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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

彩の国古本市

2015-12-06 16:50:22 | 読書
 久しぶりに所沢の古本市に行って来ました。年4回、毎回通った時期もありますが、ここ数年は1年に1回行くかどうかといった感じでした。
 あまり本を増やすのはやめようと思いながら、途中までは買い物かごを持たずにいたのですが、1冊買ってしまうと芋づる式に本は増えていき、最終的には次のように大量に購入してしまいました。何の意味もなく、買った本を紹介します。
 『日本の魚~海水編』『福岡県の歴史散歩』『絵本パパラギ』『ボロブドール遺跡めぐり』『少女革命(篠山紀信)』『司馬遼太郎のかたち(関川夏央)』『坂の上の雲と日本人(関川夏央)』『追悼の司馬遼太郎(福田みどり)』『福永武彦対談集~小説の愉しみ』『星野道夫永遠のまなざし』『期間限定の思想(内山樹)』『舟越保武全随筆~巨石と花びら』『魅惑の仏像~室生寺十一面観音』
 あ~あ、全部で6300円以上の支払いでした……。
 司馬遼太郎先生の本はやっぱ買ってしまいますね。おまけに、関川氏は同郷だし、講演会などにも伺っているので2冊買っちゃいました。
福永武彦先生の対談集は他に見たことないので、文句なく買いでした。星野道夫氏の本は、死因を探ったという執念の1冊。舟越保武氏の本は以前、図書館で借りて読んだのですが、また読みたいと思って購入。室生寺の十一面観音は先月拝観してきたので、思わず懐かしくて買ってしまいました。ボロブドールは行ってみたいと思って衝動買いです。
 まあゆっくり読みたいと思います。ちなみに、古本市は明日までかな。お近くの方はぜひ。

天災から日本史を読みなおす

2015-09-14 20:12:34 | 読書
『天災から日本史を読みなおす~先人に学ぶ防災』 磯田道史 中公新書

  映画化もされた「武士の家計簿」の筆者が、なぜ防災かと思いましたが、お母様が徳島で昭和南海地震の津波を経験された由、それから強い関心をもって防災についてお調べになっているそうです。

  第1章「秀吉と二つの地震」では、天正地震がなければ、多勢の秀吉が家康を討って、日本の歴史が変わっていたという仮説が示されています。地震によって最前線の大垣城が壊滅したため、秀吉は徳川攻めを中止して大阪に逃げ帰り、その後、再度戦を仕掛ける時期を逸してしまったのです。また、伏見地震では伏見城が倒壊、秀吉も危ないところを助かりますが、朝鮮出兵時に城の再建を命じた秀吉に対して人心が離れて行く契機になってしまいます。歴史のドラマを感じます。

  第2章では宝永地震と富士山の噴火がテーマとなっています。過去の記録から、南海・相模トラフの超巨大津波は1000年か500年に1度発生しますが、前回は1498年でした。これが来ると静岡の平野部で10~15メートルの津波が予測されています。富士山の噴火との連動にも周期があるとわかります。

  第3章は土砂崩れや高潮の災害史が話題になり、昔から高潮から身を守る「命山」などが築かれていたことを知りました。今後、巨大台風が接近するようになると、高潮対策をどうするか考えなければならないと思いました。

  第4章は、佐賀藩においてシーボルト台風とフェートン号事件で藩主が交代し、佐賀藩が軍事大国に変貌する過程が描かれていました。幕末史に関心がある人には特に面白いと思います。

  第5章は、津波から生きのびるための知恵が述べられています。昭和南海地震を体験した故森重久弥氏の話が印象的でした。夜のピクニックをして、子供に夜間の避難訓練をしておくことなど、いろいろな提言があって役に立つと思います。避難する際は、親族の心配をせず、自分の命は自分で守ることが大切で、地元では「津波てんでんこ」(めいめい逃げる)の教えとなっています。

  第6章は東日本大震災の教訓と題して、筆者が現地で人々から学んだり考えたりしたことが述べられています。松林の問題点や臨機応変な対応ができた大船渡小の対応、15.5メートルの防潮堤を築いて死者を出さなかった普代村の村長の話など、示唆に富んでいます。

