観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

渾身の一作

2010-01-13 22:25:38 | マイ・ギャラリー
 初めて大きなキャンバスに向かって描いた絵が今回の作品です。私の絵の中では最大のF60号となります。1300×970mmという大作です。
 モチーフは持っている人形のほとんどを並べました。それまでは一体一体、単独で、習作的に描いていました。それはそれで楽しかったですが、ここでは、その集大成のつもりで、群像として描きました。背景は最後まで悩みました。結局、三美神のつもりで、三人の女性を描きました。若さや童心を失う悲しみのようなものを表現したいとも思いました。
 私としては渾身の一作です。既にアップしている秩父の絵は50号でしたが、人形の質感や色の冴えでは、こちらの方がよいと思います。制作時間は前者の方がはるかに長いでしょう。しかし、一度でうまくいくこともあれば、何度なおしてもうまくいかないこともあり、時間が問題ではないとは思います。
 実は、この延長線上の作品として、悲願とも言うべきF100号を描き始めました。しかし。それは頓挫したまま放置されています。油絵を描く人の1つの目標が100号の制作でしょう。それに挑戦したわけですが、やはり挫折してしまいました。途中までは、比較的簡単に描けたのです。あと2~3ヶ月あれば描けていたでしょう。完成を阻んだのは時間でした。仕事が忙しくなり、筆を執れないうちに、やがて気力も萎えてしまいました。もう、あの絵を完成させることはできないでしょう。そういう意味でも、この絵が私の作品中最大の絵になると思います。

赤富士

2010-01-12 21:53:27 | マイ・ギャラリー
 知人から家の新築祝いに描いて欲しいと言われ、それに応じて描いた絵です。知人は、神仏に対する敬虔な気持ちを持っており、縁起がよい絵を飾りたいということで、赤富士をリクエストしてきました。会社の休憩室に飾ると言うことで大きさも1メートルほどあってよいという注文でした。この絵はF50号です。
 大学時代、よくサークルのコンパをやった中華料理店に大きな富士の絵がかかっていました。ときどき、眺めていると、気持ちのよい絵でした。できれば、あのような絵を描きたいと思ったのですが、少し縮こまってお行儀のよい富士になってしまいました。
 富士登山が中高年のブームになっているようです。最近、よく中高年の方々の遭難事故などを耳にしますが、それだけお元気な方が多いということなのでしょう。富士でも、登山者が多い分だけ事故も発生しているようです。
 冬になると、ほとんど毎日、家のベランダから富士が見えます。日本人として、やはり美しいなあと思って見入ってしまいますね。

松江の土産

2009-10-29 00:56:55 | マイ・ギャラリー
 松江のことは何度も書きました。この絵は、その松江から買ってきた土産物を並べて描いたものです。F4号です。
 お城の堀の近くに物産館があって、そこで買ったぐい飲みは、私がぐい飲みだと思っているだけで、煎茶椀かもしれないし、ただの茶碗なのかもしれません。ぐい飲みにしては少し大ぶりです。私は酒飲みなので、大ぶりのぐい飲みが好きなのです。これは、青磁のような釉薬がかかり、面取を施したデザインが気に入って購入しました。刺してある羽はカラスのもので、旅で拾ったものです。
 中央に置いたのは、素焼きの笛です。ムツゴロウのような魚をかたどっています。お腹にいくつか穴があいていて、そこを抑えると音が変わりますが、オカリナのように曲を吹くのは難しいようです。
 配したのは秋の果物です。特にニスを塗ったようなリンゴの透明感のある輝きが気に入って描いた記憶があります。
 こうやって、旅で買った土産を眺めていると、旅で出会った人々や味覚、特に松江では地酒の味が甦ってきます。また旅に行きたくなります。

