観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

マイ・ヒーロー

2008-06-30 20:20:34 | コラム
 幼い頃から野球が好きでした。地方では、テレビ中継などめったにない時代でした。大好きだった王や長島の活躍を専らラジオで聴いていました。
 小学生時代は、毎日狭い路地で野球をやっていました。グラブは父が東京に出張したときに買ってきてくれました。当時としては高価すぎるプレゼントだったと思います。うれしくて毎日枕元に置いて眠り、油をつけて手入れを欠かしませんでした。皮革の匂いが何とも言えませんでした。
 そんな私も、いつからか自分でプレーをしなくなり、観戦するだけのファンになりました。阪神タイガースを応援し、アンチジャイアンツを気取っていました。それも徐々に熱を失い、やがて野球に対してときめくものがなくなっていきました。
 もう十年くらいたつのでしょうか。それまでの生活をすべて捨てて、一人で一から生活を作り直さなければならない事態を迎えました。希望も自信も失い、辛くてたまらない毎日を過ごしていました。家にいるときには、ひたすら絵を描いていました。サムホールの小品からF100号の大作まで、油彩が中心でした。若いときに諦めたはずの才能でしたが、ひょっとしたら・・・・・・という想いでした。絵を描いている間だけは、すべてを忘れることができました。
 そんなときでした。イチローがアメリカに渡って大リーグに挑戦を始めたのは。
 私は毎日、絵を描きながらイチローの試合を見ました。自らの力を信じ、求道者のようにプレーに打ち込む彼の姿は、私に勇気と力を与えてくれました。記録を作り、評価を上げていく彼を、私は心から応援しました。
 約3年間、私はイチローとともに、そんな生活を続けました。イチローは現在も活躍を続け、大リーグを代表するプレーヤーに成長しました。一方の私は、自らの才能の程度をしっかりと確認できました。この数年は絵筆を執っていません。やめたわけではありませんが、気ままに楽しく描ければそれでよいと考えるようになりました。
 ここにきて、またあの頃のような辛い日々が戻ってきました。再びイチローが気になり始めた私ですが、彼も今年は勢いがないようです。しかし、今日は今季初の5打数5安打の固め打ちでした。これからもっと活躍して、私に力を与えてください。どうぞ、あの頃のすごさを見せつけてください。
 

さらば友よ

2008-06-28 19:56:47 | コラム
 6月24日早朝、千葉県柏市で悲惨な事件が起こった。77歳の男が妻と長男夫婦、さらに4歳の孫娘をハンマーで殺害したというニュースだった。朝のテレビでそれを知ったときには、まさかと思った。同姓同名だろうというくらいにしか思わなかった。それでも、何故か気になって出勤後に新聞を見てみると、被害者の長男は、年齢、職業、そして顔写真から、紛れもない私の大学の同級生だとわかった。そんなはずはないだろうと思ってみても、事実を否定することはできなかった。
 彼とは、大学時代、同じサークルに属し、友人の少なかった私には数少ない貴重な話相手だった。一緒に講義を受けたこともあるし、旅行に行ったこともある。何より、私は一度、彼の実家に泊めてもらったことだってあるのだ。そのときの記憶は既に定かでないが、今回の加害者である父上とも、被害者である母上とも挨拶したはずだ。そして、そこは今回の犯行現場だっただろう。
 泊めてもらった夜、彼は、中島みゆきの「時代」を聴かせてくれ、それをカセットテープに録音して渡してくれた。私は、帰宅してからしばらく、そのテープをすり切れるほど聴いて、孤独を癒したものである。お返しとして、夏には帰省中の実家に彼を招待した。彼は友人と二人、車でやってきた。一緒に海へ行ったと記憶している。彼は、いつものようにはにかんだ笑顔を見せながら、楽しそうだった。日本海で泳ぐのは初めてだと言って、眩しそうに水平線を眺めていた。
 サークルでディスコに行ったときのことは、当時の語りぐさになった。踊りなど似合わないと自負する二人で、飲み放題をいいことに朝まで杯を重ね、大音量の中で文学を論じ合った。青臭い話だが、当時の私はそんな体験に餓えていた。既に、そんな期待に応えてくれる人間は多くなかった。周りは呆れたらしいが、私にとっては忘れられない楽しいひとときだった。
 卒業後は一度も会っていなかったし、年賀状を交わすこともなかった。それでも、私は時々彼のことを思い出していたように思う。風の噂で就職したことも知っていた。
 その彼が、悲惨な最期を迎えた。その朝のことが妙に想像されてならない。凶器を振り上げた父を見る、彼の信じられないという目が、脳裏にはっきりと浮かぶのである。
 結婚が遅かったのか、ようやく娘さんも生まれて、幸福な生活を始めたところだったのに・・・・・・。加害者は父親だ。何か事情があったのかも知れない。精神を病んでいらっしゃたようでもある。彼自身も、休職していたという記事もあった。無念ではあったろう。だが、そんなことを感じる間もなく、彼は逝ってしまったのかもしれない。
 その晩、私は彼とのことを思い出しながら、彼の冥福を祈る気持ちで、酒を飲んだ。毎晩一人で飲んでいるのだが、その夜は、一人という気がしなかった。ひとりぼっちだとは感じなかった。
 彼と飲んでいたあの頃は、二人とも若かった。幸せになるなど、たやすいことのように思っていた。だが、私も彼も、そして、おそらく意外に多くの人々も、やがて、そうでないことに気がつく。そして、今回、何が起こるかわからない、本当に一瞬先のことさえ、我々にはわからないのだと改めて気づかされた。
 さらば友よ。人間は皆弱い。だから、お父上を恨まないでくれ。無責任な言い方で申し訳ないが、どうかその苦悩を受け容れてあげてほしい。突然、しかもあまりにも理不尽に、母親と愛妻、愛娘、そして、自らの命まで奪われた無念は、私には想像すらできない。しかし、君はきっと父上を許すと思う。神経質ではあったが、君は学生時代から寛容な人物だった。
 どうかやすらかに眠ってくれ。この梅雨の間にあった一日のこと、そして、君のことは、私が一生忘れないから。
   

