抱腹絶倒!NY育児日記

ご存知ハーレム日記の弘恵ベイリー、NY郊外で育児とライター業に大奮闘!NY関連の執筆、調査依頼いつでも可能です。

NYUメディカルセンターにサンタの帽子をかぶったエレベーターガール出現?!

2005-01-07 08:24:29 | ぜ~んぶ見せます!
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ドクターや看護婦さんたちから「出産おめでとう!」の言葉をもらいながら、
待合室にいたレイが青いエプロンに靴下の手術室用の服を着て入ってきた。
ニコニコと今までに見たことがないくらい幸せそうな顔をして、

生まれたばかりのガールズを交互にながめていた。
「どっちがアヤで、どっちがエリカって名づけるの?」とレイ。
アヤは日本の名前で、エリカはアメリカの名前。アジア人っぽい方に

アヤと名づけようと考えていたのだった。
「先に出てきた方が、日本人っぽかったから、ベイビーAがアヤ」
「じゃあ、ベイビーBがエリカか」

しばらく写真を撮ったりしながらも、私の下のほうでは女医が縫合をはじめた。
きちんと縫ってちょうだいねぇ~・・・と心の中で祈る。
よく産後に、「ドクターの縫合が下手だったからアソコが突っ張るの」などという

ママ友の話を聞いたことがあるからだ。
無事に縫合も終わり。ぬるま湯みたいなので洗った後、
別室へ移動。病室ができるまで一時的に待たされることとなった。

と、隣に聞き覚えのある声。この病院へ到着してから分娩室ができるまで待たされていた
ユダヤ人夫婦がまたしてもカーテンをはさんで隣にいたのだった。
私が、一人で分娩室の用意ができるまで待ってたとき、彼女はピィーピィーと子供の

ように夫に甘えていた。「どうなるのかしら、さっきの女医さんが陣痛をおこすように
するお薬を使うっていってたし、不安だわぁ~」と、二人していろいろと会話がたえない。

そしてまた分娩後の私の隣で、彼女は分娩前だったらしく、「まだ痛み止めが効いて
こないのかしら?大丈夫かしら、痛いのよ、痛い、あぁ~っ」と1分ごとに
痛みを訴えながら、うなり声をあげるのだった。

ちょっとばかしの痛みぐらい我慢しろ!こちとら、二人も抱えていたんだぜ。と
弱気な彼女にいらだつ。「ねぇ~私の夫は、どこへ行ったのかしら?」と彼女は看護婦に
聞いていた。

うわぁ~、受付からずーっと一緒にいてくれる夫だなんて(まっ、それが
普通だけどさ)うらやましい。っつーかー、私の夫のレイってば、受付は妊婦の私一人
にまかせ、分娩の間すら待合室にいたりするわけで、しらず彼女にジェラスして
しまってるのかも。

それにしても堪え性のない女だ。夫を呼んで、甘えた声で「痛いの~」。

隣のユダヤ人夫婦はさておき、私の世話は、
若くて美人なチャイニーズのテキパキした看護婦さんが続けてくれた。
包帯のような繊維でできた下着をつけてくれ、長くて分厚くて大きなオムツみたいな

ナプキンをつけてくれる。このナプキンは、数十年前に日本で使っていたような
原始的ナプキンなのだ。薄くて吸収率のよい日本の現代のナプキンとは、まったく違う。
母に日本からナプキンを買ってきてもらって助かった。

病室の用意ができたのか、
インド人の看護婦の婆ちゃんが、車椅子をもってやってきた。私を病室へ
連れて行ってくれるらしい。なんだかヨボヨボの婆ちゃんで、彼女こそ車椅子に
乗ったほうがよさそうな雰囲気。

「これを持っててね」とファイルと、試験管に入った私の血を私に持たせる。
レイは、洋服や靴を持った上、双子の入ったプラスティックのケースをゴロゴロと
押させられていた。

「すでにエレベーターに乗りますよ、という連絡をしてありますからね」と、
チャイニーズの看護婦さんが、インド人婆ちゃんに告げる。

というのもNYUの一般のエレベーターは、「病人を殺すつもりか!」と患者さんたちが
怒鳴るほど、のろいせいだ。ラッシュの時間には、5分以上も待たされることがある。
そこでエレベーターがすぐに必要な患者には、快速特急みたいなエレベーター
を呼んでくれるのだ。

快速特急エレベーターに乗ると、赤いサンタの帽子を被ったショートカットの
ブラックの女性がうなだれていた。彼女はエレベーターガール。
エレベーター内にある電話をつかって連絡をとり、あちこちの必要なフロアに
エレベーターを停めている。

