仕事で駆け出しの頃、一番身近にいて、いろいろなことを教えてくれた方でした。江戸っ子で歯切れがよく、さっぱりした性格で、私とは対照的な感じでしたので、それもよかったのかもしれません。毎日、一緒に酒を飲み、ご馳走してくれました。お金を受け取らない理由は、ご自分も若い頃、先輩にご馳走になったから、ということでした。そして、「歳をとったら若い人におごってやってくれ。オレだってそうだったんだから」とつけ加えました。順繰りということなのでしょう。しかし、時代が変わったこともあり、不肖私が人望のないこともあって、若い人と酒を飲む機会などなく、したがって、恩返しはできないままになっていました。
 面会に行ってみて、意外とお元気そうで安心しました。1週間後の手術では、大腸の一部を切除するようです。患部よりも心臓が心配です。かつて、バイパス手術で一命をとりとめた経緯があるので、心臓がかなり弱っているところへ、全身麻酔を使う手術は負担になるようです。
 「オレなんか子供もいないし、気楽だよ」という言葉を聞きました。かつての日、深夜まで飲んだ帰り道、浮浪少年に出会って、帰る場所がないと聞くと、本当に連れて帰りそうな気配でした。本当は子供好きなのだと初めて気づきました。奥様が働いていらしたので、子供を持たなかったのだろうと推測していましたが、もっと込み入った事情があったのかもしれないと思いました。
 10年ぶりくらいになるでしょうか。先日、偶然、当時の先輩と出会ったことを書きました。それがあって、他の方のことも気になって電話してみたら、入院とう話。驚きました。先日の出会いがなければ、今回の出会いもなかったでしょう。不思議な運命の連鎖のようなものを感じました。
 手術の成功と無事に退院されることを祈ります。

You Tubeの可能性

2010-03-20 23:13:49 | コラム
 昆虫は嫌いです。子供時代は虫取りなどに熱中していた時期もありましたが、今はかなり苦手です。触るのはもちろん、見るのも好きではありません。それはカブトムシだろうとゴキブリだろうと同じことです。しかし、そういう人間に限って、いろいろな不幸に見舞われます。
 少し前のこと、やむにやまれぬ事情から、ノコギリクワガタの標本を作ることになりました。元来が虫好きではないし、標本は残酷だから駄目という教育を受けてきた人間には、標本作りのイロハがわかりません。頼みのネットで調べてやってみましたが、どうもよくわかりません。特にわからないのは、死んで固くなったムシを軟化させるためのお湯の温度と浸けておく時間でした。資料によって内容が全く違ったからです。そこで、最後の頼みとばかり、今はやりのYou Tubeで、標本の作り方を説明したものを探し出して見ました。
 すると、これがまさに「百聞は一見にしかず」でした。目から鱗でした。そうか、軟化するとあんなにぐにゃぐにゃになるのか!、標本針はあんなふうに刺すのか等々、大変よくわかりました。その映像に助けられて、わずかな時間で展足に成功、完全に乾くまで成否は不明ながら、素人にしては簡単に、美しくここまではできたと悦に入っています。
 ネットで多様な情報が簡単に手に入ると喜んでいたのはつい昨日のこと。ところが、今や、動画で一目瞭然なんですね。時代は変わると改めて感じました。
 You Tubeには、可能性を感じます。どんな形で成長していくのか、本当に楽しみです。

