長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

来島の爺さんの遊撃隊屯所

2010年07月24日 | ★幕末維新の長州
去る7月19日は禁門の変(蛤御門の変)の日でしたが、ネット上の某所で数時間に渡って馬鹿ライヴwが行われてて、仕事中に物すごい勢いでチラ見してしまった

終盤にさしかかった時の久坂の発言。

「僕はもうダメだ。九一(入江九一)を道連れには決してできない。
 生きろ!このことを藩に報告申し上げ、殿に進発をとどまってもらうんじゃ。
 かわりに、そーだなー、寺忠(寺島忠三郎)でいいから呼んできてれる?」

私は二つ折りになって吹きましたよっwww
「寺忠ででいいから」ってオイ!

このあと、九一は脱出したものの槍で顔を突かれ、目んたまが二個ともポーーーン。
関係なく土佐の山地忠七(元治。少年時の事故で隻眼)が現れ、「目んたまくれ」とか、もうめちゃくちゃでしたがww
なんだったんだ、あの実況。すんごいおもしろかったぞ。



その、禁門の変の中心となったのが、暴発ジジイの来島又兵衛
この人、この一連の場面において、止めようとする者を「だらしねえっ!」と罵倒する勢いでして、しかもその「止めようとする人」ってのは、普段なら一番アブナい高杉晋作とか久坂玄瑞たち。

それ以上のブチ切れ系というわけなんですが、でも普段は温厚で思慮深く、仕事のできる役人でもあったそうです。


その、遊撃隊の屯所があったのがここ。



防府天満宮参道の大石段脇にあります。
約千年前に建った寺が元。
1500年代には、大内氏を討つ毛利氏の本拠地にもなった場所です。


遊撃隊は、来島を隊長に、山田市之允(顕義)、所郁太郎らが幹部に名を連ねています。

元々はさまざまな職業の町人中心にした隊だったけど、途中から諸藩の脱藩浪士の隊になってます。
帰るとこなかった浪士っていっぱいいて、けっこう長州を頼って来ていたので…。
遊撃隊は「長州藩外人部隊」でもあったわけですにゃ。

どの時期も、最も士気が高く勇猛果敢な隊でした。


・・なのに・・・ググってもwikiにもないんだよーーー
幕府方の同名「遊撃隊」は載ってるのにさー。
長州遊撃隊は「遊撃軍」とも言ってましたが、それにしても。



そして私は屯所前に傘を忘れた。くそうッ。

悔しいので1週間後にまた行ったら・・・あった。ラッキー。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 武市さんの切腹シーンが気に... | トップ | 萩オフ会1 出発以前終了w »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大専坊 (山笑)
2010-07-24 13:53:48
ありゃ~、内藤さん。僕も先日(7月20日)にここに行って写真を撮りまくりました(笑)
「よ~し、今度はここの事を書いちゃろうかのう。」しかしまあ偶然ですねえ。
返信する
もとい (山笑)
2010-07-24 19:39:33
すみません。先程は、支離滅裂のコメントになっちょりました。ご無礼しました。

「よ~し、今度はここの事を書いちゃろうかのう。」と思い、7月20日、僕は大専坊に行って写真を撮りまくりました。

そして今日、内藤さんのブログに大専坊が!!
いや~、驚き入りましたよ(笑)
返信する
禁門の変 ミニ劇場 (みんか)
2010-07-27 15:15:33
いやー…アレ本当に面白かったデス(笑)
次の日、何だかやり遂げた感があって、燃え尽き症候群みたいな?ww

何はともあれ、傘、無事にあってよかったです♪
返信する
ぶw (きーこ)
2010-07-28 21:32:50
久坂さんの台詞は道端で吹きましたwwww
しかし寺忠おらんで寂しかった(笑)
誰か寺忠したらえかったそに~www
あと来島じいさん役とかwww
久坂さんと九一と時々桂さんでかなりアホでしたよね(笑)
しかし肝心の天王山にはまだ行ったことないのでしたー。
返信する
ほほう (久坂ですが)
2010-08-04 17:17:32
忠三郎はたまたま来たという説があったと思ったが。。。そうだったのか・・・。
勉強になりますなw
返信する
遅ればせながら (木圭)
2010-08-08 14:30:15
あの日の実況は僕も燃えた。
やり遂げた感があったよwww
ただ市ィには是非こけしとして京を脱出して欲しかった。

大専坊のこと勉強になりました!
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。