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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

流行りませんねえ

2015-11-18 19:59:00 | コラム
 このブログ、やっぱり流行りません。妙な下心をもってやっているブログですので、反響がマッタクありません。
 当方も孤独な老人ですので、それも致し方ないことでしょう。
 最近は、もう一人の方が気楽でいいような気がしてきました。でも、たまにお酒を飲んだり、食事したり、美術館や映画に行ったりするお友達がほしいと思ってしまいます。
 ということですので、めっちゃゆるい関係で結構です。既婚者でも問題ないし、お子さんと一緒っていうのも面白そうです。外国の方には日本のよさをご紹介もいたしましょう。
 まずはメル友からってどうでしょう? 

奇妙すぎる夢

2015-07-20 08:05:07 | コラム
 めちゃくちゃな夢でした。
 高校生の私は、拾ったカウンタックで通学していますが、放課後、ちょっと学校を抜け出します。少し走って戻るつもりが、方向音痴の私はなかなか帰ることができず、私がさまようことになった町は、故郷の町のようです。やがて路地に入り込んでしまいます。カウンタックはいつしか自転車になっており、私は赤いラメ入りの女性もののサンダルを履いていました。
 一刻も早く戻ろうと思うのですが、そう思えば思うほど、さまざまなアクシデントがあって帰れません。たとえば、断崖絶壁に出てしまって道がなくなっていたり、母に会って皿を買ってもらったり、店員さんの人がいろいろなことを質問して来たり。極めつけが、飼っていた犬がもらわれていった先に出くわしたことです。犬は人間の言葉を話す柴犬なのですが、私の身を案じ、寂しさを隠そうと健気にふるまっていました。ここでも、犬の飼い主になった老夫婦が、かつ丼を食べていけといって、私を引きとどめるのでした。
 私はカウンタックの自転車をどこに止めたか忘れてしまい、もともと拾ったものだからいいやなどと思う、そんなところで目が覚めました。
 昨日は、久しぶりに布団を干し(といってもマットレスですが)、マットとシーツを洗濯しました。それなのに夜は寝苦しくて、もうたくさん汗をかきました。
 今日が休みと言うことで、昨夜は1時過ぎまで全英オープンを見て、今、起きました。目覚まし時計をかけずに眠れたのはよかったです。でも、妙な夢を見て寂しくなりました。夢の中でも私はひとりであり、犬の気持ちが切なく胸に残りました、 

やっぱもの申す

2015-05-11 22:22:15 | コラム
 今、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」を視聴しています。貫地谷しおりさんのナレーションで、外資系ファンドで利益を出しているという達人の姿を追っていて感動的です。
 しかし、ナレーションの語り口は常体。つまり、敬語である「です・ます」体を使わず、「だ・である」体で語っています。
 私にはやはり抵抗があります。常体は書き言葉であって、放送と言う話し言葉であっては、やはり敬体で視聴者に見ていただくという姿勢を崩してはならないと思うのです。
 以前にも同じようなことがあって、NHKに抗議を申し入れました。このブログにも書いたのですが、そのときは歯切れの良いスピーディーな語り口を生かしたいというような返答でした。
 人と話をするときに、敬語を使わず、常体で棒読みされたらどうでしょう。やはりバカにされていると感じるのではないでしょうか。逆に話し手には、聞かせてやっているのだという驕り高ぶる意識が感じられるのではないでしょうか。作り手の思想も大切だとは思います。しかし、放送を流す立場のマスコミは、視聴者に自らの思想を押し付けるのではなく、試聴していただくという態度であるべきではないでしょうか。特に、公共放送はそういう態度であるべきだと思います。民放のように、視聴者に選択の権利がないのですから。
 マスコミは思い上がっているのではありませんか。お笑い芸人の中には、視聴者をバカ呼ばわりしているコンビがあって、私は非常に不愉快な気になります。いったい何様の気でいるのかと思えて、腹立たしいです。視聴者が、思い上がらせているのではないかと思うと、やはり、一言苦言を呈するべきだと思うのです。
 石頭の年寄りのたわごとです。でも、マスコミの思い上がりは、視聴者のせいでもあると思うと、一言は言わないといけない気がするのです。

