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ドクターや看護婦さんたちから「出産おめでとう!」の言葉をもらいながら、
待合室にいたレイが青いエプロンに靴下の手術室用の服を着て入ってきた。
ニコニコと今までに見たことがないくらい幸せそうな顔をして、
生まれたばかりのガールズを交互にながめていた。
「どっちがアヤで、どっちがエリカって名づけるの?」とレイ。
アヤは日本の名前で、エリカはアメリカの名前。アジア人っぽい方に
アヤと名づけようと考えていたのだった。
「先に出てきた方が、日本人っぽかったから、ベイビーAがアヤ」
「じゃあ、ベイビーBがエリカか」
しばらく写真を撮ったりしながらも、私の下のほうでは女医が縫合をはじめた。
きちんと縫ってちょうだいねぇ~・・・と心の中で祈る。
よく産後に、「ドクターの縫合が下手だったからアソコが突っ張るの」などという
ママ友の話を聞いたことがあるからだ。
無事に縫合も終わり。ぬるま湯みたいなので洗った後、
別室へ移動。病室ができるまで一時的に待たされることとなった。
と、隣に聞き覚えのある声。この病院へ到着してから分娩室ができるまで待たされていた
ユダヤ人夫婦がまたしてもカーテンをはさんで隣にいたのだった。
私が、一人で分娩室の用意ができるまで待ってたとき、彼女はピィーピィーと子供の
ように夫に甘えていた。「どうなるのかしら、さっきの女医さんが陣痛をおこすように
するお薬を使うっていってたし、不安だわぁ~」と、二人していろいろと会話がたえない。
そしてまた分娩後の私の隣で、彼女は分娩前だったらしく、「まだ痛み止めが効いて
こないのかしら?大丈夫かしら、痛いのよ、痛い、あぁ~っ」と1分ごとに
痛みを訴えながら、うなり声をあげるのだった。
ちょっとばかしの痛みぐらい我慢しろ!こちとら、二人も抱えていたんだぜ。と
弱気な彼女にいらだつ。「ねぇ~私の夫は、どこへ行ったのかしら?」と彼女は看護婦に
聞いていた。
うわぁ~、受付からずーっと一緒にいてくれる夫だなんて(まっ、それが
普通だけどさ)うらやましい。っつーかー、私の夫のレイってば、受付は妊婦の私一人
にまかせ、分娩の間すら待合室にいたりするわけで、しらず彼女にジェラスして
しまってるのかも。
それにしても堪え性のない女だ。夫を呼んで、甘えた声で「痛いの~」。
隣のユダヤ人夫婦はさておき、私の世話は、
若くて美人なチャイニーズのテキパキした看護婦さんが続けてくれた。
包帯のような繊維でできた下着をつけてくれ、長くて分厚くて大きなオムツみたいな
ナプキンをつけてくれる。このナプキンは、数十年前に日本で使っていたような
原始的ナプキンなのだ。薄くて吸収率のよい日本の現代のナプキンとは、まったく違う。
母に日本からナプキンを買ってきてもらって助かった。
病室の用意ができたのか、
インド人の看護婦の婆ちゃんが、車椅子をもってやってきた。私を病室へ
連れて行ってくれるらしい。なんだかヨボヨボの婆ちゃんで、彼女こそ車椅子に
乗ったほうがよさそうな雰囲気。
「これを持っててね」とファイルと、試験管に入った私の血を私に持たせる。
レイは、洋服や靴を持った上、双子の入ったプラスティックのケースをゴロゴロと
押させられていた。
「すでにエレベーターに乗りますよ、という連絡をしてありますからね」と、
チャイニーズの看護婦さんが、インド人婆ちゃんに告げる。
というのもNYUの一般のエレベーターは、「病人を殺すつもりか!」と患者さんたちが
怒鳴るほど、のろいせいだ。ラッシュの時間には、5分以上も待たされることがある。
そこでエレベーターがすぐに必要な患者には、快速特急みたいなエレベーター
を呼んでくれるのだ。
快速特急エレベーターに乗ると、赤いサンタの帽子を被ったショートカットの
ブラックの女性がうなだれていた。彼女はエレベーターガール。
エレベーター内にある電話をつかって連絡をとり、あちこちの必要なフロアに
エレベーターを停めている。
なぜかエレベーター内には、フレンチフライのにおいがプンプンしている。
サンタ姉さんは、どうやら晩御飯もここで食べてるようだ。そして電話のないときは
イスに座ったまま寝てるらしい。
こうしてエレベーターの中で、ずーっと仕事してるわけで、大変だろうな。
病室へつくと、隣の人はぐっすり寝ていた。
レイは、いろいろと洋服などの整理をしてくれた後、家へ帰って行ったのだった。
クリスマスの午前3時をすぎていた。
