なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

継続は力・・・なんだけれど

2008-11-15 16:23:13 | Weblog
 先日の生活習慣病定期検診の時の話です。
 本来は前回検診日以降のかていで計った血圧・脈拍の記録を主治医に見せなくてはいけない・・・そういう記録用の手帳があるのです。
 ところが私は元々決まったことを毎日やるのが苦手の性格ですから、3日4日置きにしか計っていないし、それも朝一だったり深夜だったり、まずは気分しだいの記録です。
 加えて(内緒の話なんですが)あまりに長く記録なしの場合は記録のでっちあげをノートに書き込んで置きますから、記録改ざん・データ捏造の個人版です。
 中には毎日きちんと3回計る人もいるだろうから、そういう人に出会ったらまずは最敬礼です。
 記録は誰のためでもなく自分のためであるのは重々承知なんですが、気分としては「良くなる見込みがないのですから、悪くならない程度のケアで良い」みたいなものです。
 医師は熱心なあまり患者を叱ることがあるとは思いますが、私は叱られるのが嫌いなので・・・今回は丸まる1か月ノーデータで手帳提出。
 主治医をして「この次は私にも家庭での血圧を教えてください」と言わせてしまいました。
  マア、今回についてはきちんと計れば、いつもより高めに出たはずです
 虫歯の治療中・歯の根っこが化膿していてまずはじめにそこで手こずっています・・・こういうときは血圧は高くなるのだそうです。
 主治医からは虫歯・歯周病と糖尿病の関連についてたっぷりと講義を受けてしまいました。

 ところでその検診日に買った「棋力開発テスト」なんですが「勤務先の昼休みに日開くに丁度好さそう」などと書きましたが、実はまだ鞄から取り出していません。
 電車通勤ではないのでその辺は割り引くにしても、昼休み食後40分はあるのにまだ開いていない。
 これはきっと「暇つぶしに良い」と言う考え方が間違っていたようです。
  私に限っては「習慣化」「義務化」させないと続くどころか始まりも怪しいのです。
 今後の考え方としては、最低1問を昼休みの日課とする・・・これです。
  ポケット版の小さな本ですが結構問題数があります
 第一部
 序盤感覚テスト 34題
 中盤感覚テスト 34第
 ヨセの大小比較 12題
 あなたならどう打つ 6題
 第二部
 序盤の問題   25題
 中盤の問題   25題
 読みの問題   20題
 ヨセ大小比較  13問
 あなたならどう打つ 10題
  仮に毎日1題取り組んだとして(問題の難易度は関係なく)、ほぼ半年コースですね・・・これで1000円ですから申し訳ないみたい・・・
 但し計画立案は得意ですが、実行しなくては意味がない
  もしできれば、仮に1週間程度で全部目を通してしまい何やら1冊読んだような気になるよりは効果がありそうです。
 もっともそれを含めて「狸の皮算用」
  何せうっかりすると「顔を洗わず」「髪も梳かさずに」外出しかねない性格ですから・・・よほど生活習慣が良くないのでしょう。

棋力開発

2008-11-14 17:55:30 | Weblog
 今日は生活習慣病の定期検診日。
 最近家庭内血圧は機械の故障と言うかサボりと言うか計っていないので今日は一発勝負?。
 やはり少し高目の結果・・・それはどうやら歯の治療・歯の根っこが化膿していてその治療中・・・こういうことでも血圧に影響するらしい。
 それ以外の血液検査・尿検査では良くはないものの悪くもなかったらしい。
 総合病院のかつての主治医の言葉で「良くなると言うことは無いでしょうね。歩くならないように努力しましょう」と言うことから言えば、悪くなっていないのは現時点では最高なのかも知れないと喜ぶべきでしょうね。
 それと、今日はいつもの薬を替えてもらいました。
  今まで小粒の薬だったのを大粒のものに交換・・・それにするとジェネリックがあるので薬の値段が段違い。
 と言う事で良いことがあったので駅の中の本屋さんで自分にご褒美(?)
  安い本1冊分くらいは違うはずです。

 今日買ったのは
棋力開発テスト  宮本直毅 監修 月刊 碁学 編 マイコミ 2009年9月
 これはポケットサイズですからカバンに入れて持ち歩く本です。
 問題の場面でABCDEの五択で回答する形・・・五択なのでそれがヒントみたいなものですが、それでももともと立派なザルとしては正解とは限らないので、回答後の解説を読むのが大事になりそうです。
 (本屋さんの棚に「プロの常識・アマの非常識」みたいなタイトルの本がありましたが、プロの常識としてのヒントがザルには通じないことが多いでしょうし・・・)
 巻末に得点集計表があって下は7級以下から上は5段以上まである。
  ずいぶん幅が広い判定基準ですが、局面と打ち手の棋力は関係ないので、それはそれで納得・・・但し、偶然当たる確率も20%はあるし・・・
 全問ノーヒントが実戦的ではありますが、本では採点出来ないから仕方がない方法かも知れませんね。

 ところで紙質
 私は紙にこだわりがあると言うか、ちょっとしたことで気になる。
 この本は厚手の割には軽い本です・・・もしかしたら再生紙でできているのだろうか?。
 同じサイズの半分の厚さの本と同じ重量に感じます。
  つまり薄手で重い紙と厚手で軽い紙・・・何となく学生時代のペンギンブックスを思い出しました。
 それはそれで良いことだと思いますが、唯一雨の日は水ぬれ注意です。

 