時計の日付

2015-04-12 00:19:43 | コラム
 今日が何日だったか、書類の日にちを何度も入れた日でも、あれ?なんて思ってしまうのは認知症の始まりでしょうか。
 私が最初に持った腕時計は、オメガのシーマスターで、高校生の頃でした。父がヨーロッパから土産として買って来てくれたものです。ものすごく厚くて重く、皮の黒いベルトがついていました。普段はグレーでメタリックな文字盤でしたが、光に当てると細かな砂のように光を反射して美しいものでした。今も手元にありますが、まったく使っていません。
 日付が変わる頃、日にちを表示する部分も回転して、今日と明日の間が空白になるわずかな時間帯がありました。実際には時間は連続しているわけですが、時計のカレンダーでは、その日の終わりと翌日の間に、数字が徐々に入れ替わる、何も表示されなくなる時間帯があって、一日の終わりと、新しい一日の始まりを、感覚的に強く意識することができました。アナログとデジタルの差と言えるかもしれません。
 今日は雨が降っていたせいもあり、一日家で過ごしました。だらだらしていた時間も多く、やろうと思っていたことは思うようには進みませんでした。でも、少しはできたのでそれでよしとしましょう。明日は出かけなければならないので、今日の続きはできません。
 急に眠くなってきました。おやすみなさい。

発達障害

2015-04-11 09:08:29 | コラム
 ブログを何年もやっていることが、最近、おかしいのではないかという気になってきました。執念深いというか、考え方によっては気持ち悪いです。
 私は最近、自分自身が発達障害だったのだと気づきました。人間関係がうまく作れないのは、性格ではなく、障害と言った方が当たっていると思ったのです。いい歳をして恥ずかしいのですが、ようやくそれに気づいた次第です。結婚できないのも、障害のせいなのでしょう。
 自分で自分自身を「おかしい」と認めることは難しいものです。誰だって認めたくないでしょうし、それ以前に、「自分がおかしい」ということに気づきません。うまくいかないのは、すべて周囲が悪いのだと考えてしまうのも無理はありません。自分がビョーキだなんて考える以前に、気づきもしないのです。
 通勤途上などで同僚などに会っても、たいていは近づきません。それまでの歩きから速度を落として間を広げていくか、回り道でも別な道に逸れてしまうか、どちらかです。挨拶をし、話を合わせ、歩調を合わせて歩くことが、苦痛であり厄介に思えるのです。そう言うと、きわめて不遜な感じがしますが、相手の人に対しても、自分のような人間に気を遣わせてしまうのは申し訳ないという配慮をしてのことです。これでは、人間関係が縮まることはありません。おそらく、気づいた相手は、私のことを「変人」と思うでしょうし、それは当然だと思います。そんなことをしていて、自分が孤独だなどと嘆いているのですから矛盾してます。人間と言うものは、実に矛盾した生き物です。
 今のところ何となくフツーに暮らしてはいます。でも、いつビョーキがもとで妙なことをしでかすのではないかという不安があったりします。今朝、北海道の方でしたか、軽自動車の男が、親子連れをはねてけがをさせたというニュースを見ました。わざわざ車で歩道を走って背後からひいたようです。狂っているとしか思えませんが、失業中に幸せそうな親子を見て、嫉妬したのでしょうか。私には、犯人の気持ちがちょっとわかるような気がするのが怖いです。
 
 

父と娘

2015-04-07 20:10:10 | コラム
 今朝、通勤のバスに乗り込んで、座れたことに安堵していると、後ろの座席に乗っている男女の話し声が聞こえてきました。
 男性の声は低くてよく聞き取れませんでしたが、女性の声ははっきりとしていて、話している内容までよく聞こえました。専ら女性が日常のことをいろいろと話し、男性が相槌をうっている感じでした。内容から判断すると高校生くらいの娘と、中年の父親ではないかと思われました。バスの中で会話を聞くことはほとんどなく、父と娘という組み合わせは初めてでしたので、耳をダンボにして聞いていました。
 バスが終着のバス停に泊まり、後ろの父娘が私の傍らを通り過ぎて降りていきました。
 驚いたことに、娘は大学生か社会人のようであり、父親は中年とはいえ予想以上に若い男性でした。一緒に通勤しているなんて、素晴らしいと思いました。
 以前、私が電車を使って、現在とは別の場所に勤務していたころ、駅から勤務先へ行くまでの間に決まってすれ違う父娘がいました。娘は中高生のようでしたが、明らかにダウン症であるとわかりました。父親は毎日、娘と一緒に駅までの道を歩いていました。私などにはうかがい知れないご苦労が多々おありでしょうが、いつも二人とも晴れやかな笑顔が印象的でした。娘と一生一緒に生きていくことができると考えれば、決して不幸ではなかったと思います。
 私も保育園へは、毎朝、父と手をつないで通いました。隣に越してきた方は、毎朝、いい親子だなあと思いながら見送ってくれたそうです。その日も遠い昔になり、私は一人ぼっちになってしまいました。
 
