観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

今日の富士山

2014-11-29 17:20:50 | コラム

 今日の夕方の富士山です。写真の右手に日が沈んだ直後、山の左手にかけて、ずっと雲がたなびくような影ができていて、おもしろい写真が撮れました。今まで見たことのない風景で、ちょっと興奮しました。
 このところ、雪が山頂付近に積もった日や、ほぼ山全体が雪に覆われた日なども撮影したのですが、さぼってアップしないまま、今日の、この景色となりました。
 早いもので、もう師走ですね。忙しくなります。風邪などひかぬよう、お過ごしください。

脳の不思議を再認識しました

2014-11-14 22:16:26 | 読書
 『脳のなかの幽霊、ふたたび~見えてきた心のしくみ』(V.S.ラマチャンドラン著 角川書店)を読みました。
著者は神経内科医ということで、臨床体験を通して多くの患者と触れ合い、具体的な事例にもとづいて書かれているので、具体的で面白いものでした。
  例えば、事故で脳の一部に損傷を受けた人のケースで、その人は自分の母親を判断はできますが、それを偽物だとして認めません。判断する器官と認知する器官を結び付ける回路が切断されてしまうと、このように奇妙な現象を生み出してしまうのです。
  また、事故でなくても遺伝的に、連絡回路が混線している人がいます。200人に1人いるというのですから大変な確率です。共感覚と名付けられたこの現象は、例えば、特定の音を聞いて、特定の色を思い浮かべるとか、特定の数字を見ると、それに特定の色がついて見えるとか、本来は何のつながりもないはずのもの同士が、結びついてしまっているのです。
  筆者は、それと芸術的な感覚を結び付け、芸術とは共感覚に近いということを述べています。例えば、不鮮明なぼやけた線と、のこぎりの歯のようなギザギザの線を見せて、どちらが「rrrrr」で、どちらが「shhhh」かと尋ねると、回答は偏ったものとなります(容易に想像ができるでしょう)。不鮮明なぼやけた線と「rrrrr」は本来、何の関係もないはずですが、それが結びついてイメージされることは確かに一種の共感覚と言えるかもしれません。私たちのイメージとは、そういう脳の作用が関与していたのかと驚かされます。現実との乖離が大きいピカソの抽象化やデフォルメというものも、あるいは詩人が用いる飛躍を感じる比喩表現なども、同じように理解できるのかもしれません。
  脳というのは不思議なものだという感慨を深めました。

スタンドプレーとしか思えない

2014-11-09 21:52:29 | コラム
 今回は独り言だと言い訳をしてから書きはじめたいと思います。
 昨日、スケートの世界選手権に出場したH選手が、練習中のアクシデントで負傷しながら、棄権することなく競技に参加し、見事2位を獲得するというニュースが報道されていました。今日は日曜日と言うことで、ワイドショーなどでも紹介され、どちらかと言えば美談として称賛されていたようです。
 アクシデントの後、周囲が大事を取って棄権するように説得したにも関わらず、H選手は「オリンピックの金メダリストとして、応援してくださる方がいる以上、棄権したくない」というようなことを言って、果敢に試合に挑んだようです。
 実は、私は中継を見ていたのですが、H選手の本番の演技は5回も転倒するなど、とてもオリンピックの金メダリストの演技とは言えないものだと思いました。精神的、肉体的なダメージが大きいだろうということは容易に想像できます。最高のパフォーマンスができなくてもしかたがないでしょう。でも、あれはひどすぎます。あれくらいしかできないなら、最初から出るべきではなかったと思います。無謀に挑んで、世間の同情を引くなどと言うことは金メダリストとしてしてほしくないです。言い訳をしなくてはならないような試合には出てほしくないです。
 挑発的に本音を書きますが、オリンピックの金メダリストというプライドがあるなら、あのような無様な演技を見せるべきではなかったと個人的には思います。帰国するのに車いすに乗って帰ってくるような状態で、無理をして大会に出て何がしたかったのでしょうか。お涙ちょうだいのようなスタンドプレーのように思われてしかたがありません。彼はまだ19歳、判断力に欠けるなら、周囲には年配の方でアドバイスできる立場の方もいたはずです。なぜ、説得して棄権させなかったのか、不思議でなりません。それを押し切って優勝したならば、私も感動の拍手を送りますが、あんな無様な試合しかできないのに、参加する心理がわかりません。本人だけが妙なヒロイズムに酔っていたといったら、叱られるでしょうか。
 私は今回のことでH選手が嫌いになりました。彼の行動は、世間の目を意識したスタンドプレーだと思う以外に、全く理解できません。彼が、東日本大震災の直接の被害者の一人だとしても、平素、血のにじむような努力をしている好青年だったとしても、今回のことで、私は彼の決断を間違いだと思います。もちろん個人的な意見ですので、糾弾されてもかまいません。むしろ、何の反応もいただけないブログなので、抗議のメールをお待ちしています。