我が家にもオレオレ

2008-11-12 19:24:40 | Weblog
 今日何気なくTVを見ていたら、「オレオレ」の撃退の経験者の話が話がありました。
だまされる人は自分だけは大丈夫だと思っているのだそうです・・・私だって騙されるとは思っていないけれど。
そう言えば、昔商品を売り付ける電話商法で「締切」とか「売り切れ」などがキーワードで相手をせかせたものですね。
  今回は「不安」「緊急」がキーワードでしょうか。
 マア現実に騙されてしまうかどうか・・・
 実際にそういう電話がかかってこなければ、証明にはなりませんが。
(息子が外国に行って初めて家に電話をかけてきたとき開口一番「オレ、オレ、○○」と言ったらしい・・・と言うことははじめに「オレオレ」と言うものなのですね、あとの○○が無ければ全くのオレオレです。」
 さらに「早く送金してくれないと国外退去になってしまう」なんて言うのは、詐欺と言うより脛かじりのテクニックですね。

   先日までは実際に掛ってこないかしらと思っていました。
 と言うのは、「オレオレ」と来ても、「俺、痴漢で捕まってしまって、示談にするのに急ぎで金がかかるだけど・・・」と来ても騙される心配はない。
 と言うのは当時息子は日本には居ないので「ヘエー、どこで痴漢をしたの?」「
エッ?電車の中で?」「フーン、それは大変なことをしたのだね」ということを言うぐらいの余裕はあるはずですから、変なゲームで遊ぶよりは面白いかも知れません。
 但し、最近の「オレオレ」は住民名簿とか卒業者名簿とか家族構成・勤め先などを調べてあることがあるらしいから、手が混んでいるかもしれません・・・思っているほど容易ではないかも知れません。

 ところで、我が家にも本当に「オレオレ」がかかってきました。 
 おれおれのBタイプみたいな「オレオレ!、今度携帯の電話番号が変わったからメモして」から始まるタイプだったそうだ。
 つまり電話に出たのが息子だったのです・・・だからオレオレは息子になりすますことが不可能。
 逆に「何で携帯番号をメモしなければいけないのですか」と言う質問に相手が窮してらしい。
 さらに「どなたなんですか?」と言う質問に友達の名前を出したが、言ったとたんに向こうから切った。
  しかも苗字抜きで名前のみ。
 幸いに相手の空振りに終わりました?メデタシメデタシ!。
  でももし年取った両親を狙ってかけてきたのだとしたら、ターゲットは私か女房殿と言うことになる。
 私も女房も騙される年だと思われているのか・・・何となく悔しい!!。
  

バージョンアップ

2008-11-12 18:00:43 | Weblog
 火曜日の夕方仕事から帰ってネットに接続したら、いつも通りの対局風景でしたが、バージョンアップされたらしく多少変わっていました。
 まあマイナーチェンジと言ったところでしょう。
  夕べと言うか今朝の未明と言うか、、、実ははっきりしないのですが(眠くなったら眠り、何かのはずみで目が覚めたら起きると言う「一見自然」実は「いい加減な生活」なので時間ははっきりしません。
 ともかく目が覚めたのでネット碁に接続して驚きました。
  一面真っ白の「銀世界?」・・・いや対局一覧表のボードが空白、入場者一覧表も白一色・・・もちろん対局希望者などいるわけが無い。
 一瞬「いったい何が起きたのか」目を疑いました。
 例えば全国的に大地震などに見舞われて、囲碁どころではないという事態ならばこういうこともありうるでしょう。
 しかし、世の中景気が悪いことを除けば比較的平穏。
  原因はどうやらネットのバージョンアップのメンテナンス作業だったらしい。
 何やら改善点が7,8項目あるらしいが・・・
  見た目で分かるものと言えば、観戦しながら入場者とか対局希望者がチェックできるようになったらしい・・・それでもチョイ便利と言う程度で「大いに便利かどうか」。
 
 さてこのネット碁では、数少ない実名制度が売り(?)。
  それなりに、真面目な対局が繰り広げられていると感じています。
 ネットにつなぐと、実名・在住県・点数・成績累計が検索できます。
  私としては究極のバージョンアップとしては、顔が出る・顔写真ではなくて表情の変化がわかる・文章ではなく音声で会話ができる・・・そのあたりだろうと思っています。
 そこまでできれば、全国の人と碁会所感覚で碁が打てる。
  リアルにも良いことだけでは無いとは思いますが、それでもこれができれば絶対入会(尤も会費の壁はありますが)。
 唯一の問題としたら観戦者にも顔を見らられるみたいなことでしょう。
  他人の顔が見えると何となく安心できるのに対して、自分の顔だけ見られるのは何となく不安に感じそうです。
 対局者同士にしか顔は見えないという形で・・・
  ともあれ見えたらいいですね。
 あっ、私みたいな頑固そうなジイサマは敬遠されり、若くてきれいな夫人は人気沸騰だったり・・・そいいう現象・弊害もかんがえらrえる。

 どうも落語の湯屋番の若旦那状態です。
  ・・・勝手に想像して・・・架空の世界で遊んでいる・・・安上がりな遊びです。

何かがあったかも

2008-11-11 17:55:30 | Weblog
 私が置かせる碁を打つ時は一応は「精一杯打ちます」みたいな真面目な顔をして澄まして碁盤の前に座っていますが、内心はドキドキで「私みたいなザルが置かせる方で良いのだろうか」と戸惑っていることが多い。
 それが初対面の対局で、単にカードに書かれた点数の差によるハンデにしか過ぎない時など、その傾向は強い。
 置かせておいて酷い碁を打てば、軽蔑されるような気がして・・・
  マア、打っているうちに置き石などを忘れてしまうことも多いのですが、黒も白もさして悪手が無くて差が詰らないとき、はっと「置き碁だった」と気がついたりして。
 そういうことは、置き碁と言っても2子くらいの時が多いです。
  場合によっては向こう先でも打てるのに2子の場合、相手がじっくり打てばなかなか差が詰らないことが多い。
 こういう時はいかに相手を不安な状態に誘うかと言うようなことがテクニックでしょうか?、じっとしていられないような疑心暗鬼とか・・・そういうこと考えながら打つのですから・・・
 でもザルが大サービスで石を置かせているのですから、このくらいは密かな楽しみとさせて頂きたいというような気分ではある。