 

雨でした。

2015-03-16 19:47:47 | コラム
 今日は午後から雨になりました。
 バスで帰宅する途中、座席が埋まっていたので、吊革につかまって立っていました。前で座っていた男性は70歳くらいだと思います。背広を着ていてるようだったので、まだお勤めなのでしょう。足元には駅前にあるスーパーのレジ袋が二つ置かれていました。乗車前に買い物をなさったのでしょう。
 見るともなく見ていると、鞄の中から財布を出し、そこから数枚のレシートを取り出しました。また、ケータイを取り出すと電卓機能にして、レシートの数字を入れだしました。家計簿をおつけなのか、しっかりしているなあと感心しました。
 どう見ても定年後の方だと思いますので、単身赴任ということはないでしょう。そうすると、私と同じ、チョンガーなのかなと思います。自分の近い将来の姿を見るようで、ちょっと切ない気がしました。
 雨は小止みなく、今も降り続いています。

合掌

2015-03-10 22:01:43 | コラム
 もうすぐ、あの日がやってきます。あれからもう4年になるのですね。
 いろいろな方がいろいろな思いを抱えて、この4年間を生きてきたでしょう。震災に遭われた方々はもちろん、震災の惨状を見ながら、同じような苦しみを味わってきた方々もいると思います。そうした方々は、報道される被災地の惨状を目にして、被災した方々にわが身を重ね、その悲しみと苦しみを共有してきたのだと思います。
 あの日、私も、震災とは違う理由で家族を失い、その後、父を失いました。父は福島の病院に入院していましたので、よく見舞いに行きました。一緒にいる間も余震が何度もあり、住民の方々と同様の不安や恐怖を感じたものです。
 申し訳ないのですが、その後、被災地は遠いものになりました。それではいけない、何とか力になりたいと、ようやく被災地を訪れ、多少なりとも地域に貢献できたかなと思われたのは夏の終わりでした。
 適当な言葉はいくらでも書けます。3月か4月、東北道を車で走ることに不安がなくなる頃、私はまた東北に行きたいと思います。
 昨日のニュースでしたか、多くの児童が亡くなった小学校の建物を保存することを巡って、住民の皆様の投票が行われ、一部ではなく、校舎全体を残すという意見が半数近くにのぼったというニュースを聞きました。見るのが辛いから取り壊してほしいという心情もよく理解できますが、なくなってしまえば、記憶は確実に薄れ、地域の方々さえもすべてを忘れ去ってしまう日が来ます。いわんや、よその土地から来た人間には、震災のメッセージが何もないことになります。以前、南三陸町の防災庁舎を訪ねた折の感想を書かせていただきましたが、あのむごたらしい建物があるからこそ、余所者にも、あそこで起こったことが想像できるのです。なくしてしまったら、何も残りません。よすがを残して、無念のうちに亡くなった方々の声を後世に残してください。さまざまなメッセージを伝える場として、震災遺構を残してください。後世の人々のためにも、心からお願いしたい気持ちです。
 もうすぐ日付が変わります。あの日が来ます。今日は、東京大空襲で亡くなった方々を思って黙禱しました。明日は、東日本大震災で亡くなった方々を思い、あの防災庁舎や造成工事の続く町の様子を思いながら、黙禱したいと思います。合掌。

教育再生ってどう考えてもヘンでしょ?

