観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

夏の思い出

2009-08-24 00:39:46 | コラム
 今年の夏は、仕事漬けでした。尾瀬にも行き、祭りにも参加し、楽しいこともありました。故郷の友人と酒を酌み交わし、普段出来ない話もしました。ビアガーデンは予約がなければ入れませんでしたが、銀座のバーで飲むこともできました。帰省して墓参りをしました。
 気がつけば、カレンダーも8月下旬となりました。今週末は、各地で最後の祭りや花火大会が催されることでしょう。それが終わると、今年の夏もおしまいです。思春期には、そうした祭りの音が遠くで聞こえるのが嫌いでした。メランコリックに切なくなってしまいました。
 今日、道を歩いていると、街路樹から聞こえていた蝉の声も少し弱くなり、ツクツクホウシの声が多くなっていることに気づきました。夏を謳歌する虫に代わって、来月になれば秋の虫が鳴き出すことでしょう。季節の移ろいがはっきりと表れるようになりました。
 そろそろ終わりになる今年の夏、いろいろな思い出が残ったと思う反面、期待したような出来事はありませんでした。何を期待していたのか、と言われれば、明解には答えられません。答えられませんが、満たされない日常が、少しでも満たされることを願いながら、結局、満たされることはありませんでした。
 今年の夏は、蒸し暑かったけれど、昨年の夏よりは過ごしやすかったのではないでしょうか。冷夏だったのかどうかはわかりませんが、そんな気がします。これから秋になり、冬を経て、春が巡り、やがて訪れる夏。私はどんな境遇になっているのでしょうか。見当もつきません。

マイブーム

2009-08-21 22:17:50 | オーディオ・音楽
 マイブームって言葉も死語になったような気がしますね。音楽で、私のマイブームが徳永英明氏のヴォーカリストシリーズであることは以前にも触れたと思います。女性シンガーの名曲ばかりを、オリジナルとは違ったアレンジで聴かせてもらうのは、何とも心地よいものです。聴くたびに、心に響いて来る曲が異なるように思いますが、最近のお気に入りは吉田美和さんの「未来予想図Ⅱ」でしょうか。シリーズの中に吉田さんの曲は数曲あったと思いますが、ちょっと聴くとすぐわかるほど個性的ですね。独特の音律を持った方だと思います。
 さて「未来予想図Ⅱ」には、こんなフレーズがあります。
  「ずっと心に描く未来予想図は ほら 思った通りにかなえられてく」
 この曲を聴く方々は、この部分をどのように聴いていらっしゃるのでしょうか。若い方々には、希望に満ちた歌詞として、心を鼓舞するようなメロディーなのかもしれません。しかし、よく考えれば、世の中、自分の思い通りになることなどまれです。ほとんどのことは、思うとおりにはなりません。実際、吉田さんご自身も、最愛の方と結ばれ、すぐに死別という不幸に見舞われています。それを思うとき、このフレーズは涙なしでは聴けません。車の中で聴いていると、号泣するという、いつものスパイラルに落ち込んでしまうわけです。そういうと、何年か前の紅白歌合戦で、ご本人の歌唱で聴いたときは号泣しました。まったく情けない号泣オヤジです。自動的にスイッチが入る感じですね。
 紅白と言えば中島美嘉さんの「雪の華」は名曲だと思います。オーケストラをバックに劇的に歌い上げる歌唱力もさることながら、あのハスキーヴォイスがたまりません。今度ぜひジャズのスタンダードをカバーしてください。思わずお願いしちゃいます。

