身近な人間から「死にたい」と言われたらどうしますか? この場合は「自殺したい」ということです。
一ヶ月ほど前、私は、そう言われて困りました。深夜でした。
最初に浮かんだ思いは、何とか引きとめなければならないという思いでした。心身共に疲れ切って動けないということでしたので、すぐに手首を切るとか飛び降りるというような、切羽詰まった状況ではありませんでした。時間をかけて話せば、説得できるのではないかという余裕が、こちらにはありました。
しかし、生来、我が儘で頑固な上に、互いに強い絆を持たない相手には、私の言葉は全く通じないようでした。私は、もう手の施しようがないのかもしれないと思い、半ば自分の覚悟を決めました。すると、不思議なことに、相手のいなくなった、かなり先までの生活がイメージとして見通せました。何より、閉塞感で一杯の気持ちが解放されるかもしれないという期待が、頭をもたげてくるような気がしました。
「最後に『命の電話』というものに相談してみたい」と相手が言うので、電話番号を調べて伝えました。案の定、話し中で通じませんでした。私は、自分と相手との細い絆が、またさらに細くなったことを感じました。「命の電話」に電話したいというのが何とも暢気で、本当に死にたいと考えているのかという疑念を生んだことと、自分は「命の電話」にも劣るのだということを思い知ったからです。
私は、代わりに、信頼できる人に電話するように言いました。ある人物が浮かんだからです。相手は、その人に電話したようでした。私は席を外し、ときどき、様子をうかがうようにしていました。
二時間ほどたったでしょうか、相手は、自殺をあっさりと撤回していました。数時間前が嘘のように、生気が戻っていました。「一喝されて、我に返った」ということのようでした。私は、安堵するとともに、相手の単純さに苦笑しました。怒りではなく、喜びでもありません。正直に言えば、侮蔑に近い感情だったと思います。
相手は、早晩、また「死にたい」と言い出すに違いありません。私はどう対処したらよいのか、ずっと恐れています。
一ヶ月ほど前、私は、そう言われて困りました。深夜でした。
最初に浮かんだ思いは、何とか引きとめなければならないという思いでした。心身共に疲れ切って動けないということでしたので、すぐに手首を切るとか飛び降りるというような、切羽詰まった状況ではありませんでした。時間をかけて話せば、説得できるのではないかという余裕が、こちらにはありました。
しかし、生来、我が儘で頑固な上に、互いに強い絆を持たない相手には、私の言葉は全く通じないようでした。私は、もう手の施しようがないのかもしれないと思い、半ば自分の覚悟を決めました。すると、不思議なことに、相手のいなくなった、かなり先までの生活がイメージとして見通せました。何より、閉塞感で一杯の気持ちが解放されるかもしれないという期待が、頭をもたげてくるような気がしました。
「最後に『命の電話』というものに相談してみたい」と相手が言うので、電話番号を調べて伝えました。案の定、話し中で通じませんでした。私は、自分と相手との細い絆が、またさらに細くなったことを感じました。「命の電話」に電話したいというのが何とも暢気で、本当に死にたいと考えているのかという疑念を生んだことと、自分は「命の電話」にも劣るのだということを思い知ったからです。
私は、代わりに、信頼できる人に電話するように言いました。ある人物が浮かんだからです。相手は、その人に電話したようでした。私は席を外し、ときどき、様子をうかがうようにしていました。
二時間ほどたったでしょうか、相手は、自殺をあっさりと撤回していました。数時間前が嘘のように、生気が戻っていました。「一喝されて、我に返った」ということのようでした。私は、安堵するとともに、相手の単純さに苦笑しました。怒りではなく、喜びでもありません。正直に言えば、侮蔑に近い感情だったと思います。
相手は、早晩、また「死にたい」と言い出すに違いありません。私はどう対処したらよいのか、ずっと恐れています。
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