なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

コウの話

2008-11-05 18:09:28 | Weblog
 出不精な性格と言う話をしましたが正確に言うと少し違うところもある。
  毎日のように碁会所に顔を出していた時代もあるわけで、出歩くのが苦手とか言うのではない。
 当然必要なところには行きますし仕事にも行っているし・・・
但し、不特定多数の人の多いところは苦手・・・例えばお祭り・縁日・・・だから神社などはお参りを済ませたらサット帰る、サッカーの観戦の場合は試合が終わったらすぐに駅に向かう。 
  土曜日には観戦に国立に行く前に午前中は内科クリニックで定期健診を受け、いつもの薬局で薬を受け取り、一旦家に帰ったのですが時間があるので図書館に行って本を返して、借りてきたり・・・まあそういうことはするのですから「出不精的傾向」はありますが、パソコンの前にずっと座っているような引きこもりでも無いのです。
 強いて言うなら、リアルでの人との触れ合いが好きなんだけれど、でも面倒に感じることもあるような、相反する気分が同居していたりする。
 人と凄く会いたくて誰かが訪ねてくれると本当に嬉しいのだけれど、お茶を一杯飲んでいるうちに何だか疲れてしまって『早く帰ってくれないかなァ』なんて・・・マア性格が分裂しているというか我儘と言うか。

 ところで今回図書館で借りた囲碁関係の本は
「コウは怖くない・1子の取り合い」林海峰 2000年3月 日本棋院発行の有段者への近道④
 サブタイトルにもあるように有段者への近道だから、この本は級位者向けに書かれた本と言うことでしょう。
 しかし、囲碁の局面は段級に関係がなくいろんな形が現れるわけで、級の人の対局には級向けの局面が現れるわけではない。
 同様に段だから全く違うということでもない。
  問題は同じ景色を見て気がつくかどうか、同じものを見ているのに見えるものが違い感じることが違うかも知れないということでしょう。
 また、キャンバスに絵を描くことに例えればプロと素人では線の描き方が違うようなことでしょう。

 この場合コウに関することで、級であろうが段であろうが基本的なことは大事なはず・・・と言う事で借りました。
 コウそのものは・・・一言で言えば好きなのです。
  手の無さそうな所で手を捻りだしたり、、、
 素人の碁ではコウを恐れるあまり、要らない手入れをしたり、効率の悪い受け方をする人がいます。
 逆に、コウでの狙いを軽視したり・・・
  もちろん私もその中の一人ですが、素人碁ではそういう意味でもコウが勝敗に関与する場面はかなり多いと思っている。
 サブタイトルに有段者の近道とありましたが、まさにコウについての知識・理解は段になれるかどうかを左右するでしょうね。
 とりあえずはこの本でコウの復習、自己チェック。