観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

素晴らしい展覧会です

2009-07-30 22:10:36 | 絵画
 あの日から、もう何年たつのだろう。
 今日、午前中の仕事を休んで、竹橋の国立近代美術館に出かけた。開催中のゴーギャン展を見るためだった。今回の目玉はボストン美術館の所蔵する、ゴーギャンの代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」だ。展示された作品は、版画を含めても50点強で、けっして多くない。しかし、いずれもレベルの高い作品だったように思う。松方コレクションの「海辺に立つブルターニュの少女たち」、大原美術館所蔵の「かぐわしき大地」は、それらと並べてみても完成度が高く、素晴らしかった。
 私が高校生になったとき、美術を教えてくださったのは、見事な白髪で、ときに「オーソレミーオ」などのカンツォーネを歌ってくださるようなS先生だった。先生は温厚な印象だったが、やはり、ものを見る人特有の鋭い眼光の持ち主で、私は自然と畏敬の念を抱いていた。先生は、名画を図録で紹介しては、その解説をしてくださった。現在のように、便利な機器の普及していなかった時期である。絵を見るにしても、画集や図録しかなかった。今、ボッチチェルリやアングル、エル・グレコの絵など、多くを思い浮かべることができる。そして、忘れられない作品が、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」であった。S先生が、この絵をどのように解説してくださったのかは覚えていない。しかし、私の頭には、好きなゴーギャンの「代表作」として、この作品が刻まれ、人の一生をいうものを考えるときに、頭をよぎったりもした。ボッチチェルリの「ヴィーナスの誕生」「春」はウフィツィー美術館で見ることができた。そのときの感動は、恋いこがれた恋人に初めて出会えたときのようであった。しかし、その後は海外に出ることもなく、ゴーギャンの代表作を実際に見ることはあるまいと諦めかけていた。
 今日、初めて目の前に立ったとき、目頭が熱くなった。仕事を捨てて画家を志し、ゴッホとの確執に悩み、タヒチへ旅立つも作品は認められず、娘の死や息子の死があり、やがて、自らも病んで異郷に客死する。そうした作者自身の人生が、この絵巻物のような作品と重なり、息苦しくなったのである。壁面には作品に対する謎解きのような解説があって面白かった。遺言のつもりで描いたという絵は、言葉を超えたメッセージを確かに伝えていた。
 会期は9月23日まで。できればもう一度行ってみたいと思いました。

新たな祭り

2009-07-26 23:07:44 | コラム
 故郷があって、そこの祭りに参加できるのはよいですね。顔見知りの中で安心できるし、地域としての一体感が何となく心地よい。あまり濃密すぎるのは考え物ですが、今は地方へ行っても、ご近所づきあいに辟易しているような土地はなくなったでしょう。皆、根無し草のように放浪している、それが現代ではないでしょうか。五木寛之氏はかつてデラシネという語で、その感じを表現なさっていました。
 先週の土曜日、私は、また傭兵として祭りに参加しました。今回は、町内の山車を曳くという仕事。午後から御輿とともに町内を回り、夜、山車を曳いて祭り行列に加わりました。その町内は、若手がいないということで、参加しましたが、知らない土地で初めての参加ですから、勝手もわからず、知る人もいないという状況で、あまり盛り上がることはできませんでした。それでも、太鼓や鉦といった鳴り物が、大人から子供へうまく伝承されており、祭り囃子を聴いているだけで楽しい気分にはなれました。やはり、自分は祭り好きのDNAを持っているのだなあと再認識しました。
 この太鼓ですが、山車の上で三人が横に並んで叩きます。体を左右に振りながら、拍子をとりつつ叩くわけですが、この地区の独特の叩き方なのか、時折、右手を斜め後方に振り上げて、器用にばちを回転させ、少しのけぞった姿勢で止めてから、また叩き始めるという所作があります。女性がやっているのを見ていると、三人三様の味わいがあり、同じ所作でも個性とか、天分というものが出るのだろうと感心しました。
 山車を納めたあとは、近くの酒場で飲むのが恒例とのことでしたが、さすがに参加するのは憚られ、祭りはあっさりと終わってしまいました。そんなことから、これが自分の故郷で、地域の祭りだったらなあと思ったわけです。

