『週刊朝日』に連載されていた故司馬遼太郎氏の「街道をゆく」を毎週楽しみにしていた時期があります。その土地土地で、ごく普通の人たちと接しながら、過去から現在、そして未来へと飛翔する司馬史観に魅了されたのは私だけではないでしょう。
私が楽しみにしていたのはそれだけではありません。須田剋太画伯の挿絵が好きでした。画伯の絵は、近代絵画の技法などを超越し、対象に迫り、一体化するような迫力にあふれていました。奔放な絵や書は、一見「拙絵」「拙書」と言えそうですが、画伯自身は華奢で神経質そうな方で、浮世離れした純粋さをお持ちのようでした。画伯は20年近く、司馬氏と街道を旅していたと記憶していますが、その純粋さで司馬氏を愛していたのだと思います。
須田画伯は、生前、自分には恩師が三人いて、一人は造型をたたき込んでくれた人、もう一人は人を愛することを教えてくれた坊さん、そして、その二人をくっつけてくれたのが司馬さんだったと言って、年下の司馬氏に敬意を表していました。異分野の才能が出会い、刺激し合って、散ることのない大輪の花を咲かせたのが「街道をゆく」シリーズだったと思います。
急に画伯を思い出したのは、この夏、知人がアイルランドを旅した話を聞いたからです。須田画伯は「愛蘭土紀行」にも同行し、「街道をゆく」には「須田画伯と愛蘭土」という一章もありました。画伯が、こよなく愛したというアイルランド、知人の話を聞いて、その挿絵をまた見たいと思いました。
私が楽しみにしていたのはそれだけではありません。須田剋太画伯の挿絵が好きでした。画伯の絵は、近代絵画の技法などを超越し、対象に迫り、一体化するような迫力にあふれていました。奔放な絵や書は、一見「拙絵」「拙書」と言えそうですが、画伯自身は華奢で神経質そうな方で、浮世離れした純粋さをお持ちのようでした。画伯は20年近く、司馬氏と街道を旅していたと記憶していますが、その純粋さで司馬氏を愛していたのだと思います。
須田画伯は、生前、自分には恩師が三人いて、一人は造型をたたき込んでくれた人、もう一人は人を愛することを教えてくれた坊さん、そして、その二人をくっつけてくれたのが司馬さんだったと言って、年下の司馬氏に敬意を表していました。異分野の才能が出会い、刺激し合って、散ることのない大輪の花を咲かせたのが「街道をゆく」シリーズだったと思います。
急に画伯を思い出したのは、この夏、知人がアイルランドを旅した話を聞いたからです。須田画伯は「愛蘭土紀行」にも同行し、「街道をゆく」には「須田画伯と愛蘭土」という一章もありました。画伯が、こよなく愛したというアイルランド、知人の話を聞いて、その挿絵をまた見たいと思いました。