 そうそう置き碁では盤外の楽しみもあったりします。
 例えばAさんと置き碁を打っている時に、Aさんの好敵手のBさんが現れたりしまして、観戦したりする時。
 Bさんにしてみれば日頃の碁仇が上手にどんな碁を打つのか興味があるわけです。
 それが、消極的な手を打ったり、見落としをしたり・・・いわゆる傍目八目状態になることがあります・・・いやたいていなります。
 上手とは言っても、つぶせるチャンスを生かせず、相手の言いなりなったり、逆に無謀な反抗をしたり。
 時としてAさんBさんの連合軍になったりします。
  まあ指導碁みたいな肩肘張ったものでもないし、相談碁でも好いか?などと・・・負けて元々、場合によっては二人まとめて負かせるかも知れんないなどと不遜な考えが頭を持ち上げます。

 ところで昨日Mさんの2子局を観戦した話をしましたが似たような気分なのに気がついて笑ってしまいました。
 ネットですから口出しなど物理的に無理ですが・・・
 ところで今日ネットに入場するとまたMさんが2子置いて打っている。
  これまでMさんが置いて打つのを見たことが無いのですが・・・皆無ではないでしょうが・・・続けて2子局と言うのは珍しい。
 彼は私より古い会員で対局数も多いから、確か800局くらい打っているはず、わたしにしたって1400局は打っていますが、両者とも勝率にしたら限りなく5割に近い。
 つまり何千局も打って数局の勝ち越し・・・
 ところが相手の人の勝率は9勝0敗。
  新入会員でまだ勝ち負けが落ち着くところの点数に行っていない。
 ですからこの先勝ち続ける可能性はある・・・そういう人と対局するMさんも勇気があります。
 そして初黒星を相手にプレゼントしたのだから大したものです。
  さあ問題は相手の人、ここらでちょっと一服だったのか、あるいはちょうど落着き頃だったのか、今後の動きに注目。

 さてMさんはと言うと、これまでは同じくらいの相手と次々対局、場合によっては同じ人と連戦も辞せずでしたが、どうやら2子で上手に教わるようになったようだ。
 なんだかこれまでと少しムードが変わったかも知れないから、もしかしたら今後要注意かも。

ひとのふりみて!?

2008-11-10 17:47:11 | Weblog
 ここ2,3日対局はしていませんが、観戦はしています。
  早い時間に眠ってしまい、表を新聞配達の人があ知りまわる気配で目が覚めるような生活です。
 睡眠時間はマアマア辻褄が合っていますが、周囲との生活のリズムに多少ズレができていて、ネット対局では相手を探すのが困難です。
  パンダなどでは地球の裏側の人とか経度で120度くらいの差がある国の人ならかえって都合が良いかも知れませんが、私は今国内中心の参加者のネットなのでやはり普通の生活時間帯というか常識的な時間と言うものがあります。
 それでも高齢者?や、リタイアした人の参加者が多いと見えて深夜2時くらいまで、早朝は5時くらいからは相手を見つけられる。
  つまり3時、4時は最も人通りの少ない時間と言うわけです。
  勿論皆無と言うわけではないのですが、希望する対局条件の相手を見つけにくい時間帯と言うことです。

 さて、早朝にネットに入場すると既に何組も対局中でした。
  目が覚めたと言っても、頭も体も完全に目が覚めていないので、相手を見つけて即対局は非常に危険な行為です。
 こういう場合は1,2局観戦することで頭を目覚めさせて、適当に塊をほぐして囲碁モードにしなくてはいけないのです。
 丁度、好敵手?のMさんが対局中だったので、早速観戦をしました。
  相手は相当強い人・・・Mさんは2子置いての対局です。
 Mさんはかなりいろいろな人と打ちますが、置かせる碁とか置く碁は見たことがありません・・・早朝なので相手を選べる範囲が少なかったのでしょう。

 私は置き碁で2子は難しいと思っていますので、2子局の観戦は参考になりそう
  自分が打てばきっと同じなのでしょうが、Mさんの碁も参考になる・・・反面教師と言う意味で。
 進行につれて確実に地が減っていく・・・いや白地になりそうなゾーンは増えていくのだけれど、黒地は増えるどころか既得権も削られていく。
 攻める方がよさそうな場面でなぜか自分の陣営の手入れに回る・・・
  A方面を攻めるのに先行してB方面の打診をすべきなのに、ストレートにAを決めに行って破綻をきたす・・・
 例えば、私が2子置かせて打った碁で勝つ時のパターンが繰り広げられている。
  Mさんは私とほぼ同じくらいの棋力だから、私が2子置いて打つと同じ失敗をするのであろう・・・起こり得る場面を見せられたような気がする。
 見るのと打つのでは大違いだろうし、これも”傍目”の部類だろう。
  こういうMさんが、互い先に戻ると別人になったかのように私などには猛威をふるうのだから困ったものです。
 それに今彼は私より点数を下げている・・・次に私と対局する時は「上昇のきっかけに丁度良い」と思うことだろう・・・それはイヤ。
 