老母と過ごした夏の日

2009-08-20 21:00:34 | コラム
帰省して久しぶりに老母と過ごしました。毎日、テレビの前でうとうとしている生活のようです。食事の支度も片付けも老父が引き受けています。
 昼食に外へ連れ出したときのことです。冷房が寒いらしく、持ってきたカーディガンをはおりました。「これは小学校5年生のときに作ったの。大事に着てきたから綺麗でしょ」と真面目に言うのです。
 そればかりではありません。私が上京する朝は、「来ていた親戚はもう帰ったの?何も知らなかった」と言うのです。よく訊いてみれば、母の故郷から親戚が皆来ていて泊まっていたとのこと。もちろん誰も来ていないのですが、その言葉を10回も繰り返すので、さすがの父も怒り出す始末。夢の中の出来事と現実の出来事の区別がつかなくなっているようでした。
 少し前から、物忘れが激しくなり、おかしなことを口走るようになりました。認知症の症状としては、まだ軽い部類かもしれません。でも、今のままの生活を続けていれば、近い将来、母は完全に壊れてしまうでしょう。せめて、友人でもいて話でもできれば刺激になるのでしょうが、母の知人はほとんど他界しています。もともと口数が少なく、趣味もない人なので心配はしていました。頭を使ったり、気遣いをする必要もなくなった今、もうブレーキになるものはないような気がします。
 私も責任を感じます。今まで、出来る限り近況を知らせる手紙や葉書を送り、写真なども郵送して来ました。月に数回はしてきたと思います。それが、4月以来、ほとんど何も送っていません。夏休みも短くなり、帰省の回数も減りました。仕事はますます忙しくなりますが、何とかしないと、後悔することになると思います。何らかの意味で刺激を与え、忘れられた存在ではないということを教えてやらねば、と思いますが、もう遅すぎるかもしれません。

受け継がれていくもの

2009-08-19 00:29:20 | コラム
 炎天下、町内を練り歩く祭り行列に参加していて、今回、自然に癒されるという体験がありました。小さなことでしたが、通りを折れて路地に入ったとき、ぱっと目に飛び込んできた芙蓉の大輪の花。一輪だけ、家の壁を背に咲いていました。それが、疲れた心には、笑っているような、楽しい顔のように見えて、思わず微笑んでしまいました。これは尾瀬に行って、花の表情を見る力が身に付いたのではないか?と思われる一瞬でした。
 また、生と老を対比して見たシーンがあります。祭り行列も目的に近づいた終盤、ある民家の玄関先の情景です。一家三代くらいの人々が揃って見物をなさっていました。右端の老婆は、もうおそらくは認知症になっていらっしゃるでしょう。そんな感じの方でした。それが、御輿を見るや、本当にうれしそうに微笑まれていました。子供のように無邪気な笑いで、昔日を思ってとか、そういう意味はなくて、ただ御神輿が来てくれたのがうれしいという表情に見えました。一方、家族の中には、新生児に近い小さな赤ちゃんがいました。父親にしては少しお歳かなという感じの男性が、宝物のようにうやうやしく抱いていらっしゃいました。私は、老婆と赤ちゃんのいる、その家族の様子を眺めていて、訳もなく目頭が熱くなりました。
 血というものが受け継がれ、続いていく素晴らしさ、といったものに感動したように思います。老婆はこの先、そう長く地上にとどまることはないかもしれないが、そのDNAは確実に地上に残り、子や孫によって継承されていくのです。
 花も人間も自然の一部として、大きな流れの中で同じように生きているのだと思われた、そんな夏の午後でした。

我以外皆師

2009-08-18 00:09:09 | コラム
 「我以外皆師」というのは吉川英治氏が色紙に好んでお書きになった言葉だそうですが、それを痛感するような出来事がありました。
 祭り行列に参加した日、夕食を隣で食べたオジサンは、交通整理員の方でした。御輿を先導して、車を止めたりする仕事です。小柄で日焼けした方で、70歳を超えていると聞いたときはにわかに信じがたいくらい若く見えました。
 その方は、アメリカで15年間、もぐりで観光ガイドをしていたと教えてくれました。ホテルで日本人観光客を勧誘して、観光や食事に案内し手数料を取るという感じの商売だったようです。そんな商売があったのかという驚きと同時に、異国で生きていくためのたくましい生活力を感じました。そして、失礼ながら、英語が活用できる方のようには見えなかったので驚きました。海外生活ではお子さんも同行されていたようで、現在はロンドンで看護婦をされているそうです。外国の病院のお話は、経験者の方から聞いたことがありますが、看護師は医師と対等に近いくらい地位が高く、日本とはかなり異なることは知っていました。きっと、仕事に生き甲斐を感じ、活躍されているのだろうと勝手に想像しました。
 時間にしたら10分そこそこしかお話しできなかったのが残念でした。きっと面白いエピソードがたくさんあるのだろうと思います。お酒でも飲みながら伺えば楽しかっただろうと後悔されます。
 身近に、すごい人っているものですね。話せばわかるが、話さなければわからない。当たり前のことですが、そういった出会いを大切にしたいと思う体験でした。