父の戦友のこと

2010-03-19 22:04:12 | コラム
 数年前に亡くなった父の戦友は、山っ気の多い人で、町長選挙に出たり、大きな会社を作って新しい事業を始めたりするような、波瀾万丈の生涯を送った人でした。
 私は、幼い頃からよく遊びに出かけ、私より上の年齢だった子供達とも遊んでもらいました。しかし、末っ子のお兄さんは自動車事故で亡くなり、戦友は深く悲しんだそうです。一時は、私を養子にほしいという話もあったとか。それもあってか、私のことを大変可愛がってくださいました。
 羽振りも良くて、まだ元気なときの最後の記憶では、父が不在でしたが、私と母をスナックに連れて行ってご馳走してくれました。その折、しきりと「オレもお前くらいの歳に戻りたいなあ」と何度も言っていたのが印象に残っています。
 最後にお会いしたのは、入院中の病院でした。父と訪ねて行くと、喜んでくれました。すぐに退院できる口ぶりでしたし、私が見ても重病人には感じられませんでした。どうしてだったか、ちょうど手に持っていた蜜柑を1つ、見舞いに置いてきたのを覚えています。戦友の訃報を父から聞いたのは、その数日後でした。父も、最も親しくしていた友人を失ってショックのようでした。私も、にわかに信じられない思いでした。
 好きなように生きた戦友でしたが、まだ生に未練があったのでしょう。「お前くらいの歳だったら」という言葉の裏には、「まだまだいろいろなことに挑戦してやるぞ」という気概が感じられました。
 最近、若い人を見ていると、戦友の気持ちがよくわかります。私も老境に片足を入れかけたところです。もう体力も気力も萎えてきています。私は、小さいときから優等生で、何事に対しても臆病な人間でした。傷ついたり格好が悪いことは避けたりして生きてきました。それでも、人生とは皮肉なもので、波瀾万丈の半生を過ごしてきました。でも、それは自らが求めた結果でなく、自らが避けてきたために立ち至った不運ばかりだったように感じます。戦友の生き方とは対極の生き方でした。後悔しています。その思いを若い人々に伝えたいと思いました。
 ときどき、ふと思うことがあります。父の戦友だったおじさんは、病室で私があげた蜜柑を食べたでしょうか。食べていてくれたらいいなあ、どうでもよいことなのに今でも気になっています。

ドール・コレクション4

2010-03-18 22:02:19 | ドール
 前回ご紹介したビスクドールは、私の油絵で紹介しましたが、オリジナルの写真を撮ったので改めて掲載します。
 現在、私の人形の多くは、総ガラスのショーケースに入れてあります。これは幅約1メートル、高さ1メートル弱、奥行き約20センチのガラス製で、20センチくらいの4本の足で支えられています。引き戸で開くようになっており、上部には蛍光灯がついていて、2枚のガラス板によって3段に仕切れるようになっています。本来は、お店において、小物を陳列したケースでしょう。リサイクルショップで購入しました。
 現在、そこに、これから逐次ご紹介する人形を4体入れていますが、2体は60センチクラスの人形を立てて飾っているので、仕切り板は利用していません。今回、このケースを自分の部屋に持ち込みました。ようやく、人形達をいつも近くで見ることができます。
 改めて、写真を撮ってみると、可愛らしい人形だと思います。前回述べたように、価値としては高くはありませんが、価値の問題ではないと思います。
 あの日、あのお店に行って出会っていなければ、今、私の手元にはなかったでしょう。巡り合わせというか、一期一会というか、運命の邂逅というのは人間だけではないと感じました。
 マイギャラリーにF60号の絵がありますので、そちらもご覧ください。

はまったコレクション

2010-03-17 11:24:27 | コラム
 先日、コンビニで缶コーヒーを見ると、上部にチョロQの入ったカプセルがついているのを発見し、思わず購入してしまいました。職場で缶コーヒーを買う機会もあり、買っておいても無駄になりません。120円のコーヒーを買うだけでチョロQがついてくるのですから、ディスカウントに弱い私には魅力です。
 時期がずれると、いろいろなメーカーから様々な種類のチョロQが出てきます。最初は小さなスポーツカーのチョロQでしたが、その後、アルミダイキャスト製のオフロードカー、シボレーのシリーズ等々。武将ブームの余波か、馬に乗った武将シリーズなんかもありました。次々に計10個くらいは手に入れてしまったでしょうか。よく見るとなかなか精巧に出来ているものもあり、見ているだけでも楽しいです。プルバックで走るので、さらに楽しめます。
 昔は、グリコのキャラメルのおまけが楽しみでした。最近は、カイヨウドウのフィギアが話題になったこともありました。おまけって何か魅力的です。中身がわからないのもワクワクしますし、中身のわかるものでも、買いに行って希望のものがあるかどうか、ドキドキします。要するに、手に入れるまでも結構楽しめるのです。
おまけが好きなのは、今も昔も変わらないようです。子供も大人も同じかもしれません。売り上げに、どの程度影響するのかわかりませんが、普段は財布のひもの固い私などもはまってしまうほどですから、かなり効果があるのかもしれません。