都電今昔

2009-07-23 23:42:34 | 旅行
 先日、巣鴨に行ってきました。暑かったこともあり、おばあちゃんの原宿という感じはなく、どちらかと言えば、観光の家族連れのような方々が多く見受けられました。
 とげ抜き地蔵に参拝後、せんべい、塩大福、大学芋とスイートポテト、アイスクリーム、鯛焼きなどなど、下町定番の食べ物を手に入れ、昼は、土用の丑の日だったので鰻とはり込みました。
 巣鴨は、大学時代に、テストを受けるために、週末ごとに通った場所です。当時は、早朝、地蔵通りを通り、昼過ぎに疲れて切って駅へ戻るという感じでしたので、今回のように、買い食いをするようなことは皆無でした。
 久しぶりに都電を見る気になって、踏切まで行ってみました。数台の電車を見送った後、写真のようなハイカラな電車が走って来たので、慌ててシャッターを切りました。都電にもこんなスマートな車両が導入されたんですね。知りませんでした。
 数年前、仕事で、初めて都電に載りましたが、感想としてはイマイチでした。それは揺れて乗り心地が悪いことと、狭いのに混み合っているので、降車しにくいという2点でした。新しい車両では、そのあたりはどうなっているのでしょうか。知っている方がいらっしゃるでしょうか。
 そういえば、昔は、都電もなかなんかをいただいて食べたこともありました。都電と言えば懐かしいものと考えていましたが、なかなかどうして新しさも加わっているようです。

スーパースター

2009-07-21 23:01:30 | オーディオ・音楽
 小学生の頃、ラジオが流行りました。私は、姉の卓上のステレオや買ってもらった3バンドの高性能ラジオなどで、夜の番組を中心に聞いていました。当時、大橋巨泉さんがDJをやっている番組があり、そこで初めて聴いたのがカーペンターズの「スーパースター」でした。音楽を聴いて、あれだけの衝撃を受けた経験は、後にも先にもあのときだけでしょう。カレンの透明感にあふれた声が魅力的だと言われますが、私は、ハスキー系の方が好きなので、ボーカルの声自体に感動したわけではありません。出だしの数小節を聴いただけで、文字通り鳥肌が立ちました。あの重層的な電子楽器の音に魅了されてしまったのです。
 なぜ急にカーペンターズの「スーパースター」かというと、先日、整理をしていた際に、ドーナツ盤が偶然出て来たのです。「ドーナツ盤」などという言葉も堂々とした死語になってしまいました。前にも書きましたが、アナログプレーヤーさえ手元にはないのに、ドーナツ盤だけがあるというのも奇妙な話です。実は、このカーペンターズの「スーパースター」のドーナツ盤こそ、私が生まれて初めて自分で買ったレコードなのです。この際ですから、私の青春の思い出として写真もアップしておきましょう。もちろん発売当時のオリジナルです。ちなみに、次に買ったのは、グルノーブルオリンピックだったかのサウンドトラックからシングルカットされた「白い恋人達」というインストルメンタルでした。
 この後、カーペンターズはブレイクし、今でも彼らが残した多くの名曲を耳にします。拒食症でカレン亡き後も、歌は歌い継がれていくのですね。何だか切なくて聞く気にはなれません。今、1曲だけ聴くとしたら「青い影」でしょうか。バートバカラックの名曲です。

