徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

横山大観「夜桜」

2006-05-07 | 美術
桜さくらサクラ・2006展
山種美術館
2006年3月11日から5月7日

山種美術館で「桜さくらサクラ・2006展」は先月鑑賞はしていたのですが、三の丸尚蔵館のあとに、大蔵集古館所蔵の横山大観「夜桜」を見に再度訪れました。

作品自体は、六曲一双という大画面に夜空の群青、松に緑青は、篝火の朱と艶やかな色を背景に桜花が描かれる艶やかな世界。日本画と呼ぶにはあまりに華麗です。吉野の山間に西行庵を訪れ、「願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」という歌を思い出しながら戯れ歌など読んで、山間で月明かりでお花見すると風情があるのかなと想像していたところだったので、この屏風は全くその風景で吃驚です。眺めると月明かりにさらに篝火。お花見には、篝火とは想像していませんでした。篝火による夜桜って素晴らしいでしょうね。いまどき篝火の夜桜が鑑賞できるところなどあまり聞きません。古(いにしえ)の夜桜の幻想的な風景がうらやましい。

この《夜桜》は、富田溪仙筆《祇園夜桜》(横山大観記念館蔵、大正11年日本美術院米国展覧会出展)から影響を受けているとしばしば指摘されるという。《祇園夜桜》は、京都祇園の枝垂れ桜が篝火の中から幻想的に浮かび上がる様子を描いているという。同じ円山公園の枝垂桜を描いた富田溪仙 《東山夜桜図》は、「大いなる遺産 美の伝統展」で鑑賞しましたが、来春のお花見のころに横山大観記念館を訪れてみましょうか。

横山大観「夜桜」は、昭和4年に制作され「ローマ日本美術展」に出展された作品。その「ローマ日本美術展」という展覧会については、説明を読んでなるほどと感銘。1930年(昭和5年)4月26日から6月1日にイタリア・ローマのパラッツオ・ナッツィオナーレ・デッラ・エスポジッツィオーネ(Palazzo nazionale della Esposizione)で開催。大倉喜七郎が企画、全費用を負担。大倉がイタリア首相ムッソリー二に、大観が描いた《立葵》を寄贈したのを機に、ローマでの日本美術展開催が決定。戦前の事業家は考えることがスケールが大きいですね。実際の運営と出品作家の選択は横山大観に一任される。日本美術院の横山大観は《立葵》を含めて16件27点、帝国美術院の川合玉堂の10点、竹内栖鳳の5点など、168件204点が出品される。16万5千人が鑑賞。大盛況ですね。

Takさんが探された解説によれば、この「ローマ日本美術展」は横山大観にとっては2回目のターニングポイントらしい。大観は、よく知られているように東京美術学校助教授に任じられるも、東京美術学校騒動の析に、岡倉天心とともに野に下る。このときの気持ちを描いた《屈原》(日本美術院第一回展 出品)(1898)(厳島神社蔵)は先般鑑賞したばかり。しかし昭和5年の「ローマ日本美術展」を契機に日本画界の主流に転じる。ローマ日本美術展以降の大観は、昭和6年の帝室技芸員就任、昭和11年の帝展松田改組への全面的協力、昭和12年の文化勲章受賞、帝国芸術院会員、昭和18年の日本美術報国会会長就任、昭和21年の文部省主催第一回日本美術展覧会第一部審査員など一転して官を代表する日本美術界の巨匠へ。このように在野の雄から華々しく官の中心的画家へと転じた。2か月の間にこの2点の作品を鑑賞したので、つい比較してしまうのですが《屈原》の方が感動的でした。

岩城宏之氏がベートベンの交響曲を第一番から第九番まで連続を年末に指揮したときのドキュメンタリーをNHK教育テレビで先日放送していました。の中でいっていました。そのときに、岩城宏之氏がいっていました。正確には覚えていませんが、ベートベン自身が「第八番は傑作だが、一般人にはわからないだろう」といっていたと。そしてその通り、全然演奏されず、ちょっと大衆に迎合した第九番はいまでも皆に愛されていると。芸術家は、いつも時代の先端をいっています。

(6日)

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