2015-03-08 21:15:30 | コラム
 私は教育に関心を持っているわけでもなく、自分が受けた学校教育にもよい思い出はあまりありません。ですから、教育問題なんてどうでもよいようなものですが、ちょっと気になることがあるので一言だけ言わせてください。
 ニュースを見ていると、教育再生会議というのがよく出てきて、教育改革を推進しているようです。首相などもよく口になさっているので、耳に入る機会も多いのです。しかし、よく考えてみれば、教育を「再生」しなければならないとするなら、今、現実に学校で教育を受けている児童・生徒・学生の皆さんは「死に体」の教育を受けているということになります。自分が、今、現に受けている授業が「再生」しなければならない「死に体」の内容だったとするなら、勉強しようなどと言う気になるでしょうか。子供たちに対して、「再生」などと言う言葉を使う政治家の皆さんの神経がわかりません。
 仮に現在の教育が「再生」しなければならない「死に体」の内容だと言うなら、責任は誰にあるのでしょうか? かつて大きな路線変更がなされ、やはり撤回された「ゆとり教育」を推進したのは誰ですか? 学校や保護者から「ゆとり教育が必要だ」という声が上がり、学校主導で教科書が改められたり、指導要領が変わったのではありません。お役所が勝手に決めて、勝手に改革を行った結果です。おそらく、ゆとり教育を推進したお役人の皆さんは、その功績(現状を改革したというだけの!)によって出世なさったのでしょうが、大きな路線変更を強いるような改悪をし、子供たちを混乱させた責任は誰がとるのでしょうか。自らの責任には一切触れず、学校が悪いという世論を作って責任を転嫁しようとしている、私にはそう思えてなりません。「再生」が必要な教育を作り出しておきながら、一方では「教育再生会議」なるものを立ち上げている鉄面皮には呆れるばかりです。
 新しいことをやらなければ目立たず、出世もできないから、必要でないこと、改悪になることでも平気でやっているというのが、現在のお役所の体質なのではないでしょうか。
 大学入試センター試験も曲がり角に来ているようです。改革する必要もあるのかもしれませんが、自分の出世のための改革はやめてください。迷惑するのは子供達だからです。選挙年齢が18歳に引き下げられるようですね。高校生や大学生の皆さんは、自分の体験をもとに、でたらめな行政に鉄槌を下してください。私だったらそうします。

TOKYOマラソンやっていいのですか?

2015-02-18 22:01:32 | コラム
 ボストンマラソンのテロ事件が思い出される今日この頃、週末には東京マラソンが近づいています。参加予定の方々は抽選の末につかんだチャンス、最終の調整に余念がない頃かと拝察いたします。
 テロ集団イスラム国が日本も標的にすると宣言している今、東京マラソンを予定通り開催してよいものでしょうか。国の存亡をかけ、命と引き換えに建国しようと戦っている集団が、一方で平和を謳歌するスポーツの祭典を見て、どう感じるかは想像に難くありません。ボストンマラソンが標的にされたのもうなずけます。
 私たちは、緊張感に欠けているのではないでしょうか。お祭り騒ぎにうかれていると、とんだしっぺ返しにあうような気がしてなりません。彼らは、追い詰められています。窮鼠猫をかむという言葉通り、何をするかわかりません。
 都知事の権限かどうか知りませんが、今年の東京マラソンは中止すべきだと思います。万一、テロ事件が起きたときは、都知事は責任をどうとるおつもりなのか、伺いたいです。辞任しただけでは、責任をとったことにはなりません。そういうことがわかっておいでなのか、どうなんでしょうか?
 もう時期的に、中止と言うことは不可能でしょう。私の杞憂に終わってくれればよいのですが……。でも、何もなかったとしても、開催の是非についてはもっと審議されるべきではなかったでしょうか。