 
 

勝ちたい気持ち

2008-11-09 14:51:58 | Weblog
 昔中国囲碁協会の上部組織が体育協会だと聞いて「どうして?」と思いました。
 日本で仮に文部科学省が所管するとしても体を動かす体育と囲碁将棋を同じ括りにする発想が無いと思われる。
 中国での発想は「どちらも勝負を争う」と言うことが理由だとか・・・本当かどうかは知りませんが。
 確かに勝負を争うのですが、勝負を争うのは同じと言うのも・・・スポーツと囲碁・将棋、極端に言えば競馬に麻雀だって同じなんだろうかという気もしますし、一方で「確かに勝ち負けを争うという括り方」で良いのかなという気もしないでもない。
 どちらも勝ち負けを争うということで「勝ちたいという気持ち」が大きなポイントを持っているようには思える。
 
 サッカー関連の記事を見ていると「強い気持ち」と言うような表現をよく目にします。
 もう少しわかりやすく言うと「勝利への強い意志」と言う意味で、プレーはそういう意思の表れみたいな事でしょうか。
 サッカーの場合プレイはぶつかり合う「強さ」のほかに「技」と「スピード」と言う要素があると思う。
 体の強さ、心の強さの他に身体能力としての速さと考える速さなどなどいろんな強さ・技・スピードがあります。
 その中で「強さ」一番重要だということなんでしょうか・・・身体能力の強さの前に意志の強さと言う事で。
 (尤も私はスタジアムでの観戦などでは、ぶつかり合う力も大切ですが「半歩の出足」の方を重要視して見ていますが・・・セカンドボールにしてもインターセプトにしてもこれがチームとしてできているかどうかで形勢はだいぶ違うわけです)
 
 さて囲碁の方では
 速さと言う要素は、体のスピードではなくて思考のスピードに関わることでしょうが、大量の情報を処理する能力と言う意味では重要には違いないのですが・・・例えば過去の実戦の類型から考えるというような場合、あるいは定石の形から取るべき手を考える場合。
 巨大記憶能力と情報処理スピードと言うとまるでコンピュータみたいですが、まあ能力は格段に劣りますが似たようなところはあるかも知れません。
 それに対局には時間と言う要素が加えられていますから、スピードと言うものは重要かも知れません。
 でも、一方で「記憶の勝負ではなくてオリジナリティーが大事」と言う表現もあります。
 アマチュアでよくからかわれる「定石を覚えて2目弱くなり」こういうことと関連のあることでしょう。
 その場合は処理を誤った場合の格言ですが、記憶力偏重にならないようにとの格言でもあるのでしょう。
 
 プロ的なオリジナリティと言うものとザルのオリジナリティでは比較にならないのでこのことは置いておくことにして、スポーツで重要な「勝ちたいという気持ち」の問題。
 囲碁では「勝ちたい」ではなく「負けない」と言う形に置き換えられないとマズイようです。
  強い意志の「強い」と言うところは、「不動心」みたいな強さに。
 スポーツでは「勝ちたいと強く思っている方が勝つ」みたいなところがあります。
 単なる結果論的に聞こえる場合もありますが、ほぼそういうこともあるだろうとは考える。
 ところが囲碁では必ずしもそうではないように感じます。
 少なくともわたくしに関してはそうですね。
  「勝ちい」と強く思えば思うほど結果は良くない。
  全く皮肉な現象です。
  それでは対局で勝負は度外視した気持でなくてはいけないのかと言うと、そういう気の抜けた気持で打つなんて自分に腹が立つでしょう。
  「勝ちたい」と言う気持ちが0のはずがないのだから、その気持ちと「強くなりたい」「好い碁を打ちたい」をうまくミックスできるか、あるいは”すり替え”られるかがポイントですね、きっと。
 ザル同士の対局ですから、その辺の作業が上手くできた方が良い結果を得られるのかもしれません。

 経験的に連敗が続くのは「勝ちたい」と言う気持ちが強すぎて空回りしている時だということは分かっている。
 ですから対局の時は気持ちから一旦「勝ちたい」を消去して「勝負を楽しむ」置き換えるような自分に誤魔化しをしなくてはいけない。
 「勝ちに行く手」と言うより「負けない手」・・・それでは十分に勝ち負けを意識しているのですが。
 
 ともあれ、勝ちたいのに勝ちを強く意識する時はまず勝てないとしたもので、「勝ちたければ勝ちたいと思ってはいけない!?」なんとも矛盾に満ちた遊びなんでしょう。
 

「地獄の季節」だったような

2008-11-08 17:05:43 | Weblog
 「最近ネット対局で負けて負けて・・・」と言うような話ではありません。
 成績は良くはないのですが、それでも私にしてはソコソコと言うところなので、この状態で「地獄」と表現したら他の皆さんに失礼です。
 具体的に言ったら10連敗とか、時々勝ちはするものの20点ほど下がった(累積20の負け越し)とかなら「地獄」とは思うけれど、ともかく今はまだ地獄の1丁目の手前でウロウロしているところです。

 「地獄の季節」と言うものを思い出したのは土曜日のNHK連続ドラマの放送を見た時です。
 双子の姉妹が京都河原町のライブハウスで歌うシーンで私の古い記憶からフラッシュバックするものがありました・・・ですから放送の進行とは関係はありません。
 学生時代の話に遡るのですが、関西方面がら来ていた3人の学生と親しくしていました。
 彼らは出身地も同じでいつも一緒に行動して、共同生活をしていた。
  彼らがこちらにいたとき小さなロック喫茶を開いていたのですが、やがて店を畳んで関西方面に帰って行きまして、数年後にハガキが来たりして電話で話したりするようになりました。
  一番の思い出はちょうど11月・・・テンポイントが天皇賞を勝った年です。
 電話で京都競馬場のクラッシック際の入場券を買っておいてもらって、東京駅発の高速バスの深夜便で大阪に行き私鉄で京都競馬場に直行・・・その晩は彼らの家に一泊して土日と京都競馬場で競馬三昧をしたことがありました。
 まあそれも競馬の成績で言えば地獄ではありましたが・・・

