観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

今までのオーディオ人生って・・・・・・2

2013-10-27 17:45:54 | オーディオ・音楽

 聴いてみて驚きました。まず、音場が広い。厚みがあって広がる感じは、先日、DALIのスピーカーを聴いたときを彷彿とさせました。PHILIPSのCDPはアナログに近い音がすると言われますが、音の厚みと深み、立体感を指すのだろうと思いました。
 次に楽器の分解能が大変高いということがわかりました。今までは団子になっていた低音のベースや高いストリングスなど、1つ1つの楽器が分かれて聴こえるというはこういうことなのかと初めてわかりました。X30ではとてもこういうふうに聴こえませんでした。オーディオ装置を替えて聴こえなかった音が聴こえるようになったなどと言いますが、まさにそういう感じです。ESOTERICのCDPの方がシャープに音を出すと思っていたのにそうではありませんでした。PHILIPSのCDPに抱いていたイメージとはかなり違いました。
 私が感じる限り、このCDPはクラシックだけではないですね。ロックやジャズ、ボーカルも好ましく聞こえました。意外にオールラウンダーなのだと感じました。
 生の音楽に近い雰囲気に浸っていると、今までの私のオーディオ人生は何だったのか、と情けなくなりました。と同時に、ここで素晴らしい音楽に巡り合えてよかったと感じました。これからはLHH700がメインのCDPになるでしょう。お試しくらいの気持ちで購入しましたが、これに代わるものはないという人がいるというのも理解できます。
 それにしても、最新の技術がいいというわけではない、オーディオの奥深さを感じました。今回、思い切って購入を決めて正解でした。CDPによって、これだけ音楽の楽しさが変わるなどとは思ってもいませんでした。いろいろな音楽をこのCDPで聴きたくなりました。

今までのオーディオ人生って・・・・・・1

2013-10-27 15:19:50 | オーディオ・音楽

 PHILIPSのCDPのことは、10年くらい前に同僚だったオーディオファンの先輩から聴いていました。「古い機械だが絶対に聴いてみるべきだ」と口説かれたのですが、日進月歩のテクノロジーの世界で20年前の機械が現代の機械に勝てるとはとうてい思えず、聴く機会のないまま過ごしてきました。
 ステレオではスピーカーのキャラが一番前面に出てくると言われているようです。アンプなどに比べてもCDPの個性はあまり出ないような気がしていたので、CDPには特にこだわりがありませんでした。システムを組むときにも、どうしてもCDPのイメージがわかずに、歯切れのよい音を出す感じの今の機械(ESOTERICのX30のバージョンアップ機)を中古で買いました。しばらくしてトレーの開閉ができなくなったときは、狭山の修理工場まで自分で機械を持ち込みました。買い替える気にはなりませんでした。他に候補がなかったのです。
 ここしばらく、音楽を聴く気にもなれず、過ごしてきました。しかし、ここへきて他にすることがなくなり、またオーディオでも始めるかといった軽いノリでネットなど見ていました。次に替えるのはスピーカーだと思っていたので、中古店など覗いてもスピーカーを重点的に見ていました。
 ところが1か月ほど前、ハードオフの店頭でPHILIPSのLHH200Rという機械を見つけました。PHILIPSのCDPの中でも最終期に近いモデルだということ、メンテが済みで52500円と安価であること、状態が割とよいことなど、惹かれるものがありました。数週間たってから行ってみると、まだ売れずにありました。ただ、よく見るとインシュレーターがありません。迷いましたが、考えてみることにしました。
 5万円出資するなら、あと少し足して上級機を買おうと考え、ネットで中古市場を当たりましたが、時期が悪かったのか、あまり出物がありませんでした。8万円を限度と決めると、LHH500あたりが候補に入りました。
 毎日ネットを見ていて、数日前、検索したデータの10ページくらいのところで、地方の中古店からLH700が出ているのを見つけました。アップされたばかりだったので、10月25日に早速在庫を確認し、発注しました。LHH500よりも上級機になり、1991年発売の定価は33万円でした。この機械がPHILIPSを代表する音だとされているようなので、LHH500よりよかったと思います。写真で見ても、塗装剥がれ数か所見えましたが、10万以上出してきれいな機械を買う気にはならず、リモコンなしの送料込で86000円で手を打ちました。
 すごいのは、価格の中にピックアップのCDM4という部品の新品が込になっていたことです。

