時差写真 mainichi.jp/graph/2012/05/02 検挙優先
新議員面会所入り口を警官隊が固め、中で私服が書類片手に名前を聞きまわっていた。
重傷者数十人は22:00近くから手錠をはめられて救急車に収容されだしたが、大部分は
16日0時まで放置されていた。
前掲朝日ジャーナル7.3号
40年後2000年5月18日フリージャーナリスト秋山久氏がご自身
のHP『ジャーナル「Q」』第25号に「60年安保と樺美智子さんの死」
を掲載した。そのままコピペする。
●学友らの目撃証言
NHKニュ-スが「女子学生死亡」を伝えたのは午後7時の
ニュ-ス後の座談会の途中だった。
現場では死者多数のうわさが流れ、異様な空気が漂っていた。
遠くから様子を見ていた私も戦慄を覚えたのを思い出す。
死亡したのは一人で、それが樺美智子さん(当時22歳・東大文
学部4年)とわかったのは翌日の朝だった。
*現場でも死者が樺さんだという声はなかった。
別人を樺さんと誤認したドキュメントはいくつもある。
週刊誌『女性自身』(1960・6・29)は、樺さんと左右の腕を組
んでいたM君(23=明治大学文学部4年=記事は実名)とY君
(20=東大文学部3年=記事は実名)ら目撃者たちの話をまとめ
ている。
それによると、学生が国会に突入した時、樺さんは先頭から3
列目のスクラムに加わっていたらしい。
「突入した瞬間は、警官隊が案外もろかったので、うまくいく
かもしれないと思った。
けれど、数十メートル突っ込んだとき、おびただしい数の警官
が国会のビルのかげに並んでいるのが見えた。
それでもぼくらはその群に向かって前進した。
同時に警官隊もこっちへ進んできた。両方とも無言だった。
やがて、正面からぶつかった。
ぼくらの武器は、スクラムだけなのに、警棒をめちゃくちゃに
ふるった。
樺さんは髪を乱しながら頭を下げた。
ぼくらも頭を縮めた。
うしろからデモ隊が押して来て、ものすごいもみ合いになり、
彼女は両方から押されて動けなくなったところを、警棒の一撃
を浴び、悲鳴を上げて倒れた。
その上に学生が何人か折り重なって倒れ、さらに警察官が殺到
して、それっきり、とうとう起き上がれなかったのだ。
もちろん、ぼくらは夢中になって助けだそうとしたが、警官隊
には通じない。
彼らは倒れた仲間たちを、容赦なく踏みつづけ、やっと彼女を
抱き上げたときは、倒れてから5分くらいもたっていた。
社会党の秘書団が現場から運び出してくれたのだが、顔は真っ
青だし、血とドロにまみれた両手、両足はだらんと下がったま
ま、仮診療所(新館地下の議員面会所)*に寝かせたときには、
もう一言も発しなかった。
彼女が死んだなんてまだ信じられない」
*死相が顕著だったため直接警察病院に運ばれた(19:30 警察
病院調べ)と考えられる。
現場の状況がつかめてきた。
①樺さんは頭[傷なし]ではなく胸に[も傷なし」警棒の一突き
を浴び失神した。
その一撃で膵臓頭部が損傷出血した。
②その上に数人の学生が折り重なって倒れ、警官が殺到して
《取り囲み》容赦なく踏み続けた。
③何のために?
所定の方針通り分断した1団を無力化して検挙(私服公安の
役目)するために。
猛獣が獲物の喉に噛み付いて無力化するまでそのままでいる
光景になんと似ていることか。
5分間は窒息するのに十分な時間だ。
④死因は膵臓頭部の損傷出血、気管の圧迫、胸の圧迫の複合に
よる。
どれかひとつの特定はできない。
どれかひとつでも時間次第数分で死に至る。
⑤首の負傷が警官の足踏みによる可能性がある。
だが殺意があったとは考えない。
⑥そのスポットでは人なだれは起きなかった。
検挙のための《取り囲み》が死につながった。
警察が救出を許せば窒息死はなかった。
未必殺人!
ではそのような《取り囲み》はあったのか?
上記の写真は警察の拘束、取調べが人道にもとることを如実に
物語っている。
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