観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

ドールコレクション5

2010-03-22 22:32:24 | ドール
  既に、油彩画をマイギャラリーにアップしている人形です。ジュモーのレプリカで、姉が羽振りの良いときに購入したものを私が譲り受けました。
 ジュモーはアンティークドールの白眉といってよいでしょう。フランスの人形らしく、少しきつい顔立ちで、ビスクの白さ、きめ細かさはほれぼれしてしまいます。かつて、私も人形店で、小さなジュモーに惚れたことがあります。30センチ程度の小ぶりの人形ながら、気品と風格を持った芸術品でした。バブルの頃で200万円の値札がついていて、さすがに手が出ませんでした。何度か通って、見るだけで楽しんでいましたが、ある日、なくなっていたので店員さんに訪ねると、ふらりと来店した男性が「娘にプレゼントする」と言って購入したそうです。羨ましい方です。私にはできませんでした。
 私は多くのジュモーを見てきましたが、この人形のようなジュモーは見たことがありません。レプリカというより、制作者のオリジナルの部分が強いように思います。私は、投資の対象として人形を見ているわけではありません。置いておいて美しく、心が慰められるなら、真偽は関係ありません。この人形は、顔立ちとしてはオリジナルのジュモーより優しい感じがして好ましい。ですから、問題はありません。ただ、あの200万円のジュモーと比べると、オーラはまったく違います。さすがに本物だけが持つ気品は、レプリカにはありません。とうてい及ぶものではありません。でも、実際問題として200万円出せない以上、レプリカで十分満足できます。レプリカにはレプリカの味わいがあります。それでよいのだと思います。

ドール・コレクション4

2010-03-18 22:02:19 | ドール
 前回ご紹介したビスクドールは、私の油絵で紹介しましたが、オリジナルの写真を撮ったので改めて掲載します。
 現在、私の人形の多くは、総ガラスのショーケースに入れてあります。これは幅約1メートル、高さ1メートル弱、奥行き約20センチのガラス製で、20センチくらいの4本の足で支えられています。引き戸で開くようになっており、上部には蛍光灯がついていて、2枚のガラス板によって3段に仕切れるようになっています。本来は、お店において、小物を陳列したケースでしょう。リサイクルショップで購入しました。
 現在、そこに、これから逐次ご紹介する人形を4体入れていますが、2体は60センチクラスの人形を立てて飾っているので、仕切り板は利用していません。今回、このケースを自分の部屋に持ち込みました。ようやく、人形達をいつも近くで見ることができます。
 改めて、写真を撮ってみると、可愛らしい人形だと思います。前回述べたように、価値としては高くはありませんが、価値の問題ではないと思います。
 あの日、あのお店に行って出会っていなければ、今、私の手元にはなかったでしょう。巡り合わせというか、一期一会というか、運命の邂逅というのは人間だけではないと感じました。
 マイギャラリーにF60号の絵がありますので、そちらもご覧ください。

遅ればせながら雛祭り

2010-03-16 09:32:21 | ドール
 気がついたら、もう雛祭りも終わっていました。そして、山形の河北町のことを思い出し、彼の地の雛祭りに通っていたのは、もう20年前なんだなと気づきました。
 日曜日の朝、NHK「小さな旅」で千葉の勝浦の雛祭りが紹介されていました。勝浦では、全国から雛人形を引き取って展示するらしい。痛んだ人形を丁寧に修理して、なくなった小物なども手作りします。雛人形を送る人は、思い出深い人形が保存され、多くの人々に見てもらえることを喜んでいるようでした。それにしても、雛人形に込められた思いというのは強いものがありますね。娘や母親の絆というのは、男性にはわからないと思いました。
 河北町は、紅花染めで有名な町です。かつては、紅花を中央へと出荷した船が、帰りに雛人形を積んで来たものだといいます。現在はさびれた町に、なぜこんなにも豪華な雛人形が残っているのかと、初めての方は驚くはずです。雛人形が飾られた民家を巡るのは楽しいものでした。いろいろなものを売る市も立って、活気にあふれていました。
 河北町の神社では、雛人形のお焚き上げが神事として行われていました。古い人形が、やはり全国から送られてくるようでした。私は、その神事は、少し残酷な気がしました。可愛がってきた人形を火にくべる光景を目にしたときは目を背けたくなりました。しかし、今は、それほど抵抗がなくなりました。思い出に感謝して、天に帰してあげることも悪くないと思えるようになったからです。例えば、私もいろいろなものを持っていますが、私が死んでしまえばガラクタのようなものもたくさんあります。そういうガラクタは私とともに消え去った方が自然なのかなと思うのです。もちろん、美しい人形は、誰かに引き継いで欲しいと思いますが、託せる相手がいなければしかたがないでしょう。
 勝浦のように残すことも、河北町のように焚き上げることも、どちらもアリだと思います。ただ、私のアンティークドールは長く残って可愛がってもらいたいものだと思います。