なぜかエレベーター内には、フレンチフライのにおいがプンプンしている。
サンタ姉さんは、どうやら晩御飯もここで食べてるようだ。そして電話のないときは
イスに座ったまま寝てるらしい。

こうしてエレベーターの中で、ずーっと仕事してるわけで、大変だろうな。

病室へつくと、隣の人はぐっすり寝ていた。
レイは、いろいろと洋服などの整理をしてくれた後、家へ帰って行ったのだった。
クリスマスの午前3時をすぎていた。

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ブラックの助産婦さんは上手だった

2005-01-06 03:28:41 | ぜ~んぶ見せます!
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デニスのときもブラックの助産婦さんだったけど、今回は太めで中年のブラックの助産婦
さんだった。お腹につけてる胎動とお腹の張りをチェックするゴムの聴診器みたいなのが、
モニターにグラフになって出てくるのだけど、

それがグングン上がったときに、いきみが始まり、それと同時にいきむのだった。
10からカウントしてくれて、息を吸いながら助産婦さんが胸から上の上半身を起こして
くれて、「じゃー息をとめてプシュプッシュプッシュ」

ドクターも一緒に「プッシュプッシュ」と声をかけてくれる。
なぜかドクターの助手に新人の若くて小柄な白人女性のドクターがいて、
彼女が一緒に「はいはい、そこまで出てきてますよ~プッシュプッシュ」と声をかけて
くれるのだった。

しかし、声だけならいいけど、ドクター・モスクワッが子宮口に手を入れて
グルグルと中をチェックするのに。それが、また痛いのなんのって、ベイビーが
出てくるより痛いくらい。男の人にもわかるように痛みを伝えると、
ゲンコツを尻の穴に入れられるって感じかな。

新人女医までもが、モスクワッに「ここのところをチェックしてごらん」などと
アドバイスをうけながらグリグリと子宮口をチェックするのだった。
痛いからやめてくれ~~~!と叫びそうになったが、NYUの女医を育てるためだと
がまんがまん。

少しでもフェミニズムに私も貢献してるのかしら。などと思ってる余裕ははっきりいって
なかったけど、痛すぎて声もあげられなかったってのが事実。
何度となく、ドクター二人に手を入れられながら、痛みをこらえ。

さらに、いきみも続ける。
助産婦さんが、何度となく上半身を抱えてくれて、いきむうちに
ウンチのようなものが下から出てくる気配。あれ?頭みたいなのがアソコに・・・。

一人目の頭が出てきていたのだった。
「はい、もう一度このまま、いきんで!」新人女医が声をあげる。
ズルズルっとした感覚がすぎた後、モスクワッがビィービィーと泣く白くて小さな
エイリアンみたいな塊を私の胸の上に「ハイ!女の子ですよ」と置いたのだった。

きっ、きったねぇ~~~っ!
キレイにしてから抱かせてくれよぉ~。とも思ったけど、産んだ直後に見ると
がんばった甲斐があったなぁと感動。

それにしても、白いネトネトブヨブヨしたものに覆われてて見るからに汚いし、エイリアン。

「じゃーもう一人!がんばりましょう」と、またしても一からやり直し?
10からカウントダウンして、いきむ。
二回目だからか、いきみも調子よく、ウンチの出る感覚がもうそこまで。

赤ちゃんの頭がはさまってる感覚がくると、ドクターが吸引の器械を使ってたのか
スポッと赤ちゃんの頭から外れる音がした。
「もっとプッシュして、プッシュプッシュ」とドクターや助産婦さんらが言う。

そして一人目と同じくズルズルっとした感覚がすぎた後、二人目が出てきた。
またしてもモスクワッがビィービィーと泣く白くて小さな
エイリアンみたいな塊を私の胸の上に「ハイ!女の子ですよ」と置いたのだった。

うげげっ、どっちも見かけが同じじゃん?

