福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

これを聴きにきたのだ! ティーレマン「ジークフリート」

2018-01-18 23:53:27 | コンサート


「ワルキューレ」第2幕で火の着いたオーケストラ。今宵「ジークフリート」では最初から終わりまで、メラメラと燃え盛っていた。



ティンパニはますます激しく叩かれ、金管は容赦なく咆哮し、低弦の唸りは劇場の床を震わす。音楽は常に呼吸し、テンポは自由に揺蕩い、神秘のピアニシモから歓喜のフォルティシモまでダイナミクスの幅も無限大であった。



歌手陣には全く穴がない。
東京春祭で我々を熱狂させたアンドレアス・シャーガーは、益々輝かしく伸びる声、破天荒なスタミナでもって、聴衆を興奮の坩堝へと誘い、やはり、東京春祭で芝居巧者ぶりを発揮したゲルハルト・シーゲルも卑しくも哀しみを背負ったミーメの神髄に迫った。



ヴィタリー・コワリョフ(コヴァリョヴ?)も、さすらい人の威厳を歌い、昨年、新国立劇場の「ジークフリート」に登場したというクリスタ・マイヤーもエルダの神秘を全身に漂わせた。



ペトラ・ラングは、「ワルキューレ」のとき娘であったブリュンヒルデが、女となりゆく様を本当に美しく表現した。炎を越えて訪れたジークフリートにより眠りから醒まされ、起こした主がジークフリートであることを知ったときの歓喜の瞬間が今宵の頂点であったことは間違いない。



そう、これを聴きにきたのだ!
としみじみ思わせてくれる会心の公演であった。





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ティーレマン「リング」いよいよ後半戦

2018-01-18 12:02:04 | コンサート
今宵(1月18日)からはいよいよ後半戦。「ジークフリート」である。

「ラインの黄金」(13日)は、ティーレマンならもっと凄くてもよいのでは? と思ってもみたが、それは我が座席のせいかもしれない。パルテレ(平戸間)の前から16列目中央は頭上がロジェ(下の写真参照)、つまり頭上に低い屋根がある状況で、わたしの知るゼンパーオパーの音とは違ってたからだ。



これはいかん、というわけで、残り3公演のチケットを取り直すことに。そのロジェよりやや左の座席を確保して聴いた「ワルキューレ」(14日)は素晴らしいものであった。

数日前まで完売と告知されていた公演で、このような特等席が当日に入手できたのも、VIP客、招待客用の座席に空きが出たからであろう。

第1幕こそ、2年前の衝撃を超えなかった(あのときは、クナのレコード以上に感動した)が、第2幕ではティーレマンの棒に何かが降りてきたかのようで、オーケストラのサウンドに命の灯が宿り、最後まで最高の連続であった。

2年前、ここでジークリンデの究極の幸福を歌ってわたしを虜にしたペトラ・ラングが今回はブリュンヒルデを演じている。声、芝居ともに抜群で改めて惚れ直した。

第1幕の感動が2年前を超えなかった理由は、ティーレマン云々より、そこにペトラ・ラングが居なかったからかも知れない。



いずれにせよ、ゼンパーオパーの歴史とティーレマンの優れた劇場感覚に感服する日々。稀少な体験をさせて頂いている。
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