私の通勤時間は片道自転車で約40分・・・その日の天気・風向き・気持の張り方でプラスマイナス5分の誤差はあります。
なんとなく生きている私としましては、何となく自転車で走る時間がもったいないなどと思ったりして・・・つまり1日1時間以上、1週のトータルで約5時間は自転車をこいでいるわけですから、その時間・足と手・目に移動を任せて、頭は別の作業をすれば、この時間の蓄積は大きいなどと大それたことを考えるわけです。
そうは言っても「哲学の自転車通勤」のようなことは望めない・・・
せいぜいが、何も考えないで生きているよりは多少マシな程度ではある。
さて今日考えながら走った事
昨日は街路樹のナンキンハゼの紅葉が始まったことを書きました。
今朝も同じ道を走っているのですが、今日は街路樹も歩道も雨にぬれているのだだいぶ趣が違います。
それと、今日は一本一本の木に目が行きました。
気がついたことはごく当たり前のことなのですが、少し感動したりして・・・当たり前のことに心が動く性格なようです。
植物図鑑ではある種の植物について、葉の枚数、花の形、葉の付き方、色、樹形などが記述されています。
当然それは正しい記述で、ここで間違ったら図鑑の意味がない。
問題は個体差です。
つまり街路樹は同じナンキンハゼなんですが一本ずつは皆違うのです。
大きさ、伸び方、樹形、、、同じ紅葉の時期なのにその進行が全く違う。
片方は緑の葉ばかりなのに、隣の木は赤や橙、黄緑葉に変わっている・・・
同じ兄弟。同じ家庭で育っても性格姿形が違うようなものでしょうか。
それにしてもナンキンハゼも真っ直ぐ素直に伸びている木もあれば、ねじれ気味というかヨリがかかりそうな木もある。
樹皮、木肌も相当に違うように見える。
人の手が入った剪定の跡の感じも違う。
なるほどこういう風に違いがあるのかと気がつくとひっくるめてナンキンハゼと言うのも失礼?かも、、、よく野生動物のフィールド観察で一頭ずつに名前をつけなくてはいけないみたいなことを感じて、、、4kmにわたるナンキンハゼの一本一本に名前を付けるのはしんどいですね。
やる前から疲れを感じてしまいます。
ともあれ、図鑑的な記述は、絶対に間違えわない範囲(人間なら指が5本とか足が2本とか・・・)と最大公約数的な要素でまとめられていると思われます。
同じ人間と言う種でも民族について言えば、最大公約数でくくってどれだけの差があるのでしょうね?
これが囲碁であるとしたら
トッププロの一人ずつの特徴は何となくわかるものとして・・・我が生息域もザルはナンキンハゼと同じように一口で括れないものもあるに違いない。
ザルは囲碁の要素の中ですべてダメと言うこともないでしょう。
もしかしたら部分的に目を見張るものを持っているかもしれない・・・おそらくそうなのです。
良いところとダメな所のアンバランスさがザルの所以に違いない。
だいたい、全く良いところがない場合は「ザル」にも成れない、「ザル以前」なんでしょう。
仮に、ABCDEの囲碁要素のうち、どこかに難点があればザルと認定されるようなものかも知れませんが・・・それも違うかな?
ザルとは言われない人だって時にはザル並みのチョンボをやるだろうし・・・そういうのは「晴れ時々ザル?」
暇じんは取り留めもないないことを考えながら通勤するのです。
真面目そうな顔?をして・・・頭の中が見えたらおかしいですね。
ここで勤務先に到着・・・これから8時間は切り替えなくてはと(一応)思ったものでした。
なんとなく生きている私としましては、何となく自転車で走る時間がもったいないなどと思ったりして・・・つまり1日1時間以上、1週のトータルで約5時間は自転車をこいでいるわけですから、その時間・足と手・目に移動を任せて、頭は別の作業をすれば、この時間の蓄積は大きいなどと大それたことを考えるわけです。
そうは言っても「哲学の自転車通勤」のようなことは望めない・・・
せいぜいが、何も考えないで生きているよりは多少マシな程度ではある。
さて今日考えながら走った事
昨日は街路樹のナンキンハゼの紅葉が始まったことを書きました。
今朝も同じ道を走っているのですが、今日は街路樹も歩道も雨にぬれているのだだいぶ趣が違います。
それと、今日は一本一本の木に目が行きました。
気がついたことはごく当たり前のことなのですが、少し感動したりして・・・当たり前のことに心が動く性格なようです。
植物図鑑ではある種の植物について、葉の枚数、花の形、葉の付き方、色、樹形などが記述されています。
当然それは正しい記述で、ここで間違ったら図鑑の意味がない。
問題は個体差です。
つまり街路樹は同じナンキンハゼなんですが一本ずつは皆違うのです。
大きさ、伸び方、樹形、、、同じ紅葉の時期なのにその進行が全く違う。
片方は緑の葉ばかりなのに、隣の木は赤や橙、黄緑葉に変わっている・・・
同じ兄弟。同じ家庭で育っても性格姿形が違うようなものでしょうか。
それにしてもナンキンハゼも真っ直ぐ素直に伸びている木もあれば、ねじれ気味というかヨリがかかりそうな木もある。
樹皮、木肌も相当に違うように見える。
人の手が入った剪定の跡の感じも違う。
なるほどこういう風に違いがあるのかと気がつくとひっくるめてナンキンハゼと言うのも失礼?かも、、、よく野生動物のフィールド観察で一頭ずつに名前をつけなくてはいけないみたいなことを感じて、、、4kmにわたるナンキンハゼの一本一本に名前を付けるのはしんどいですね。
やる前から疲れを感じてしまいます。
ともあれ、図鑑的な記述は、絶対に間違えわない範囲(人間なら指が5本とか足が2本とか・・・)と最大公約数的な要素でまとめられていると思われます。
同じ人間と言う種でも民族について言えば、最大公約数でくくってどれだけの差があるのでしょうね?
これが囲碁であるとしたら
トッププロの一人ずつの特徴は何となくわかるものとして・・・我が生息域もザルはナンキンハゼと同じように一口で括れないものもあるに違いない。
ザルは囲碁の要素の中ですべてダメと言うこともないでしょう。
もしかしたら部分的に目を見張るものを持っているかもしれない・・・おそらくそうなのです。
良いところとダメな所のアンバランスさがザルの所以に違いない。
だいたい、全く良いところがない場合は「ザル」にも成れない、「ザル以前」なんでしょう。
仮に、ABCDEの囲碁要素のうち、どこかに難点があればザルと認定されるようなものかも知れませんが・・・それも違うかな?
ザルとは言われない人だって時にはザル並みのチョンボをやるだろうし・・・そういうのは「晴れ時々ザル?」
暇じんは取り留めもないないことを考えながら通勤するのです。
真面目そうな顔?をして・・・頭の中が見えたらおかしいですね。
ここで勤務先に到着・・・これから8時間は切り替えなくてはと(一応)思ったものでした。