 京都で彼らが何をしていたのかと言うと・・・私はその時に行きませんでしたが京都の確か三条あたりで「地獄の季節」と言う店を開いていたということです。
 店の名前からして恐ろしげではありますが、彼らの性格からして暴力的に稼ぐ店ではないはずですが、それがスナックなのか喫茶店なのかは知りませんし、店名からしてロック系の喫茶店かライブもやれる店のような気はしていました。
 こちらで開いていた頃の店にもギターを抱えた客が多くて、曲の一部を弾いてみて比べていることもありましたから、そういう店を京都でも開いたのだろうと考えたのです。
 ともかく店の名前だけは強烈な印象があるので記憶に残っている。
  その後また音信が途絶えて30年以上経つのでわかりませんが、多分同じ場所にその店は無いような気はしています。
 今回のドラマに出てくるライブハウスも関係あるのかないのか・・・
  昔からそこには何件もそういう店がある場所だったのか、今回のストーリーの関係で設定されただけなのか、あるいはアノ店がモデルなのか・・・
 ともあれ、今の彼らに突然であったらお互いに「年をとったものだ」と嗤ってしまいそうですね・・・
 懐かしいような、見たくないような。

ザルだっていろいろあるさ

2008-11-07 18:26:46 | Weblog
 私の通勤時間は片道自転車で約40分・・・その日の天気・風向き・気持の張り方でプラスマイナス5分の誤差はあります。
 なんとなく生きている私としましては、何となく自転車で走る時間がもったいないなどと思ったりして・・・つまり1日1時間以上、1週のトータルで約5時間は自転車をこいでいるわけですから、その時間・足と手・目に移動を任せて、頭は別の作業をすれば、この時間の蓄積は大きいなどと大それたことを考えるわけです。
 そうは言っても「哲学の自転車通勤」のようなことは望めない・・・
  せいぜいが、何も考えないで生きているよりは多少マシな程度ではある。

 さて今日考えながら走った事
 昨日は街路樹のナンキンハゼの紅葉が始まったことを書きました。
  今朝も同じ道を走っているのですが、今日は街路樹も歩道も雨にぬれているのだだいぶ趣が違います。
 それと、今日は一本一本の木に目が行きました。
  気がついたことはごく当たり前のことなのですが、少し感動したりして・・・当たり前のことに心が動く性格なようです。
 
 植物図鑑ではある種の植物について、葉の枚数、花の形、葉の付き方、色、樹形などが記述されています。
 当然それは正しい記述で、ここで間違ったら図鑑の意味がない。
  問題は個体差です。
 つまり街路樹は同じナンキンハゼなんですが一本ずつは皆違うのです。
 大きさ、伸び方、樹形、、、同じ紅葉の時期なのにその進行が全く違う。
  片方は緑の葉ばかりなのに、隣の木は赤や橙、黄緑葉に変わっている・・・
 同じ兄弟。同じ家庭で育っても性格姿形が違うようなものでしょうか。  
  それにしてもナンキンハゼも真っ直ぐ素直に伸びている木もあれば、ねじれ気味というかヨリがかかりそうな木もある。
 樹皮、木肌も相当に違うように見える。
  人の手が入った剪定の跡の感じも違う。
 なるほどこういう風に違いがあるのかと気がつくとひっくるめてナンキンハゼと言うのも失礼?かも、、、よく野生動物のフィールド観察で一頭ずつに名前をつけなくてはいけないみたいなことを感じて、、、4kmにわたるナンキンハゼの一本一本に名前を付けるのはしんどいですね。
 やる前から疲れを感じてしまいます。

 ともあれ、図鑑的な記述は、絶対に間違えわない範囲(人間なら指が5本とか足が2本とか・・・)と最大公約数的な要素でまとめられていると思われます。
 同じ人間と言う種でも民族について言えば、最大公約数でくくってどれだけの差があるのでしょうね?
 これが囲碁であるとしたら
 トッププロの一人ずつの特徴は何となくわかるものとして・・・我が生息域もザルはナンキンハゼと同じように一口で括れないものもあるに違いない。
 ザルは囲碁の要素の中ですべてダメと言うこともないでしょう。
  もしかしたら部分的に目を見張るものを持っているかもしれない・・・おそらくそうなのです。
 良いところとダメな所のアンバランスさがザルの所以に違いない。
  だいたい、全く良いところがない場合は「ザル」にも成れない、「ザル以前」なんでしょう。
 仮に、ABCDEの囲碁要素のうち、どこかに難点があればザルと認定されるようなものかも知れませんが・・・それも違うかな?
 ザルとは言われない人だって時にはザル並みのチョンボをやるだろうし・・・そういうのは「晴れ時々ザル?」
 
 暇じんは取り留めもないないことを考えながら通勤するのです。
  真面目そうな顔?をして・・・頭の中が見えたらおかしいですね。
 ここで勤務先に到着・・・これから8時間は切り替えなくてはと(一応)思ったものでした。

