自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

樺さん死の真相/二人の目撃者証言

2015-05-10 | 体験>知識

 



時差写真  mainichi.jp/graph/2012/05/02  検挙優先
 
新議員面会所入り口を警官隊が固め、中で私服が書類片手に名前を聞きまわっていた。
重傷者数十人は22:00近くから手錠をはめられて救急車に収容されだしたが、大部分は
16日0時まで放置されていた。
前掲朝日ジャーナル7.3号 

40年後2000年5月18日フリージャーナリスト秋山久氏がご自身
のHP『ジャーナル「Q」』
第25号に「60年安保と樺美智子さんの死」
を掲載した。そのままコピペする

  ●学友らの目撃証言  

 NHKニュ-スが「女子学生死亡」を伝えたのは午後7時の
ニュ-ス後の座談会の途中だった。
現場では死者多数のうわさが流れ、異様な空気が漂っていた。
遠くから様子を見ていた私も戦慄を覚えたのを思い出す。
死亡したのは一人で、それが樺美智子さん(当時22歳・東大文
学部4年)とわかったのは翌日の朝だった。
*現場でも死者が樺さんだという声はなかった。
  別人を樺さんと誤認したドキュメントはいくつもある。

週刊誌『女性自身』(1960・6・29)は、樺さんと左右の腕を組
んでいたM君(23=明治大学文学部4年=記事は実名)とY君
(20=東大文学部3年=記事は実名)ら目撃者たちの話をまとめ
ている。
それによると、学生が国会に突入した時、樺さんは先頭から3
列目のスクラムに加わっていたらしい。
「突入した瞬間は、警官隊が案外もろかったので、うまくいく
かもしれないと思った。
けれど、数十メートル突っ込んだとき、おびただしい数の警官
が国会のビルのかげに並んでいるのが見えた。
それでもぼくらはその群に向かって前進した。

同時に警官隊もこっちへ進んできた。両方とも無言だった。
やがて、正面からぶつかった。
ぼくらの武器は、スクラムだけなのに、警棒をめちゃくちゃに
ふるった。
樺さんは髪を乱しながら頭を下げた。
ぼくらも頭を縮めた。
うしろからデモ隊が押して来て、ものすごいもみ合いになり、
彼女は両方から押されて動けなくなったところを、警棒の一撃
を浴び、悲鳴を上げて倒れた。
その上に学生が何人か折り重なって倒れ、さらに警察官が殺到
して、それっきり、とうとう起き上がれなかったのだ。

もちろん、ぼくらは夢中になって助けだそうとしたが、警官隊
には通じない。
彼らは倒れた仲間たちを、容赦なく踏みつづけ、やっと彼女を
抱き上げたときは、倒れてから5分くらいもたっていた。

社会党の秘書団が現場から運び出してくれたのだが、顔は真っ
青だし、血とドロにまみれた両手、両足はだらんと下がったま
ま、仮診療所(新館地下の議員面会所)*に寝かせたときには、
もう一言も発しなかった。
彼女が死んだなんてまだ信じられない」
*死相が顕著だったため直接警察病院に運ばれた(19:30 警察
病院調べ)と考えられる。

現場の状況がつかめてきた。
①樺さんは頭[傷なし]ではなく胸に[も傷なし」警棒の一突き
  を浴び失神した。
  その一撃で膵臓頭部が損傷出血した。
②その上に数人の学生が折り重なって倒れ、警官
が殺到して
 《取り囲み》容赦なく踏み続けた。
③何のために?
  所定の方針通り分断した1団を無力化して
検挙(私服公安の
  役目)するために。
  猛獣が獲物の喉に噛み付いて
無力化するまでそのままでいる
  光景になんと似ていることか。
  5分間は窒息するのに十分な時間だ。
④死因は膵臓頭部の損傷出血、気管の圧迫、胸の圧迫の複合に
  よる。
  どれかひとつの特定はできない。
  どれかひとつでも時間次第数分で死に至る。
⑤首の負傷が警官の足踏みに
よる可能性がある。
  だが殺意があったとは考えない。
⑥そのスポットでは人なだれは起きなかった。
  検挙のための《取り囲み》が死につながった。
  警察が救出を許せば窒息死はなかった。
  未必殺人!

ではそのような《取り囲み》はあったのか?
上記の写真は警察の拘束、取調べが人道にもとることを如実に
物語っている。

 

 

 



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