角屋見学の続き。
正面から入るのではなくて、台所から上がる順路になってるのですが…
台所超広い。
ここはいわゆる料亭なので、たくさんの料理を作らなきゃならなかったわけで。
古い雰囲気のまま見られるのが何よりありがたかったです。
そして、スタッフのおじさんの説明が聞けるというので、一階奥の大広間「松の間」へ。
大広間っつっても、そんな広くなかったけど。
この部屋は庭に面していて、臥龍松(がりょうまつ)が見られることからこの名前があります。もっとも当時の松は枯れちゃって、新しい松が植えられてますが、
「あと80年もすればいい感じになってると思うので、また来て下さい」
って、確実死んでます
この「松の間」は、芹沢鴨がべろんべろんになるまで飲まされた部屋だそうです(ただしこの部屋のみ建て替え済、当時のものではない)。
「芹沢というのは大変強かったが、とにかく酒乱で、新選組の京都での評判を落としていた。なので、松平容保が、(暗殺を)指示した」
と、おじさんの説明。んなこと名前出して言っても、わかる人は何割いるのだろうw
続いて「ここで近藤一派が、べろべろになるまで飲ませたが、ここには宿泊はできないので、芹沢は側近2人に抱えられて壬生に帰り、その夜半に暗殺された」
今までただ読んでいたことですが、その場で聞くとリアルでした
けど「宿泊できない」の????遊郭なのに?
これは玄関を入ったところにある刀掛け。
お客はここに刀を掛け、さらに店の人がそこから刀箪笥にしまっておいたそうです。
その刀箪笥もちゃんと残ってました。
(誰が誰のか間違えないのか? 名前書いてないしっ ←書いてあったら嫌かもww ←しかもひらがなでwww)
しかし、新選組は「見廻り途中である」と称して、頑として刀を預けず、帯刀のまま座敷に通っていたのだそうです。
だから座敷に残ってる刀傷が新選組の仕業というのは一理ある…。
スタッフのおじさん、明らかに新選組嫌い。
そのあと二階の説明をしてくれた女性もそんな感じ。
「刀傷つけられてクソめーわく」みたいな。ま、そうなんですけど。
京都の人、新選組嫌いが多いんですが、今じゃずいぶんそれで儲けてるとも思うんですけど~
歴史について語るなら、もう少し言いようがあると思うよ。
おじさんの説明で力説されていたのは
「太夫(たゆう・こったい)というのは、遊女とは違う」という点です。
現在の太夫さんも、日舞・長唄などは必須ですが、当時は歌舞音曲に加え、文学的な素養が高かったそうです。
「角屋さんで遊ぶ」というのは、日も高いうちからお茶、俳句、和歌などをゆっくりと楽しみ、太夫の舞や歌をスマートに褒め、夜にようやく食事を・・・という感じで「いかに洗練された遊び方ができるか」みたいな。
それって・・・・
できたんですか???????
大店の旦那とか、そこそこのお家のボンならできるかもしれんが、幕末のアノ人たち・・・
ええ、新選組にしろ、倒幕サイドにしろ、もとは下級武士やら町人百姓身分やらが多くて、そんなことができたのだろうかと心配になる私だ。
漢詩ならいいけど和歌なんてできるのか?
俳句の方は微妙にココロアタリがある人がいるんですけど(爆)。
うーん。
どう考えても長州のアノ人たち(某伊藤さんと井上さんww)なんか、土蔵相模とかの猥雑な雰囲気の方がぴったり。
高杉なども、ボンのくせに安遊廓が似合うし~。
ここで疑問です。
おじさん、一切言わなかったんですけど、ここってお床入りはどーなんですか?
宴会場的な作りなので、部屋はそれぞれそこそこの広さあり、確かに遊女屋のような小部屋じゃないんですが・・・してたんですよね?
まあ当たり前です、遊郭は床入り当然です。
ここ島原ではなぜか「島原は遊郭ではない、セックス産業はやってない、ここはおもてなしの場」って言い張ってる。
それじゃ江戸時代の遊女ガイド本「島原細見」とか、なんで存在してんの??
ああいう本もなかったことに???
そうじゃないでしょー、歴史って、あったことはあったことでしょうよ?
