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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

上野の花見

2016-03-27 02:07:24 | 旅行
 3月25日(金)の夕方5時~7時、上野恩師公園で花見をしてきました。週末は寒気が流れ込み、文句なく寒かったです。花は二分咲きくらいだったでしょうか。花見客はあまりいませんでしたが、写真を撮っている外国人旅行者が目立ちました。
 大学時代の友人と2人、花見が恒例になっています。相手に電話したら、何も言わないうちから、即、「花見?」と言われたのは驚きでした。友人(言うまでもなく男性)が用意してくれたシャンパンと、上野のコンビニで買った焼酎を、これも友人持参のお湯で割って飲みました。つまみもコンビニで調達した乾きものです。
 あまりの寒さに早々に退散、私の提案で日暮里に場所を変え、立ち飲みができる酒屋さんと居酒屋を梯子、解散となりました。
 お花見情報としては、まだ早いです。といっても、昨日(土曜)はかなりの人出のようでしたね。

今年の尾瀬

2015-08-09 19:28:27 | 旅行
 恒例の尾瀬に行って来ました。3泊はすべてキャンプで、尾瀬にある3つのキャンプ場をすべて利用しました。
 今年は大清水から入り、初日は尾瀬沼で一泊。夕焼けの尾瀬沼と燧岳を見ました。落日の風景を写真に撮りました。天候に恵まれた今年、尾瀬沼の夕日を初めて撮ることができました。



 その後は、見晴で一泊して山の鼻に移動、山の鼻から至仏山に登頂しました。体力的にどうか?膝の痛みは大丈夫か?といった不安を抱えていたものの、遅れを取ることなく歩くことができました。
 最終日は湿原を歩き、珍しいトンボの写真を撮りました。赤いハッチョウトンボと青いルリイトトンボだと思います。



 今年は天候に恵まれ、午後に雷雨があったのは初日だけでした。夜や朝方にも雷雨があったようですが、雷注意報が出ていたにも関わらず、歩いていて雨に打たれることはありませんでした。また、例年より遅く行ったために花が少なく、ニッコーキスゲは湿原で1輪だけみたきりでした。ウイークデーでハイカーが少なかったのはよかったです。
 これから行く方へ。夜は長袖、長ズボンで寝袋に入っても寒いです。防寒対策をお忘れなく。また、公衆トイレはどこも定期的によく清掃されていて気持ちよく使えます。数年前までとは大違いです。
 滞在中はあまり意識していませんでしたが、今年は例年になくよい写真が多かった気がします。撮った数は少なかったので、効率よく撮れたということでしょう。反響があれば追加で掲載したいと思いますが、ないですよね……。


飯能の天覧山へ

2015-07-21 19:04:51 | 旅行
 今日は9時に飯能をスタートしました。観音寺、諏訪八幡神社、能仁寺と歩き、能仁寺裏から天覧山へ。標高195メートルということで、十数分で着きました。山頂は風が通って見晴らしがよかったです。そこから十六羅漢、雨乞いの沼を経て多峯主山へ。271メートルの山頂には経塚があり、こちらは四方に視界が開けて絶景でした。
 吾妻峡は入間川に沿って河原があり、爽快でした。飯能河原に戻って、1時過ぎに畑屋さんという古風な鰻屋さんへ行きました。2880円のうな重を食べましたが、とても柔らかく旨い鰻でした。その後、駅前まで戻り、中華屋さんで生ビールを3杯飲みました。
 帰宅したのは5時前でした。お手軽に自然に触れることのできる楽しい旅でした。写真は、吾妻峡にあるドレミファ橋。この飛び石をたどって対岸へ渡るのは、なかなかのスリルです。
 右膝は最初は痛みがあって、どこまで歩けるか不安でしたが、歩くにつれて、それほどでもなくなり、大丈夫かという気もしました。ただ階段の上り下りには痛みがあります。