  理系でなく文系から防災の重要性を教えられる本でした。現代人必読書です。

ノボさん

2015-09-13 10:42:02 | 読書
  伊集院静氏の『ノボさん』を読みました。第18回司馬遼太郎賞受賞作品。正岡子規を中心に夏目漱石との友情を描いた小説です。子規と漱石の出会いから、イギリスに留学する前、二人が最後の対面になることを覚悟した別れまで、互いを特別な存在として認め合っていた二人の思いが描かれています。
  子規と言えば、晩年の脊椎カリエスの病状が印象的ですが、若い頃は野球に打ち込み、野球の普及に尽力しました。スポーツマンの一面は意外な気がしました。筆者の伊集院氏も野球をしていた方で、接点がそのあたりにもあったのでしょう。
  また、子規は、常に周囲に人が集まる、魅力的な人間として描かれています。これは、誰に対しても、一生懸命に野球や俳句を教える姿からも首肯できました。
  ただ、この作品は小説であり、評伝や伝記ではありませんので、子規や漱石の人間像はあくまでも伊集院氏の想像です。さまざまな資料をご覧になり、現地を訪ねて取材され、イメージを膨らませていった結果のものでしょう。二人がどんな会話を交わしていたかというようなことは、今では分かりません。そこを補ってくれるのが、小説ということになるでしょう。
  二人がともに暮らした愚蛇仏庵を訪ねたときのことを思い出しました。建物は松山城内に再建されたもので、当時のものではありません。しかし、そこへ行くと、同人が集まって賑やかな句会が催されている家の二階で、苦笑しながら本を読んでいる漱石の姿が目に見えるようでした。この本を読んで、改めて、そこにいた、日清戦争の従軍記者として大陸に渡り、帰路、船中で大喀血して死に瀕した後の子規と、英語教師として松山中学の英語教師をしていた漱石の心中を覗いた気がしました。
  私としては『歌よみに与ふる書』の価値や反響、子規が目指した「写生」の意味など、もう少し説明がほしい気がしますが、そこは小説、当時の空気を見事に描いており、それで十分だと思われます。
  最晩年の子規は、身動きもできず、苦痛の中で、庭の情景を愛で来客とのやり取りを楽しみ、水彩画などを描いて過ごします。もちろんたくさんの歌や句も残しました。「壺中天」とは別世界の意味だそうですが、狭い身辺にも多くのものが隠されていることを子規が教えてくれたように感じます。血を吐いても死ぬまで鳴き続けるというホトトギスの別名から「子規」と名乗り、自らの寿命を悟ったからこそ、短期間に日本の俳句や和歌を革新する仕事ができたのかもしれません。
  ぜひ、根岸の子規庵を訪ねてみたいと思いました。

クアトロ・ラガッツィ

2015-06-03 20:12:15 | 読書
『クアトロ・ラガッツィ ~天正少年使節と世界帝国』 若桑みどり

 上下巻合わせると1000ページを超える大作ですが、最後まで面白く読めました。
 16世紀の大航海時代、来日したイエズス会の宣教師ヴァリニャーノは、日本人に高い知性を感じ、日本を世界にアピールするため、キリシタン大名たちに日本信徒のヨーロッパ派遣を提案します。そして選ばれたのが、天正少年使節の4少年(クアトロ・ラガッツィ)でした。
 上巻はキリスト教の東洋への布教から始まり、布教の拡大の様子が丹念に描かれ、下巻では、天正少年使節の渡欧の苦難や現地での大歓迎、帰国後の数奇な運命が、やはり詳しく描かれています。
 私はこの大著を読むにあたり、プロローグに感激しました。このプロローグがなかったら、私は1000ページにおよぶ本書を読み通せなかったかもしれません。書物におけるプロローグの意義をこれほど感じたことはありませんでした。
 プロローグは次の一文で始まります。

 「なぜ今、そしてどうして私が、400年以上も前の天正少年使節の話など書くのだろう」

 遠い過去のことを研究して何になるのか、それは誰にでも共通する虚無感でしょう。しかし、筆者は少しずつ過去を現代へと手繰り寄せていきます。
 「彼らは、16世紀の世界地図をまたぎ、東西の歴史をゆり動かすすべての土地をその足で踏み、すべての人間を、その目で見、その声を聞いたのである! そのとき日本人がどれほど世界の人々とともにあったかということを彼らの物語は私たちに教えてくれる。そして、その後、日本が世界からどれほど隔てられてしまったかも」
 大学を退官した後、世界情勢の大転換を予感しつつ強い意志をもって歴史を描こうとします。
 「しかし、そのときには、少年使節をめぐる世界の物語はただの回顧ではなくなっていた。21世紀の最初の1年は、平和な世紀を予告しはしなかった。それどころか、異なった宗教、異なった言語、異なった文化の間で、今や地球を破壊しかねない戦争が起こったのである。
 この世紀は、16世紀に始まる、世界を支配する欧米の強大な力と、これと拮抗する異なった宗教と文化の拮抗が最終局面を迎える世紀になるだろう。人類は異なった文化の間の平和共存の叡知を見いだすことができるだろうか。それとも争い続けるのだろうか? それこそはこの本の真のテーマなのである」
この著作の第1稿が完成したのはアメリカ同時多発テロの1年後だったといいます。7年間、筆者は資料を調べ、執筆に費やしたのでした。
 エピローグでは、一人一人の人物について調べ、人間像がはっきりとつかめてから書いたそうです。壮大な世界史の中の有名人からそうでない人たちまで、実に生き生きと描かれているのはそうした苦労の賜物でしょう。そして、その個人が、壮大な世界史のうねりの中で、どのように生きたかが関連付けて描かれているから素晴らしいのです。 
 筆者は既に故人になってしまいました。素晴らしい作品を残してくれた筆者の冥福をお祈りします。