あっぱれ!歌麿の反骨精神

2014-11-09 10:06:41 | 絵画
 NHK教育で久しぶりに「日曜美術館」を見ました。今日の特集では、世紀の大発見と銘打って、去年発見されたという歌麿筆「深川の雪」が紹介されていました。横3.5メートルもある肉筆の大作です。驚いたことに、これは栃木で描かれた3部作で、他に「品川の月」「吉原の花」という、やはり3メートルの絵があるということでした。栃木は水運で栄えた商人の町で、歌麿のスポンサーだった善野喜兵衛という人物がいたようです。
 3部作のうち、「品川の月」「吉原の花」は先に描かれ、その後、江戸に戻ると蔦屋重三郎と組んで、美人大首絵で大ヒットを飛ばします。これは幕府の華美を禁じる政策を逆手にとって、色数を減らしてシックに描いたところが受けたようです。
 しかし、蔦屋重三郎が亡くなると、歌麿自身も幕府の取り締まりを受け、再び栃木へ向かいます。そして描かれたのが「深川の雪」でした。幕府認可の遊郭は吉原のみで、品川はたびたび取り締まりを受けた場所とのこと。歌魔はあえて品川を舞台として最後の大作に挑みます。それまでの2作に比べると、「深川の月」は大きいだけでなく、遊女の表情が生き生きと描かれ、風俗なども描き込まれています。笹色紅という化粧法を私は初めて知りましたが、歌麿晩年に流行したものだそうで、下唇だけを緑色に染めるという面白いものでした。それにしても、まさに歌麿の画業の集大成といってよい作品でしょう。歌麿が反骨精神を最後まで貫いたこともわかります。
 「雪月花」の3部作は栃木から海外に渡り、先に描かれた2作はアメリカに落ち着きます。「深川の雪」は昭和23年に銀座に現れ、松坂屋に展示され、敗戦で極貧状態にあった人々を勇気づけたといいます。あとは、どこで誰が秘蔵していたものか、興味の尽きないところです。
 箱根の岡田美術館で展示されていたらしいですね。今度はいつどこで見られるのでしょうか。ぜひ見たいと思いました。

感動!3年ぶりの入浴

2014-11-08 17:31:07 | コラム
 今日は久しぶりに週末がオフでした。それでも朝からパソコンに向かって家で仕事をしていたところ、知人からメールがあり、奈良にいるとのこと。先週、部屋の掃除をしていたら旅行券が出てきたということで、すぐに活用したようです。正倉院展を見て、今晩は大阪の西成に宿を見つけた由。1泊1800円だそうです。
 そこで、こちらもそれにあやかろうと、掃除をすることにしました。長い間、手入れをしていなかった風呂を掃除することにして取り掛かったのが12時過ぎ。壁から浴槽、浴槽のパネルを外して内側の手が届くところまで掃除し、最後は配管もきれいにしました。終わったのは2時近くでした。家の浴室はマンションながら窓があり、いつも開けてあるので、カビなどはあまりなく、掃除も比較的楽でした。
 早速、沸かしてみました。何と風呂を焚くのは3年ぶり、これまでは冬でも毎日シャワーだけでした。長く使っていなかったので、壊れているのでは……と思いつつ、湯を張ろうとすると、最初はよかったのですが、しばらくして自動ストップ。ゴボゴボと異音が聴こえるだけで、湯が出なくなってしまいました。ほったらかしにしていた報いと天を仰ぎましたが、しばらくすると復活、お湯が出てきて、以前同様入れるようになりました。
 ひとりきりでもったいないので、半身浴にするつもりが、たくさんお湯を張ってしまったので、しかたなく贅沢な気分を味わいました。このままきれいに保っていけば、冬もたまには入浴できると思います。
 それにしても、家の風呂は浴室も広ければ、浴槽も大きい。一人暮らしには不経済です。大きいことはいいことだと言いますが、そうとばかりは言えないものもありますね。
 ちなみに風呂の掃除をしても旅行券は出てきませんでした。