今年も参加した祭り

2009-08-17 00:15:57 | コラム
 毎年参加している祭りについては、昨年も書きました。1年は早いと改めて思います。
 今回は晴天に恵まれましたが、暑さもなく、日陰に入れば風も涼しく快適な日でした。私の故郷では8月に入ってからの真夏日はまだ1日しかないそうで、異常気象と言えるのでしょうか。
 前回は、御輿を担ぐ手伝いなどもしたのでしたが、今回は、お札配りが専門でした。これは、御輿の先に立って、沿道にいる人々から、お金や酒、米などをもらい、お札を差し上げるという仕事です。
 朝8時から夜7時まで、途中で昼食と夕食を弁当でいただき、その他にも、数百メートル歩けば休憩所がしつらえてあり、ビールをいただけるという環境です。昼間から公然とアルコールがいただける機会はないとばかり、つい飲み過ぎてしまいます。
 今年も歩いていて気づいたのは、空き家が多くなり、人が減っているということ。昨年同様、遺影を抱いて祭り行列を迎える人もいました。でも、行列で歩いていいなあと思うのは、子供と年寄りがとても喜んでくれること。祭り行列には天狗様もいるのですが、今日は子供達と一緒に何枚も写真におさまっていました。お年寄りも、御神輿を拝んでうれしそうでした。
 私は地元でもなんでもない人間ですが、縁あって長年参加しています。炎天下を行列する仕事は大変ですが、少しでも喜んでもらえるとうれしいですね。

故郷で見た佐伯祐三

2009-08-14 16:51:37 | 絵画
 友人に誘われて佐伯祐三の展覧会を見ました。今や地方も立派な美術館を持っている時代です。大量の作品がゆったり展示されており、空いているので東京の美術展より快適に鑑賞できたかもしれません。
 今回の展示では、佐伯の生涯と作品を5つの時代に区切って、時代順に作品が展示されていました。パリまで、第一次パリ時代、帰国時代、第二次パリ時代、最後の三ヶ月の5区分です。これは時間の進行順ですからわかりやすかった。特に、ブラマンクに「アカデミック」だと作品を罵倒された第一次パリ時代、電信柱に垂直の動線を見いだした帰国時代、ユトリロの影響の上に文字やクローズアップ、人物の配置など、独創性を身につけた第二次パリ時代は、うまく構成され、わかりやすい展示だったと思います。
 それにしても、「モランの寺」「郵便配達夫」「ロシアの少女」といった代表作が、最後の3ヶ月で描かれているのはすごいと思います。中でも「扉」と「黄色いレストラン」の2枚には、作者自身が「最高の自信」があると病床で述べたそうですが、2枚とも1928年なんですね。展示されていた「黄色いレストラン」は絶筆の可能性もあるようです。
 「黄色いレストラン」は大きな作品ではなく、レストランの入り口の扉がクローズアップで描かれていて、左手に女性が立っているだけの絵です。ガラスの窓ごしに見るレストランの内部は黒で塗りつぶされていて、死の世界ではないかと思われます。黄色い扉や柱の重厚さも、荘厳な死をイメージしたくなる作品です。最高の自信があるという作品を、人生の最後に描けるというのはすごいことですね。人生の最後と言っても、わずか30歳で逝ってしまったのですから未練はあったでしょう。
 佐伯のまとまった美術展を見たのは5~6年ぶりですが、改めて見ても、すばらしい絵ばかりでした。

