観自在

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心の探究

2009-02-13 12:54:46 | 仏教学
 大学の研究チームの報告によると、他人の不幸を聞いたときに働く脳の部位は、報酬を受けたときの心地よさに関する部位と同じなのだそうです。つまり、他人の不幸は蜜の味という言葉が、脳科学から証明されたということのようです。
 科学技術の発達は、例えば遺伝などの問題でも、遺伝子の塩基の配列などに問題をすり替えている。生命そのものよりも、化学物質やそれが伝達される情報という面が重視されているようです。実際、生命の本質とは、その通りなのかもしれませんが、まだ結論を出すのは早計でしょう。同様に、反応する脳の部位が同じだと言っても、その反応の中身はどうなっているのか。反応が電気的な数値としてとらえられたというだけで、イコールであると結論することはできないと思うのです。
 私は、受験世代に育ち、競争社会で働いてきました。高校受験の際、同じ中学から受験して中学浪人になった友人がいました。彼とは小学生の頃からの友達でしたが、彼は私に対してライバル意識を隠さず、いつも敵対心を向けられているような気がしました。正直、私は辟易していました。彼が中学浪人になったと聞いても、私はたいして同情もせず、むしろ、嘲笑していた面があったかもしれません。私は、そんな自分を密かに恥じていたのでしょう。一年後、高校受験の間際になって、近くの神社に友人の合格祈願に行きました。雪の降る寒い日でした。
 私が、友人の不幸から感じたのは、確かに電気的な刺激としては、心地よさを感じる部位と同じだったかもしれません。しかし、その後の展開は、脳のどこをどう伝わって一年後の行動につながるのでしょうか。私は、霊魂や霊界を信じません。ですが、ここには心や精神というもののメカニズムが働いていると思います。化学物質や情報だけでは解決できないものがあると思うのです。私は、その心の解明を仏教の英知によってやってみたいと思うのです。


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