遅ればせながら雛祭り

2010-03-16 09:32:21 | ドール
 気がついたら、もう雛祭りも終わっていました。そして、山形の河北町のことを思い出し、彼の地の雛祭りに通っていたのは、もう20年前なんだなと気づきました。
 日曜日の朝、NHK「小さな旅」で千葉の勝浦の雛祭りが紹介されていました。勝浦では、全国から雛人形を引き取って展示するらしい。痛んだ人形を丁寧に修理して、なくなった小物なども手作りします。雛人形を送る人は、思い出深い人形が保存され、多くの人々に見てもらえることを喜んでいるようでした。それにしても、雛人形に込められた思いというのは強いものがありますね。娘や母親の絆というのは、男性にはわからないと思いました。
 河北町は、紅花染めで有名な町です。かつては、紅花を中央へと出荷した船が、帰りに雛人形を積んで来たものだといいます。現在はさびれた町に、なぜこんなにも豪華な雛人形が残っているのかと、初めての方は驚くはずです。雛人形が飾られた民家を巡るのは楽しいものでした。いろいろなものを売る市も立って、活気にあふれていました。
 河北町の神社では、雛人形のお焚き上げが神事として行われていました。古い人形が、やはり全国から送られてくるようでした。私は、その神事は、少し残酷な気がしました。可愛がってきた人形を火にくべる光景を目にしたときは目を背けたくなりました。しかし、今は、それほど抵抗がなくなりました。思い出に感謝して、天に帰してあげることも悪くないと思えるようになったからです。例えば、私もいろいろなものを持っていますが、私が死んでしまえばガラクタのようなものもたくさんあります。そういうガラクタは私とともに消え去った方が自然なのかなと思うのです。もちろん、美しい人形は、誰かに引き継いで欲しいと思いますが、託せる相手がいなければしかたがないでしょう。
 勝浦のように残すことも、河北町のように焚き上げることも、どちらもアリだと思います。ただ、私のアンティークドールは長く残って可愛がってもらいたいものだと思います。

あまおうを食べて考えたこと

2010-03-15 07:42:08 | コラム
 おいしそうなイチゴが店頭で甘い香りを放っています。昔は「とよのか」「女峰」「とちおとめ」くらいしかなかったと思いますが、今はいろいろな品種が開発され販売されています。その中でも、大きさや色つや、そして、何と言っても爽やかな酸味と強い甘味をもった「あまおう」は、華麗なイチゴといってもよいほどですね。この「あまおう」、「甘い王様」という意味の命名かと思っていましたが、実は違うようです。「あ」かい、「ま」るい、「お」おきい、「う」まいの頭文字をとって名づけられたということを知りました。
 生産農家の方がテレビで言っていましたが、イチゴには食べ方もあるんですね。正しいイチゴの食べ方は、へたと取ったら、そこから食べる。するとほどよい酸味がまず味わえます。次に、下の方へ進むと甘味が強く感じられるわけです。イチゴも下の方、つまり、尖っている下の方が甘いそうです。もっとも、小さなイチゴなら一口で食べられますから、こうした食べ方は「あまおう」のような大きなイチゴにしか当てはまらないでしょう。
 幼い頃、イチゴはめったに食べられない高級品だったように思います。小さな粒のイチゴを牛乳に浸して潰して食べたり、練乳をかけて食べたり、グラニュー糖だけを軽く振って食べたり、思えば、いろいろな食べ方をしていました。
 昔のイチゴの方が甘味が強かったように感じるのは気のせいでしょうか。イチゴも品種改良されている作物ですから、時代の要請で、少しあっさり目に味を変えているのかもしれません。ヘビーなものよりライトなものが好まれるご時世ですからね。考えてみれば、自然の植物を人間の嗜好で変えているわけです。遺伝子組み換えをやってしまうくらいですから、そのくらいのことは朝飯前でしょう。人間というもの、ちょっと貪欲ですね。どこまでが許されるのか、よくわからなくなってきます。