『慈雨の人』を読んで日韓関係を思う

2014-11-08 07:25:23 | 読書
 江宮隆之著『慈雨の人』(河出書房新社)をご紹介します。副題が「韓国の土になったもう一人の日本人」とあります。「もう一人の日本人」が意味するのは、著者が既に上梓した『白磁の人』の主人公浅川巧氏を指しています。私はかなり以前に『白磁の人』を読みましたが、それが素晴らしかったので、今回も期待してページを開きました。
 この小説の主人公、曽田嘉伊智(ソダカイチ)氏は1867年山口県の小さな村に生まれました。明治に改元される直前です。彼は、長男でしたが、英語を身につけたいと長崎に出て、その後、香港、台湾に渡って、語学力と世渡りの術を手に入れ、会社を興して経済的な成功を収めました。しかし、金を稼ぐことだけが目的の生活と放蕩三昧の生活に虚しさを感じ、新天地を求めて韓国に渡ります。彼は行動的な人物で、先のことも考えずに新しい土地に乗り込んでいくのですが、それぞれの土地で支援者を得て生活を立てていくのは、彼の人徳によるのでしょう。
 やがて、妻の瀧子さんと出会い、キリスト教に入信、霊的新生を体験して奉仕の精神に目覚めました。利益を追求する仕事から聖書販売と伝道という仕事に鞍替えし、孤児院の仕事に関わるうちに、それを任され、妻とともに韓国の孤児たちのために働くようになります。極貧の中で苦労を重ねる間には、日韓併合や終戦、朝鮮戦争など、日本と韓国は難しい関係がありました。韓国の人々からは偽善者扱いされたり、日本からも反日思想を教育していると追及されたりしました。あるときは施設を出てから独立運動に加わって逮捕された人が出ましたが、嘉伊智氏は、韓国人が韓国の独立を願うのは当然だと考えて、彼らに寄り添う姿勢を貫きました。
 嘉伊智氏らの努力の結果、収容される孤児が増えると、嘉伊智は老体に鞭打ってリヤカーを引き、遠方まで食料を寄付してもらうために出かけなければなりませんでした。そのようにして育てた孤児は1000人以上、3000人は下らないと言う人もいるそうです。
 戦後、一時帰国のつもりで日本に戻った嘉伊智氏は全国を回って平和の大切さを説きましたが、韓国へ戻りたいという願いは、国交がないことを理由に叶いませんでした。13年に渡って日本にとどまることになってしまった間、妻の瀧子さんは韓国で亡くなってしまいました。
 その後、朝日新聞社の記者が嘉伊智氏のことを知り、取材して記事を書きました。日本と韓国両国に波紋が広がり、その記事がもとになって、嘉伊智氏は韓国に「帰国」することができました。そして、嘉伊智氏は90歳を超えて韓国の土になることができたのです。
 この作品は小説ではありますが、歴史の一コマを描いた、限りなくノンフィクションに近い作品です。瀧子さんと嘉伊智氏は、2人とも、韓国の国葬に次ぐ「社会葬」をもって送られています。私は、国境を越えて人々を愛したお二人を誇りに思います。国同士はいがみ合っていても、国民と国民が直に触れ合えば、同じ人間として気持ちを通い合わせることができるはずです。多くの韓国の方々は、日本は嫌いだったでしょうが、浅川氏や嘉伊智氏のことを愛してくれました。民間外交といいますか、国として色付けをしてしまうのではなく、まず人と人との関係を結んでから、国と国が向き合うことが大切なのだと思いました。
 日本と韓国の関係がギクシャクしていますが、こんな日本人がいたことを両国民に知ってほしいと思います。


今日は読書3連発です

2014-11-03 12:59:55 | 読書
 やる気をなくして更新をさぼってきましたが、今日は久々のオフなので、もう一つ先週読んだ本を挙げておきます。『安藤忠雄 仕事をつくる』(日本経済新聞社)です。
 安藤氏は世界的な建築家ですが、若いころに建築の専門教育を受けたことはなく、ボクサーだったという経歴を持つ、珍しい方です。自ら国内や世界を回り、実物の建築物を自分の目で確かめ、学ばれてきました。『仕事をつくる』というタイトルは、仕事のなかった若いころ、近所に空き地があると、勝手に設計図を描いて売り込みに行ったというところからも、名づけられたものでしょう。そのバイタリティーといいますか、旺盛な行動力こそが、安藤氏を世界的な建築家へと押し上げたのでしょう。ル・コルビジェに会うためにフランスへ行ったことなども、敬服すべきエピソードです。
 安藤氏は、これまでにも自伝的な作品をいくつか書いてこられましたが、この書は、特に他者とのつながりにポイントを置かれたようで、交遊録的な面が面白いと思いました。
 例えば、病気仲間?の小澤征爾氏、三宅一生氏、イサム・ノグチ氏などの芸術家、仕事のパートナーでもある奥様のことは今回の著書で初めて触れられたのではないでしょうか。経済界では、サントリーの佐治敬三氏、京セラの稲盛和夫氏、アサヒビールの樋口広太郎氏、直島のクライアントであるベネッセの福武総一郎氏など。また、住吉の長屋のオーナーから海外のクライアントまで、素晴らしい人脈が紹介されています。人を動かし、チャンスをつかんでいく安藤氏の力はすごいと思いました。
 安藤氏は建築だけでなく、日本の将来についても多くの提言をなさっています。大局的にものを考えるという視点を、政治家も見習ってほしいと思わないではいられません。