自画像

2009-10-18 21:54:39 | マイ・ギャラリー
 私の数ある自画像の中でも、最も時間をかけて描いた作品でしょう。既に手元を離れ、先日、保管場所へ移しました。もう当分陽の目を見ることはないでしょう。
 F10号は、私の絵の中では大きい部類に入ります。光に気をつけて描いた記憶があります。障子越しの午前の光で描きました。気持ちが沈んでいた時期でしたので、仏の加護にあずかりたいと、左上に大日如来の尊像を描きました。その結果、何ともオリエンタルな雰囲気の絵になりました。
 肌の質感などは、なかなかよく出ていると思います。このころは、肌の色にインディアン・レッドという鮮やかな茶色を使っていました。この作品では、この色がうまく効果を出していたと思います。形のとらえ方が甘くて、デッサン力の不足を常に感じていました。ワイシャツについては、布の質感が出せませんでした。バックの奥行きは、多少表現できたと思います。
 することがないので、絵に打ち込んでいたようなあの時期、あの時点では、自分を孤独で不幸な人間だと思っていましたが、現在の方がもっと孤独で不幸かもしれません。

水潜寺の不動尊

2009-10-05 23:56:48 | マイ・ギャラリー
 秩父の札所巡りで、札所最後の34番になるのが、結願の寺である水潜寺です。このブログでも、既に門前にある民家を紹介した記事を書きました。
 今回は、水潜寺の参道にある、不動の石像をモチーフとして描いた絵をご紹介します。この絵はサムホールという小さな作品です。私は、この絵が大変気に入っていて、廊下に掛けてあります。少し青みがかった石に彫られた不動尊は、実物も1メートルに足りない、小さな石仏です。水潜寺は川沿いの道を進んで、駐車場があり、そこから徒歩でつま先上がりの道を辿って境内に入ります。その途中に建つのが、この石仏で、傾斜のついた道に建つ所がダイナミックな気がしました。ただ、この道は近年すっかり整備され、野趣溢れる趣は少し薄れてしまいました。残念な気がします。
 足下には、見猿、聞か猿、言わ猿の三猿が彫られています。小品ゆえか、それとも長い年月で表面が摩耗してしまったためか、不動尊も猿の顔も判然としませんが、その曖昧模糊とした雰囲気が何ともよい感じです。
 一度、冬に訪ねたときは、この不動尊はほとんど雪に埋まっていました。それでも、周囲の雪を、そこだけすっぽりと溶かして、「よく来たな」と私を迎えてくれました。
 近年、不心得な輩が、仏像や石仏を持ち去る事件が数件報告されました。好きな秩父へ行っても、水潜寺で、あの小さな不動尊が見られないとしたら、きっと淋しくてたまらないのではないかと思います。これから何十年、何百年と、この不動尊が、あの場所に建ち続けていることを願っています。

平湯大滝

2009-09-28 23:33:00 | マイ・ギャラリー
 白骨温泉に父母を連れて行ったのはいつだったでしょうか。途中、乗鞍スカイラインから平湯大滝に立ち寄りました。平湯大滝は飛騨三大名瀑の一つに数えられ、幅6メートル、落差64メートルのダイナミックな滝です。大断層の絶壁から落下する水しぶきと新緑の白樺林が美しい初夏、山全体が色づく紅葉の秋、滝が凍りつく冬、四季それぞれに美しい風景を楽しませてくれるといいます。その風景をほぼ忠実に絵に再現し、人物を配してみたのが、この作品です。F10号の大きさは、私の絵にしては大きい部類になります。
 写真にすると人物はかなり赤みがかっています。それでも、雰囲気は出ているかなあと思います。日曜日の昼、この絵を描いていたときのことを、つい最近のことのように思い出して懐かしくなります。
 滝というのは、やはり神秘的ですね。平湯大滝の場合は、山がうまく重なり合って美しく、遠くから眺める滝の代表のような気がします。他に、私が印象深い滝では那智の滝があります。ここには真下に御瀧神社があって、滝の真下まで行けますが、その轟音には圧倒されました。もちろん遠くから眺めても素晴らしい滝ですが、近くから見てこその壮大さが圧倒的な滝です。最初に尾瀬に行った年、豪雨の中で見た三条大滝も壮大でした。でも、このときは雨がすごくて、とても滝見物ではなかったというのが素直な感想です。