伊豆ヶ岳登攀記

2015-07-19 11:54:57 | 旅行
 先週、12日の日曜日、来月の登山のウォーミングアップとして奥武蔵の山へ行って来ました。実は、少し前から腹筋を鍛える運動と言うことで、お金のない私は腰を落として膝を曲げる動作を繰り返すという運動をテレビで見てやっていたのですが、右の膝を痛めて不安を持っていました。体力の低下も気になりましたが、膝の具合を見たいという目論見もありました。
 秩父線の正丸から歩き始めたのが8:40。中高年の夫婦やグループがたくさんいました。
 以前歩いたことのあるコースでしたので、だいたいのイメージはできていました。15キロを5時間10分で歩くのが標準とされていますので、4時間半くらいで歩けるのではないかとたかをくくっていました。
 正丸峠を越えて伊豆ヶ岳までは順調で、標準の行程を1時間以上下回るペースで歩けました。体力的にはかなりきつく感じられましたが、膝の方は何ともないようで安心できました。子の権現に向かう道が非常にわかりにくく、道を間違ってかなりロスが出ました。しかし、そこからの上り坂は息が切れて大変でした。正丸峠に向かう坂もきつかったですが、歩きはじめだったので何とかなりました。しかし、終盤の急坂は予想以上に厳しいものでした。前回、それほど苦しいという印象はなかったので、やはり相当体力が落ちているのでしょう。何とか吾野の駅にたどり着いたときには、標準時間を1時間以上過ぎ、膝に違和感を感じていました。
 当日は疲れたなあ程度ですんだものの、翌日は腿が痛み、翌々日は腰が痛み、昨日あたりは右の膝が痛んで階段の上り下りもこたえました。来月までに何とかなるでしょうか。体調が回復したら、21日には飯能の町を歩いてみたいと思いますが、どうなるでしょうか。

 

銀座で過ごした1日

2015-06-28 23:46:11 | 旅行
 6月27日の土曜日、東京は雨でした。朝、小雨の降る中、地下鉄で有楽町に向かいました。二つの美術展を梯子する計画でした。1つ目は三菱一号館美術展で初日を迎える「画鬼暁斎」を見ること、2つ目が東京ステーションギャラリーで「鴨居玲 踊り候え」を見ることでした。駅前の金券ショップが開店するのが10時ということで、雨の駅頭に立って、人通りを眺めていました。かつて、私はそこで、当時付き合っていた女性とよく待ち合わせをしました。大勢の人たちが待ち合わせの相手を待っている中で、私は金券ショップの開店を待っている。そのことが、私の境遇を象徴しているようでした。
 腹ごしらえをしようという目論見もあって、周囲を歩いていて、スバル座で上映されている映画が気になってきました。ロードショーはしばらく見ず、関心も持っていなかったのですが、映画を見てから美術展に行ってもいいなと思いだし、結局、ロードショーのチケットを1100円で購入、11時からの初回を見ました。映画のタイトルは「ライアの祈り」。正直、知識もなく、ほどほどの邦画なのだろうと全く期待していませんでした。ところが、主演の鈴木杏樹さんがよい味を出していて感激しました。文部科学省推薦のような映画かもしれませんが、私のような初老の男にも楽しめました。大きな歴史というものに気づかされ、ロマンを感じることのできた映画でした。こういう映画が、今の日本を元気にしてくれると思います。
 次に訪れた暁斎の展覧会はほどほどのものでした。確かに暁斎の全貌をコンパクトにまとめていて、三菱一号館とも関係の深いジョサイア・コンドルとの関係を手繰りながら、特色のある展示はできていたと思います。でも、金券ショップ価格1300円は高すぎると思いました。
 最後に訪ねたステーションギャラリーは最高でした。人気の画家、鴨居玲の展覧会ですから期待していきましたが、期待を裏切らない展示でした。彼が海外で描き、日本に戻って描くべきものを失い、自画像にのめりこんでいった経緯を見るだけでも、痛々しくて辛くなりました。当日券を買っても900円、金券ショップなら600円は安いです。最後のデッサンの展示は、見ごたえがありました。会期はあとわずかでしょう。ぜひオススメします。
 ステーションギャラリーを17時過ぎに出て、よく行く山形の蔵元がやっている居酒屋に行きました。カウンターで一人飲みました。オカヒジキのおひたしや芋煮を肴に心満ちたりた時間でした。
 1日を近くで過ごすのもいいなあと思いました。夕方には雨も止んで、傘をささずに帰宅しました。

初夏の三四郎池

2015-06-06 21:24:23 | 旅行

 急に思い立って、本郷から日暮里まで、文豪の足跡をたどる旅に出てみました。
 本郷三丁目から始めた旅は、石川啄木や宮澤賢治の旧居、夏目漱石と森鴎外の旧居を巡る5時間におよぶものになりました。
 最後は谷中霊園の天王寺五重塔跡を見てJR日暮里駅前で終了。日暮里駅前で、酒店が経営する立ち飲み処で出羽桜を飲んで帰宅しました。
 写真は初夏の三四郎池です。新緑が池に溶け込んですがすがしい風景でした。

