観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

ボッティチェリとルネサンス展

2015-05-24 16:24:30 | 絵画
 昨日は仕事が昼で終わったのを幸いに、美術展を見に渋谷に行きました。7~8年ぶりで、美術館へ行く道を忘れているほどでした。スクランブル交差点はすごい人で、海外の人が写真を撮っていました。本当に観光地になっているんですね。
 到着は2時過ぎでしたが、まず腹ごしらえに、美術館すぐ脇の沖縄豚をつかったハンバーグが有名なお店に入りました。地下の洋風居酒屋といった感じで、ビールを飲んでいる人もいましたし、カウンターには泡盛がいろいろありました。沖縄の歌がかかっていて、よいムードでした。一番スタンダードなハンバーグを注文しました。ジューシーで肉の味が濃く、美味だったと思います。満足しました。1500円で少しお釣りが来ました。
 渋谷のBunkamuraで開催中の美術展はボッティチェリとルネサンスというものでした。ただ絵画を展示するのでなく、絵画の背景となり需要を生み出したフィレンツェの冨というものがサブテーマになっていました。美術展の最初に金貨があり、金庫や金融業の展示などもかなりあって異色でした。
 ボッティチェリとその工房の作品も20点以上あったでしょうか。特に驚いたのは、ボッティチェリが描いた「受胎告知」でした。こんな大きな絵をよく持ってきたなあと感心しました。フレスコ画でかなり体色しているように見えましたが、大変整った素晴らしい絵だと思いました。
 その他、ボッティチェリがフィリッポ・リッピの影響を強く受けていた修業時代から、メディチ家のバックアップによって才能を開花させ、その後、サヴォナローラとの出会いから没落していくまで、よく絵を集め、持ってきていると思います。彼の絵の変化が大変よくわかる展示になっていました。今回は2時間以上かけてゆっくりと見ることができました。
 小品ながら、フラ・アンジェリコの作品が見れたのもうれしかったです。
 チケットは新宿の金券ショップで当日1500円のところ、750円の優待券を入手して喜んでいたのですが、帰りにセンター街を歩いていたら、ちとせ会館前のチケットショップで600円で売っていてショックでした。
 そのせいではないのですが、帰りは明治通りを歩いて新宿に出ました。1時間くらいかかり、よい汗を流すことができました。
 この展覧会はオススメです。ぜひご覧ください。
 

戦争について新しい知見が得られました

2015-05-22 21:25:39 | 読書
『街場の戦争論』 内田樹 (ミシマ社)

 明治日本の産業革命遺産登録に韓国が反対しています。また、核拡散防止条約で世界の指導者に被爆地訪問を呼びかける日本の提案が中国の反対で合意文書から削除されたようです。ますます関係はこじれるのでしょうか。
 この本の初めに、内田氏は敗戦国が負うのは「無限責任」で、相手がいいというまで謝罪し続けなければならないと述べ、ドイツ大統領の例を挙げていらっしゃいます。もし、過去にあった日本と、中国や韓国の関係が逆転していたとしたら、戦後70年たつのだから相手国を許せと言われて、簡単に許せるでしょうか。侵略にあい、家族や知人を殺され、文化まで殲滅しようとした相手を簡単には許せないと思います。
 氏はあえて「もしもあのとき」という議論を持ち出し、1942年のミッドウェイ海戦に敗北したときに、当時の日本が終戦を決断したら、「ふつうの敗戦国」になれていたのではないかと述べています。日本は無益な戦争を続けたために、戦後の再建を担う人材を失い、敗戦の検証すら自力でできないほどに完膚なきまでに負けた。その結果、アメリカに永久に従属する属国になってしまったというのです。日本は敗戦によって、日本としてのアイデンティティーを失い、アメリカの顔色を窺って、アメリカの気に入る国になろうとしている。でも、そのアメリカにしても、忠誠を尽くす日本を軽蔑しこそすれ、同盟国などとは思っていないのです。
 日本政府には政策決定権がないと述べられています。2012年、安倍首相が村山談話を否定した時、アメリカが東アジアの混乱を避けるために圧力をかけ、安倍首相に発言を撤回させたのはその通りでしょう。日中の国交回復を行ってアメリカの激怒をかい、ロッキード事件で失脚した田中角栄元首相の例もありました。アメリカは自国が作った憲法を変えることは自国の理想を傷つけることになる上に、世界情勢が不安定な時期にこれ以上アジアで混乱が起これば手が回りません。9条が空洞化することはアメリカの国益を損ねるのです。
 筆者は、安倍政権を「経済成長に特化した国づくり」を目指していると指摘しています。経済成長のために国民を一極集中させて競わせ、安定した生活や健康を奪うなどの犠牲を強いて、都合が悪くなれば責任を押し付けて逃亡してしまうのでしょう。私も直接知っているわけではありませんが、まさにあの時代に戻っているような気がしてきます。
 国内の景気対策が手詰まりになったとき、戦争は新しい利益を生み出す格好の秘策でしょう。どうしても戦争がしたい人たちは、改憲を棚上げして、特定秘密保護法で表現の自由・集会結社の自由を奪い、集団的自衛権で海外での戦闘を可能にしました。改憲することなく解釈によって9条を空洞化したのです。
 東京オリンピックの誘致に浮かれた我々ですが、マドリード、イスタンブールでは大規模なテロが発生し、東京の安全性が「おもてなし」以上にアピールしたようです。日本が安全なのは9条によって海外の戦闘に参加していないためです。戦争を放棄している国をテロの対象にすることはいかなる国にもできないでしょう。しかし、今後、自衛隊が海外で戦争をすれば、その地域の憎しみをかい、テロの対象になることは目に見えています。私たちは、そんな選択をしたのです。
 日本はアメリカに依存しているとは思っていました。しかし、世界的に見ても異常な属国であるということに気づかされました。主権を取り戻すことは大切でしょうが、あの戦争の総括ができない国には、まだそれは無理な相談なのだろうと思いました。