婦人像

2009-09-10 22:36:05 | マイ・ギャラリー
 当時、好意を持っていた女性を描きました。本人を見て描いたわけではありません。カタログ販売のモデルさんの顔をすげ替える形で、彼女の顔を思い浮かべて描きました。
 この女性とは、その後、忘れられない思い出が数多くあります。今思い出すと、甘酸っぱいというより苦い思い出です。素敵な女性でした。なのに、なぜ別れることになってしまったのか。人生とはままならないものです。
 秋が深まってくると、妙に昔のことを思い出したり、前途を憂いてみたりして、寝付かれないものです。そんな夜、彼女は必ず、私の脳裏に現れて来ます。一種の呪縛のようなものかもしれません。
 彼女は、私の絵を好きだと言ってくれました。私の絵の唯一のファンだったのかもしれません。
 今日は、絵の話のはずが、妙なところへ話が逸れてしまいました。もう女性を描きたいと思う情熱は薄れました。これが、私の最後の婦人像かもしれません。バックの処理がうまくいった作品です。F10です。

ジュモー(レプリカ)

2009-09-09 23:54:08 | マイ・ギャラリー
 この娘は50センチ程度ある、かなり大柄な人形です。本来は姉の持ち物で10万円ほどで買ったと教えられています。ジュモーのレプリカですが、それにしても高価です。現在は、私の家のリビングの棚に収まっています。私が持っている他のドイツの人形と比べると、フランスの薫りがして洗練された感じがします。
 この絵を描き始めたのは、人形を描き出した初期の頃で、洋服の質感やレースが描けずに苦労しました。時間をおいて、何度も描き直した覚えがあります。バックはかなり厚くなって、今見ても変ですが、奥行きを出せずに相当塗り重ねました。
 しかし、色がきれいで、写真以上に華やかな絵になりました。今回、久しぶりに見て、昔の方が上手かったんじゃないの?と思ってしまいました。F10号で、額に入れるとかなりの大きさになりますが、飾っておくには悪くない気がします。写真ではトリミングがうまくいきませんでした。

30年前の自画像

2009-09-07 23:40:44 | マイ・ギャラリー
 手元に置いていた油絵の作品ですが、家人の苦情で処分しなければならなくなり、いろいろ考えていました。自分が一生懸命描いた作品ですから、下手とはいえ、むげには捨てるに捨てられません。かといって、このまま置いておけば、家人の機嫌を損ねるだけです。私の絵が嫌いだと言われてしまえば、言い返す言葉はありません。
 そんなとき、幸いにも、故郷の知り合いの家が空き家になっており、何でも置いてよいという話が来ました。とりあえず、そこに預かってもらおうと決断しました。家人ともいつまでも一緒にいるわけではなし、やがてまた手元に置ける日も来るかも知れません。とはいえ、場所は空き家です。雨漏りがするかもしれないし、ネズミにかじられるかもしれません。それよりも、そんな所に預ければ、もう手元に取り戻すことは出来ないのではないか、取りに行くのも億劫で、いつしか忘れてしまうのではないか、という不安が強いです。今生の別れかもなあ、そう思って、改めて眺めると、出来損ないの絵でも、なかなかよい絵のような気がしてくるから不思議です。
 今後紹介する数点は、手元にある絵の中でも相当な昔に描いたものです。20年以上前かも知れません。何だか昔の絵の方がいいんじゃないかと思うのは私だけでしょうか。上手い絵なら、どなたかもらってくれませんか?と言えますが、この程度の絵では、何も言えません。きっと空き家の中で朽ち果ててしまう絵たちでしょう。
 さて、第一弾は自画像です。いつ描いたか思い出せないくらいの昔で、30年以上前でしょう。よく手元にあったものです。若かりし頃の自分を思い出し、悲しくなる絵ですね。F10号です。少し弁解すると、横に撮った写真を縦にして圧縮したら、ワイドテレビの画面のように、上下がつぶれて変形してしまいました。

