幼い頃から野球が好きでした。地方では、テレビ中継などめったにない時代でした。大好きだった王や長島の活躍を専らラジオで聴いていました。
小学生時代は、毎日狭い路地で野球をやっていました。グラブは父が東京に出張したときに買ってきてくれました。当時としては高価すぎるプレゼントだったと思います。うれしくて毎日枕元に置いて眠り、油をつけて手入れを欠かしませんでした。皮革の匂いが何とも言えませんでした。
そんな私も、いつからか自分でプレーをしなくなり、観戦するだけのファンになりました。阪神タイガースを応援し、アンチジャイアンツを気取っていました。それも徐々に熱を失い、やがて野球に対してときめくものがなくなっていきました。
もう十年くらいたつのでしょうか。それまでの生活をすべて捨てて、一人で一から生活を作り直さなければならない事態を迎えました。希望も自信も失い、辛くてたまらない毎日を過ごしていました。家にいるときには、ひたすら絵を描いていました。サムホールの小品からF100号の大作まで、油彩が中心でした。若いときに諦めたはずの才能でしたが、ひょっとしたら・・・・・・という想いでした。絵を描いている間だけは、すべてを忘れることができました。
そんなときでした。イチローがアメリカに渡って大リーグに挑戦を始めたのは。
私は毎日、絵を描きながらイチローの試合を見ました。自らの力を信じ、求道者のようにプレーに打ち込む彼の姿は、私に勇気と力を与えてくれました。記録を作り、評価を上げていく彼を、私は心から応援しました。
約3年間、私はイチローとともに、そんな生活を続けました。イチローは現在も活躍を続け、大リーグを代表するプレーヤーに成長しました。一方の私は、自らの才能の程度をしっかりと確認できました。この数年は絵筆を執っていません。やめたわけではありませんが、気ままに楽しく描ければそれでよいと考えるようになりました。
ここにきて、またあの頃のような辛い日々が戻ってきました。再びイチローが気になり始めた私ですが、彼も今年は勢いがないようです。しかし、今日は今季初の5打数5安打の固め打ちでした。これからもっと活躍して、私に力を与えてください。どうぞ、あの頃のすごさを見せつけてください。
小学生時代は、毎日狭い路地で野球をやっていました。グラブは父が東京に出張したときに買ってきてくれました。当時としては高価すぎるプレゼントだったと思います。うれしくて毎日枕元に置いて眠り、油をつけて手入れを欠かしませんでした。皮革の匂いが何とも言えませんでした。
そんな私も、いつからか自分でプレーをしなくなり、観戦するだけのファンになりました。阪神タイガースを応援し、アンチジャイアンツを気取っていました。それも徐々に熱を失い、やがて野球に対してときめくものがなくなっていきました。
もう十年くらいたつのでしょうか。それまでの生活をすべて捨てて、一人で一から生活を作り直さなければならない事態を迎えました。希望も自信も失い、辛くてたまらない毎日を過ごしていました。家にいるときには、ひたすら絵を描いていました。サムホールの小品からF100号の大作まで、油彩が中心でした。若いときに諦めたはずの才能でしたが、ひょっとしたら・・・・・・という想いでした。絵を描いている間だけは、すべてを忘れることができました。
そんなときでした。イチローがアメリカに渡って大リーグに挑戦を始めたのは。
私は毎日、絵を描きながらイチローの試合を見ました。自らの力を信じ、求道者のようにプレーに打ち込む彼の姿は、私に勇気と力を与えてくれました。記録を作り、評価を上げていく彼を、私は心から応援しました。
約3年間、私はイチローとともに、そんな生活を続けました。イチローは現在も活躍を続け、大リーグを代表するプレーヤーに成長しました。一方の私は、自らの才能の程度をしっかりと確認できました。この数年は絵筆を執っていません。やめたわけではありませんが、気ままに楽しく描ければそれでよいと考えるようになりました。
ここにきて、またあの頃のような辛い日々が戻ってきました。再びイチローが気になり始めた私ですが、彼も今年は勢いがないようです。しかし、今日は今季初の5打数5安打の固め打ちでした。これからもっと活躍して、私に力を与えてください。どうぞ、あの頃のすごさを見せつけてください。