一人目はクリスマスの12時18分、そして二人目は12時32分に出てきたのだった。
しかも二人とも6パウンド以上あって健康。

キレイに拭いてもらって洋服を着てきた二人は、かわいかった。
でも、ベイビーAは、ちょっと目が腫れぼったくてブスかも・・・。どうしようと
悩んでいたのだが、少しずつ時間がたって人間らしくなるうちに、かわいくなったぞ。

今回は、助産婦さんに援助してもらって、いきむ方法が私にあっていたのか
デニスを産んだときよりも楽だった。ベイビーが小さかったのもあるのだろうけど、
私がエクソシストのような唸り声をあげることもなく、分娩を終えることができた。

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いよいよ分娩室へ

2005-01-04 00:23:35 | ぜ~んぶ見せます!
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チャイニーズの麻酔科医は、まさしくモタイマサコみたいな口調で麻酔について説明
するのだった。「麻酔の後は、足がしびれたような感覚になってきたり無感覚になります」

白人兄ちゃんの助手が背中に針を刺した。右と左側の脊髄に交互に刺してるような
感覚。そして大きな紙のテープみたいなものを背中全体にはった。
次第に便意の痛みがやわらぐ。そしてまた痛みが治まったせいか落ち着いていた。

「これは日本の番組ですか?」と麻酔科の兄ちゃんがテレビを見ていう。
「そうです」と私が答える。

しばらくしてまたドクター・モスクワッが病室へ入ってきた。
子宮口をサッとチェックして出て行こうとするがレイがPCでコンピューターゲームを
やってるのをながめる。

「なつかしい、なんていうゲームだったっけ?」とモスクワッがレイに聞く。
「ギャラガ。アーケードゲームだったのをROMからPC用にプログラムをロード
してあるんだ」

このゲームがわかるってことは、モスクワッってまだ40代くらいなのか?
白髪(いやブロンドのうすいやつ?)だから50代なのかと思っていた。
そしてクリスマスの日25日が近づいてきた。

またまたドクターが入ってきた。今度はプラスチックの棒みたいなものを持っていた。
人為的に破水させるのか?
ゴム手袋をはめた手がモゾモゾと下のほうで動く。

この後、しばらくしてまた便意のようなものが走り出した。
モタイマサコが入ってきて「陣痛はありますか?痛みがないと、いきむことが難しいので
麻酔を弱めますよ」と言う。

「便意のようなものは弱まったけど、まだありますから大丈夫です」と麻酔を
弱められるのがイヤで答えた。
11時45分。

「じゃーそろそろ分娩しますか」とモスクワッ。
ガラガラとベッドを移動させる。あれ?前はここで産んだのにと思ってると
レイが「どこへ行くのですか?普通分娩ですよね」とモスクワッに聞いた。

「普通分娩だけど、万が一を考慮して別室で」
大きなライトがギラギラとまぶしい部屋へ連れて行かれたのだった。
ドクターも看護婦も手術着みたいなブルーの洋服を着ていた。

私はその部屋が寒いせいかガタガタと震えていた。

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クリスマスイヴに麻酔

2005-01-03 23:58:17 | ぜ~んぶ見せます!
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クリスマスイヴで分娩室に備え付けのテレビからもクリスマスキャロルが流れる。
ドクターは、テレビを見ながら子宮口をチェック。「もう6~7センチくらい開いてるけど、
まだなんともない?一人くらい、そろそろ出てきてない?」と冗談めいた口調。

お産を担当するのは、私の担当医ガードナーじゃなくて、
同じドクターズオフィスのドクター・モスクワッ。ガードナーは、かなりひどい風邪を
ひいていたせいか?クリスマスの休みか。

そうしてるうち、なんだか徐々に便意をもよおすような痛みが走る。
「がまんできないくらい痛いわけじゃないけど、そろそろ麻酔をうってください」と
看護婦さんにたのむ。「すぐに麻酔科医を呼んできますね」と看護婦さん。

「まだ時間的に早いかな?痛くないんだけど」と私が問うと、彼女は笑いながら
「普通は、5.5センチくらい子宮口が開いた段階で、麻酔を使うわよ」と言った。
う~~~む、どうやら痛みに私はにぶいのか。

「クリスマスイヴに産まれるのか、クリスマスになるのか、どっちだろうね」と
やっと荷物をもってやってきたレイに聞く。
「一人がイヴに産まれて、一人はクリスマス」
「そんなわけないでしょ」

「俺は、出産には立ち会わないけど、大丈夫?」とレイ。
「もちろん、あなたがいても手伝ってもらえるわけじゃないし、トラウマになる
くらいなら外に出ていてもらったほうがいいわ」

10時になると、日本語放送にテレビをあわせた。トリヴィアの泉が流れる。
チャイニーズのモタイマサコみたいな麻酔科医と若い白人兄ちゃんの助手
がやってきて、麻酔について説明するのだった。

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出産日に寿司!