知るは楽しみなり

2010-03-14 06:59:17 | コラム
 毎年、この時期は京都大学の公開セミナーに出席しています。漢籍、つまり漢字で書かれた資料を題材に、3名ほどの講師が講演してくれます。当然、東アジアの文化について多くを学ぶことができます。
 今年は、中国の刑罰について、古代、中世、近代の時代区分で教えてもらいました。一番驚いたのは、中国ではかなり早い時期から、現代の法廷でやられているような、民主的な裁判が行われていたこと。原告、被告がいて、それぞれの調査官がいて、裁判官が調書をもとに判決を出す。そして、それは公開されていたようです。刑の種類もしっかり決まっていて、5刑として長い間定着していました。死刑、流刑、労働刑、杖打ち、笞打ちです。中国というと、残虐な刑をつい連想してしまいますが、酷い肉刑についても、早くから禁止されたようです。
 講師の先生によれば、ヨーロッパでは、12~13世紀でも、神による審判が行われていたと言います。しかし、それは中国が進歩的だったと言うことではないそうです。真理に対する考え方の相違ということでしょうか。人間が真理を究明できるか否か、ということです。中国の人々は、それができると考えたのですね。
 かつて、中国は先進国でした。学校の歴史の勉強でも習ったことです。それが、現代ばかりに気を取られていると忘れられてしまう。訴訟社会と言えば、現代のアメリカのことばかりが連想されますが、清朝はすごい訴訟社会になっていたことも知りました。
 中国が大変な合理主義の国であったこと、それを刑罰から勉強できる良い機会でした。新しいことを学ぶというのは、すがすがしいことだと最近感じています。昔、NHKのアナウンサーで「知るは楽しみなり」と言っていた方がいましたが、本当にそう思います。刑罰なんて、あまり関心はありませんでしたが、行ってみてよかったと思いました。

歯肉炎に苦しむ

2010-03-08 21:57:23 | コラム
 今日は朝から口内炎で辛い1日でした。左下の治療が終わったばかりの歯ですが、根本の歯茎が腫れて、鈍く痛みます。午後には、つばを飲むだけで痛むほどになりました。花粉症や風邪の時のように頭がぼんやりし、集中力もなくて、今日は1日仕事になりませんでした。
 帰りには、デントヘルスを薬局で入手。早速患部に塗りましたが、ずきずきと痛み出す始末でした。食欲もなく、本当なら帰宅してすぐに寝たいところですが、家人がいないせっかくのチャンスを無駄にするわけにはいきません。馬鹿馬鹿しい話ながら、酒屋に寄り、4合瓶を購入して帰宅、なるべく柔らかい酒肴を用意して、しっかりと飲みました。
 歯が痛むと言うだけで、ずいぶんと辛いものだなあと思いました。仕事ができないばかりか、好きな酒の味も落ちてしまいます。失ってわかるのが健康だと言います。今日はまったくその通りだなあと実感されました。
 このだるいような痛さは「身も世もない」という形容がピッタリです。我慢できるのは、腫れがひけば痛みも治まるとわかっているからです。これが癌のように、消えないとわかっていたら救われません。
 実は、昨夜、昔お世話になった方に本当に久しぶりに電話をしました。その方は、開口一番、大変なんだとおっしゃいました。大腸癌で、数日後に入院するというのです。酒の好きな人で、一緒に飲もうと誘うつもりでしたが、もちろんそれは叶いませんでした。周囲も、皆、そういう歳になったのだと思う以外に、気持ちを落ち着けることはできませんでした。
 今、患部を氷で冷やしています。酒で火照った頬には効かないような気もします。やはり今日は飲むべきではありませんでした。後悔先に立たずというヤツです。

