「シベリウス生誕150年、デュティユー生誕100年記念コンサート」と銘打たれたゲヴァントハウス管の定期演奏会初日(2月25日)。
都響のワーグナーを聴き損なったアラン・ギルバートがどんな指揮をするのか興味津々。一番のお目当てはシベリウスの「7番」。
ところが、シベリウスのみが割愛され、デュティユー~シューマンのピアノ協奏曲(ピアノ: アンスネス)、シューマン「春」という生誕記念とは無縁のシューマン主体のコンサートとなった。敢えていえば、ご当地ゆかりの作曲家ということか・・。
一番楽しめたのがデュティユー。
どこか東洋的な不可思議で心に懐かしさを覚えさせる音響の美。
一方、シューマンの2曲は、オケもよく鳴っているし、バランスやテンポも良いのだが、なにか足りない。憂い、空想、瞑想性といったボクがシューマンに期待するものがなく即物的というか、健康的に過ぎたのだろう。
もちろん、悪い演奏ではまったくない。聴衆もけっこう沸いていた。
アンスネスはコンチェルトも音楽的で立派でかったが、アンコールのショパン「即興曲」に音色の繊細さがより際立っていた。
因みに、コンサートホールとしてゲヴァントハウスの音響は素晴らしいの一言に尽きる。一見、サントリーホールのような形状に見えるのだが、たとえば、ピアノ協奏曲のオーケストラ全開の中、ピアノの細部の細部までが明瞭に聴き分けられる、或いは見事にブレンドされている、ということは、日本で経験したことがない。何か根本的なところで設計思想が違うのだろうか?