過程より結果が大事?

2008-06-26 20:30:16 | 旅行
 ネットを見ていて面白い記事を読みました。過程が大事か、結果が大事かといった内容でした。
 私達は社会に出ると、会社や仕事で常に結果を求められます。そこでは過程は重視されず、結果がすべてです。利益を追求するならば、それは当然と言えるでしょう。結果が出なければ「頑張った」と褒めてもらえることはごくまれです。しかし、そうした風潮が行きすぎて、最近の食品等の擬装問題が起こっていることも事実です。
 さて、ネットには、だいたいこんなことが書いてありました。「旅行に行くときに結果を問題にする人はいない。なぜなら、結果は家に帰ることだから。旅行というものは、結果を求めるものでなく、過程を楽しむものなのだ。」
 考えてみれば、旅行って本当にそうですね。アップした写真は秩父の札所の結願寺である水潜寺門前の民家です。毎回前を通って眺めると、いいなあ、こんな家に住んでみたいと思います。建物自体も雰囲気がありますが、清流を隔てて桜が植えられた風情が何とも言えません。
 最初は、もちろんこの家を見に行ったわけではありません。札所を回り、水潜寺をお参りするという過程で巡り会った家なんですね。水潜寺自体も旅の過程なら、この民家はさらにその過程と言えましょう。そんな旅の過程にこそ楽しみがあるというのは、土地の方々との触れ合いや予期せぬ名店の発見など、誰もが経験したことだと思います。
 結果でなく過程を楽しむ余裕を大切にしたいと思いました。だって、人生の結果は死です。過程を楽しまなければ、生きている甲斐はないということになります。
 

仏像のこと

2008-06-26 19:53:06 | 仏教学
 旅行に行って仏像を拝観するのか、仏像を拝観するために旅行するのか、どちらかわからないほどに仏像が好きです。以前、京都に住んでいたこともあり、多くの仏閣で仏を拝んできました。私自身は信仰はありませんが、仏像の精神性には心打たれるものがあります。著名な仏像はほとんど拝観したと思います。
 京都では東福寺の楊貴妃観音、禅林寺の見返り阿弥陀、三十三間堂のご本尊、三千院の阿弥陀三尊像などをよくお参りします。奈良では、東大寺戒壇院の四天王、新薬師寺の十二神将、室生寺の十一面観音、聖林寺の十一面観音。滋賀になりますが、渡岸寺の十一面観音などが心に残ります。
 中でも一番好きな仏像を一体だけ挙げろと言われたら、悩みますが、やはり興福寺の阿修羅像になるでしょう。いつも行くたびに、目が釘付けになり、動くことができなくなってしまいます。153cmの体躯は、闘争の鬼神であるはずが、八部衆の中でも甲冑をつけず、華奢で優美な印象を受けます。三面六臂の異形でありながら、しなやかで美しい。その表情は少女とも少年ともつかず、鋭い眼光の中に深い憂いと悲しみが宿っているようです。奈良時代の昔にこのような深い精神性を持った像が造られたことも奇跡なら、それがこうして現代まで残されたことも奇跡と言えるでしょう。今度はいつ拝観できるかわかりませんが、あのお姿は、いつも私の心の中にあるようです。