 壊れたら終わりというPHILIPSのCDPの中でも、この部品は一番入手しにくいものでしょう。これからどのくらい使うかわかりませんが、壊れても安心というわけです。それを入れると、この価格は相当安かったのではないでしょうか。
 さて、今日の午後、自宅に着きました。どのくらいの使用感があるのか、傷の具合なども不安でしたが、まあそこそこといった感じでした。早速、アンプにつないで、昨日感動した押尾コータロー氏のCDをかけてみました。実は、PHILIPSのCDPの音を聴くのは初めてだったのです。(次回につづきます)
 

押尾コータローさん、いいね!

2013-10-26 09:04:02 | オーディオ・音楽
 毎日、朝から晩までテレビがお友達です。半月ほど前でしょうか。ローカル局の番組を見るともなく見ていると、雨の高野山ライブというのをやっていました。高野山には一度行ったことがありますが、深い山の中です。雨に打たれてライブを見ている酔狂な人たちもいるものだと思っていると、やがて引き込まれてしまいました。
 演奏者は一人。それもアコースティックギターを弾いていました。クールで流麗な、そして、ときとしてうねるようなリズム、スラッピングやタッピングを駆使した演奏スタイル、最高でした。やがて、アーティストの名前が字幕で表示されました。「押尾コータロー」でした。何となく聞いたことがあると思いましたが、そのときは「押尾学」とあまり区別できていませんでした。
 数日後、ハードオフに行って何となく探してみると、たくさんのCDやDVDが出ていて、ずいぶんメジャーなんだとわかりました。それはそうでしょう。あれだけの演奏ができるプレーヤーなのですから。そこでは何の知識もないまま「Be HAPPY」と「押尾コータロー」というアルバム2枚を購入しました。
 帰宅して聴いてみると実にすばらしい。本当に美しくて楽しい演奏だと舌を巻きました。静謐で情熱もある、シンプルなのに華麗、軽いのに深い、対立するイメージが混然一体となって実にさわやかでした。いつも流しておきたい音楽になりました。オススメのアルバムなんか、ありますか? ご存知の方はご教示ください。

大腸内視鏡検査は怖くない

2013-10-26 07:34:18 | コラム
 関東は台風です。今日は珍しい休みでラッキーでした。普段は土曜日も仕事ですからよかったです。
 さて、金曜日に30年ぶりに大腸の内視鏡検査を受けてきました。30年前は。本当に苦しい思いをしたので戦々恐々でした。詳細はよく覚えていませんが、大腸を膨らませるために空気を送り込まれて検査するために、腹が張り、便意を我慢するのが苦痛だったように思います。そのときは過敏性大腸症と診断され大事には至りませんでした。
 今回は、検査着に着替え、後ろの開いたパンツまで用意されていて快適でした。検査もベッドに横たわり、内視鏡を入れるのに合わせて体位を変えたりしながら、医師と一緒にモニターを見ていました。苦痛と言えば、おそらく肛門を開いておくためにはめられた管状の器具?の違和感と、時折、内臓に内視鏡が触れるモゾモゾした感じが何とも不愉快ではありました。やはり空気を送り込むので、腹部が張る感じはありました。しかし、30年前の苦痛に比べれば、ないも同然の苦痛でした。検査後も検査着の一部に体液がついたくらいで、検査着が汚れたり、トイレに駆け込むこともありませんでした。私の場合、腸が長いそうで、最後に行くまでのところで、時間を要しました。20分くらいかかったでしょうか。こういう場合の時間は長く感じるのでしょうから、もっと短かったのかもしれません。
 それでも、特別の異常は発見されず、帰宅することができました。事前に、ポリープなどを切除した場合は、大事をとって1泊してもらうと言われていたので、ほっとした次第です。1か月以上、下腹部に鈍痛があったので、今度は何かあるかもしれないと覚悟をしていました。家財を処分することなども漠然と考えていましたが、異常がなくてやはりほっとしました。
 帰りは先日行った店で酒を飲んで帰ってきました。おいしい酒でした。こういう話題で書くようになると、歳とったと実感しますね。
 