ステップワゴン ここまできた燃費

2009-08-13 23:12:47 | メカ(機械)
 ステップワゴンは走行性能などはミニバンの中でも優れていると思います。低床式の車体は安定感があります。難を挙げれば、路面の凹凸を拾うこと(ただし、これについては好き嫌いの問題が大きい)と、燃費が悪いことがあります。そこで、このブログでは燃費を中心にレポートをしてきました。
 さて、今日は盆の帰省ということで一人だけで200キロあまりの距離を運転して来ました。ほとんど高速道路の走行と考えてください。路面は雨で濡れた状態、風はそれほどなく、途中の休憩はサービスエリア1カ所のみです。乗員は運転している私1名。出発時に給油して満タンの状態でした。平均時速は100キロ以下。特に後半は80~90キロくらいしかスピードを出しませんでした。エアコンはもちろんオンです。
 結論を先に言えば、200キロ以上の距離を走って燃費の平均は1リッターあたり15.9キロでした。これは今まで数値を意識して走ってきた中ではもっともよい燃費でした。スピードを上げずに燃費優先で走ったので当然の結果ではありましょうが、実は2週間ほど前、オイル交換をし、点火剤を入れました。安価な点火剤を少量入れたにすぎませんが、ひょっとすると予想以上の効果があったのかもしれません。本当のところはどうなのでしょうか。
 最終的に言うなら、かなりおとなしい走りではありましたが、それでも15キロ走るというのは、高く評価できることではないかと思います。ハイブリッドにでもなれば、この車はますます注目されることでしょう。

尾瀬の魅力

2009-08-11 16:50:45 | 旅行
 今日は久しぶりのオフでした。今年度に入ってから、土曜日曜の出勤も増えたので、のんびり出来ずにいましたが、今日はほとんど一日家にいて、蝉の声を聞きながら、書き物などして過ごしました。
 尾瀬から帰って以来、何か都会の生活になじめず、困っています。朝、目を覚まして聞く鳥の声は、澄んだ空気を切り裂くような強烈な刺激でした。驚くほど大きくて、よく響く声は、街で聞く鳥の声ではありません。頬を撫でていく風、草の匂いのすがすがしさは、忘れていた少年時代を思い出させてくれました。広がる湿原にあって、木道を行く人々を送り出してくれた至仏山、迎えてくれる燧ヶ岳。今年はあの頂に立ったのだと思うと、帰りに振り仰いだ燧ヶ岳は、もう人を拒むような顔ではない。大地に包まれて、理由もなく涙が落ちそうになりました。
 昨年より少なくて心配な花々でしたが、厳しい冬に耐えて咲く花々は、可憐でありながらも逞しく、短い生命を謳歌しているように見えました。それにつられて、木道を歩く人々も明るく声を掛け合い、何とも言えない親近感を感じることができます。平素の生活の中で、他人がこれほど身近に感じられることはありません。自然の中で、人の心も自然に帰れるのかもしれません。
 尾瀬にいると、朝はうれしく、昼は明るく、夜は淋しい。自然の中で、自然とともに、人の感情も穏やかに動いていく。毎日がそんな生活であったならどんなにすばらしいだろう、そう考えずにはいられなくなります。所詮、考えてもしかたのないことだとはわかっています。でも、考えずにいられない。それが自然の魅力、尾瀬の魅力なのでしょう。帰ってきてからわかるというのは、どうも間抜けな話ですが、どんどん強まるこの思いというのは何なのでしょうか。

女性ヴァイロリニスト考

2009-08-11 00:23:13 | オーディオ・音楽
 急に故郷の花火大会が見たくなって、日曜日の早朝から車を走らせて帰郷。夜には再び上京というハードスケジュールをこなして今日はいつも通りに仕事へ。多少眠気はありましたが、そこそこ仕事もこなして、夜は仕事帰りにコンサートに寄りました。
 今日はヴァイオリンとピアノだけの演奏。よく考えてみると、ヴァイオリンのソロなんて聴いたことがなく、どんなものか、興味を持って出かけました。
 最初の曲は「ラプソディー・イン・ブルー」。ガーシュインの名曲ですが、ヴァイオリンの音をしみじみと聴くと、これが大変素晴らしい。高音は硬質ながら澄んで凛とした趣があり、まるで妖精が舞い降りてきたような気がしました。演奏者はまだ若い女性で、手足が細く華奢ですが、低音の重厚さは信じられないほど逞しい。か弱い女性がよくもあれだけの音が出せるものだというアンバランスもまた魅力でした。体の動きを見ているうちに、女性の美しさを一番発揮できる楽器はヴァイオリンなのではないかとさえ思いました。ピアノやチェロ管楽器などを思い浮かべても、ヴァイオリンが一番ではないかと思えたのです。今までは、顎の下に楽器を挟んで、何だか美しくない気がしていましたが、それは偏見でした。
 以後の選曲も世界各地の曲を採り上げてバラエティーに富み、とても楽しいものでした。2時間ほどの時間はあっという間に過ぎ去りました。演奏の間中、眠くなる暇などなかったことは言うまでもありません。明らかに寝不足のはずなのに、です。平日の夜、勤め帰りにコンサートが聴けるというありがたさは何とも言えないものでした。ヴァイオリンのソロ演奏、またぜひ聴きたいものです。