しみじみとウルトラマンエースを見る

2010-03-07 19:24:44 | コラム
 私はウルトラマン、ウルトラセブンの世代で、その後のウルトラファミリーを知りません。今日は、昨日の仕事で大役を終え、家人もいないことから朝から飲んだくれていました。先程テレビをつけたらウルトラマンエースをやっていて、初めてしみじみと見ました。
 孤児だった研究者が超スピードの車を設計しますが、彼は誰も信じることができず、それをアタッシュケースに入れて常に携帯しています。彼を慕う女性がいるのですが、彼は金や名声を得たら「ふさわしい女性と結婚する」と言って相手にしません。しかし、彼女は彼を気遣い、怪獣に襲われた彼を命がけで助けるのです。そこで、初めて、彼は女性の愛情の深さに気づき、設計図を川に捨ててしまう。そうしたクライマックスシーンでも抱擁やキスシーンがないことは言うまでもありません。
 人生は金や名誉ではないというメッセージが、露骨ですが確実に伝わってきます。ウルトラマンエースでなくてもよいのではないかとは思いますが、それは置いておきましょう。昨日でしたか、日本アカデミー賞の授賞式で、確か渡辺謙氏が「矜持」というお話をされていたと思います(昨夜も飲んだくれていたので定かでない)。ウルトラマンは昔のドラマであるせいか、その矜持をしっかりと持っていたと思います。子供番組として、何をメッセージとして届けるか、無骨ではあっても、苦労して取り入れ、物語を作っています。最近の子供番組を知りませんが、そういう矜持を持って作られているでしょうか。人気や視聴率ばかりを気にして作られているとしたら考え直す必要があると思います。
 ゲームや携帯電話など、子供にとってどうすべきかという議論もないまま、企業の戦略によって、今日の隆盛があります。これをゼロにもどすことはとうてい不可能でしょう。しかし、子供達が抱える多くの問題の中に、影響していることは確かです。企業は矜持を持ち、責任を持つべきです。儲かればよいというスタンスではいけません。教育は学校や家庭だけのものではない。グローバル社会にあって、そんな狭い範囲を大きく逸脱しています。企業倫理がもっと問われる社会になるべきでしょう。トヨタの安全対策がどうだったのか、詳しいことは知りませんが、企業として社会に向き合う姿勢をしっかりと示して欲しいと思うような出来事でした。
 ウルトラマンエースの最後のナレーション、岸田森氏だったんですね。ウルトラQの時代からだと思います。そのナレーションに曰く、「私たちはまた新幹線の旅を楽しめるようになった。ウルトラマンエースのヒューマンな行為によって。」うーん、子供番組を考慮してか、直接的でわかりやすい表現ですね。

ブックリスト~『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』

2010-03-03 23:17:38 | 読書
『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』  万城目学著  ちくまプリマー新書

 『鴨川ホルモー』でデビューした著者の、私の知る限り最新作です。2010年1月の発行。
 作者の非凡な想像力と文章力を確かに感じられる作品です。小一のかのこちゃんの家に飼われた老犬と夫婦になった猫のマドレーヌ。あるとき、夫から猫股の話を聞くと、不思議なことに人間に乗り移ることができるようになる。近所のおばさんに偶然乗り移ったマドレーヌは、かのこちゃんに夫のドッグフードを柔らかいものに換えるように進言し、猫たちの集会場だった広場を解放する。そして、かのこちゃんには親友すずちゃんの別れが訪れ、マドレーヌには夫の老犬との別れが訪れ、そして、かのこちゃんとマドレーヌにも・・・。最後には、それぞれの別れが交錯して響き合い、悲しくも暖かい交流を生み、生きる希望へと発展されているところが見事です。
 誰に勧めるかと言われると、小学生にも同世代のヒロインの話として勧められるでしょうし、大人の方にも、心温まる童話に近い読み物として推奨できると思います。要するに幅広い年代の方々にお勧めできる作品だと言うことです。それは、書かれた内容の多くの部分に、誰もが共感できる事件が、極めて丁寧に鮮烈に描かれているからでしょう。私も、転校していった友人との別れやペットとの死別など、かのこちゃんと同様の経験があります。作者は、そうした読者の共感を、みごとな文章力と構成力で実に見事に導き出しています。30代半ばの作者とは思えない力量を感じますが、一方では、30代半ばの感性だからこそ書ける瑞々しい作品であるのかもしれません。
 久しぶりに破綻が感じられない、素直に心が洗われる作品に出会えました。読後感が爽快で温かさがいつまでも心に残る作品です。