戦争について新しい知見が得られました

2015-05-22 21:25:39 | 読書
『街場の戦争論』 内田樹 (ミシマ社)

 明治日本の産業革命遺産登録に韓国が反対しています。また、核拡散防止条約で世界の指導者に被爆地訪問を呼びかける日本の提案が中国の反対で合意文書から削除されたようです。ますます関係はこじれるのでしょうか。
 この本の初めに、内田氏は敗戦国が負うのは「無限責任」で、相手がいいというまで謝罪し続けなければならないと述べ、ドイツ大統領の例を挙げていらっしゃいます。もし、過去にあった日本と、中国や韓国の関係が逆転していたとしたら、戦後70年たつのだから相手国を許せと言われて、簡単に許せるでしょうか。侵略にあい、家族や知人を殺され、文化まで殲滅しようとした相手を簡単には許せないと思います。
 氏はあえて「もしもあのとき」という議論を持ち出し、1942年のミッドウェイ海戦に敗北したときに、当時の日本が終戦を決断したら、「ふつうの敗戦国」になれていたのではないかと述べています。日本は無益な戦争を続けたために、戦後の再建を担う人材を失い、敗戦の検証すら自力でできないほどに完膚なきまでに負けた。その結果、アメリカに永久に従属する属国になってしまったというのです。日本は敗戦によって、日本としてのアイデンティティーを失い、アメリカの顔色を窺って、アメリカの気に入る国になろうとしている。でも、そのアメリカにしても、忠誠を尽くす日本を軽蔑しこそすれ、同盟国などとは思っていないのです。
 日本政府には政策決定権がないと述べられています。2012年、安倍首相が村山談話を否定した時、アメリカが東アジアの混乱を避けるために圧力をかけ、安倍首相に発言を撤回させたのはその通りでしょう。日中の国交回復を行ってアメリカの激怒をかい、ロッキード事件で失脚した田中角栄元首相の例もありました。アメリカは自国が作った憲法を変えることは自国の理想を傷つけることになる上に、世界情勢が不安定な時期にこれ以上アジアで混乱が起これば手が回りません。9条が空洞化することはアメリカの国益を損ねるのです。
 筆者は、安倍政権を「経済成長に特化した国づくり」を目指していると指摘しています。経済成長のために国民を一極集中させて競わせ、安定した生活や健康を奪うなどの犠牲を強いて、都合が悪くなれば責任を押し付けて逃亡してしまうのでしょう。私も直接知っているわけではありませんが、まさにあの時代に戻っているような気がしてきます。
 国内の景気対策が手詰まりになったとき、戦争は新しい利益を生み出す格好の秘策でしょう。どうしても戦争がしたい人たちは、改憲を棚上げして、特定秘密保護法で表現の自由・集会結社の自由を奪い、集団的自衛権で海外での戦闘を可能にしました。改憲することなく解釈によって9条を空洞化したのです。
 東京オリンピックの誘致に浮かれた我々ですが、マドリード、イスタンブールでは大規模なテロが発生し、東京の安全性が「おもてなし」以上にアピールしたようです。日本が安全なのは9条によって海外の戦闘に参加していないためです。戦争を放棄している国をテロの対象にすることはいかなる国にもできないでしょう。しかし、今後、自衛隊が海外で戦争をすれば、その地域の憎しみをかい、テロの対象になることは目に見えています。私たちは、そんな選択をしたのです。
 日本はアメリカに依存しているとは思っていました。しかし、世界的に見ても異常な属国であるということに気づかされました。主権を取り戻すことは大切でしょうが、あの戦争の総括ができない国には、まだそれは無理な相談なのだろうと思いました。