遊郭、遊女の歴史も大事な日本文化史の一つでしょ。隠すことじゃないですよ。
…と、ここらへんで見学終了のはずが、どやどやと入ってきたのが、予約制の二階見学の一団。
私たちは事前予約してなかったんですが、その人たちが小人数だったせいか、聞いてみたら急遽OK出て、別料金払って二階も見れました
二階は一部屋ずつコンセプトが違うデザインが凝っててきれいでした。
だまし絵みたいな障子の桟にやたら感動した私だ。
二階は撮影禁止だそうで残念。
座って説明聞きながら、「身長○○センチくらいの人が座ると・・・こんな感じ・・・おおお」とか、こっそりシミュレーションしたりして。
この部屋とか、きっと来てるんだろうなあ・・・と。
とまあ、運よく一階二階とも見学できて、たいへんラッキーでした
やはりふだんの行いが良いと違うものです。frももう二度と来ないでしょうけどね、あんな解説をしてる限りは、島原。
で次。
歩いて壬生へ。
壬生ねえ・・・何回か行ってるんですが、最後に行ったのでさえ○十年前w
昨年壬生寺保育園を卒園したハルくんが張り切って案内してくれ・・・つつ、迷ってましたがw
幕末維新バナーを押してもらえると、激しく嬉しいです。
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正面から入るのではなくて、台所から上がる順路になってるのですが…
台所超広い。
ここはいわゆる料亭なので、たくさんの料理を作らなきゃならなかったわけで。
古い雰囲気のまま見られるのが何よりありがたかったです。
そして、スタッフのおじさんの説明が聞けるというので、一階奥の大広間「松の間」へ。
大広間っつっても、そんな広くなかったけど。
この部屋は庭に面していて、臥龍松(がりょうまつ)が見られることからこの名前があります。もっとも当時の松は枯れちゃって、新しい松が植えられてますが、
「あと80年もすればいい感じになってると思うので、また来て下さい」
って、確実死んでます
この「松の間」は、芹沢鴨がべろんべろんになるまで飲まされた部屋だそうです(ただしこの部屋のみ建て替え済、当時のものではない)。
「芹沢というのは大変強かったが、とにかく酒乱で、新選組の京都での評判を落としていた。なので、松平容保が、(暗殺を)指示した」
と、おじさんの説明。んなこと名前出して言っても、わかる人は何割いるのだろうw
続いて「ここで近藤一派が、べろべろになるまで飲ませたが、ここには宿泊はできないので、芹沢は側近2人に抱えられて壬生に帰り、その夜半に暗殺された」
今までただ読んでいたことですが、その場で聞くとリアルでした
けど「宿泊できない」の????遊郭なのに?
これは玄関を入ったところにある刀掛け。
お客はここに刀を掛け、さらに店の人がそこから刀箪笥にしまっておいたそうです。
その刀箪笥もちゃんと残ってました。
(誰が誰のか間違えないのか? 名前書いてないしっ ←書いてあったら嫌かもww ←しかもひらがなでwww)
しかし、新選組は「見廻り途中である」と称して、頑として刀を預けず、帯刀のまま座敷に通っていたのだそうです。
だから座敷に残ってる刀傷が新選組の仕業というのは一理ある…。
スタッフのおじさん、明らかに新選組嫌い。
そのあと二階の説明をしてくれた女性もそんな感じ。
「刀傷つけられてクソめーわく」みたいな。ま、そうなんですけど。
京都の人、新選組嫌いが多いんですが、今じゃずいぶんそれで儲けてるとも思うんですけど~
歴史について語るなら、もう少し言いようがあると思うよ。
おじさんの説明で力説されていたのは
「太夫(たゆう・こったい)というのは、遊女とは違う」という点です。
現在の太夫さんも、日舞・長唄などは必須ですが、当時は歌舞音曲に加え、文学的な素養が高かったそうです。
「角屋さんで遊ぶ」というのは、日も高いうちからお茶、俳句、和歌などをゆっくりと楽しみ、太夫の舞や歌をスマートに褒め、夜にようやく食事を・・・という感じで「いかに洗練された遊び方ができるか」みたいな。
それって・・・・
できたんですか???????
大店の旦那とか、そこそこのお家のボンならできるかもしれんが、幕末のアノ人たち・・・
ええ、新選組にしろ、倒幕サイドにしろ、もとは下級武士やら町人百姓身分やらが多くて、そんなことができたのだろうかと心配になる私だ。
漢詩ならいいけど和歌なんてできるのか?
俳句の方は微妙にココロアタリがある人がいるんですけど(爆)。
うーん。
どう考えても長州のアノ人たち(某伊藤さんと井上さんww)なんか、土蔵相模とかの猥雑な雰囲気の方がぴったり。
高杉なども、ボンのくせに安遊廓が似合うし~。
ここで疑問です。
おじさん、一切言わなかったんですけど、ここってお床入りはどーなんですか?
宴会場的な作りなので、部屋はそれぞれそこそこの広さあり、確かに遊女屋のような小部屋じゃないんですが・・・してたんですよね?
まあ当たり前です、遊郭は床入り当然です。
ここ島原ではなぜか「島原は遊郭ではない、セックス産業はやってない、ここはおもてなしの場」って言い張ってる。
それじゃ江戸時代の遊女ガイド本「島原細見」とか、なんで存在してんの??
ああいう本もなかったことに???
そうじゃないでしょー、歴史って、あったことはあったことでしょうよ?
遊郭、遊女の歴史も大事な日本文化史の一つでしょ。隠すことじゃないですよ。
…と、ここらへんで見学終了のはずが、どやどやと入ってきたのが、予約制の二階見学の一団。
私たちは事前予約してなかったんですが、その人たちが小人数だったせいか、聞いてみたら急遽OK出て、別料金払って二階も見れました
二階は一部屋ずつコンセプトが違うデザインが凝っててきれいでした。
だまし絵みたいな障子の桟にやたら感動した私だ。
二階は撮影禁止だそうで残念。
座って説明聞きながら、「身長○○センチくらいの人が座ると・・・こんな感じ・・・おおお」とか、こっそりシミュレーションしたりして。
この部屋とか、きっと来てるんだろうなあ・・・と。
とまあ、運よく一階二階とも見学できて、たいへんラッキーでした
やはりふだんの行いが良いと違うものです。frももう二度と来ないでしょうけどね、あんな解説をしてる限りは、島原。
で次。
歩いて壬生へ。
壬生ねえ・・・何回か行ってるんですが、最後に行ったのでさえ○十年前w
昨年壬生寺保育園を卒園したハルくんが張り切って案内してくれ・・・つつ、迷ってましたがw
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