実にテキトーなブログですね

2015-02-11 17:22:10 | コラム
 いろいろご報告しながら、また続報を書くという約束が守れたことがありません。今回は、前回のヤフオク挑戦の続報を珍しく書きます。
 さて、無事に最高金額を入れることができ、落札者ということになりましたが、どう考えても安すぎると思い、出品者からキャンセルされるのではないかと思っていました。しかし、早々に先方から連絡が入り、送金せよという指示。ようやく、ヤッター!という気が少ししました。先方の気が変わらないうちにということで、早々に送金し、土曜日に商品到着の予定です。商品が届かない!ということにならないことを祈ります。
 順序が逆になりますが、晴れて自分のものになった作品の写真を眺めていて、見落としが発覚しました。2作のうちの1作は、日本画なのですが、色が少し薄いと思っていたあたりをよく見てみると、高い絵具は色を塗っていなくて「金」とか「プラチナ」なんて鉛筆で字が書いてあったのです! げっ! この絵は完全な下絵なのでした。日本画は顔料も高いので、縮小した下絵を何枚か描くことは知っていましたが、まさかそれだったとは! まあ下絵なだけに、軽やかであっさりした良さもあると思うし、これなら安いのも納得できると思いました。オークション初心者で、冷静な判断ができていなかったわけです。
 そんなことはありましたが、それでも2枚とも安価で手に入れることができたのは、とにかくうれしいです。これも縁というもので、私のものになるものは、自ずからなるものだなあと感じ入りました。今回のようにあっさりと落札できることもあれば、前回のようにどんなにあがいても落札できないこともある。これは縁としか言えないでしょう。パートナーだけは、相変わらず縁がないようですが……。
 そういえば、中古で購入したパソコンのご報告もまだでした。今度書きますね。

狂気の時代にあって後藤さんの遺志を継ごう

2015-02-01 09:41:41 | コラム
 日記風には書かないと宣言しながら、どうしようもなく日記風のブログになっています。この勢いで、今日もニュースに触れさせていただきます。
 今朝は、進展がなかったイスラム国による人質事件で大きな動きがあり、後藤健二氏が殺害されたらしいという報道がされていました。
 安倍首相が会見して、痛恨の極みとおっしゃったようですが、私は、今回の問題を国が解決するのは、そもそも無理だと思います。テロリストに対して、個人の身代金として膨大な資金を渡すことはできないでしょうし、後藤氏ご自身もそれを望んではいらっしゃらなかったと思います。それは、危険な地域に出かける前の映像で、「自己責任で行く」ということを、ご自身がおっしゃっていたからです。
 よく存じ上げないのに適当なことを言わせていただくと、後藤氏は功名心からではなく、戦争の現場で人々の生活を取材し、紹介されていました。戦争自体ではなく、戦下の人々を描き出すことによって、戦争の悲劇や不条理が鮮やかに伝わってきます。国家とは何のために存在するのか? それは一人一人の国民を幸福にするためであるはずです。それがないがしろにされるのは本末転倒と言わざるを得ない。がれきを集めて炊事をする母親や、無邪気な子供たちの様子を取材された意図は、それを問うためのものだと思います。
 同時に起きたセンセーショナルな事件に、「人を殺してみたかった」という女子大生が老婆を殺害したというものがありました。現代、狂気に侵され、心を病んでいる人は想像以上に多いと感じます。これは教育の問題とか、周囲の問題ではないと思った方がよいでしょう。狂っている人はいるのです。被害者の老婆は気の毒としか言いようがありません。私は、この被害者と後藤氏には大差ないと思います。後藤氏の場合は、背後に、さまざまな国際問題があり、ネット社会の新しい脅威が感じられたりしますが、たまたま捉えられて殺されたという点で見れば、女子大生に殺された被害者と同等です。イスラム国という狂気の集団の被害者であった点も似ています。もらい事故で命を落とした死者も、運が悪かった点は同じでしょう。最近は危険ドラッグで正気を失った運転者が事故を起こしたりしていました。
 後藤氏が本当に殺害されたとしたら、危険を承知で潜入し、命と引き換えに伝えてくれたものを、私たちが受け継いで、平和な社会を築く努力をしていくことだと思います。
 最後に、この問題に関して、某ニュースステーションをちょっと見て、ぞっとしました。慰安婦問題と同様に、またオピニオンリダーを気取った報道がなされており、体質は何も変わっていないのだと感じられました。ファンの方には申し訳ありません。
 

