長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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聞多と俊輔、明治のエピソード

2010年12月16日 | ★幕末維新の長州
井上聞多(馨)、220石の歴とした上士。
伊藤俊輔(博文)、百姓→中間あがり。


多少身分の壁が緩んでいた幕末長州とはいえ、たとえば百姓あがりの村田蔵六(大村益次郎)がなかなか士分として扱われなかったように、身分制度はまだまだがっしりとありました。

そんな時代に、井上伊藤は意気投合して互いに「俊輔」「聞多」と呼び捨てにしあい、御神酒徳利(二個で一対=すごく仲良しコンビのこと)と呼ばれていました。

聞多は殿様とじきじきに話すことも頻繁で(殿の前でヒスも起こしたw)、俊輔の方は控えの間で待っているという具合で、身分格差は歴然とありましたが、二人の間はめっちゃ平等だったみたいです。


彼らの友情は生涯続きました。


明治になっても、ひとつふたつ面白い話があります。


明治25年。
乗っていた人力車が横から飛び出してきた馬車と衝突するという交通事故で、頭から転落して歯を何本も折った伊藤
心配した井上は何度も手紙を送ってます。
「おまえ、脳は大丈夫か。頭ガンガンしたり、ぼーっとしたりしちょらんか。散歩やら、してみたらええぞ」
「休んで治すのも国家のためじゃ」
「ようなったと聞いてほっとしちょるが、脳に痕跡が残っちょらんか気がかりじゃ」

・・・なんだ、「脳に痕跡」ってw



明治41年、今度は腎臓の悪かった井上馨が尿毒症から昏睡状態に陥り、危篤となりました。
                    ↑非常に危険。現代でも透析をしなかったらあんまり助からない…。

伊藤博文は駆けつけて、韓国総監の正装のまま井上の頭を膝に乗せ、無言でぽたぽたと涙を落としていたそうな。

そこへ看護婦がアイスクリームを持ってきた。
伊藤はひとさじのアイスを井上の口にいれ、口に耳をつけて飲み込む音を確かめ、
「おぬし、今のは飲んだかい?甘かったか?」
と言いながら、ついに声を上げて泣き出したそうです。


さらに「この、額に垂れている髪がうるさそうだ」と、はさみを持ってこさせて自らチョキチョキしてあげたとか。
看病は10日間以上に及んだそうです。


井上は9日間の意識不明から奇跡的に回復し、しかも思いっきり元通りにwww
(さすが不死身w)

・・・結局、先に死んだのは伊藤の方でしたとさ。

 伊藤博文 天保12年-明治42年
 井上馨 天保6年-大正4年


私はこの二人が「コンビで」好きです。
今回は珍しく明治のことを書いたけど、幕末の馬鹿エピがたまらんですwwww




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