東久留米徘徊

2015-05-16 22:30:36 | 旅行

 夏に再び尾瀬に行くためにトレーニングを始めました。最近、年齢のせいだと思いますが、めっきりメタボになってしまいました。以前は下っ腹がぷっくりという感じでしたが、最近は腹の上部も出てきて、キモチワルイです。もう見てくれなんかどうでもよいと思っていましたが、このままでは尾瀬を歩くことはできないでしょう。これから、週末にはトレーニングしようと思いました。いきなり走ったりすると、けがをすると思ったので、今日は2時間歩き回りました。今までは、買い物とか展覧会とかで2時間歩くなんて何ともなかったのに、今日は最後は息が上がってしまいました。
 徒歩2時間圏内のご近所の様子をご紹介します。改めて見ると、よい季節になりました。




三波石峡

2015-05-10 13:52:45 | 旅行
 先々週のことになりますが、群馬県藤岡市の三波石峡に行って来ました。サンバセキキョウと読みます。神流川の上流、下久保ダム直下の渓谷で、約1.5キロメートルにわたり、巨岩・奇岩が並び、 国の名勝及び天然記念物に指定されています。
 川沿いには歩けず、数か所設けられた階段を降りて、河原に降り、いくつかの巨石・奇岩を見たら、また階段を上って、次は別な階段を下りるという形で見ていくことになります。水辺は美しく爽やかで、これからの季節は観光客も多くなるでしょう。車は広い駐車場がありますので、そちらに止めて歩いたらよいでしょう。階段と言っても、それほどきつくはありませんし、長くもないので、お年寄りでも元気であれば問題ないと思います。 
 上毛かるたにも「三波石とともに名高い冬桜」とあります。
 河原の石をよくご覧ください。三波石は青味の中に水で洗われた石英が白く浮き出た美しさが特徴で、古くから庭石として珍重され、全国的にも有名です。たくさん転がっています。
 車で行く途中に産直があり、案内図などをもらえます。お土産品なども売っています。おせんべいも温泉まんじゅうもオススメです。


五料の茶屋本陣のお雛様

2015-02-21 20:51:09 | 旅行
 安中市の五料の茶屋本陣にお雛様を見に行きました。先週の日曜日のことでした。土曜日にNHKの番組で紹介されていたのを見て出かけたのでした。私は途中から見たので、よくわかりませんでしたが、とにかくお雛様を見に行ったわけです。
 上信越道松井田妙義インターチェンジを下りてすぐの場所に五料の茶屋本陣はありました。五料の茶屋本陣は、中山道を参勤交代で往来する大名や公家の休憩所として利用された場所で、「お西」と「お東」の2つの建物が並んでいました。大変立派な建物で驚きました。
 ひな人形は古いものから新しいものまで、まさに所狭しと並んでいて圧巻でした。人形好きな方、お雛様ファン必見の場所です。ぜひお出かけください。

 
 

綾戸簗

2014-10-04 09:47:28 | 旅行

 先月の秋分の日に群馬県の綾戸簗という所に行って来ました。関越高速で東京から行くと、赤城インターで降りて30分ほどだったと思います。
 事前に調べたところでは、今シーズン最後の日ということでした。最終日にわざわざ行く人もあるまいとたかをくくって、予約もせずに出かけました。
 着いたのは11時過ぎ。道もわかりやすく、渋滞もなく、順調に到着できました。簗は写真のように利根川に作ってあります。かたわらに大きな平屋の建物があり、そこで食事ができるようになっていました。秋分の日は秋晴れで、吹きさらしの座敷は大変気持ちがよいものでした。
 ヒナにはまれな、上品なご婦人が接待してくれました。アユの塩焼きが2尾ついた定食が税抜3000円弱、田楽が付くと4000円程度と、やはりそれなりに高価だと感じました。
 焼くまでに時間がかかるということで、簗場に降りてみました。すでに簀子は外されて、写真のような感じでした。奥に鉄橋があり、SLが走って行きました。
 正午を過ぎるとお客さんが増えてきました。ほとんどの方が予約客でした。アユの残りがもう数匹だということで、私は何とかセーフでした。
 私は田楽のついた定食を頼みました。ご飯はおいしく、アユこくもついていました。それにしても、塩焼きは絶品でした。時間をかけてじっくり焼くのは、まさに職人技でした。ヒレがせんべいのように香ばしく、ヒレをおいしく感じたのは初めてでした。
 帰り際に尋ねると、最高においしいのは7月初旬とのこと。来年はそのころに訪ねてみようと誓いました。美味しいアユをありがとうございました。
 

 