夢をかなえるゾウ3

2015-05-09 22:17:50 | 読書
夢をかなえるゾウ3(ブッラクガネーシャの教え)水野敬也

 インドのゾウの形をした神ガネーシャが、さえない若者を巻き込んで繰り広げる抱腹絶倒の物語の3作目です。前2作も文句なしに面白い作品でしたが、3作目もサイコーでした。
 このシリーズは単なる小説ではありません。関西弁をしゃべる個性的な神ガネーシャが、若者に夢をかなえさせるために、さまざまな課題を出し、人間的に進歩・向上させていくという啓発書なのです。その課題はきわめて具体的なのでわかりやすく、私たちがすぐに実践できそうなものばかりです。例えば「目的を誰かに宣言する」「一度自分のやり方を捨て、うまくやっている人を徹底的に真似る」「合わない人をほめる」「今までずっと避けていたことをやってみる」「余裕のないときにユーモアを言う」など。これらを実践することで、人はヒントを与えられたり、困難の中で鍛えられたり、考え方が変わっていったりするのです。
 また、アドバイスの中には、ガネーシャが教え導いたという偉人たちが多く紹介されます。エジソン、モーツァルト、ジョン・レノン、ゴッホなどの生き方や言葉が印象的です。
 さて、今回の主人公は、夢を持ちながらも努力できず、だらだら生きている若い女性「私」。現状に不満を持ち、夢想にふける「私」が、運をつかもうと悪徳商法で買った像がもとで、ガネーシャはペンダントを奪われてただのゾウになってしまいます。ペンダントを取り返そうと、釈迦と貧乏の神が呼ばれ、ペンダントを奪った稲荷の一派と争うことになります。その手段は、稲荷一派がガネーシャの像を売り、ガネーシャたちが稲荷の像を売って、売上高を競うもの。ガネーシャが負ければ、ガネーシャはずっとゾウのまま、「私」は一生稲荷の召使いです。
  勝負をしていく中で、ガネーシャはさまざまな課題を出して「私」を成長させていきます。稲荷一派はひたすら利益追求しか考えませんが、「私」はガネーシャから客本位の商売哲学を叩き込まれ、何のために働くのか、どうしたら楽しく働けるのかなどを学んでいきます。また、「私」はあこがれていた園山さんと仕事をすることもできて、告白する決意を固めます。果たして、勝負の結果は……? 「私」の恋の行方は……? 意外な結末は泣けます。
  一番印象に残るガネーシャの言葉を引用して終わります。「成功するだけが人生やあれへん。夢かなえるだけが人生やあれへん。自分は(あなたは)別にここで頑張るのやめたってええんやで。(中略)この世界はな、自分がどこまで『知る』かを、自分で決められるようにできてんねん」
  こんなに面白くてためになる本はほかにないと思います。私だったら文部科学省推薦図書にします。

星の王子さま

2015-05-08 22:36:41 | 読書
星の王子さま

  2005年に集英社文庫から発売された池澤夏樹氏新訳の『星の王子さま』は2014年6月には25刷に達しています。根強い人気のある作品だけに、池澤氏の新訳を読んでみたいという方も多いのでしょう。
  私も久しぶりに再読しましたが、現代的な口語訳になっていて親しみやすいと感じました。
  ボアがゾウを消化している、あの帽子の絵から始まって、大人になることは硬直したものの見方しかできなくなり、奇妙な思考やいびつな人間関係を作っていくということが、王様の星やうぬぼれ男の星、ビジネスマンの星、地理学者の星などを遍歴することから理解されていきます。そして、地球に来てから出会ったのが、サンテグジュペリ自身と思われるパイロットやキツネなどでした。特に、キツネからは「飼いならす」ことから互いが多数の中から特別な存在になるというオンリーワンの思想を教えられます。また、「肝心なことは目では見えない」という有名な台詞もありました。このあたりから、コミカルな童話の中に哲学的な要素が加わり、大人と子供、人間と動植物が対比されて深さを増しているようです。池澤氏の新訳では、そうした流れや対比が、鮮明になったように思いました。
  私が最も新訳で感じたのは、登場人物の性格描写が生き生きと描かれたことでしょう。純真な王子さまと、自分の気持ちを素直に出せないバラの花、子供の心をキープしつつもやはり大人にならざるを得ないパイロット、斜に構えるようであっても関係性の根本を理解しているキツネなど、これまでにはなかったキャラクターを見たような気がしました。
  最後に、王子さまは、自分の星に残してきたバラが、自分にとってオンリーワンの存在であることに気づき、星に帰っていきます。何ともミステリアスでシリアスな結末です。ここでは、死についても考えさせられます。



面白おかしくこの世を渡れ

2015-04-30 20:05:13 | 読書
『面白可笑しくこの世を渡れ』 遠藤周作


  「悪戯のすすめ」「運命を知る知恵」「古女房とは女の形をした男」「とてもいい話」「年寄りの昔がたり」の5章から構成されています。

  私が中学校時代に読みふけった「狐狸庵先生」の「ぐうたらシリーズ」から転載されたものが多く、久しぶりに懐かしく読みました。ユーモアとペーソスといいますが、面白くてちょっと哀しい内容は、狐狸庵先生(遠藤周作氏が面白おかしいエッセイを書く際のペンネーム?)の面目躍如というところでしょうか。おどけた内容は若い皆さんが読んでも面白いと思います。