毛利衛、ふわっと宇宙へ

2014-11-03 12:20:48 | 読書
 読書の秋と言うわけではないですが、これも先週読んだ本をご紹介します。朝日文庫刊『毛利衛、ふわっと宇宙へ』という本です。
 毛利衛氏の印象はクールな秀才と言うイメージでしたが、この本を読んで、若いころから留学するなど活動的だったこと、3名の宇宙飛行士候補の中から最終的に選抜されるために、いろいろな対策を講じた頭脳的なプレーなど、今までとはちょっと違った毛利氏を感じることができました。
 氏は当初、化学の分野の研究者をめざし、大学院で研究していました。それまで、高校生のときに学校を休んで日食を見に行ったり、公務員試験を途中で投げ出してテレビでアポロ11号の月面着陸の中継を見てしまったりするなど、宇宙への関心ももちろん強かったようですが、明確な目標ではなかったようです。
 1983年、新聞に掲載された宇宙飛行士募集の記事が、氏の人生を変えます。積極的に応募して試験を受けていくことになるものの、当初は本当に宇宙飛行士になれるとは思っていらっしゃらなかったようです。試験や訓練の途中で、ラマーズ法の呼吸法を実践して宇宙酔いを克服したことも含めて、奥様が最初から最後まで献身的にサポートされたことを知り、内助の功の大きさに感心しました。国内や国外で何度も引っ越しをなさっていますから、ご家族も一緒に頑張ったわけです。お子様方は、なかなか体験できないようなことを数多く学び、きっと大変だったとは思いますが、大きく成長できたのではないでしょうか。
 私が最も感動したのは、チャレンジャーの爆発事故で亡くなったエリソン・オニヅカ氏の奥様の話でした。奥様はNASAにお勤めで、毛利氏とも家族ぐるみのお付き合いをなさっているようです。宇宙への出発前、「エリソンと一緒に飛ぶからね」と毛利氏が声をかけると、奥様は涙を流したという記事が胸に迫りました。
 どうして今、毛利衛氏なのかといぶかる方々もいらっしゃるでしょうが、毛利氏は日本の宇宙飛行士のパイオニアです。その言葉は、いつまでも重みを持つと思います。

こんな夜更けにバナナかよ

2014-11-03 08:36:22 | ボランティア
 筋ジストロフィーで亡くなった鹿野靖明氏とボランティアとの葛藤を描いたノンシクション。2013年に文春文庫に入ったのを機に読んでみました。講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した作品です。
 鹿野氏は両親にも病院にも縛られる生活をしたくないと考え、福祉住宅で生活を始めますが、体が動かせないために、誰かに痰の吸引をしてもらわないと、たちまち窒息死してしまいます。そこで24時間ボランティアに頼ることになりますが、複数のボランティアがどんどん入れ替わっていく中で、痰の吸引ができるように鹿野氏自身が彼らを教育することになり、そこで衝突や苦悩が生まれることになります。
 解説で山田太一氏が述べていらっしゃるように、人の手を借りなくては生きていけないようになったら、健常者は尊厳死を選ぼうなどと考えてしまうのですが、それが浅薄で甘ったれた考えだと思えるほど、鹿野氏の生は切実でリアルなものでした。鹿野氏は自分が生きるためにはエゴを通すしかありません。夜中におなかが減ってボランティアにバナナを食べさせてもらうとき、彼はボランティアを起こし、食べさせてもらうしかないのです。それもゆっくり少しずつしか食べられません。ボランティアが半ばうんざりして、やっと終わったと思ったら、鹿野氏は「もう一本」と声をかけました。ボランティアは、ムットしますが、次の瞬間、憑物が落ちたように、鹿野氏を受け容れられるようになりました。もう笑うしかないという境地になったのでしょうか。ボランティアたちは、そうした剥き出しの生に触れて我儘な鹿野氏に惹かれていきます。本音を隠し、周囲に自分を合わせる生活を余儀なくされている健常者には、とてつもなく新鮮で魅力的に映ったものと思われます。
 筆者、渡辺一史はボランティア一人一人に話を聞き、自らも鹿野氏のボランティアとなって、丁寧に誠実に筆を進めています。生きることとは人と関わることだったのだと気づかされます。500ページを上回る大著ですが、一気に読めてしまう素晴らしい作品です。