ナンキンハゼの紅葉が始まりました

2008-11-06 17:56:17 | Weblog
 この時期にナンキンハゼの紅葉について書くのは3年連続です。
  しつこい感じもしますが、何といっても自転車通勤のうちの3分の2以上の道路の街路樹です。
 通勤はおよそ6.5kmくらいだと思いますが、そのうちの直線4km以上がこの木が植えられている歩道を走るのです。
 この木が好きなんです。
  ネーミングが・・・例えばアサガオに対してチョウセンアサガオみたいに、少し本物とは違うぞと言うような名前の付け方、ハゼ(櫨)に対してナンキンハゼハゼ・・・二流と言うか似非と言うか、そういうイメージが好きなんです。
 本物ではないけれどドッコイ生きているというような。
  マア名前を付けたのは人間ですから、勝手な解釈ではある。
 ともかくナンキンハゼハゼも小さな実をつけて、それで蝋はとれるらしい…品質は良くないらしいけれど。
 そんな事でナンキンハゼなんでしょう。
 もっともハゼの方は、この時期山で真っ赤に紅葉するはずなんですが、仮に紅葉していない時期ならば区別が怪しい。
 と言うことは、ハゼとかウルシとか、かぶれて痒くならなければ気がつかないかもしれません。
 つまり本家のハゼは知らないけれどナンキンハゼの木の下を毎日走っています。

 今日の午後は温かだったのですが、今朝がたまでは冷え込んでいたので一気にナンキンハゼの紅葉が進みました。
 まあ、全体の2割以下ではありますが、木によっては黄色・橙・黄緑みたいに色がついた葉っぱが風にヒラヒラ揺れています。
 これがもう少し進んで50%くらいになると最高。
  この道路・直線で4kmくらいの片側の歩道は全部ナンキンハゼ。
 それが油絵の点描みたいに輝いて、風に揺れて。
  歩道に散った落ち葉が気になるにはどうでしょうか・・・でも私は全く気にならないし、それにもうすぐポップコーンみたいな白い粒の実がなって、時に歩道に落ちてきます。
 それを自転車のタイヤで踏むと「プチプチ」という音がします。
  これが何となく楽しいのです。
 梱包材をつぶして音を立てるのもなんだか楽しいのと同じ心理でしょうか。
  
 この道路は毎年国際駅伝のコースでもありますが、11月23日にはこういう絵みたいな紅葉は終わっているでしょうから、TVには映らないでしょう。
  ともかく点描画みたいな紅葉が始まりました。

コウの話

2008-11-05 18:09:28 | Weblog
 出不精な性格と言う話をしましたが正確に言うと少し違うところもある。
  毎日のように碁会所に顔を出していた時代もあるわけで、出歩くのが苦手とか言うのではない。
 当然必要なところには行きますし仕事にも行っているし・・・
但し、不特定多数の人の多いところは苦手・・・例えばお祭り・縁日・・・だから神社などはお参りを済ませたらサット帰る、サッカーの観戦の場合は試合が終わったらすぐに駅に向かう。 
  土曜日には観戦に国立に行く前に午前中は内科クリニックで定期健診を受け、いつもの薬局で薬を受け取り、一旦家に帰ったのですが時間があるので図書館に行って本を返して、借りてきたり・・・まあそういうことはするのですから「出不精的傾向」はありますが、パソコンの前にずっと座っているような引きこもりでも無いのです。
 強いて言うなら、リアルでの人との触れ合いが好きなんだけれど、でも面倒に感じることもあるような、相反する気分が同居していたりする。
 人と凄く会いたくて誰かが訪ねてくれると本当に嬉しいのだけれど、お茶を一杯飲んでいるうちに何だか疲れてしまって『早く帰ってくれないかなァ』なんて・・・マア性格が分裂しているというか我儘と言うか。

 ところで今回図書館で借りた囲碁関係の本は
「コウは怖くない・1子の取り合い」林海峰 2000年3月 日本棋院発行の有段者への近道④
 サブタイトルにもあるように有段者への近道だから、この本は級位者向けに書かれた本と言うことでしょう。
 しかし、囲碁の局面は段級に関係がなくいろんな形が現れるわけで、級の人の対局には級向けの局面が現れるわけではない。
 同様に段だから全く違うということでもない。
  問題は同じ景色を見て気がつくかどうか、同じものを見ているのに見えるものが違い感じることが違うかも知れないということでしょう。
 また、キャンバスに絵を描くことに例えればプロと素人では線の描き方が違うようなことでしょう。

 この場合コウに関することで、級であろうが段であろうが基本的なことは大事なはず・・・と言う事で借りました。
 コウそのものは・・・一言で言えば好きなのです。
  手の無さそうな所で手を捻りだしたり、、、
 素人の碁ではコウを恐れるあまり、要らない手入れをしたり、効率の悪い受け方をする人がいます。
 逆に、コウでの狙いを軽視したり・・・
  もちろん私もその中の一人ですが、素人碁ではそういう意味でもコウが勝敗に関与する場面はかなり多いと思っている。
 サブタイトルに有段者の近道とありましたが、まさにコウについての知識・理解は段になれるかどうかを左右するでしょうね。
 とりあえずはこの本でコウの復習、自己チェック。
  

きっと私も

2008-11-04 18:26:57 | Weblog
 土曜日の朝・・・5時半に目が覚めてネット碁で対局。
  これは私の先番でコミ4目半出し。
 打つ前に今日は国立にサッカーの応援・観戦に行くのに、もしもこの碁が惨敗だったら、それが悪いことの起こる予兆みたいで厭だなと感じた・・・
  別にそういうゲンを担ぐわけでもないのだけれど、マアふとそんなことを感じたのです。
 碁は惨敗ではなかったのですが、序盤の失敗を挽回しきれず・・・一隅の定石の選択ミスをカバーするために思い切って大きく捨てる作戦に出たのが良かったのか悪かったのか・・・240手完、黒2目半負け。
 途中では、かなりいい線まで来ているとは思ったのですが、やはり序盤気前良く?後半追い上げる作戦は私には向いていないのかも知れません。