見直したぞ!ステップワゴン

2009-08-07 00:15:36 | メカ(機械)
 ステップワゴンに乗り始めて、もう少しで3年、初めての車検になります。
 実は、先日の尾瀬には、この愛車で行きました。というのも、山行の参加者が全部で7名になったため、車の提供を求められたのでした。いつもお世話になっているので、迷わず車を出した次第。7名乗せて運転するのは初めてだったので、どんな感じだったかレポートしましょう。
 7名乗せて心配だったのは、荷物のことです。特に、今回はキャンプでしたので、テントや食料を積まねばなりません。リュックだけでも60リットル程度のものが4~5つくらいありました。めいっぱいの定員を乗せて、こうした荷物が積めるかどうかでしたが、何人かはリュックを膝の上に置くなどして、何とか収まりました。もちろん、窮屈であったろうことは言うまでもないでしょう。
 次に、7名分の重さです。高速と山道になりますので、そのあたりが不安でした。ところが、こちらのほうは何の問題もありませんでした。ハンドルの重さはもちろん、山を上がるときの重さや非力さを感じることはほとんどありませんでした。加速もスムーズとはいかないまでも十分だったと思います。とりたててストレスはなかったということです。燃費の方も、往復200キロ強だったと思いますが、高速と山道で、リッターあたり12キロと、ほとんど通常通りでした。同乗者も「静かですね」と褒めていました。ロールもなく、本当に静かで安定した走りだったと思います。
 このように考えると、ミニバンとしての走りはなかなかのものだったと言えるでしょう。ステップワゴン、やはりポテンシャルの高い車のようです。

もう少しがんばるか

2009-08-05 09:46:01 | コラム
 人付き合いも得意でなく、考え方も不器用で、家庭は不和、職場でも思うように自己表現ができません。このブログは、何とか、ほかの方とコミュニケートしたいという気持ちで始めました。趣味とか考え方といった点で、何かを感じてくださる方はいないかと思っていましたが、案の定、ほとんど反響はありませんでした。やっぱり、読んでいただくということは難しいのだなあと改めて思います。
 最近、夏バテしているわけではないのですが、書く意欲が萎えてきました。7月は特に低調でした。書く内容がないというのは今に始まったことではないので理由にはならないでしょう。どうせ読んでもらえないんだから・・・とひねくれていたこともあります。
 以前から感じていたことですが、今回、尾瀬に行って、自然保護の地道な活動を再認識しました。帰りに東電小屋に立ち寄ったこともあるかもしれません。ご存じの方も多いでしょうが、東京電力は尾瀬に水力発電の調査のために進出して以来、開発ではなく、土地を所有し、木道を整備するなどの自然保護活動に尽力しています。冬期の除雪作業やトイレの管理なども含まれます。国立公園となり、特別天然記念物に指定されている尾瀬が、一企業の力に依存しているのは実に奇妙なことだと思います。
 しかし、そういった地道な努力があるからこそ、尾瀬の自然は守られ、次の世代に引き継がれていくのです。厳しい冬を耐えて、夏を謳歌する生き物たちに接することで、どれだけ多くの人々が癒されているか。まったく有り難いことで、頭が下がるばかりです。
 そうした尊い行為と、私の稚拙なブログを比較するのは申し訳ない限りですが、継続は力なりと言います。少しでも長く続けていれば、ごくまれにでもメッセージを送ってくださる方も出てくるかもしれない。そう信じて、この夏も書いていこうと思います。