 

会いたかった

2013-10-24 22:52:13 | オーディオ・音楽
本当に久しぶりに秋葉原に足を運びました。10年ぶりくらいかもしれません。最近は、再びオーディオ熱が再燃してきて、ネットなどで中古品を中心に情報収集に努めていましたが、昨日はようやく時間を作って行ってみた次第です。それにしても秋葉原の変貌ぶりには驚くばかりです。昔の面影を探す方が難しいくらいでした。昔はいろいろな店でステレオの試聴ができましたが、そういうお店もめっきり少なくなっていました。
 さて、昔からよく出入りしていたショップにふらりと入ってみて、鳴っていたスピーカーに「!」ときました。
 実は、本当の目的は、イタリアはSONUS FABER社のスピーカー、GRAND PIANO DOMSという中古スピーカーを見て、あわよくば音を聴きたいと思って出かけたのでした。しかし、本命は音を聴くことができず、少し落胆していたところに聴こえてきた、妙なる音色でした。透明感と艶やかさが感じられ、非常にスムースに音が出ているという印象でした。やや不自然な気もする奥行きは、包み込むような雰囲気が何とも気持ちのよいものでした。私は今まで、自分は低音の豊かな迫力のある音が好きだと思っていましたが、そのスピーカーの音を聴いて、こういう音が好きだったのではないかと思いました。歳とともに好みも変化したのかもしれません。その小さなスピーカーはDALI EPICON2です。DALI社は北欧のメーカーでHELICON 400など、人気があることは知っていました。しかし、今まで興味も聴いたこともなく、ノーマークでした。
 しばらく聞き惚れ、比較にB&W PM-1 Limited EditionとSONUS FABER Venere 2.5も聴いてみました。私の鈍い耳にも、その差は歴然でした。EPICON2に比べると、B&W PM-1は音場が広く迫力を感じたものの、音がざらついて聞こえました。SONUS FABER Venere 2.5については、よく言われるような美音には聞こえず、美音というならEPICON2の方がきれいに聞こえました。
 EPICON2は中古のHELICON 400MK2と同じくらいの値段なので、今度はHELICON 400MK2と聞き比べてみたいと思いました。どちらかを購入するのではないでしょうか。そうなると、初めて自分の耳で選んだスピーカーを購入することになります。今までも試聴して買ってきましたが、本当の良さや他機との違いは分かっていなかったと思います。
 今回は自分が好きなスピーカーに出会えてよかったです。これを買ったら、また音楽が楽しくなると思います。