再び覚満淵のこと

2014-09-18 21:57:57 | 旅行
 覚満淵は群馬県の赤城にある湿原で、「小尾瀬」という異名がある場所です。木道が整備されており、ハイキングコースも完備されているので、手軽に尾瀬の気分を味わうことができます。以前にも行ったことを書きましたが、今年もまた行って来ました。
 近くのビジターセンターから道路を挟んで入口があり、湖沼を1周しても30分程度でしょうか。私は8月の末に行くので、花を見ることはできませんが、木道を歩いたりカモが泳いでいたりするコースはなかなかです。
 鳥居峠から見下ろす風景が最高です。コースから歩いて行くこともできますし、車で行けば、覚満淵から数分で行けます。鳥居峠にはレストハウスがあって、ソフトクリームが名物です。そして、覚満淵を見下ろす景色は大変美しいものです。
 近くには大沼と小沼があります。私は小沼の方が好きです。大きなクレーターに水がたまったような大きな沼です。人が少ないこともあって、別世界に来たような不思議な気がします。車なら数分の距離です。
 今年は、小沼の近くの血の池という所に寄ってみました。笹原を少し降りていくと、不思議な色をした沼があって、すこぶる不気味でした。「血の池」とはよく名づけたものです。若い娘が身を投げた伝説が書いてありました。日が当たらず、人の気配がまったくなくて、いい歳をして恐ろしい気がしました。一人で行く方はちょっと気をつけてください。

旅の終わり

2014-09-03 21:46:26 | 旅行
 
 旅の終わりは8月28日でした。最後の朝を石巻で迎え、まず、町を見下ろせる日和山公園へ向かいました。当初は行く予定になかったのですが、これも大好きな女優さんの情報で、ぜひ見ておきたくなったのです。
 この公園は高台にあり、二方向が開けていました。一方は中州になった石ノ森萬画館を見下ろす方角、もう一方は海を見下ろす方向です。写真は後者のもの。足元に寺院と墓地が見えるほかは一面の草原です。ところが、その中に、ポツリと一軒の家が。まだ新しいところを見ても、震災後に新築したものでしょう。周囲が荒野なのに、あの家だけが津波の被害を免れたとは思えません。
 規制などもあって家が建っていないのではないかと思いますが、どうしてあの家だけが……。何の情報もない中で、勝手に想像させてもらうならば、昔住んでいたところにどうしてもまた住みたいという執念なのではないでしょうか。暗い将来を考えても仕方がない、今の気持ちに素直になろう……、そんな考えでまた住み始めたのではないか。まったく見当はずれかもしれませんが、私には納得できる空想でした。生まれ育った町を捨てたくないという気持ちは皆同じでしょう。
 予定を大幅に上回る時間を日和山で過ごした私は、山形に出て、天童から南陽、日本海に出て新潟まで南下、最後は北陸自動車道、関越自動車道を通って、長い旅を終えました。総走行距離は1000キロを超え、愛車の燃費はリッター21.3キロまで延びました。久しぶりに、自分のためにした旅行でした。とても印象に残る、よい旅になりました。最後まで、行くかどうか迷いましたが、今では行ってよかったと心から思います。

石巻

2014-09-02 20:35:12 | 旅行
 旅行2日目の計画はほとんどなく、夕方までに石巻に入ることだけを考えていました。気仙沼から再び南三陸町を経て石巻に行く間、まったく予期していない光景に数多く出会いました。
 下の写真は、気仙沼線なのでしょうか。鉄橋は途中で壊れたままになっています。この鉄橋の手前では線路もつながっていないようでした。少し先に行った場所ではショベルカーがダンプの荷台に砂を詰め込む作業が果てしなく続いていました。

 次の写真は、上の鉄橋からすぐ近くです。川の河口に廃墟がポツンとたたずんでいます。造りから見るとリゾートホテルのような建物だったのでしょうか。手前左側に見えている砂の山の上にはショベルカーが複数見えました。津波の被害をまともに受けたとしか思えない光景で、一度は通り過ぎたのですが、かなり走ってから戻って写真に収めました。この付近もダンプの出入り口になっており、容易に駐車することができず、かなり遠くに車を止めて歩いて写真を撮りに行きました。

 最後の写真は川の水門のようです。津波の力で水門自体大きく傾き、操作する建物は完全にひっくり返っていました。

 こんな光景が残っている地域が、もう復興したとはとうてい思えません。私たちはまだまだ東北を忘れてはならないのだと思います。時間ができたら、また出かけていくこと、それが私にできる復興支援だと信じています。
 この日は、私が大ファンの女優さんから、ある居酒屋を薦められ、出かけてみました。日本酒も豊富で、魚料理は美味でした。リーズナブルで素晴らしい店でした。その夜も梯子といきたかったのですが、さすがに昨夜の5軒がきいて、わずか1軒で退散したのは情けない限りでした。
 結局、昼に釣石神社と石ノ森萬画館、夕方、サン・ファン館に寄って観光もできました。蒲鉾店からお世話になった方に笹かまを送りました。