  グッと来たフレーズを紹介します。狐狸庵先生は、老年について次のように述べていました。

  「その一つ一つが何の関連もなく起こったかのようにみえた昔の出来事や体験も、今、ふりかえるとそれぞれにひそかなつながりのあったことがわかってくる」

  私も老年に達して、そんなことを漠然と感じていたので、納得できました。

  「ぐうたらシリーズ」は今読んでも実にくだらない内容で、筆者を楽しませようとする狐狸庵先生のサービス精神が痛々しいほどです。「男と女の生きる道」では全編猫語で書かれるなど、今、読んでみると、しっくりきません。しかし、誰もいない北杜夫氏の別荘を訪ねて一人過去を回想する「女房に見せない顔」、近所に住む若い女性とのほのかな交流を描いた「窓からの情景」、愛犬との別れを描いた「別離」などは、しみじみと心に深く響くエッセイで、改めて遠藤周作という作家の力量を感じました。

学生時代に戻って

2015-04-26 08:19:27 | 読書
『丁寧に読む古典』 小松英雄


  古典の教科書には、作品が当然のように漢字と仮名交じりの文章で印刷されており、句読点も濁点もつけてあります。

  しかし、筆者がこの本で紹介しているのは、平安時代の仮名文学作品であり、色紙や写本の筆跡がそのまま掲載されているものもあります。教科書の本文などは、国文学者が読みやすいように書き改めているわけですが、それによって誤った解釈や、原作者の思いが伝わっていないケースがあると筆者は指摘しているのです。

  例えば、紀貫之の「ゆふつくよ をくらのやまに なくしかの こゑのうちにや あきはくるらむ」は「夕月夜 小倉の山に 鳴く鹿の 声のうちにや 秋は暮るらむ」と書かれてしまうために、「小倉の山」に掛る「小暗し」(朦朧として何があるのか見分けがつかない)という形容詞をイメージできません。ひらがなで書かれていれば、読者は「をくらのやま」を一次的に「朦朧とした山」と想像し、二次的に「小倉山」という具体的な地名を想像するというのが、貫之の意図だったのではないかと述べられます。

  さらに、この歌を書いた毛筆の色紙を分析し、「をくら」が黒々と、「しか」が細々と書かれ、暮れようとしている「秋」は色紙の外れギリギリに書かれていることを指摘しています。まさに書全体で歌の趣を表現しているわけで、そんな表現方法もあったのかと驚かされました。

  なかなか難しい内容もあるので、全部読んで理解するのは難しいかもしれません。『方丈記』の冒頭なども出てくるので、学生時代に勉強したところだけでも読んでみると、新しい発見があると思います。たまにこんな本を読むのも面白いと思いました。

須賀敦子の方へ

2015-04-25 22:55:46 | 読書
『須賀敦子の方へ』 松山 巌

故須賀敦子氏が『ミラノ霧の風景』でデビューしたのは61歳。その後、10年足らずの作家活動の中で、文壇における確固たる地位を確立しました。

筆者松山巌氏は、生前の須賀氏と交流があり、全集の編集にあたっては詳細な年譜を作りました。そこで知り得た資料や人脈を使って、須賀氏が1953年にフランス留学に旅立つまでの成長や苦悩を描いたのが本書です。筆者は過去と現在を自由に行き来し、ゆかりの場所を実際に訪ねて、須賀氏の半生に迫ろうとしています。夫婦でもないのに、よくそこまで調べ、思いを込めて描いたものだと感心するしかありませんが、そうさせるのが須賀氏の魅力なのでしょう。

若い須賀氏に影響を与えた本の言葉として、『星の王子さま』で有名なサン・テグジュペリの言葉が何度も出てきます。須賀氏がキリスト教の学生活動をしていた関連で信仰に関わる言葉ですが、紹介しておきましょう。

「建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者である」

女性の地位がまだ低かった当時、ミッションスクールで外国人シスターの指導を受けた須賀氏は、自立した女性の生き方を模索して、読書したり討論したりする中から貪欲に成長しようともがいていました。自ら考え行動する女性になりたいと願い、後年の穏やかで静謐な文章からは考えられないほど、左翼的で先鋭的な思想も持たれた期間もあったようです。混乱した国内情勢と海外の思想と関わる中で、一人の少女がどのように精神的に成長していったのか、大変興味深い記録であると言えます。須賀氏の著作を読むと、須賀氏の回想する日本が古き良き時代のように感じていたのですが、ご自身の家族の問題も含めて、波乱に満ちた動乱の時代だったという意識を新たにしました。

ちょっとした逸話も心にしみます。雑誌の編集長鈴木敏恵氏は、死期を悟った須賀氏から一枚の写真を贈られました。外国の町の一角で、ジャンパーを着た女の子が、ベンチに腰かけてうつむく男の子をかがんで覗きこんでいます。鈴木氏ははじめ、いつも笑っている須賀氏を思い、男の子を慰める女の子が須賀氏で、泣いている男の子が自分だと思っていました。しかし、自分の死を予感した須賀氏はべそをかいている男の子で、励ましている少女が鈴木氏だと気づきます。二人の関係が偲ばれるエピソードでした。