季節の酒は旨いなあ

2009-07-18 00:09:44 | 
 千葉県いすみ市の木戸泉酒造が出している「夏にごり」を飲みました。活性濁りといって、瓶の中で酵母が生きており、開栓の際には注意が必要です。炭酸ガスが吹き出してシャンパンのような感じです。「発泡純米・生」とラベルにあります。
 4合瓶は普通の酒のようにスクリュー式のキャップが付いており、静かに開栓したつもりでしたが、相当な勢いで泡立ち、かなりの量が噴出しました。泡はシルキーできめ細かく、香りも上品かつ濃厚で、すばらしい酒だと感じさせました。岩手の契約農家が自然農法によって作った五百万石を利用しているそうで、自家培養した生の乳酸菌を使っていることも合わせて、原料にはこだわりがあるようです。
 味の方は、甘みは少なく、辛みや苦みが程よいものでした。米の旨さが活かされ、夏にふさわしい鋭い味だと思いました。16.5度と高めのアルコール度数も夏向きでしょう。1785円は、私の感覚では高価な部類の酒ですが、また購入しようと思います。昨日は一気に飲んでしまいました。旬の酒といってよいでしょう。

見果てぬ夢

2009-07-16 23:13:22 | コラム

 ピーター・オトゥール、ソフィア・ローレン主演の「ラマンチャの男」を映画館で見たのはいつのことだったのでしょうか。30年以上前になるのは確実です。ミュージカル映画でしたが、挿入曲「見果てぬ夢」は実に感動的でした。松本幸四郎氏の舞台も見ましたが、この歌が始まると目頭が熱くなります。
 もう夢を語る年齢ではなくなりました。だから、夜見る夢のことを書きましょう。幼い頃、いつも見る夢がありました。一つは、屋根から落ちる夢。私の父は器用な人で、自分で屋根のモルタルを塗り替えたりしていました。私が手伝いに駆り出されるのですが、屋根にかけた梯子を登る怖さは大変なものでした。それがよほど印象深かったのでしょう。以来、梯子がはずれて落下する夢を繰り返し見ました。ふわっと体が浮遊する感じが何ともリアルで、脂汗を流して目覚めたものです。
 その後、歯が抜ける夢をしつこく見ました。これは大学生の終わり頃まで。縁起の悪い夢なのだそうですが、不快感と喪失感がリアルで閉口したものです。
 以上、二つの夢を見ることはほとんどなくなりましたが、今でもたまに見る夢があります。それは小銭を拾う夢。道を歩いていると、10円玉や百円玉が落ちている。幸いにあたりに人はいません。私は、急いでそれを拾います。ときどき500円玉も落ちていて感動します。
 こんなせこい夢を見て喜んでいる。何ともあさましい限りです。これでは大人物にはなれないなあ、改めて嘆息することになります。

久々の出会い

2009-07-05 11:47:22 | コラム
 1年に1回会うか会わないかというような人はいませんか? 私には何人か、そういう人がいます。親戚だったり友人だったりしますが、昨日は、以前お世話になった、そういう人に会いました。
 久しぶりに会った、その方は、見違えるほどやせ細って弱っていました。60代と思いますが、以前は、とても活動的で押し出しも強く、お話をしていても、こちらが常に聞き役でした。それが、この1年ほどの間にすっかり老け込まれたようでした。お聞きしたら、それもそのはず、癌で胃を切除されたということでした。
 もともと禅をなさっている方で、私ともそうした接点もあってお付き合いしてきたところがあります。入院中の2ヶ月間、いろいろなことを考えたそうです。ちょうど居間のテレビで故石原裕次郎氏の特集番組をやっていましたが、ときどきそちらを見ては、感慨深そうになさっていました。酒好きだったにもかかわらず、ほとんど飲めなくなっておられ、私は代わって飲みたいような気になって、かなり飲んでしまいました。
 最近、故遠藤周作氏にまつわる文章を集めた『遠藤周作のすべて』という本を読みました。弔辞なども含まれていて、遠藤周作が亡くなった後に、周囲の人間が生前のエピソードや感慨を書いたものを、文藝春秋社が編集したものです。その冒頭に、遠藤氏のご子息である遠藤龍之介氏の文章が載っていました。肉親が見た遠藤周作は、風変わりであり、いたずら好きであり、大まじめであり、愛すべき人物でした。病弱だった遠藤周作は、常に死と向き合っていたようです。
 「メメント・モリ」という有名な言葉がありますが、死と向き合って生きるというのは、どういうことなのでしょうか。いずれ、私にもそういう時期が来ると思いますが、そのときにじたばたしないように、悔いのない生き方をし、従容として死を受け容れる度量を身につけたいと思いました。