東久留米徘徊

2015-05-16 22:30:36 | 旅行

 夏に再び尾瀬に行くためにトレーニングを始めました。最近、年齢のせいだと思いますが、めっきりメタボになってしまいました。以前は下っ腹がぷっくりという感じでしたが、最近は腹の上部も出てきて、キモチワルイです。もう見てくれなんかどうでもよいと思っていましたが、このままでは尾瀬を歩くことはできないでしょう。これから、週末にはトレーニングしようと思いました。いきなり走ったりすると、けがをすると思ったので、今日は2時間歩き回りました。今までは、買い物とか展覧会とかで2時間歩くなんて何ともなかったのに、今日は最後は息が上がってしまいました。
 徒歩2時間圏内のご近所の様子をご紹介します。改めて見ると、よい季節になりました。




やっぱもの申す

2015-05-11 22:22:15 | コラム
 今、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」を視聴しています。貫地谷しおりさんのナレーションで、外資系ファンドで利益を出しているという達人の姿を追っていて感動的です。
 しかし、ナレーションの語り口は常体。つまり、敬語である「です・ます」体を使わず、「だ・である」体で語っています。
 私にはやはり抵抗があります。常体は書き言葉であって、放送と言う話し言葉であっては、やはり敬体で視聴者に見ていただくという姿勢を崩してはならないと思うのです。
 以前にも同じようなことがあって、NHKに抗議を申し入れました。このブログにも書いたのですが、そのときは歯切れの良いスピーディーな語り口を生かしたいというような返答でした。
 人と話をするときに、敬語を使わず、常体で棒読みされたらどうでしょう。やはりバカにされていると感じるのではないでしょうか。逆に話し手には、聞かせてやっているのだという驕り高ぶる意識が感じられるのではないでしょうか。作り手の思想も大切だとは思います。しかし、放送を流す立場のマスコミは、視聴者に自らの思想を押し付けるのではなく、試聴していただくという態度であるべきではないでしょうか。特に、公共放送はそういう態度であるべきだと思います。民放のように、視聴者に選択の権利がないのですから。
 マスコミは思い上がっているのではありませんか。お笑い芸人の中には、視聴者をバカ呼ばわりしているコンビがあって、私は非常に不愉快な気になります。いったい何様の気でいるのかと思えて、腹立たしいです。視聴者が、思い上がらせているのではないかと思うと、やはり、一言苦言を呈するべきだと思うのです。
 石頭の年寄りのたわごとです。でも、マスコミの思い上がりは、視聴者のせいでもあると思うと、一言は言わないといけない気がするのです。

三波石峡

2015-05-10 13:52:45 | 旅行
 先々週のことになりますが、群馬県藤岡市の三波石峡に行って来ました。サンバセキキョウと読みます。神流川の上流、下久保ダム直下の渓谷で、約1.5キロメートルにわたり、巨岩・奇岩が並び、 国の名勝及び天然記念物に指定されています。
 川沿いには歩けず、数か所設けられた階段を降りて、河原に降り、いくつかの巨石・奇岩を見たら、また階段を上って、次は別な階段を下りるという形で見ていくことになります。水辺は美しく爽やかで、これからの季節は観光客も多くなるでしょう。車は広い駐車場がありますので、そちらに止めて歩いたらよいでしょう。階段と言っても、それほどきつくはありませんし、長くもないので、お年寄りでも元気であれば問題ないと思います。 
 上毛かるたにも「三波石とともに名高い冬桜」とあります。
 河原の石をよくご覧ください。三波石は青味の中に水で洗われた石英が白く浮き出た美しさが特徴で、古くから庭石として珍重され、全国的にも有名です。たくさん転がっています。
 車で行く途中に産直があり、案内図などをもらえます。お土産品なども売っています。おせんべいも温泉まんじゅうもオススメです。