 さて碁が終わったのが朝7時頃、結構忙しい1日の始まりでした。
  内科の定期検診に行って、薬局に寄ってから一旦帰宅してからコミュニティの図書館、そして千駄ヶ谷の国立。
 サッカー観戦は好きですが、唯一イケない点は歩くことですね。
  普段の運動不足が露骨に遺憾無く発揮されてしまいます。
 私のせいで駅から施設に向かう人の波に渋滞を起こさないように結構必死で歩く・・・顔には出さないつもりですがこれが結構大変なんです。
 おまけに同行の女房殿と息子はさっさと前に行ってしまうのですから、離されないようについていくのに必死。
 応援の前に人には言えない戦いがあるのです(オーバーですけれど)。
  帰り道も同様ですから、観戦は野外活動並みに体力を消耗するのです。
 しかも結果が良く無かったのだから疲労度倍増・・・
  尤も女房殿は夜7時から近所の小学校の体育館のバドミントンクラブに行くのですから、どういう体力なのか感心してしまいます。
 私は夜10時から朝6時まで目を覚まさずにぐっすり眠ってしまい、いったん目を覚ますものの再び10時過ぎまで眠ったのですから、年をとると疲れやすく、疲れが取れ難いことの証明でした。

 そしてネット対局
 これが日曜日の夕方ですから、前の対局から36時間くらいたっています。
 いや、何日も打たないこともあるのだから、それは珍しくはないのですが、この間観戦もしていないというのは私としては珍しい。
 打たない日でも2,3局は観戦するのが習慣みたいに暮らしているのですが、それからすると例外みたいな日でした。
 ともかく、観戦から日常生活?に復帰して、ネット観戦したのですが、たまたま続けて2局同じ人の対局を観戦。
 
 対局は・・・普段私が半先・つまり常先くらいの人なのに今日は全くの同点ですから互い先。
 リアルならば石を握るところですが、ネットではどういう基準で先後を決めるのでしょうね。
 もしかしたら最近の勝率によって自動的に決まるのだろうか?
  と言うのは、今回私の白番だったのですが・・・
 対局したのは先ほどまで観戦していた人で、どうも不調のように見えるのですが、こういうときは相手の不調に乗ずる良い機会なのか、あるいはそろそろ相手も上昇に転じる頃なのかが分からないので難しい。
「そろそろ勝ち頃」ってあるように思います。
 観戦しているときにも感じたのですが、普段冷静に、それでいて厳しい手を打つ人なんですが今日の印象はかなり好戦的な印象。
 ことを構えて、ことさらに力で解決するような感じです。
  観戦した2局もそういう感じで戦っていたのですが結果は悪かったようです。
 私との対戦もかなりの力比べとなってしまいました。
  本来私が大模様を張ることは少ないのですが、今回は超大模様!
 そして私の壁の一方の石が攻められたのですが、大石にはしのぎがあるというか・・・一方石と言うか、凌いでおしまいとなりました。
 相手の方の攻めが一本調子だったとも思える。
  きっと、私もダメなときはこんなものだろうとは思う、、、「鹿を追う猟師」と言う言葉が当てはまるのでしょう。
 そして2,30年前の中国の言葉を思い出しました。
  本当は適切な表現ではないのですが「おぼれている犬は叩け」・・・これは紅衛兵の時代の言葉。
 相手の人の3連敗に手を貸したという事ですが、後日きっとやられる日が来るに違いない。
 それと印象・・・私も負けがこんでいるときはきっと同じような碁を打っているに違いない。

少しブルーな3連休

2008-11-02 16:14:15 | Weblog
 11月に入ってツキが変わったということでしょうか、1日(土)家族人で”国立”に行って残念な気分をたっぷり味わってきました。
 でもまあ若い選手が多くて外国籍の選手が少ないのですから、ここまで来れたのは立派だったということでしょう。
 結果は残念だったけれど、決勝の雰囲気は華やかで良いものです。
  できることなら、1月1日もまたここに来れたら幸せ。
 但し私の観戦時成績は今日の結果を含めて1勝3敗、息子に至っては4連敗中で、「俺は来ない方がいいかも知れない」などと落ち込んだりしています。
  他のスタジアムでの観戦勝率はかなり良いのですから、そういう風に思うのかもしれませんが、国立での決勝ですからまさかサイコロみたいに確率2分の1と言うわけにはいきませんから仕方がないことでしょう。

 さて、家族そろって落ち込みますが、今回みたいな場合は立ち直りも早い。
  サッカーについては我が贔屓チームに「2,3年以内には本当の力をつけてまたここに来よう」と言う感じです。
 但し肝心の(?)囲碁の方はブルーな気分の影響があるのか、ネットで対局リスト閲覧、対局待ちリストのところまでまでは行くのですが、自分の名前をエントリーするボタンを押せません。
 今日から3連休なのに初日からこれではいけませんね。
  碁会所とかコミュニティなどでは誘われれば数局お相手するのに、ネットではどうも気持のありように左右されてしまうようです。
 どこかネットだと「余所行き」感覚があるのだろうか。
  顔こそ出していませんが名前と在住県を表に出しての対局だけに恥ずかしい碁は打てないというか、真剣勝負と言うか、碁会所みたいな仲間内での「なあなあ的」な碁と言うか、ひどい内容でも「今日は調子が悪い」と頭を掻く感じとは違います。
 仮にネットで負けたとき、対局相手とか観戦者が「今日は調子が悪いですね」とか「いやー、運が悪かったみたいですね」と言ったり思ったりしているものなのか、「相変わらずヘボ」と思っているのか・・・そんなことが気になったりします。
 どう思われようと1敗は1敗なんだけれど、気になるものです。
  裏返せば自分を実物以上によく見せたいという見栄なんでしょうね。
 