気仙沼

2014-09-01 20:17:16 | 旅行

 旅行初日は気仙沼に宿泊しました。南三陸町から大釜半造まで行って、そこから南下して、気仙沼に入ったのは夕方でした。港にある温泉ホテルにチェックイン後、温泉で汗を流し、夜の街へ。途中に復興屋台村があり、ホテルにパンフレットもあって、とりあえずそこへ行こうと思いました。歩いてすぐの場所でしたが、6時では早すぎるのか、はたまた平日のせいか、あまり店が開いておらず、とりあえず町を散策することに。最初はよくわからなかったのですが、空き地だと思っていた場所には、コンクリートの土台が残っており、家が建っていた跡なのだと気づきました。
 ささやかな商店街があり、入り口や壁には店主らしい人たちの顔写真が……。「震災に負けない、立ち上がる」という気概を表しているのでしょう。見ているだけで心が打たれました。
 プレハブの仮店舗が開けているところはまだいいわけで、半分壊れたままになっている店も見受けられました。こうなれば、復興支援のために飲むしかないと覚悟を決め、あの有名な旭寿司さんを皮切りに梯子すること5軒、できる限りの復興支援をさせていただきました。それにしても、さすがは旭寿司さん、刺身、特にホヤやウニはサイコーでした。2軒の店では、ご主人から震災当時の話を親しく伺うことができました。ご常連の憩いの場にもなっていて、人の和の大切さを思ったりしました。
 ホテルに戻ってからは、敷かれていた布団にダウン。せっかく広い部屋を独り占めできたというのに、それを堪能することはできませんでした。



南三陸町防災対策庁舎

2014-08-31 22:38:13 | 旅行

 二泊三日で三陸に行ってまいりました。私は旅をするときは、事前に名所旧跡の類を調べ、効率よく回れるようにスケジュールを決め、もちろん、宿泊先も決めて出かけます。行き当たりばったりという旅はほとんどしたことがありません。しかし、今回はほとんど計画を立てずに、泊まるところだけを決めて出かけました。
 どうしても行ってみたい場所としては、南三陸町の防災対策庁舎がありました。住民に避難を呼びかけて流された遠藤未希さんはじめ、20名の職員が命を落とした場所です。
 宮城県本吉郡南三陸町志津川字塩入77という住所を調べ、それだけを頼りに行きつけるかどうか、方向音痴の私は不安でした。しかし、実際に行ってみると、不安は杞憂に終わりました。なにしろ、防災庁舎の周りは何もなく、一面の荒地だったのです。土地を造成している作業場のほかには、目に映るものは何もなく、鉄骨だけになった防災庁舎ははるか遠くからでも目に入ってきました。
 車で下まで行き、降りてみました。献花台が設けられ、たくさんの花が供えられていました。海に近いのに潮の香りはなく、線香の匂いが周囲に漂っていました。
 震災直後からの報道や、いろいろなことが思い出されました。言い知れぬ迫力の前に、ただ恐怖を感じました。自然の力の桁外れの大きさが、曲がりくねった鉄骨やゆがんだ外階段から容赦なく伝わって来るようでした。
 私がいた間だけでも、多くの方々が訪れ、献花台の前で手を合わせていました。中には涙をぬぐっている方もいて、非業の死を遂げた方々もうかばれると思いました。周りを歩いているとき、千羽鶴から落ちたのか、小さな折鶴を拾いました。大事に持ち帰りました。
 町では、解体の方針であるということですが、この遺構がなければ、震災は忘れられ、その悲惨さも後世には伝えられないと思います。多くの震災遺構が撤去され解体されていきましたが、本物の持つ説得力は本物にしかありません。現地の方々にとってみれば、復興の妨げになったり、悲惨な記憶につながったりと、難しい面があるとは思いますが、震災の恐怖と悲劇を伝えるためにも、残していただけたら……と思いました。維持管理はしかるべき部署が責任をもってできるように配慮がなされるべきだと思います。
 三陸の道路は、トラックと、トラックの出入りを誘導する係員の方々が目立ちました。山を削って土砂を運び、造成したり道路を作ったりしていました。そういう意味では、復興は進んでいるようにも見えましたが、土台だけが放置された住宅地、おびただしい数の仮設住宅など、まだまだ復興は始まったばかりだと思いました。