先月の13日に作った埴輪が、焼き上がって手元にきました。
さっそく当初の予定通り、あやのお墓のそばに置きました。
あやのお墓の北側には木がありますが、一部切れていて空っ風が吹き付けるので、ずっと気になっていたのです。
あやのお墓からみて北東に置くことになったし、母も喜んでくれて私も嬉しかった。
この埴輪は、前も書きましたが、盾持人(たてもちびと)というものです。
古墳の外周に置かれ、古墳の中に悪霊が入りこまないよう護る役目です。
あやのことも守ってくれますように、と願いました。
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盾持人というはにわを初めて知りました。
その顔に惹かれます。
得体の知れない恐いものに出会ったとき、ひとはこんな顔になるのではないかと思いました。赤ん坊が泣き出す瞬間もこんな顔します。
素朴で美しいはにわですね。あやちゃんもきっと、安らかに守られて。
いつか、博物館に行きたくなりました。
盾持人、絵ハガキで本物を確認していただいたと思うのですが、不思議な表情でしょう?
私も、初めて見たときは印象的でした。
悪霊を寄せ付けないガーディアンですが、なぜか威嚇の表情ではなく、無表情なのですよね。
でも、赤ちゃんが泣きだす瞬間そういう表情するというお話に、なんとなく腑に落ちた気もします。
古代の人は、自然や精霊のより近くにいたのですね。
あやの魂も守られますようにと願っています。
会社近くにある、行きつけのラーメン屋さんは、看板犬のようにシーズーを飼っているのですが、一昨日久しぶりに行きましたら、今の看板犬“ふーちゃん”が、10日ほど前に死んでしまった事を初めて知り、ショックを受けています[E:weep]
私はこの“ふーちゃん”と先代の“へーちゃん”としか付き合いはないんですが、どちらのコも、人懐こい優しいコでした…。
私は、幼児期にありがちな出来事によって、犬全般が苦手だったのですが、このコ達のおかげで、多少なりとも、犬を怖がらずに済むようになりました。
『人間達はみんな、自分の事が好き[E:note] みんな、自分に意地悪なんかしない[E:confident] だから、自分も人間に意地悪なんかしない[E:happy01]』という、底抜けな信頼感を寄せられたら、こちらも信頼で返すしかない[E:coldsweats01](事実、このコ達から、意地悪や、乱暴な事をされた事なんか、ありませんでした…飼い主の方の躾が良かったんでしょうね…[E:confident])
たまにしか会わないコとの付き合いでも、こんなに寂しく、ショックなんだから…私は、本当の意味で、管理人さんの哀しみや辛さが分かっていなかったんだなぁ…[E:coldsweats02]と、反省しきりであります[E:coldsweats01]
いやいや、とんでもないです!
もちろん、理屈では分かっているのです。
この世の中には猫を嫌いな人も山ほどいて、その人からみれば、たかが猫一匹のことで大騒ぎして、バカじゃないかと思われること[E:despair]
それどころか猫が嫌いじゃない人でも、18年も生きて、平和に座布団の上で逝った猫のことで、なぜそんなに悲しむのかと思うことでしょう。
でも、底抜けの信頼感、という言葉には、うなずけたし、きゅんときました。
それほどに信じてくれた小さい生き物をむざむざ死なせた、という後悔もあるし、また、幸せだったのかな、という不安もあるのでしょう。
しばらくは、母も私も、淋しさは続くと思います[E:despair]
私が“ふーちゃん”の死にショックを受けたのは、ある理由がありまして…
日にちを逆算すると、どうも、“ふーちゃん”がいなくなってしまう直前の頃、という事になるんですが…
その日、ラーメン屋さんに行くと、カウンター席のいつも座っている席に、“ふーちゃん”はいました。
私はカウンターに一番近いテーブル席を定席にしているんですが(“ふーちゃん”を見ながら食べられるから[E:delicious])、食べていた私を、“ふーちゃん”は呼んだのです。
それも、今まで聞いた事の無い、哀しげな切なげな声で…
どうしたの?と、すぐ近寄って撫でましたら…“ふーちゃん”は涙をこぼしていたんです…
今から考えると、あのコはあのコなりに何かを感じ取って、それを私に伝えたかったんだろうか、と…[E:coldsweats02]
それなのに鈍感な人間の私は、それを受け止めてやれなかった…[E:weep]
いつだって何だって、後悔が人の人生に付き物ならば…忘れない事だけが、今の私に、また、(偉そうですけど[E:coldsweats02])管理人さんとお母様に出来る事、なんではないでしょうか。
むしろ、人間より敏感ではないかと思えるほど。
“死”ということは分からなくとも、定めの時が近いことは、彼らは自然に知るような気がします。
シンさんを呼んだふーちゃん。伝えたかったことがあったのかしら…。
あやのことは私も母も、忘れることはないと思います。