 そういう意味ではリアルでは勝ち負けに関わらず、お互いに気がついたところをつつけるわけで、仮に「ヘボな手」だと直接言われたとしてもお互いの顔が見えているのですから、言葉は悪くても温もりを感じるでしょう。
 ネットの場合は少し物質的と言うか温度が無い数字と言う感じです。
  そうは言ってもどちらにも良いところはあるので・・・最近リアルで打っていないのでそういうストレスが溜まっているのかも知れません。
 ウダウダ言っていないで、リアルの相手がいるところへ行けば済むことなんですが・・・出不精な性格もあり、それはそれで少しエネルギーが要ります。

一番たくさん打ってもらった師匠

2008-11-01 17:48:17 | Weblog
 それは何と言ってもK畑師匠です。
  私が道場と並行して碁会所に通ったという話をしました。
 道場は土曜日の時と日曜日の時が1週おきですから月に4,5回、これ以外の土日に碁会所です。
 これは市内の住宅街にある碁会所、あるいは時として車で津田沼にある大きな碁会所に行きました。
 津田沼の方が大きくて客も多いので対戦相手に困ることもないし、福井進先生の指導碁も観戦できるのですが、何といっても駐車違反の取り締まりが気になっていけません。
 当時は駅前が再開発前なので、碁会所以外は何も無くて、交通渋滞も妨害でもないのですが、駅前の駐車禁止ゾーンなので取締は頻繁にやるのです。
 そんな事で「囲碁は打ちたし切符は恐し」で自然と足が遠のいてしまいました。
  当時働いていたところに出入りしていた取り引き先のYさんはそこの常連でしたが、とうとう対局する機会がありませんでした。
  大きな碁会所で、あまりに客が多いので、ビジター的な私にとってお馴染みができなかったし、そこの席亭とも会ったことがなくて教わったことがない・・・そういうことも常連になる条件の重要な部分でしょう。
  人間的なつながりができれば、足の方は車でなくても碁会所は(当時の呼び名で)国鉄電車の駅前にあるのですから。

 そういう時期にK先生が急逝され、その後通っていたA席亭の碁会所が事情があって閉鎖となりました。
 そこで探したのがN囲碁センター
  その席亭は棋力としては当時の私よりは少し強かったけれど、この人はいかにも碁会所的な力碁で、商売気と言うより自分が打ちたい人・・・心の中で「この人は尊敬できる先生でも見習いたい先輩でも無いと思いました」。
 それでも、そこそこの人数の常連がいましたし、家庭的と言うか皆と顔馴染みなったし、その中で私は若いほうから2,3番目だったので囲碁・人生の先輩達に可愛がって貰ったのです。
 
 その碁会所には常連さんの名前が木札に書かれて壁に並んでいました。
 段級位ごとに並んでいますが、それとは別に「師範」のところにK畑先生の名前がありました。
  当時低段だった私としては高段者で師範のK畑先生にこちらから声をかけるのは・・・気おくれしてしまいますが、見ていると気楽に下手と打っているのです。
 勇気を出して、「先生お願いします」と言えたのが先生との碁の付き合いの始まり・・・先生も”最近通ってきている若い者”と知っていたので気安く応じてくれました。
 当然師弟関係ですが・・・やがて囲碁で遊ぶ兄弟関係に近に行ったかも・・・
 はじめは5子から2番手直りで、やがて1番手直り。
  普段3子で教わっていた頃、碁会所の企画で「オール互い先リーグ」がありました。
 勉強のために参加させてもらいましたが、何とまぐれとは恐ろしいものでK畑先生に白番で勝ってしまった。
  まぐれには違いないが、この時私の中で何かが変わったような気がします。(大ザルから小ザルの違い程度ですが)
 ともあれ師匠の後ろ影が見えてきたような気がしたということでしょう。
  こういう意識は錯覚であろうが、感じるということは自分の意欲にとって大きいと思う・・・そのために片八百長的に負けてくれた?
 それはないでしょうが、先生は「負けるならきれいに負けてあげよう」とは思っていたかも知れません。

 先生はいろんな所に出かけて打ってくるのが好き、また先生自身が元県代表の経験者と親しかったり、呉清源先生の通信講座に入会していたり・・・そういうところでの経験とか知識を惜しげもなく私らに教えてくれるのです。
 
 ともあれ初めは5子で、、、30年近くたって互い先はおこがましいけれど先くらいにはなっただろうか。
 「先生の元気なうちに追い付きたいものだ」なんて言ったらかなり挑発的に聞こえるでしょうね。
  私は実の兄と11才違いますから、先生はちょうど兄くらいの年周り。
   師弟も長い付き合いですと、弟子がずーずーしくなって兄弟みたいな感じで「兄貴的師匠」と言う感じ・・・マア甘えさせてもらっています。
  それでK畑師匠との対局
 置き碁の指導碁を含めたら・・・多ければ良いというものでもないでしょうが、顔を合わせれば2、3局は打ってもらいますから、年間で考えれば50局は下らないはずで、20年は付き合いがあるのだから・・・大雑把に考えて10000局!
 少なくとも私の中ではこの記録は破れませんね。