清水の舞台

2008-06-23 20:37:46 | オーディオ・音楽
 オーディオファンです。最初の衝撃的な出会いとは、中学から高校くらいの頃でしょうか。友人の父上がクラシックファンで、すごいステレオ装置をお持ちでした。路地の中のお宅でしたが、防音工事までなさる始末。そこで初めて聞いたのがマッキントッシュの音でした。ガラスパネルに浮かび上がるブルーアイズ・・・・・・。それを見ているだけでうっとりしたものです(おわかりにならない方には何のことか不明でしょうが)。以来、マッキントッシュは憧れでした。まさか、自分がオーナーになるとは思ってもいませんでした。
 オーディオも中古でやっています。現在のラインナップは、プリメインMAー6900、CDPにESOTERICのX-30VU、SPはB&WのMATRIX802S3です。
 オーディオを決めるのはスピーカーと言われますが、アンプでもこれだけ変わるのだと言うことを実感できました。1年以上情報を収集し、タイミングを逃さずに買えたのは良かったと思います。よく思い切って買えたと我ながらびっくりしています。ちなみに以前のシステムはTANNOYのアーデンMK2をサンスイの907iMOS-LIMITEDでドライブしていました。
 倍の値段を出せば音が倍良くなるかと言えばそうはいかないのがオーディオの世界です。趣味とはそういうものなのかもしれません。こだわりや思い入れがすべてでしょう。
 音楽のことはまた書かせてください。

ジオルジオ 君の歌がきこえる

2008-06-21 21:38:09 | 絵画
 6月15日、友人と笠間に旅しました。焼き物を見て回るうち、改めて、自分はこういうものが好きなのだなと確認した次第。窯元を回って飽きることがありませんでした。そのうちに、友人が貼ってあったポスターに気づき、藪野健という画家の絵が見られるので、笠間日動美術館へ行こうと言い出したのです。大学時代には二人とも美術部に在籍した間柄、断る理由はありませんでした。うれしい予定変更といったところです。
 「建物をえがく」という企画展では藪野健の絵をかなり見ることができました。その中でも、代表作のひとつでもある「ジオルジオ 君の歌がきこえる」は感動的でした。これは1989年の作品で、画家がヴェネツィアでスケッチしていたときに知り合った女性ノラの生涯を描いたものと言われています。ノラと夫ジオルジオが佇む中央、周囲には挙式の様子や病院から子供を抱いて出てくるノラ、サン・ミケーレ島に向かうジオルジオの棺などが散りばめられています。一人の女性の一生を描いた叙事詩とも言える作品でした。
 一人旅が多い私ですが、こんな旅もいいなあとつくずく思った旅でした。ヴェネツィアに旅した感動が甦ってくるひとときでした。
 

今は亡き

2008-06-21 20:09:08 | コラム
 実家で飼っていたロシアンブルーです。もうすぐ命日になります。亡くなってからほぼ1年になります。何と!捨て猫でした。本当にロシアンブルーなのか、家族内でも随分と物議を醸したものです。今にして思えば間違いなく純血でした。
 個人的に苦しい時期、何度も帰省して遊びました。小さい頃は、何にでもじゃれついてきて可愛かった。どれだけ癒されたか知れません。若くして癌に冒され、何度も手術して生きながらえてきたのですが、昨年、とうとう逝ってしまいました。息絶えるときの断末魔の声を聞いたのは、奇妙な因縁でした。
 ペット霊園で火葬の煙を見ました。小さいせいか、わずかな煙しか出ませんでした。それが慎ましい気がして、何とも言えませんでした。自分自身も、温かな思い出を少しだけ残して、あんなふうに慎ましくこの世を去りたいと思いました。今の私にはそれさえも難しいことのように思えるのですが。
 今年帰省したら、まだ納骨されずに置いてある骨壺に、冥福を祈ろうと思います。
 

ブックリスト~国家の品格

2008-06-21 16:19:11 | 読書
『国家の品格』 著者:藤原正彦 ISBN:4-10-610141-6
 私の趣味の一つは古書店巡りです。私は古本しか読まないので、いきおいブックリストも古い本ばかりで申し訳ありません。この本も駅前の古書店で購入しました。
 後半の「武士道精神の復活を」というあたりからは、ちょっと辛いものがありましたが、第2章「論理だけでは世界が破綻する」というあたりでは、思わず膝を打つような共感や、思っていたことを代弁してもらって溜飲が下がるような感激がありました。そこでは、小学生に英語教育をすることへの疑問や、重要なことは理屈抜きで押しつける会津藩の教育など、教育が主な問題になっています。「最悪なのは情緒力がなくて論理的な人」という指摘では、国民不在の議論を続ける我が国の政治家の皆様を思い出さずにはいられませんでした。
 無理に武士道まで行かなくても・・・・・・とは感じますが、さすがベストセラーです。