冬の予感

2013-10-16 06:46:37 | コラム
 10日くらい前だったでしょうか。通勤のために家を出て、ドアの鍵をかけたとき、空気が変わっている気がしました。
 私は四季には香りがあると思います。夏の匂いは草いきれ、冬の匂いは灯油と雪の匂いという感じでしょうか。さすがにそれほど強い匂いではありませんでしたが、確かに冬の到来が近いことを予感させる香りがありました。
 年齢を重ねると、季節というものがいとおしくなるものですね。あと何回の春を迎えられるのかと思うと、暗い気持ちになります。一方、考え方によっては、今年も新しい季節を迎えられてよかったと明るい気持ちにもなります。
 考えてみれば、過去は過ぎ去って帰ってきません。未来のことは誰にもわかりません。どんな未来を夢想していても、たった今、心臓発作で死んでしまうか、わからないのです。
 自分はなぜ生きているのか、人生の目的は何か、若いころには悩んだりしました。しかし、ニヒリストのように言うならば、人生の目的は死です。人生がたどりつくところは、そこだからです。以前、このブログに旅の目的について書いたことがありました。旅の目的は、その終着点から言えば自宅です。しかし、家に帰ることが旅の目的というのは極論ですね。私たちは普通そのようには考えないでしょう。旅先で観光などを楽しむのが旅であって、帰宅することは最後の目的地であるというだけのことです。それではどう言ったらよいかと考えれば、プロセスを楽しむのが旅だと言い換えられるのではないでしょうか。それなら、何となくしっくりします。同様に人生を考えれば、人生もやはりプロセスということになるでしょう。
 プロセスとは何でしょうか。プロセスを作り上げるのは「今」でしょう。人生の過程は「今」の積み重ねでできるからです。林先生ではありませんが「今でしょ!」というわけです。つまらない理屈をこねて、平凡な結論で恐縮ですが、今を大切に生きるということしかないのだなあと感じられます。
 以前、ホスピスでボランティアをし始めた頃、不思議に思うことがありました。死を待つ患者さんも、それに関わるスタッフも、あまりに淡々と生活なさっているように感じたからです。私が想像していた死を待つ人の姿とは、自分の一生を振り返り、長い手記を書いたり、宗教書を読んで最期に備えたりするものでした。ところが、それほど辛そうにも見えないのに、朝から晩までクロスワードを解いている方、テレビ三昧の方等々、死を待つ人々とは思えませんでした。スタッフの皆さんも、冗談を言ったり笑い声を立てたり、私には不謹慎のように思われてなりませんでした。しかし、そんなある日、スタッフの方から「私たちのホスピスが目指すのは、家庭と同じような普通の生活が少しでも長く続けられるようにお手伝いすることです」と教えられました。
 私はガンバリズムに毒された人間なのでしょう。「過程」などと聞くと、努力をして目標に向かっている姿しか思い浮かびませんでした。しかし、普通に生活することの幸せというものが本当の幸せなのでしょう。病気になって初めて、日常生活を普通に送れる喜びに気づくのかもしれません。アイドルなどを見ていても、仕事に忙殺されて幸せを感じることなどないでしょう。「普通の女の子に戻りたい」という引退の弁など、人間としての本音のように聞こえて、好ましく感じるようになりました。
 私は、生きるということを重く考えすぎる傾向にあったようです。私の命だって、虫一匹の命だって、命に変わりはありません。人間の命だけが特別なものではないのです。「たかが人生、されど人生」と言いますが、そういうスタンスが大切なのかなと思います。偏重もせず軽視もしない、仏教で言えば「中道」の考え方です。
 先週は腹部のMRIを撮りました。今日は、仕事を休んで大腸の内視鏡検査を受けます。昨日から、病院からいただいたレトルト食品だけを食べ、寝る前にブルゼニド錠を2つ飲み、今朝はニフレックという飲み薬2リットルを3時間以上かけて飲み、たびたびトイレに通いながら、この文を書いています。30年くらい前、同じ検査をしたことがあるのですが、その苦しさは忘れられません。今日は臆病風に吹かれて、止めどもなく書いているのでしょうか。
 今現在の夢は、先日行った池袋の居酒屋で旨い酒と料理を食べること。そして、検査の結果が悪い病気でないことでしょうか。
 

 

中之条ビエンナーレに行ってきました

2013-10-13 15:01:37 | 絵画

 14日の体育の日、群馬県中之条町で開催されていた「中之条ビエンナーレ」に行ってまいりました。この日は9月13日から1か月開催されていたビエンナーレの最終日。それもあってか、連休の最終日だからかわかりませんが、どこへ行ってもかなりの人出がありました。
 毎年ビエンナーレが開催されていることは数年前から知っていましたが、正直、大したことはないだろうとたかをくくっていました。町おこしのために、若手のゲイジュツ家を集めて、奇をてらった作品をあちらこちらに展示して、人を集めているのだろうくらいに思っていたのです。
 ところが、今回、初めて行ってみて、そんなものではないということがはっきりわかりました。もちろん、私が行けたのは、中之条の中心である伊勢町エリアと伊参エリアの2か所だけで、あとのエリアは行くことができず、一部しか見ていないわけですが、その一部であっても、レベルの高さは十分に感じられました。若手を中心とした芸術家たちの斬新な発想や大胆な演出は見ていて飽きない、楽しいものばかりでした。光と影、鮮やかな色彩を駆使した幻想的で夢のある作品が多いと感じました。
 例えば、かねんて倉庫です。錆びたブリキの質感と、木製の壁板の継ぎ目や木の節から差し込んでくる光の調和。ここに作品を置きたくなる芸術家の気持ちはすぐにわかります。古いものが持つ時間と歴史が、何とも言えない空間を作り出していました。幼いころ、製材所の廃墟で遊んだ記憶がよみがえりました。
 来年は何度か足を運びたい、もっと多くの作品を見たいと思いました。来年まで健康でいたい、そんな力を与えてくれたイベントでした。



