観自在

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ノボさん

2015-09-13 10:42:02 | 読書
  伊集院静氏の『ノボさん』を読みました。第18回司馬遼太郎賞受賞作品。正岡子規を中心に夏目漱石との友情を描いた小説です。子規と漱石の出会いから、イギリスに留学する前、二人が最後の対面になることを覚悟した別れまで、互いを特別な存在として認め合っていた二人の思いが描かれています。
  子規と言えば、晩年の脊椎カリエスの病状が印象的ですが、若い頃は野球に打ち込み、野球の普及に尽力しました。スポーツマンの一面は意外な気がしました。筆者の伊集院氏も野球をしていた方で、接点がそのあたりにもあったのでしょう。
  また、子規は、常に周囲に人が集まる、魅力的な人間として描かれています。これは、誰に対しても、一生懸命に野球や俳句を教える姿からも首肯できました。
  ただ、この作品は小説であり、評伝や伝記ではありませんので、子規や漱石の人間像はあくまでも伊集院氏の想像です。さまざまな資料をご覧になり、現地を訪ねて取材され、イメージを膨らませていった結果のものでしょう。二人がどんな会話を交わしていたかというようなことは、今では分かりません。そこを補ってくれるのが、小説ということになるでしょう。
  二人がともに暮らした愚蛇仏庵を訪ねたときのことを思い出しました。建物は松山城内に再建されたもので、当時のものではありません。しかし、そこへ行くと、同人が集まって賑やかな句会が催されている家の二階で、苦笑しながら本を読んでいる漱石の姿が目に見えるようでした。この本を読んで、改めて、そこにいた、日清戦争の従軍記者として大陸に渡り、帰路、船中で大喀血して死に瀕した後の子規と、英語教師として松山中学の英語教師をしていた漱石の心中を覗いた気がしました。
  私としては『歌よみに与ふる書』の価値や反響、子規が目指した「写生」の意味など、もう少し説明がほしい気がしますが、そこは小説、当時の空気を見事に描いており、それで十分だと思われます。
  最晩年の子規は、身動きもできず、苦痛の中で、庭の情景を愛で来客とのやり取りを楽しみ、水彩画などを描いて過ごします。もちろんたくさんの歌や句も残しました。「壺中天」とは別世界の意味だそうですが、狭い身辺にも多くのものが隠されていることを子規が教えてくれたように感じます。血を吐いても死ぬまで鳴き続けるというホトトギスの別名から「子規」と名乗り、自らの寿命を悟ったからこそ、短期間に日本の俳句や和歌を革新する仕事ができたのかもしれません。
  ぜひ、根岸の子規庵を訪ねてみたいと思いました。


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