夢をかなえるゾウ3

2015-05-09 22:17:50 | 読書
夢をかなえるゾウ3(ブッラクガネーシャの教え)水野敬也

 インドのゾウの形をした神ガネーシャが、さえない若者を巻き込んで繰り広げる抱腹絶倒の物語の3作目です。前2作も文句なしに面白い作品でしたが、3作目もサイコーでした。
 このシリーズは単なる小説ではありません。関西弁をしゃべる個性的な神ガネーシャが、若者に夢をかなえさせるために、さまざまな課題を出し、人間的に進歩・向上させていくという啓発書なのです。その課題はきわめて具体的なのでわかりやすく、私たちがすぐに実践できそうなものばかりです。例えば「目的を誰かに宣言する」「一度自分のやり方を捨て、うまくやっている人を徹底的に真似る」「合わない人をほめる」「今までずっと避けていたことをやってみる」「余裕のないときにユーモアを言う」など。これらを実践することで、人はヒントを与えられたり、困難の中で鍛えられたり、考え方が変わっていったりするのです。
 また、アドバイスの中には、ガネーシャが教え導いたという偉人たちが多く紹介されます。エジソン、モーツァルト、ジョン・レノン、ゴッホなどの生き方や言葉が印象的です。
 さて、今回の主人公は、夢を持ちながらも努力できず、だらだら生きている若い女性「私」。現状に不満を持ち、夢想にふける「私」が、運をつかもうと悪徳商法で買った像がもとで、ガネーシャはペンダントを奪われてただのゾウになってしまいます。ペンダントを取り返そうと、釈迦と貧乏の神が呼ばれ、ペンダントを奪った稲荷の一派と争うことになります。その手段は、稲荷一派がガネーシャの像を売り、ガネーシャたちが稲荷の像を売って、売上高を競うもの。ガネーシャが負ければ、ガネーシャはずっとゾウのまま、「私」は一生稲荷の召使いです。
  勝負をしていく中で、ガネーシャはさまざまな課題を出して「私」を成長させていきます。稲荷一派はひたすら利益追求しか考えませんが、「私」はガネーシャから客本位の商売哲学を叩き込まれ、何のために働くのか、どうしたら楽しく働けるのかなどを学んでいきます。また、「私」はあこがれていた園山さんと仕事をすることもできて、告白する決意を固めます。果たして、勝負の結果は……? 「私」の恋の行方は……? 意外な結末は泣けます。
  一番印象に残るガネーシャの言葉を引用して終わります。「成功するだけが人生やあれへん。夢かなえるだけが人生やあれへん。自分は(あなたは)別にここで頑張るのやめたってええんやで。(中略)この世界はな、自分がどこまで『知る』かを、自分で決められるようにできてんねん」
  こんなに面白くてためになる本はほかにないと思います。私だったら文部科学省推薦図書にします。

星の王子さま

2015-05-08 22:36:41 | 読書
星の王子さま

  2005年に集英社文庫から発売された池澤夏樹氏新訳の『星の王子さま』は2014年6月には25刷に達しています。根強い人気のある作品だけに、池澤氏の新訳を読んでみたいという方も多いのでしょう。
  私も久しぶりに再読しましたが、現代的な口語訳になっていて親しみやすいと感じました。
  ボアがゾウを消化している、あの帽子の絵から始まって、大人になることは硬直したものの見方しかできなくなり、奇妙な思考やいびつな人間関係を作っていくということが、王様の星やうぬぼれ男の星、ビジネスマンの星、地理学者の星などを遍歴することから理解されていきます。そして、地球に来てから出会ったのが、サンテグジュペリ自身と思われるパイロットやキツネなどでした。特に、キツネからは「飼いならす」ことから互いが多数の中から特別な存在になるというオンリーワンの思想を教えられます。また、「肝心なことは目では見えない」という有名な台詞もありました。このあたりから、コミカルな童話の中に哲学的な要素が加わり、大人と子供、人間と動植物が対比されて深さを増しているようです。池澤氏の新訳では、そうした流れや対比が、鮮明になったように思いました。
  私が最も新訳で感じたのは、登場人物の性格描写が生き生きと描かれたことでしょう。純真な王子さまと、自分の気持ちを素直に出せないバラの花、子供の心をキープしつつもやはり大人にならざるを得ないパイロット、斜に構えるようであっても関係性の根本を理解しているキツネなど、これまでにはなかったキャラクターを見たような気がしました。
  最後に、王子さまは、自分の星に残してきたバラが、自分にとってオンリーワンの存在であることに気づき、星に帰っていきます。何ともミステリアスでシリアスな結末です。ここでは、死についても考えさせられます。