忘れてた1周年

2009-07-04 00:27:12 | コラム
 このブログを始めたのは、1年前の6月21日でした。横浜の記事が最初でした。当時、私は、身内の人間に裏切られ、いわれのない酷い仕打ちを受け、自らのアイデンティティーさえ失うほどの境遇にありました。さすがに死のうとは思いませんでしたが、何かにすがり、何かを頼りに日々を送らねばなりませんでした。そのために始めたのがこのブログでした。
 あの当時と比べれば、現在の生活は安定しているように見えます。しかし、孤独感は変わりません。そして、何より、失った自信や誇り、アイデンティティーは容易に回復していません。軽蔑に値する相手から、否定され、蔑まれ、人間として見られなかった事実が頭を離れません。あのときに味わった惨めさ、情けなさは、恐らく一生消えることはないでしょう。それまで築き上げてきたつもりでいた自分自身が、あっという間に崩壊してしまったのです。あの喪失感をずっと引きずったまま、日々を送っています。今まで以上に、自分を主張できなくなり、自分に閉じこもる心が強くなってしまいました。
 人間なんて、それほど変わるモノじゃないと、変なたかをくくっていました。事実はそうではない。今の世の中、毎日暗い話題ばかりで、犯罪やトラブルが絶えることはありません。おかしな人間はたくさんいる。もちろん、自分も例外ではないでしょう。
 このブログは、自分の復活をかけたものと言えるかもしれません。そんなタイソーなものではもちろんないけれど、自分の中ではそんな気持ちでした。思えば、過去にもそういう時期がありました。そのときは、日記だけが友達でした。それに比べれば、今回はブログという形で、一応開かれた方法を選択しています。くだらない内容で、まったく反響はありませんが、それでも、自分の気持ちが外へ向かって開いているというのが救いです。他者を求め、自分を開いていくというスタンスはこれからも忘れないようにしていきたいと思っています。
 

梅雨の幸運

2009-07-02 22:48:37 | コラム
生きていると、本当にたまによいこともありますね。今日は午後から本社へ出張でした。雨でうっとうしいなあと思いつつ、会社を出ると、隣の課で働いている女性と一緒になりました。彼女も本社の研修に行くと思ったので気楽に声をかけたのですが、電車で本社まで一緒に行く間に、昼食もご一緒するという幸運に恵まれ、天にも昇る気分でした。
 彼女とは、今年から同じ支社の勤務ですが、不思議と顔を合わせる機会が多く、素敵な方だなあと憧れていました。同僚の女子社員から情報を得ていたので、結婚していることは知っていました。でも、妙なことは考えていないので、問題ありませんでした。魅力的な人は、魅力的な人です。変な意味でなく、それは問題ではありません。
 彼女の魅力とは何なのでしょう? 明るくて少しシャイな感じでしょうか。今日も、決して私より先を歩こうとしない。聞いてみたら福岡の出身ということで、何となく納得したりしました。
 御陰様で嫌な出張も楽しく終えることができました。純情オヤジの私も、「今度、飲みに行きましょう」というお誘いをすることはできました。彼女も「ぜひ」と言ってくれましたが、叶う日は来るのでしょうか。
 帰りは、久しぶりに神保町へ行ってみました。古本屋の店頭で『源氏物語と仏教思想』という本を見つけて買いました。すると、店主が「あそこに積んである本は何冊ぐらい出ているんでしょうか?」と声をかけてきました。見ると『源氏物語』の写本を活字にしたらしい本が4冊くくられ、2000円の値札が付いていました。店主は明らかに『源氏物語』には不案内のようでした。帰宅して調べてみると、この本には、私の買った値段の10倍以上の値が付いていました。読みたかったので購入したのですが、久しぶりに掘り出し物を見つけた気がします。
 今日はとてもよい日でした。たまにはこういう日もなくてはね。