よくも悪くも私の代表作です

2009-04-03 23:57:24 | マイ・ギャラリー
 かつて自分の絵の集大成として描いた絵が2枚あります。その2枚目が、今回ご紹介するF50号の油彩画です。F50号というのは、横が120センチ弱、縦が90センチ強という大きさです。完成まで3ヶ月以上かかったと思います。
 この絵は、生まれて初めて公募展に出しました。最初で最後の出品でした。自分としては自信があり、賞も取れるのではないかとうぬぼれていました。搬入の日は、車で美術館まで運び、自分で額装しました。展示室の壁に掛けて、離れて見たとき、一目で「これは駄目だ」と思い知らされました。力がなく、こぢんまりとまとまっているだけで、何も訴えてくるものがないということが、自分でもはっきりとわかりました。自分の部屋で描いているときにはわかりませんでしたが、広い場所で見ると一目瞭然でした。
 その瞬間に吹っ切れました。自分には絵の才能がないということがわかったからです。それでも、展覧会から戻った後、相当手を入れました。だから、出品当時と現在の絵はかなり違っています。しかし、綺麗なだけで面白みがなく、訴える力がないことは、今も変わらないと思っています。
 中央は秩父の金昌寺という寺に祀られた慈母観音。拝観したのが午年の総開帳の年だったのでメリーゴーランドの馬を配しました。猫は、寺でも見かけたので加えました。死んだロシアンブルーの愛猫がモデルです。貝は鹿児島の海岸で拾ったものを散りばめ、死を象徴的に描いたつもりです。背景は、同じく秩父の札所のひとつ、音楽寺に近い林をモチーフにしました。人形は、先にご紹介したビスクドールです。風車は、やはり秩父の地蔵院というお寺で、水子供養の墓に供えられていたものをイメージして入れました。どうしてこんな構図になったのか、自分にもよくわかりません。
 この絵に関しても、自分の評価は動きません。あれだけ打ち込んで描けたことだけは幸せだったかなと思うくらいです。あなたが見てくださって、もし何か感じるものがあったらお知らせ願えませんか。もう絵に没頭することはないと思いますが、自分の感性のすべてを注ぎ込んだ気はしているので、区切りがつくかと思います。よろしくお願いします。

2009-03-17 02:39:05 | マイ・ギャラリー
 秩父の桜です。近いこともあって、秩父にはよく行きます。蕎麦を食べ、温泉に浸かり、地酒を飲み、寺を訪ねるというパターンです。この桜は、音楽寺山門下に続く坂道に咲いていたものを数年前に見て描きました。F3号の小品です。
 桜が好きです。西行が「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」と詠ったのも頷けます。桜と言って思い出すのは、吉野と京都円山公園の枝垂れ桜でしょうか。吉野を訪ねたのは、熊野古道が世界遺産になった年だったと思います。ケーブルの駅から蔵王堂を経て水分神社まで、全山満開で煙るようでした。
 映画で思い出すのは、市川崑監督の「細雪」です。佐久間良子さん、吉永小百合さん、古手川祐子さんが演じた三姉妹の物語は、実に華麗で豪華でした。桜が散る場面は壮麗で、日本の美ここにありといった風情でした。
 歌では、森山直太朗氏の「さくら」が好きです。温暖化の影響で、桜は入学式の花から卒業式の花になっているそうですが、卒業式のスタンダードになりそうなメロディーや歌詞であると思います。
 イタリアへ行ったときに、アーモンドの花が桜にそっくりで驚きました。以来、桜を見ると、イタリアを思い出すようになりました。私の桜のイメージも多少国際化しているようです。でも、本居宣長が詠うように「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山さくら花」という爽やかで潔いイメージが、私の桜でしょう。ソメイヨシノ云々と言い出せばきりがありません。
 早いもので三月も中旬になりました。桜が待ち遠しい季節ですね。在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌の気分を味わうのも、そう遠いことではありません。

きれいでない絵を

2009-02-18 03:11:31 | マイ・ギャラリー
 自画像です。自画像はずっと描いていました。「自分好き」というわけではありません。手軽な人物ということになると、自分しかいなかったのです。
 描いていて面白いのは、人物画が一番だと思います。造形的な面白さもありますし、内面をどれだけ描けるかという問題もあります。技量のない私ですが、チャレンジ精神を刺激してくれます。
 もちろん女性像がきれいです。若い頃、美形の女性と出会っていたら、私はきっと画家になっていたと思います。のめり込んで描くだけの情熱があったと思います。不幸にして、そういう出会いはありませんでした。もう絵に対する情熱も冷めてしまいました。
 私が絵を描くとき、最終的に意識した作家は、故小松崎邦雄先生でした。小松崎氏のような明るくボリュームのある人物像を描きたいと思っていました。この小品も、そうした思いで描いたものです。サムホールです。
 きれいとは言えない絵をお目にかけて申し訳ありません。