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ドクターや看護婦さんたちから「出産おめでとう!」の言葉をもらいながら、
待合室にいたレイが青いエプロンに靴下の手術室用の服を着て入ってきた。
ニコニコと今までに見たことがないくらい幸せそうな顔をして、
生まれたばかりのガールズを交互にながめていた。
「どっちがアヤで、どっちがエリカって名づけるの?」とレイ。
アヤは日本の名前で、エリカはアメリカの名前。アジア人っぽい方に
アヤと名づけようと考えていたのだった。
「先に出てきた方が、日本人っぽかったから、ベイビーAがアヤ」
「じゃあ、ベイビーBがエリカか」
しばらく写真を撮ったりしながらも、私の下のほうでは女医が縫合をはじめた。
きちんと縫ってちょうだいねぇ~・・・と心の中で祈る。
よく産後に、「ドクターの縫合が下手だったからアソコが突っ張るの」などという
ママ友の話を聞いたことがあるからだ。
無事に縫合も終わり。ぬるま湯みたいなので洗った後、
別室へ移動。病室ができるまで一時的に待たされることとなった。
と、隣に聞き覚えのある声。この病院へ到着してから分娩室ができるまで待たされていた
ユダヤ人夫婦がまたしてもカーテンをはさんで隣にいたのだった。
私が、一人で分娩室の用意ができるまで待ってたとき、彼女はピィーピィーと子供の
ように夫に甘えていた。「どうなるのかしら、さっきの女医さんが陣痛をおこすように
するお薬を使うっていってたし、不安だわぁ~」と、二人していろいろと会話がたえない。
そしてまた分娩後の私の隣で、彼女は分娩前だったらしく、「まだ痛み止めが効いて
こないのかしら?大丈夫かしら、痛いのよ、痛い、あぁ~っ」と1分ごとに
痛みを訴えながら、うなり声をあげるのだった。
ちょっとばかしの痛みぐらい我慢しろ!こちとら、二人も抱えていたんだぜ。と
弱気な彼女にいらだつ。「ねぇ~私の夫は、どこへ行ったのかしら?」と彼女は看護婦に
聞いていた。
うわぁ~、受付からずーっと一緒にいてくれる夫だなんて(まっ、それが
普通だけどさ)うらやましい。っつーかー、私の夫のレイってば、受付は妊婦の私一人
にまかせ、分娩の間すら待合室にいたりするわけで、しらず彼女にジェラスして
しまってるのかも。
それにしても堪え性のない女だ。夫を呼んで、甘えた声で「痛いの~」。
隣のユダヤ人夫婦はさておき、私の世話は、
若くて美人なチャイニーズのテキパキした看護婦さんが続けてくれた。
包帯のような繊維でできた下着をつけてくれ、長くて分厚くて大きなオムツみたいな
ナプキンをつけてくれる。このナプキンは、数十年前に日本で使っていたような
原始的ナプキンなのだ。薄くて吸収率のよい日本の現代のナプキンとは、まったく違う。
母に日本からナプキンを買ってきてもらって助かった。
病室の用意ができたのか、
インド人の看護婦の婆ちゃんが、車椅子をもってやってきた。私を病室へ
連れて行ってくれるらしい。なんだかヨボヨボの婆ちゃんで、彼女こそ車椅子に
乗ったほうがよさそうな雰囲気。
「これを持っててね」とファイルと、試験管に入った私の血を私に持たせる。
レイは、洋服や靴を持った上、双子の入ったプラスティックのケースをゴロゴロと
押させられていた。
「すでにエレベーターに乗りますよ、という連絡をしてありますからね」と、
チャイニーズの看護婦さんが、インド人婆ちゃんに告げる。
というのもNYUの一般のエレベーターは、「病人を殺すつもりか!」と患者さんたちが
怒鳴るほど、のろいせいだ。ラッシュの時間には、5分以上も待たされることがある。
そこでエレベーターがすぐに必要な患者には、快速特急みたいなエレベーター
を呼んでくれるのだ。
快速特急エレベーターに乗ると、赤いサンタの帽子を被ったショートカットの
ブラックの女性がうなだれていた。彼女はエレベーターガール。
エレベーター内にある電話をつかって連絡をとり、あちこちの必要なフロアに
エレベーターを停めている。
なぜかエレベーター内には、フレンチフライのにおいがプンプンしている。
サンタ姉さんは、どうやら晩御飯もここで食べてるようだ。そして電話のないときは
イスに座ったまま寝てるらしい。
こうしてエレベーターの中で、ずーっと仕事してるわけで、大変だろうな。
病室へつくと、隣の人はぐっすり寝ていた。
レイは、いろいろと洋服などの整理をしてくれた後、家へ帰って行ったのだった。
クリスマスの午前3時をすぎていた。
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