うまい店発見伝

2013-10-11 20:33:43 | コラム
 今日は腹部のMRIのために病院へ行きました。仕事は休んだのですが、10時半までは職場にいました。
 昨夜9時から食事はせず、アルコールも久しぶりに控えて検査に臨みました。
 終了後、近くの神田古書店街を徘徊。初めての店に入ってカレーを食べました。うーん、うまい! 神保町といえば共栄堂のカレーと決めていた私は、神保町にカレー店が異常に増えていることに気づきながらも浮気をしなかったのですが、前回行ったときに「?」と思ったのをきっかけに、今度は違う店もありかなと感じていたのです。何か得した気分。スープカレーと銘打ったカレーは大変結構でした。辛さが70倍までリクエストできるそうですが、私は1倍カレーで結構満足しました。
 その後、池袋に出て、少し飲んで帰ろうと店を探しました。造影剤を注射しているのに飲んでもいいのかと迷いつつ、やはり日本酒を探して歩いていますと、ちょっと入った路地に、日本酒の銘柄をいろいろ書いた店がありました。いずれも私が知る銘酒、即階段を降りて地下の店に入りました。
 カウンターに7~8人、小あがりは4人か6人座れるスペースが1つだけの小さな店でした。髭のマスターは30代、バイトの男性は大学生のアルバイト風でした。私が飲んだ酒は埼玉の花浴び純米吟醸、広島の宝剣ひやおろし、静岡の開運ひやおろし、栃木の鳳凰美田ひやおろしでした。つまみは、秋刀魚の胆和え、牛のたれと無花果のサラダでした。グラスのお酒は8勺くらいでしょうが、いろいろ味わえてよかったと思います。それぞれの単価は不明ですが、秋刀魚が700円、サラダが800円ですから、お酒はそれほど高価ではないでしょう。
 酒はうまいものを頼んだのですからうまいのは当然です。よかったのはつまみでした。秋刀魚は一口大に切ったものを軽く炙り、胆にからめています。少し温かい口当たりがよく、薬味が効いて美味でした。サラダの牛肉も柔らかく、甘い無花果の風味とゴマ味のドレッシングが絶妙にマッチしていました。マスターの料理センスを感じさせる料理でした。全部で4200円は大満足。満腹になりました。
 今日は幸せです。カレー店も日本酒の店も店名は明かしません。興味を持った方は連れて行ってあげます! もちろんご馳走しますよ。なんてね。
 

震災ボランティアのお話

2013-10-02 01:46:52 | ボランティア
 先日、東日本大震災のボランティアの方のお話を直接聞く機会がありました。その方は、震災発生時はリタイアされており、東京にお住まいでした。知人の安否を気遣っていち早く被災地に駆けつけ、それからボランティアに通うようになったということです。現在も東京と被災地を頻繁に往復していらっしゃいます。
 この方が駆けつけた当時、周囲には遺体が放置されている状況だったといいます。さまざまな腐敗臭に閉口したものの、半日で何も感じなくなったそうです。人間の適応力が優れた点といえるでしょうか。自転車や靴は、気を付けていないと盗まれてしまうそうです。震災時でも暴動や盗難が起こらなかったと知らされていただけに、現実との違いにショックを受けました。水がなく、顔や歯を洗えず、水が復旧した時には、水のありがたさを痛感されたといいます。両親と兄弟を亡くした小学生は2週間泣きとおした後、元気を取り戻したそうです。残酷な境遇をよく乗り越えてくれたものです。子供だから、かもしれません。
 最後に子供たちが描いた絵を紹介してくださいました。小学生が描いた絵は、なぜか無人の公園ばかりで、遊具が丹念に描かれていました。遊びたいのに遊べないという子供たちのストレスが感じられる絵でした。
 阪神淡路大震災のとき、肉親を亡くした子供たちの心のケアをどうするか、ずいぶん話題になりました。東日本大震災では、それがあまり聞こえてきません。もちろん、さまざまな取り組みがなされていることと思いますが、将来のために、それが明らかにされ、役立てられるようにしておく必要があると思います。