 

国上山の石仏

2008-12-14 23:57:08 | マイ・ギャラリー
 新潟に『万葉集』にも詠まれた弥彦山という山があり、そこに鎮座する弥彦神社は越後一宮となっています。その山系にあるのが国上山という小さな山です。この山は、良寛が隠棲した地として有名であり、現在も住居跡である五合庵という庵が残っています。
 良寛と言えば、飄々とした生き方を慕う方が多く、その書や歌などは高く評価されています。贋作が多いことでも知られる良寛の書ですが、興味のある方は、国上山にほど近い出雲崎に記念館がありますので、そちらを訪ねてみるとよいでしょう。日本海を見下ろす高台にあり、ゆっくりと良寛の作品を見ることができます。
 この絵は、その国上山で、五合庵にほど近い山道にあったものです。道標のような石の上部に、小さな仏が彫られているのを愛らしく感じました。その場でスケッチはせず、写真に撮ってから油絵を描いています。夏の昼下がりの強い光線と山の凛とした空気を表現したいと考えて描きました。モチーフ自体も小さなものですが、私の絵もサムホールの小品です。

小さな巻貝

2008-11-19 00:36:23 | マイ・ギャラリー
 鹿児島に旅行したときに、流木などと一緒に拾った小さな巻き貝を、サムホールで描いた油彩です。ごく短時間で仕上げました。
 旅の記念は土産物や写真ということになるでしょうが、私の場合は、拾った物が多いです。先に絵のモチーフとして紹介した向上寺の瓦をはじめ、安芸の宮島(厳島神社)では、潮の引いた海辺で、陶器の破片などを拾いましたし、沖縄ではムーンビーチで珊瑚の欠片を収集しました。土産物屋で売っている郷土玩具や特産品も面白いですが、やはり一番楽しいのは、自分で探して拾った物でしょうか。
 有元利夫氏は安井賞を受賞し、将来を嘱望された画家でした。若くして亡くなりましたが、氏も、旅先では石などを拾って帰り、それを顔料にして絵を描いたといいます。氏の作品は、どれもバロック音楽を彷彿とさせるリズムを持っている反面、犯すことの出来ない静謐さを持ち合わせています。その根本には、微妙な色のニュアンスがあるわけでしょう。私など及ぶべくもありませんが、絵に思いを塗り込めるといった気持ちだけは、共感できるように思います。
 こんなことを書いていると、また有元氏の絵を見たくなりました。

鹿児島の旅

2008-10-22 00:44:38 | マイ・ギャラリー
 シロクマという九州名物をご存じですか。フルーツなどを散りばめたかき氷に練乳をかけたもので、私は鹿児島の天文館を訪れたときに、喫茶店のウインドーで初めてその存在を知りました。そのボリュームにたじろぎ、腹をこわしそうなので食べませんでした。
 今回は、それとはまったく関係のない話題です。
 この絵は、流木と貝殻、それにウイスキーの小瓶をあしらった作品です。F3号だったと思います。メインのモチーフである流木は、大学時代からの知人が、故郷に招待してくれた際、浜辺を散策しているときに拾ったもの。それなりの大きさがありましたが、リュックに入れて、飛行機で持ち帰りました。貝殻もそのときに拾ったものです。ウイスキーもその旅で飲みました。
 この絵を見ていると、まばゆい光が交錯して、すべてが白っぽく見えた真夏の錦江湾の風景、特に、桜島の威容が思い出されます。
 私は、大学時代、よく知人のアパートに泊まり込みました。朝起きて、二人ともボーッとしながら、半日くらい、一言の言葉も交わさないようなことが何度もありました。別に不機嫌とか仲違いしたということではなく、ただしゃべらなかっただけで、居心地の悪さを感じることもありませんでした。
 流木を拾った海岸でも、二人は長い時間黙ったまま、散策していました。故郷に帰ったせいか、穏やかだった知人の横顔をよく覚えています。
 次回、鹿児島を訪れたら、絶対に本場のシロクマを食べようと思います。