ブックリスト~うつ病

2008-06-21 16:05:43 | 読書
『うつ病』 著者:岩波明 ISBN:978-4-480-06394-6

 家族がうつ病という診断を受けたので、新書ばかり、うつ病について数冊読みましたが、これが最高でした。
 第6章「自殺者の国」は一つの文化論になっていると思います。成果主義導入や終身雇用制の崩壊など、日本社会は大きく変質し、グローバリゼーションという語が実感されますが、むやみにアメリカナイズすることが本当によいことなのでしょうか。著者は『超・格差社会アメリカの真実』という本から次のような引用をしています。「新しいアイデアには周囲が注目し、成功すれば賞賛するし、失敗しても笑ってすませる風土もある」 これは、前例主義が浸透し、「出る杭は打たれる」日本とは全く異なる精神風土です。そうした伝統や国民性を無視して、いたずらにアメリカに追随する政治家の皆さんは、アメリカをまだ理想の国だと考えているのでしょうか。裁判員制度なども日本人に馴染むものなのかどうか疑問です。
 この本は、死に至る病、うつ病を知るだけでなく、この国の今後を考えるヒントにもなると思いました。

久しぶりに映画館へ

2008-06-21 15:40:45 | 映画
5月24日
久しぶりに映画館へ
 本当に久しぶりで映画館へ行きました。ロードショーは1800円になっていたんですね。高いなあと思いつつ、はしごして2本見てしまいました。
 上映時間の関係で、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」から。トム・ハンクス主演だから見たので、ジュリア・ロバーツは初めて映画で見たかも。アフガンを救った下院議員の物語ですが、男だったら誰でも憧れるような主人公をトム・ハンクスが好演していました。でも、ソ連の恐怖から人々を解放したアメリカの宣伝映画のような気もして、ちょっと複雑な気分でした。
 本命は「最高の人生の見つけ方」でした。テレビCMを見て、ぜひ映画館で見ようと思い立ったのです。大富豪のジャック・ニコルソンと、勤勉な工員モーガン・フリーマンが病棟で知り合い、病院を抜け出して、最後にやりたいことのリストを実行していく物語。オープニングのシーンがよくわからないまま、物語が展開していくのですが、ラストシーンでその意味が理解できるという趣向は凝っていました。陳腐なテーマのような気もしますが、老俳優の渋い演技と舞台のスケールの大きさが、妙な先入観を吹き飛ばしてくれました。大富豪でも一工員でも、人生の意味や重さは変わらないのだというメッセージを受け取りました。
 映画ではありませんが、NHKのTVドラマ「トップセールス」も久しぶりに楽しめたドラマです。高度成長期は自分の過去と重なるところもあるので、素直に共感できるのでしょう。現代とはまったく違って、誰もが明日に希望の持てる時代でした。あと2回で終わるのが残念です。

横浜追伸

2008-06-21 15:38:08 | 絵画
 横浜美術館の常設展で、懐かしい絵に出会いました。ルネ・マグリットの「青春の泉」という作品です(たぶん)。今から?0年ほど前、高校生だった私は(年齢がバレバレ?)、地方都市に住んでいましたが、列車で1時間ばかりの町まで美術館を見に出かけました。そこには地方銀行が集めた現代美術のコレクションが展示されていました。当時としては、現代美術の分野で日本でも5本の指に入るほどのコレクションでした。その中で印象に残っていた絵の一枚がこれでした。その後、銀行が破綻し、コレクションは散逸しました。まさか、その絵に、横浜の地で再会することになるとは思ってもいませんでした。数奇な運命をたどった絵ですが、当方も似たようなものです。ただ、絵の方はこれからも残っていくでしょうが、私の方はそんなに長くはないようです。(左側の絵です)

春の横浜

2008-06-21 15:30:31 | 旅行
春の横浜
 ホームページは以前から作っていましたが、ブログというのは初めてです。
 これから週に一回程度は書きたいと思っていますが、どうなることか、自分でもわかりません。きっと誰からも反響がなく、すぐに書く気が失せてしまうような気がしています。
 昨日は、久しぶりに横浜に出かけてみました。自分としては、横浜美術館で開催中の山下孝則展を見るという大義名分で繰り出したのですが、本当のところは伊勢佐木町の焼き鳥屋さんが目当てでした。まあ、見るものを見て、飲むものも飲んで、お手軽で楽しい旅でした。ちなみに、私は東京都下の某市の住人ですので日帰りでした。
 写真でアップしたのは、美術館前でお見受けした老婦人です。失礼とは思いつつ、後ろから無断で撮影させていただきました。高層ビルの谷間に開いた、白い日傘が印象的でした。天気がよかったせいか、お一人であっても淋しい感じはしませんでした。どのような方か、もちろん存じ上げませんが、あんな静かな老後を迎えられたらよいなあと思いました。