なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

性格は直らない

2008-11-21 18:26:05 | Weblog
 水曜日の夜は、ネットで対局する前に「囲碁にするか」「深夜のドーハからのサッカー中継」にするかのどちらかにするはずでした。
 つまり良識のある普通の勤め人なら当然そのはず・・・
  ネットで対局した後に適当な時刻に就寝して普通に睡眠時間を確保するか、あるいは宵のうち早めに寝ておいて深夜に起きてサッカーの衛星中継を観戦するか・・・の選択です。
 翌日の仕事を考えて、自分の楽しみと秤にかければ当然そうなるはずです・・・最も賢明な選択は中継をビデオで自動録画しているのですから後で見る。
 ところがたいていそのようには進行しないのです。
  第一リアルで中継しているもの・後では結果が分かっているものを見る気がしないのです

 若くて体力があった頃など、仕事の後に夜碁会所で打って、閉店後は徹夜でマージャンをし、翌朝は雀荘から出勤・・・そういうのも珍しくはなかったのです。(勿論仕事中に寝たりしません)
 それでも仕事の実績は人に負けないつもりではいました・・・その分のエネルギーを仕事に注げばもっと出来たでしょうと言われれば一言もありませんが。
  私の本心としては囲碁を楽しむために仕事をしているのであって、仕事が生活の中心だとは考えていないのですから・・・よくぞ女房殿に三行半を突き付けられなかったものです。)
  ネオン街方面の遊びはしないで、専ら(碁を)打つ、と(麻雀を)打つだけだったので寛大なお目こぼしがあったのでしょう。
 ともかく目の前に御馳走を並べられば手を出さずにはいられない性格だったわけで、その性格は体力が衰えているのに変わっていないのです。
 こういうのを「年寄りの冷や水」と言うのですね・・・分かってはいるのですが。
 例えば眠る態勢でベッドに入るとしましょう。
  その時まず傍らのサイドテーブルのパソコンのスイッチを入れて・・・本を読んだり。
 このとき本が面白かったり、丁度好い区切りがなかったりすると最後まで読んでしまうのが・・・。
 気がつくと朝だったり、外の新聞配達の足音で我にかえって「しまった!」と思ったり・・・
  
 そんなわけで、真面目に翌日のことを考えて「どちらかしかできない」と考えることは考える・・・しかし目の前の魅力に引きずられ、加えて後の方の楽しみも捨てがたい。
 ネット対局をして、その後本を読んで、サッカーの中継をリアルタイムで観戦・・・結局やりたいことを全部やっている・・・「あとはどうにでもなれ」みたいな「やけくそ的」と言うか「棄てばち」的な性格が出てしまいます。
 しかし、老体にはこたえます。
  午前中から眠気を感じるのですから、まさに天罰覿面!。
 しかも午後の課のスケジュールを見てびっくり。
  病気欠勤、研修出張、現場調査などで事務所に残るのは私一人・・・
   マア他の課の人はいますが。
 ともあれ昨夜のツケがまともに返ってきます
  こういうことを年中繰り返しているのですから、われながら学習能力を疑いますね。
 意志が弱いし。
  こういう日は息も継げないほど忙しい方が眠気を感じなくて良いのですが、あいにく今のところソコソコに忙しい程度ですから困ります!?。
 全く贅沢で我儘な言い分です。