今後は須賀氏のイタリアでの生活を調査した続編を出していただくことを強く望みます。

新幹線をつくった男

2015-04-24 20:39:32 | 読書
新幹線をつくった男~伝説のエンジニア島秀雄物語 高橋団吉

リニア新幹線が世界最速の時速603キロを達成するなど、鉄道の進歩には隔世の感があります。

東海道新幹線は、日本の鉄道の未来のために、政治家や企業が一丸となって進めたプロジェクトだと思っていましたが、実はそうではなく、この物語の主人公、島秀雄ら一部の人々が、多くの障害を克服して作り上げたものだと知りました。

例えば、当時、世界では、先頭の機関車が後続を引っ張る「機関車列車方式」が常識でした。しかし、島は、非難を受けつつも小型モーターを分散して取り付ける「電車列車方式」を採用します。それがやがて、超高速走行時の蛇行を抑え、先頭車両を付け替えずに反転運転できる機敏性、列車の軽量化により高架を安価に作れるなどのメリットに結びついていきます。

また、日本の在来線は幅の狭い狭軌が採用されていたため、高速化がきわめて困難でした。政治的な駆け引きもあって、世界標準の広軌に変えられないという決定的な制約の中で、エンジニアたちは知恵を絞り、技術を磨いていきました。当時の国鉄、私鉄、車両メーカーを問わず、官民の技術者たちが利害を超えて結集し、改良していったのです。条件が悪いからとあきらめずに努力したからこそ、広軌の採用を勝ち取ったときに、すぐに対応できる技術力があったわけです。逆境にもめげないことが大切なのだとわかります。

新幹線は、線路、車両、駅舎、管理システムなどの大規模な鉄道施設をゼロから丸ごと建設した異例の大事業です。莫大な建築費と採算性が疑問視されていました。その解決策の一つとして、世界銀行から復興支援としての借款を受けました。この政治的手段によって、日本は莫大な利益を得ましたが、世界銀行でも「数ある借款の中で最も成功し、実り豊かで、かつ世界銀行にとっても誇らしい融資が、日本の東海道新幹線建設である」と語り継がれているそうです。

新幹線建設に反対する人々は、鉄道を斜陽産業と決めつけ、利用客が少ないことを予想して新幹線建設に強く反対しました。一部の世論やマスコミは「世に4つのバカあり。万里の長城、ピラミッド、戦艦大和に新幹線」と新幹線を蔑視していました。国鉄内にも確執があり、新幹線を作った島秀雄も、国鉄総裁として彼を援護した十河信二も、新幹線の出発式には出ていません。組織における人間関係の難しさを考えさせる事件です。

リーダーシップを持った、それほど多くない人たちが、真剣に日本の将来を考え、ごり押し的に工事開始を決定し、突貫工事で完成させた新幹線は、開業以来死亡事故ゼロという奇蹟的な安全神話を作って走り続け、リニア化に向けて進化を続けています。

鉄道ファンはもちろん、モノづくりに関心がある人はぜひ読んでみてください。

白神山地マタギ伝

2015-03-26 10:12:20 | 読書
白神山地マタギ伝~鈴木忠勝の生涯 根深誠 七つ森書館

  ヒマラヤ登山なども行い、探検家とも言えるような著者が、白神山地の伝承マタギと知り合い、折々に聞いた話から、自然と人間との関わり方について考察した本です。マタギとは山で狩猟を生業とするハンターだと思っていましたが、大自然と文化的に結びついた存在として再認識できました。故鈴木忠勝氏の発言が、かなり読みやすく改変されて、多数収録されていますが、方言による温かみのある語り口が、お人柄をよく表しています。筆者と鈴木氏の交流の深さが感じられます。

  この本からマタギの「文化」を教えられました。例えば、獲物を射獲したあと、クマやカモシカなどの獲物別にそれぞれの祈りや儀式を行い、獲物の成仏を願い、自己の罪を浄罪を行ったこと。作法や呪文などが細かく決まっていました。過去の事故から6人では狩りをしない、4頭いるクマは3頭しか撃たない、囲炉裏などの火に頭を向けて寝ないなどといった迷信が生まれ伝承されてきましたが、それらも文化に含めてよいと思います。クマの絵馬が安産を祈って奉納されたことなどは意外でした。すべて自然への畏敬の念が感じられるものです。

  白神山地と言えば、世界自然遺産として人気がありますが、道路建設反対運動がきっかけになって、その自然がクローズアップされ、世界遺産へと結びついたことを初めて知りました。

  現在、白神山地は行政によって厳しく立ち入りが制限され、漁猟や山菜採取が禁止され、先人が切り拓いた道が失われようとしています。マタギの小屋も撤去され、木などに祈りや目印のために名前や日時を刻んだナタメも、落書きの類として罪悪視しています。手つかずの自然を標榜するあまり、人間と自然との結びつきを無視して、文化を消し去ろうとしているのではないか、筆者はそんな疑問を投げかけています。