ドールコレクション3

2009-02-17 03:50:34 | ドール
 アーマンド・マルセルのビスクドールです。保証書には1913年という制作年が記載されています。目はブルー、髪はブロンドのオープンマウスです。銀座にあるお店で一目見て気に入って購入しました。委託販売のようでした。
 ビスクドールとしては、ジュモウのように白い顔がよいとされていますが、ドイツの人形は子供の顔を作ろうとしているのか、意図的に赤く焼いているように思います。この人形も、顔が赤すぎる点が価値を下げているようです。
 身体のパーツはコンポジションです。内部でゴムを張って手足をつないであるようです。多少ゴムのゆるみが出ています。
 この人形は、あまりモチーフにしてきませんでした。最初に描いたこの絵が気に入ってしまい、満足していたからかもしれません。絵ではリボンと肩のあたりしか見えませんが、ドレスもきれいで凝ったものです。おそらく、オリジナルではないでしょう。
 1913年は大正2年です。可憐な人形は、現在まで、波乱の時代を見てきたわけです。どういう人が愛玩し、どういう人達が引き継いで、現在、日本の私の手元にあるのか。そんな空想をかき立ててくれるのが、ビスクドールの浪漫であると思います。
 サイズは得意のサムホールです。
 今回は写真でなく絵をアップしました。本来は「マイギャラリー」のカテゴリーにすべきでしょう。 

ドールコレクション2

2008-09-14 22:46:39 | ドール
 父が仕事でヨーロッパの視察旅行に行った際、姉に土産として買ってきた人形です。60センチ程度ありますが、セルロイド製で、フランス人形ではなく、スイスのものらしいです。
 私は幼くて記憶も曖昧ですが、当時はヨーロッパ旅行などは一般的ではなく、父は、水杯を交わして出立するような、悲壮な思いで渡欧したように覚えています。母はわざわざ上京し、羽田空港で父を送ったのではなかったでしょうか。
 半月以上、父は不在でした。帰宅した父から、私はいろいろな土産をもらいました。一番高価なのは、オメガの腕時計で、子供の私には不釣り合いでした。今でも時々使っていますが、なにせごついので、常用はしていません。でも、機械式なのが気に入っています。
 姉は、土産にフランス人形を頼んだそうです。アンティークをイメージしていたようですが、いかにも土産物風で、がっかりしたようです。そこで、あまり大切にされていなかったものを、絵のモチーフとして頂戴しました。
 この人形を見ながら、私はまだ見ぬヨーロッパに思いをはせ、美しい女性達に憧れていました。少年の日の思い出です。その遙か後に、私はイタリアの地だけは踏むことができましたが、フランスにもスイスにも行ったことはありません。おそらく、もう行くことはないでしょう。その意味では、父は私より国際人だと言えそうです。

 

ドールコレクション1

2008-09-06 18:31:10 | ドール
 姉の影響で人形が好きになりました。セルロイドのものやビスクのアンティークなど、数体が、今、手元にあります。家人は全く興味がなく、邪魔者扱いなので、私の部屋に置いています。主に絵のモチーフとして利用してきました。さすがに遊んだりすることはありません。
 今回、最初に掲載するのは、セルロイド製のミルクのみ人形で、これは姉が幼い頃に遊んでいたものです。服は破れて、現在着ているのは、亡くなった祖母が作ったものだと思います。昔の人は、そんなふうに手作りしたのですね。だから、思い出もより一層深くなる気がします。本体には、実際にミルクを飲む穴が口に開いており、横にすると目を閉じるようになっています。
 薄汚れてしまいましたが、この人形は思い出深く、大切な一体です。この人形を見ると、自分が生まれ育った昔の家や、幼い姉のこと、祖母のことを思い出します。この人形は、私と半生をともにしており、その眼は、私の成長をずっと映してきたのです。言ってみれば、私の妹のような存在なのかも知れません。