自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

樺さん死の真相/福田さんの証言/包囲・無力化・拘束

2015-05-15 | 体験>知識

イメージ 1
 
図面写真は、1960年6月15日時点での国会構内および周辺の地図である。福田瑞江証人が「6・15」裁判での証言で活用するべく1968年11月14日付で図面制作し、東京地裁に提出したものを本稿筆者の梅本が必要な部分を書き写して撮影し、掲載した。
 
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「横浜日記」(214)その3 2013年6月2日 梅本浩志
<樺美智子学友・福田瑞江の法廷証言=「6・15」国会デモ>
 
      警官隊が突然攻撃
 
 倉田弁護人 それでどうなりましたか。
 福田証人 それは一瞬であっという間に警官の方が私たちの方に・・・。つまり(1)に来て、圧力がなくなったわけですけれども、そのとき女子が前にいては危ないからということで、私は1列目から2列くらいあとに退がって、それとほとんど同時に警官が襲いかかってきました*。
阻止車と議員面会所の間を通り抜けた直後に、出会い頭に、機動隊の急襲を受けた。 
 福田証人 逃げるヒマがなかったんです。それで左の額(ひたい)の所をやられたんです。

 福田証人 この次に証人に出る人[榎本さん]ですけれども、その人が隣でスクラムを組んでいたんで、頭を打たれたんです。それでみんな逃げ出した混乱で倒れたあと、後頭部、肩と腰、全部で8カ所くらい殴られました。
 倉田弁護人 つまずいたんですか。押し倒されたんですか。
 福田証人 押し倒されました。
 倉田弁護人 あなたの周りに学生はおりましたか。
 福田証人 おりました。
 倉田弁護人 その学生はどうされておりましたか。
 福田証人 男の学生は両手を取られて、頭などを殴られているのを見ました。[・・・]私の周りの人全部がそういう目に遭ったということは断言できます。
 倉田弁護人 あなたは負傷して構外に出られましたか。
 福田証人 なにしろ前の方へいたもんで、ごぼう抜きにあいまして、警官の輪の中に放り出されたんです。
 倉田弁護人 警官と学生が遭遇している所よりも後ろの方に・・・。[図面(3)]
 
 福田証人 そうです。警官は私を後ろの方にぽんと放り出して、前の方に行きました。
 
  福田証人 その頃、南通用門の内側で集会をやっていて、学生がシュプレヒコールとか、歌声が聞こえたんです。それを(3)で聞いておったわけです。そこに30分か1時間ぐらいは閉じ込められていたように思います。
 

 内田弁護人 あなたが(3)の地点で警察官の輪に囲まれていた所から、社会党の秘書団や議員の方々がけが人を出せということを警察に言って、それで白衣の人があなたを救い出したわけですか。

 福田証人 はい、引きずり出したわけです。
 内田弁護人 引きずり出したというのは、どういうわけなんですか。
 福田証人 つまり警官は出さないと言ったわけです。
 内田弁護人 白衣の人が・・・。
 福田証人 その人たちだけではないんですけれども、大勢でむりやり出してくれたんです。

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以上が機動隊と私服警官による先頭学生群の無力化・囲い込み・検挙と長時間拘束の実態を明らかにした福田証言である。
いっしょにスクラムを組んでいた樺さんのことは不明である。
 


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