  鈴木氏の死によって伝承マタギがいなくなり、その文化が失われると同時に、自然と人間との関わりという一つの貴重な事例も終焉を迎えてしまうようです。

植村直己 夢の軌跡

2015-03-21 08:50:39 | 読書
植村直己・夢の軌跡  湯川豊  文藝春秋
冒険家の植村直己氏がマッキンリーの冬季単独登頂から戻らなくなってから30年、文藝春秋社で植村氏を資金的・精神的に支援してきた筆者が、植村氏の「肖像画を描いてみたい」という思いから書いた本です。そこで、「年譜の上の彼の事績を追うという方法はとらない」という形で描かれていますが、そのために重複や時系列の混乱が目立ち、やや統一感を欠いた気がします。この稀代の冒険家の魅力をじっくりと描く「評伝」があってもよいと思うので、正攻法で書いた方がよかったように思います。
私はなぜ植村さんがマッキンリーに挑まなければならなかったのか、この本で初めて知りました。マッキンリー登山の前、植村氏は2つの挫折を経験しています。1980~81年、隊長として臨んだエベレスト登頂に悪天候のため失敗、続いて「夢」だった南極単独横断が、フォークランド紛争でアルゼンチン軍の協力が得られず中止に追い込まれたのです。南極単独横断にはアメリカ軍の支援も不可欠でしたが、その許可も得てはいませんでした。夢を実現するためには、失敗を払拭し、自己の業績を強くアピールしなければならない。そのためにマッキンリーの冬季単独登頂を成功させなければならなかったのです。
植村氏のすごいところを、筆者はいくつか挙げています。その中で印象に残ったのは、植村氏がエスキモーの生活をそのまま受け入れる適応力を持っていたことでした。焼くことを嫌って生の肉を食べる習慣、室内のバケツで用を足す習慣など、植村氏は、それが極地で最も合理的な生き方なのだと考え、それを尊重し、そのまま受け入れたのです。これはエスキモーの人々に信頼され、よい関係を築くためにも役立ったようです。
次に、植村氏が単独にこだわったことです。彼は若い頃から孤独を楽しんでいました。一人でいるときには過去のことを思い出して飽きることがないそうです。そんな過去を持つ大切さに気付かされました。組織で動く場合と違って、一人の場合は何のバックアップもありません。言語の違いを超えて、さまざまな機関と交渉し、許可や協力、資金等を得なければ冒険は成り立ちません。実際の冒険も大変でしょうが、実は、それ以外のこまごまとした事柄をすべて自分でこなすことの方が大変だったかもしれません。これは、植村氏が1964に明治大学を卒業後、アメリカ行きの移民船に乗り込み、その後、フランスのスキー場で働くなど1000日にわたって外国を放浪した経験がベースとしてあるようです。若い頃の経験が、植村氏の人生を決定し、その基礎になったのでしょう。若い頃は積極的に活動していくべきだということを改めて教えられます。


漱石という生き方

2015-03-03 18:16:15 | 読書
  筆者、秋山豊氏は東京工業大学を卒業して、岩波書店に入社し、漱石全集の編集をなさった方である。理系の方が文学全集を編むというのも奇妙な気がしますが、イギリス留学のあたりから、漱石自身が文学を科学的に研究しようとしたことを思えば、共通点があったのかもしれません。

  氏は作品を対比しながら、漱石という生き方を探っていきます。それは発見に富んだスリリングなもので、人間漱石を立体的に浮かび上がらせています。

  たとえば、いたずらをした生徒たちや赤シャツ以下の先生たちが、言葉で謝らないことに憤慨し、謝っても許さない坊っちゃんの姿は、『こころ』で、自らのKへの罪を許せず、死ななければならなかった先生と重なる部分があると感じられます。

  このあたりには、漱石の性格の偏りを感じますが、漱石は癇癪持ちであり、家人や弟子に怒りや不機嫌をぶつけるような時代もあったようです。漱石自身も、自分が変人であり、神経衰弱であり、狂人でありうると言っていました。

  具体的なエピソードとして、漱石が京都で贔屓にしていた芸妓との交際が描かれています。あるとき、梅見の約束をした(と漱石が思っていた)日に、相手が外出して来なかったということを、執念深く覚えていて、後年、手紙に書いて相手とやりあっていました。相手をうそつき呼ばわりして非難しており、何とも幼稚な気がしますが、漱石にはそういう一面が確かにあったのでしょう。

  そうした漱石が平穏な夫婦生活を送っていたとは思われません。『野分』にはなかった妻の心理描写が『道草』になると詳細に現れるようになり、漱石の女性理解は実生活の中で深まっていったのだと想像できます。しかし、どちらの作品でも、夫と妻の間は理解不能であり、漱石の夫婦生活を象徴しているかのようです。