2005-01-03 16:45:35 | ぜ~んぶ見せます!
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ドクターに、すぐにNYU(分娩するための病院NYUホスピタルのこと)へ行けと言われながらも、
まずはプレイステーション2日本語版の本体を買いに
User's sideへ。

そしてランチはグランドセントラル駅ちかくの日本食レストラン「節句」で寿司。
さすがにクリスマスイヴなので、オフィスに来てる人が少ないせいか空いていた。
「当分は、病院食を食べなくちゃならないかもしれないから」とアラカルトでウニとイクラも
食ったぞ。

「もし帝王切開になりでもして入院中に退屈したら困るし」Book offに行って、日本の古本も購入。
そうこうしてるうちに、3時間ほどが過ぎた。まだ陣痛らしきものはこない。
レイは、入院するための荷物を家へとりに帰らなくてはならないので、NYUの前まで送って去っていった。

妊婦の私一人で、受付へ。
「今日は、なんの御用ですか?」と聞かれ、
「出産です」と答える。出産する妊婦が一人でやってくるのが珍しかったのだろうか?

「しばらくお待ちください」と言われ、1時間、そして2時間がすぎた。
ホリデーでスタッフが少ないせいか忙しそうな受付の人たち。
ようやく分娩をかねた病室の掃除が終わったらしく、そこへ通されたのだった。

出産編のつづきは、近日公開。
「NYUメディカルセンターにひそむ、謎のエレベーターガール!」

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双子出産の日

2005-01-03 16:30:49 | ぜ~んぶ見せます!
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毎日毎日、「重い~腹が重い~」と文句ばかりたれていた妊婦の日々。
「双子の出産はたいてい36週か7週くらいが平均だ」とドクターや双子をもってる
ママ友から聞き、じゃー私も早産になるのねとタカをくくっていた。

あと、双子のママたちによると、「私は、帝王切開だったわ。しかも生まれた子に
キスする間もなく、別の部屋につれて行かれちゃったの未熟児だったから」という
話。

なるほど~っ、双子ってやっぱり、普通分娩では無理なんだな。
帝王切開だと何日くらい入院するのかしら?
未熟児だったら、私だけ先に退院するのかなぁ~などと考える日々。

ところが、出てこないじゃないか!君たち。母も早めに日本から来て待機。
もう38週、そして39週、あららの40週。
ドクターにチェックに行ったのは、予定日のクリスマスイヴだった。

「陣痛のような痛みはありませんか?」とドクター。
「なんともないです」
ソノグラムでチェックし、心音をチェック。逆子だった一人も頭が下がっていた。

この日の検診は、さすがに昨日まで自分でドライヴしてたけど、予定日にまでドライヴ
したくなかったし、レイが休みだったのでマンハッタンのドクターズオフィスまで
つれて行ってくれていた。

「じゃー内診します」とドクター。
ゴム手袋をはめて、ぐにゅぐにゅと子宮口をチェック。
「あれれ、もう5センチも子宮口が開いてます。本当になんともないんですか?」
「えぇ~、まぁ~」と私。

「おかしいなぁ~」とドクターが首をひねる。
「ともかく、このままNYUへ行ってください。24時間以内に産まれますよ」
「ひょぇ~~~っ!」と驚きの声をあげるレイと私なのだった。

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双子を宿した妊婦生活

2005-01-02 16:17:43 | ぜ~んぶ見せます!
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いやはや、無事に出産するまで公表しなかった双子の誕生だが、
出産よりなにより大変だったのは、妊婦生活だ。これって双子をみごもった人にしか
わからない苦しみなのだ。

スイカ二個を腹に抱えて動いて回ってるようなもの。寝るときは、そいつが腹にのり
横になってもそいつが腹にぶら下がり、寝返りはヨイショとそいつを抱えて転がるわけだ。

私だけかもしれないが、ウンちゃんの後が一番つらかった。
相撲取りのように、おつきの者に尻をふいてほしいと願う毎日。
腹はスイカ二つで膨れ上がってるわけで、前からはとてもじゃないけど拭けない。

後ろから拭くにしてもバランスが・・・。で、結局、ウォシュレットをつけてないアメリカの
便座、シャワーで水戸のxxxxさまを洗い流すしかないのだった。
あぁ~日本の便座が恋しかった。

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ついに双子を出産

2005-01-01 09:57:38 | ぜ~んぶ見せます!
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クリスマスイヴが出産予定日だったのだが、ついにクリスマスに双子を出産した。

いやはや大変だったのは、お腹に抱えて回る間で、産むのは案外、楽だったかもしれない。

こうして、またまた抱腹絶倒!NY育児日記のネタが増えるのだが

なかなか育児が大変で、日記を更新できそうにないぞ。

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