ありがとう!尾瀬と仲間達

2009-08-04 09:03:17 | 旅行
 昨夜は、2泊3日のキャンプから戻り、ビールと睡眠を堪能しました。やはりテントではよく眠れず、睡眠の質が悪いのは言うまでもありません。昼間は悪天候の中を何時間も歩き、まともな食事も出来ず、いったい何が楽しくて山歩きなどするのか、興味のない人には理解できないでしょう。
 もちろん、自然の素晴らしさはあります。まして尾瀬ですから、風景や動植物との出会いは誰もが納得するところでしょう。今年は、最終日、今までの中で一番天気がよくなり、夏の尾瀬を初めて感じることができました。鳥の声で目覚めてから、草原を渡る風の薫りを感じ、緑鮮やかな稜線を仰ぎ見る。その感動は都会暮らしでは絶対に味わえないものです。湿原の水面に輝く夏の空と雲。今回はその写真をたくさん撮りました。アップしたのは、尾瀬ヶ原から見た燧ヶ岳です。今回は、山頂から、このアングルとは逆に尾瀬ヶ原を見下ろしたことになります。
 今年、キャンプ場では、一人旅のハイカーを見ました。小さなテントに男性が一人。自然に誘われて、一人ぶらりと山に出かけるというのも、羨ましい気はしますが、私には淋しいかなあという印象でした。
 皆で荷物を分担して担ぎ、励まし合ったり、気遣ったりしながら歩くから、自然もより一層素晴らしく感じられます。たとえとしては変ですが、恋人同士で映画を見る人がいますね。なんだか時間がもったいないような気がすると思っていました。映画など二人でなくても一人で見られるではないか、と思っていたのです。しかし、二人で素敵な時間を共有し共感するところに意味があるのです。よい映画は二人で見るからもっとよくなる。それと同じことが言えると思います。
 キャンプを終えて、自宅に戻り、リラックスできたのは事実です。でも、少し淋しい気がしているというのも正直な気持ちですね。来年は至仏山登頂が目標になりました。来年また行けるように、健康でありたいと思います。

燧ヶ岳初登頂

2009-08-04 00:45:18 | 旅行
 今年も尾瀬に行くことができました。8月1日の早朝出発。鳩待峠から山の鼻、牛首、竜宮、見晴と進むいつものコース。小雨には降られましたが、大変だという感じはありませんでした。
 今回のメインは二日目でした。見晴から燧ヶ岳を経て、尾瀬沼の沼尻に出て、見晴に戻るコース。燧ヶ岳は東北一の標高を誇ると言います。わずか3.5キロの登山道ですが、高低差もあり、ハードでした。雨や強風にも悩まされました。頂上に近い地点では風が強く、先日、北海道で起きた遭難事故を思い浮かべるような状況でした。
 例年のように植物や景色を眺めながらの散策ももちろんよいけれど、山頂を目指す登山も素晴らしいものでした。特に、燧ヶ岳の山頂に立てば、右に尾瀬ヶ原、左に尾瀬沼というパノラマが得られ、時間が経つのも忘れてしまうほどでした。湿原を縦断する木道は、その前日に通った道です。そこを鳥瞰する感動は何とも言えません。多く点在する湖沼が銀色に光り、繊細な湿原は奇蹟の産物としか見えませんでした。その景色を写真にアップしておきます。
 でも、今年、私は去年ほどの感動を味わえなかったのも事実です。時期がずれて花が少なかったこともあるかもしれない。ニッコウキスゲやコオニユリなどは、昨年とは比較にならない少なさでした。これが、季節の誤差であればよいのですが、温暖化などの影響ではないことを祈ります。
 それと、今までは、尾瀬を妙に神聖視するようなところがあり、そこで酒を飲むこともなかったのですが、今年は気の付くメンバーがウイスキーを用意してくれ、一晩目にそれを全部飲んでしまいました。そういった二日酔いも感性には影響するでしょう。
 そうした時間を経て到達した燧ヶ岳山頂でした。山登りなどいつ以来でしょう。本当に疲れました。でも、行ってよかった。それは言うまでもありません。つづく。