  晩年の文学博士辞退事件も、漱石の頑固な面を表しているようです。国家に対する個人の在り方を貫いたわけでしょうが、それだけでは納得できない気がします。

  漱石はなぜ小説を書いたのか。筆者は、『私の個人主義』を挙げて、漱石は自身の過去を語り、「そのお話をした意味は全く貴方がたのご参考になりはしまいかといふ老婆心から」だと述べていることを指摘します。それは『こころ』の先生の遺書が書かれた動機と重なっています。

  漱石作品にお金が深く関わっていることは意外でした。『こころ』の先生が寂しい人間になったのは、叔父に財産を横領されたことであり、『道草』の主人公も義父に金をせびられていました。

  漱石の信仰とか境地について言うときに「則天去私」という言葉が引き合いに出され、さまざまに説明されています。秋山氏は漱石の手紙から「余の意志以上の意志」という語句に注目されていました。漱石は渡英の船上で宣教師をやり込めているなど、キリスト教には違和感を持っていたようです。やはり漢学を学んだ人間として、東洋の思想が肌に合ったのでしょう。

  漱石の作品が変化するのは『それから』を最後にストレートな文明批評が息をひそめると指摘されています。私も漠然と感じていたので、膝を叩きました。『それから』執筆の翌年、漱石は胃潰瘍の手術をし、修善寺の大患を経験するわけですから、死線をさまよって作品が変わったと言えるでしょう。

  あとがきを読んで、原稿にあたってテキストを決定していったご苦労が偲ばれました。漱石は一度書いた作品は、もう自分を離れた独立した作品として読み返すことがなかったそうです。多くの作品が新聞の連載であったことを思うと、〆切に追われたり、話の細部が破綻したり矛盾が生じたりすることもあったようです。誤植がもとで間違ったまま全集に収められてきた作品もあったというから驚きです。

  今回、漱石に関する作品論に触れて、また読んでみたくなりました。過去に読んだときとは、全く違う理解ができるものと思います。それは、この本を読んだことだけでなく、自分が積んできた体験からも言えると思います。

言葉の流星群

2015-02-21 16:08:28 | 読書
言葉の流星群 池澤夏樹

  池澤氏は、私淑されている宮澤賢治の詩について「本の旅人」という月刊誌に連載されていたようで、それをもとに作られたのが、この本のようです。角川文庫で、平成25年8月に初版が発売されています。

  私は、この本によって宮澤賢治の多くの詩に初めて触れました。妹さんの死を悼む「永訣の朝」、手帳に記されていた「雨にも負けず」、「春と修羅」の一節などは知っていましたが、この本で池澤氏が取り上げている多くの詩については、ほとんど知りませんでした。改めて賢治ワールドの裾野の広さを垣間見た思いがします。

  引用された部分だけにしても、改めて読んでみると、その言語宇宙に圧倒されるばかりでした。小説などの散文では、説明の役割を担って、薄められ弛緩した文になるのは当然のことですが、詩の中では、言葉や感性が炸裂したまま風化もせずに放り出されており、生々しく迫ってきました。「言葉の流星群」とはよく名付けたものです。荒々しくも丁寧に掘り出され、五線紙の上にばらまかれたような賢治の詩に触れていると、きらめきながら降ってくる星の雫を見るようで、感動的でした。池澤氏の解説は、入試の国語の問題文を説明されているかのごとく、明瞭で歯切れの良いものでした。それもあって、何とも心地よく引き込まれてしまいました。

  池澤氏は、父上である福永武彦氏と同じ態度で文学作品に接していることもわかりました。福永氏は、作品の読解には筆者の伝記や経歴などの背景を考慮することなく、作品自身の完結した世界で、その作品を読み解くべきだという見解であったと思います。逆に言えば、筆者は作品一つ一つの中に、しっかりと自分の主張や思想を盛り込まれなければならないということです。参考資料的なものがなくても、作品を読めば、そこに筆者の世界が展開されていなければならないのです。

  この本では、池澤氏は詩や著作の一つ一つから、ほとばしる賢治の思想や苦悩、喜びや悲しみを導き出していました。科学者としての賢治、信仰者としての賢治、地域と土着文化の中の賢治など、多くの角度から、宮沢賢治の全体像が浮かび上がってきました。それは、賢治の文学の素晴らしさと池澤氏の眼力の鋭さの両方を存分に伝えてくれています。

 賢治が亡くなって70年近くたち、世の中は劇的な科学的進歩を遂げ、自然から遠ざかっています。それに伴って、人心もますます荒廃したのか、テロや戦争、理由なき殺人事件も絶えることがありません。こういう時代にあって、賢治の精神を見直すことが大変な意味を持つことに気づかされました。きれいにまとめようと言うのではなく、私は賢治作品に触れる機会を増やしたいと思いました。