観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

銀座で過ごした1日

2015-06-28 23:46:11 | 旅行
 6月27日の土曜日、東京は雨でした。朝、小雨の降る中、地下鉄で有楽町に向かいました。二つの美術展を梯子する計画でした。1つ目は三菱一号館美術展で初日を迎える「画鬼暁斎」を見ること、2つ目が東京ステーションギャラリーで「鴨居玲 踊り候え」を見ることでした。駅前の金券ショップが開店するのが10時ということで、雨の駅頭に立って、人通りを眺めていました。かつて、私はそこで、当時付き合っていた女性とよく待ち合わせをしました。大勢の人たちが待ち合わせの相手を待っている中で、私は金券ショップの開店を待っている。そのことが、私の境遇を象徴しているようでした。
 腹ごしらえをしようという目論見もあって、周囲を歩いていて、スバル座で上映されている映画が気になってきました。ロードショーはしばらく見ず、関心も持っていなかったのですが、映画を見てから美術展に行ってもいいなと思いだし、結局、ロードショーのチケットを1100円で購入、11時からの初回を見ました。映画のタイトルは「ライアの祈り」。正直、知識もなく、ほどほどの邦画なのだろうと全く期待していませんでした。ところが、主演の鈴木杏樹さんがよい味を出していて感激しました。文部科学省推薦のような映画かもしれませんが、私のような初老の男にも楽しめました。大きな歴史というものに気づかされ、ロマンを感じることのできた映画でした。こういう映画が、今の日本を元気にしてくれると思います。
 次に訪れた暁斎の展覧会はほどほどのものでした。確かに暁斎の全貌をコンパクトにまとめていて、三菱一号館とも関係の深いジョサイア・コンドルとの関係を手繰りながら、特色のある展示はできていたと思います。でも、金券ショップ価格1300円は高すぎると思いました。
 最後に訪ねたステーションギャラリーは最高でした。人気の画家、鴨居玲の展覧会ですから期待していきましたが、期待を裏切らない展示でした。彼が海外で描き、日本に戻って描くべきものを失い、自画像にのめりこんでいった経緯を見るだけでも、痛々しくて辛くなりました。当日券を買っても900円、金券ショップなら600円は安いです。最後のデッサンの展示は、見ごたえがありました。会期はあとわずかでしょう。ぜひオススメします。
 ステーションギャラリーを17時過ぎに出て、よく行く山形の蔵元がやっている居酒屋に行きました。カウンターで一人飲みました。オカヒジキのおひたしや芋煮を肴に心満ちたりた時間でした。
 1日を近くで過ごすのもいいなあと思いました。夕方には雨も止んで、傘をささずに帰宅しました。

初夏の三四郎池

2015-06-06 21:24:23 | 旅行

 急に思い立って、本郷から日暮里まで、文豪の足跡をたどる旅に出てみました。
 本郷三丁目から始めた旅は、石川啄木や宮澤賢治の旧居、夏目漱石と森鴎外の旧居を巡る5時間におよぶものになりました。
 最後は谷中霊園の天王寺五重塔跡を見てJR日暮里駅前で終了。日暮里駅前で、酒店が経営する立ち飲み処で出羽桜を飲んで帰宅しました。
 写真は初夏の三四郎池です。新緑が池に溶け込んですがすがしい風景でした。

クアトロ・ラガッツィ

2015-06-03 20:12:15 | 読書
『クアトロ・ラガッツィ ~天正少年使節と世界帝国』 若桑みどり

 上下巻合わせると1000ページを超える大作ですが、最後まで面白く読めました。
 16世紀の大航海時代、来日したイエズス会の宣教師ヴァリニャーノは、日本人に高い知性を感じ、日本を世界にアピールするため、キリシタン大名たちに日本信徒のヨーロッパ派遣を提案します。そして選ばれたのが、天正少年使節の4少年(クアトロ・ラガッツィ)でした。
 上巻はキリスト教の東洋への布教から始まり、布教の拡大の様子が丹念に描かれ、下巻では、天正少年使節の渡欧の苦難や現地での大歓迎、帰国後の数奇な運命が、やはり詳しく描かれています。
 私はこの大著を読むにあたり、プロローグに感激しました。このプロローグがなかったら、私は1000ページにおよぶ本書を読み通せなかったかもしれません。書物におけるプロローグの意義をこれほど感じたことはありませんでした。
 プロローグは次の一文で始まります。

 「なぜ今、そしてどうして私が、400年以上も前の天正少年使節の話など書くのだろう」

 遠い過去のことを研究して何になるのか、それは誰にでも共通する虚無感でしょう。しかし、筆者は少しずつ過去を現代へと手繰り寄せていきます。
 「彼らは、16世紀の世界地図をまたぎ、東西の歴史をゆり動かすすべての土地をその足で踏み、すべての人間を、その目で見、その声を聞いたのである! そのとき日本人がどれほど世界の人々とともにあったかということを彼らの物語は私たちに教えてくれる。そして、その後、日本が世界からどれほど隔てられてしまったかも」
 大学を退官した後、世界情勢の大転換を予感しつつ強い意志をもって歴史を描こうとします。
 「しかし、そのときには、少年使節をめぐる世界の物語はただの回顧ではなくなっていた。21世紀の最初の1年は、平和な世紀を予告しはしなかった。それどころか、異なった宗教、異なった言語、異なった文化の間で、今や地球を破壊しかねない戦争が起こったのである。
 この世紀は、16世紀に始まる、世界を支配する欧米の強大な力と、これと拮抗する異なった宗教と文化の拮抗が最終局面を迎える世紀になるだろう。人類は異なった文化の間の平和共存の叡知を見いだすことができるだろうか。それとも争い続けるのだろうか? それこそはこの本の真のテーマなのである」
この著作の第1稿が完成したのはアメリカ同時多発テロの1年後だったといいます。7年間、筆者は資料を調べ、執筆に費やしたのでした。
 エピローグでは、一人一人の人物について調べ、人間像がはっきりとつかめてから書いたそうです。壮大な世界史の中の有名人からそうでない人たちまで、実に生き生きと描かれているのはそうした苦労の賜物でしょう。そして、その個人が、壮大な世界史のうねりの中で、どのように生きたかが関連付けて描かれているから素晴らしいのです。 
 筆者は既に故人になってしまいました。素晴らしい作品を残してくれた筆者の冥福をお祈りします。