いろいろな野菜パックがあるものです

2015-01-28 20:02:36 | コラム
 自分で言うのも何ですが、私は料理の腕にはちょっと自信があります。作るのも嫌いではないし、出来たものもたいていは皆がおいしいと食べてくれます。みなさんに喜んでもらえるのがやりがいです。
 現在は一人暮らしなので、ほとんど料理はしません。つまみを買って来て酒を飲むか、食事もたいていは麺類か、出来合いの弁当ですませています。
 昨日、いつものように近くのイオンに寄り、買い物をしていますと、ひらめくものがありました。私の料理は、費用を抑えて、オリジナリティーあふれるものを作ること。昨日は、ムール貝が1パック70円で出ていたところから、ブイヤベースのようなものを作ろうと考え、野菜売り場に行くと、「チーズフォンデュに合う野菜」というパックがありました。カットされた6種類の野菜を真空パックしたものが100円の特価でした。かぼちゃ、カリフラワー、ベビーキャロット、アスパラ、じゃがいもなどが入っていました。さらにベビーキャロット70円のパックを買い、セロリの特価品70円を買い足しました。
 帰宅後、それらを煮込み、家にあった白菜も入れ、味付けはコンソメを入れて煮ました。できあがったスープはいい味が出ていました。ワインを飲んだことは言うまでもありません。白ワインがあれば、スープの味付けに使用して、さらにコクが出たでしょうが、赤ワインだったので飲む専門でした。
 今日は、また趣向を変えようとイオンに寄ると、「アビージョに合う野菜」というパックが50円の特価でした。玉ねぎ、ブロッコリー、ぶなしめじ、パプリカ入りです。早速、昨日のスープに混ぜて煮込みますと、さらに深い味わいになりました。野菜のハーモニーがまろやかで何とも言えません。フランスパンによく合いました。スープとパンだけで十分でした。
 それにしても便利な野菜パックがあるものです。カットしてあるし、洗わなくてもよいし、少量で無駄も出ないので、一人暮らしには最適です。世の奥様方もぜひうまく利用されたらよいと思います。

ヘンネコ

2015-01-05 15:27:05 | コラム

 正月に帰省しました。現在、実家には猫が5匹います。3匹はクロネコ、2匹はアカトラです。
 クロネコの1匹の写真をアップします。私はネコ好きでいろいろなネコを見てきましたが、こんなネコは初めて見ました。顔全体がつぶれているような感じで、出っ歯です。目つきも尋常ではなく、いつも鼻を詰まらせてガーガー言っています。どうみても利口そうには見えません。初め見たときには驚きました。
 こんなネコ、見たことありますか?

もう一度投げたかった

2014-12-29 11:11:24 | コラム
 年末、NHKのBS放送では、プロ野球80年名作ドキュメンタリーとして特別番組を放送しています。24日の午後9時からは「もう一度投げたかった~津田恒美の直球人生」という番組がありました。これは1994年に制作されており、私は再放送を含めて数回見た記憶があります。
 若い人たちは広島のストッパーとして活躍した津田投手のことを知らないのでしょう。2年半の闘病生活を経て32歳で亡くなった津田投手は、日本の野球史に残る名投手であることは間違いありません。この機会に関心を持ってもらえたらと思います。
 悪性の脳腫瘍と闘い、一時は復活できるのではないかというところまで回復したことは、津田選手の精神力の強さでしょう。そして、それを献身的に支えた奥様の力だったと思います。津田選手は、もう一度野球をやりたいと思ったに違いないでしょうが、そこには、幼い息子に、自分の雄姿を見せたいという気持ちが強かったのではないでしょうか。子を思う父親の気持ちが、奇跡的ともいえる回復をもたらしたという気がします。彼のお子様は今どうしているのか、知りたいと思いました。
 番組の中で紹介されていた奥様の手記は、確か本になって出版されていたと思います。探せないまま、まだ読んでいませんが、来年はぜひ読みたいと思いました。
 この一週間ほど、時代に取り残されていることを自覚しています。津田選手は若くして亡くなりましたが、しっかりと時代に足跡を残してくれました。広島ファンならずとも、忘れられない名選手です。それと比べることもおこがましいことですが、私は誰の心の中にも、何も残せそうにありません。でも、弱音を吐いてばかりはいられません。少しでもあがいて、自分なりの満足感を得て、人生を終わりたいと思います。
 来年は少しでも飛躍できるように、今年と同じ年にはしないように生きていこうと思います。
 年末、年始をお元気でお過ごしください