通勤自転車で走っているとすれ違う自転車の人の多くが耳にイヤホーンをつけていたりヘッドホーンだったりします。
「日本人ってそんなに音楽好きだったっけ?」戦後すぐの生まれで田舎で育った私は首をかしげてしまいます。
マア、音楽好きと言うより通勤時に単に体を目的地に運ぶという行為だけでは時間の無駄みたいな感覚で耳から音楽を流しているのかも知れませんね。
これが音楽ではなく何かの語学レッスンだったらまさに時間の有効利用でしょうが。
イヤホーンの人は高校生が一番確率的に高いかも知れません。
一人で走っている人は耳にイヤホーンが入っている事が多い・・・2,3人で横1列と言うのも多くて困っていますが、そういう時は聞いていないようです。
私の場合はウォークマンもipodもありませんから物理的に無理ですが、代わりに何か頭の中で「下書き」をしたり、その日の予定、誰かにあったら何をどう伝えるかの予習の時間です。
但しBGMで音楽が流れていることもある・イヤホーン無しで、頭の中に若いころに聞いていたメロディーが流れていることが多い。
音楽好きと言うことではないけれど、体を動かす時に結構音楽を感じると言うことでしょうか。
スローで走っていますから、早いテンポの曲はだめです。
ともかく最近は全く音楽テープ・レコード・CDを買っり借りたりはしていませんから、すべて若いころに聞いて染みついたようなものを再生している。
季節・時間・気分によって、そう多くはないレパートリーの中から。
その時の気分ではテークファイブだったりグリーンフィールズ、場合によってはテネシーワルツだったり・・・ともかく頭の中に流れている。
そしてこの季節はシューベルツでしょうか。
クラッシックではありません昔のGSの方の「プラタナスの枯葉舞う(散るだたっけ)冬の道で・・・」
実際の通勤路にあるプラタナスの街路樹は200メートルくらいで、ナンキンハゼが4キロイチョウが2,300メートル。
町の中にはマテバシイ(どんぐり)が多くてヤマモモもあるのですが、この季節のイメージはプラタナスですね。
枯葉が散るのはここではイチョウやナンキンハゼのイメージ、自転車で走っていて上から降ってくることがありますから。
でも一旦落ちた葉がちょっとした風で舞うのはプラタナスのイメージ。
他の葉も強い風に吹き寄せられたりしますが、「カサコソ」というイメージとは違うような気がします。
もっともこの季節が好きなのではありません、、、むしろ一番嫌いな季節。
毎年今の時期に思うのです「今年の冬は寒そうだぞ!」
毎年そう思うのです・・・ひと夏越してしまうと前の年の寒さを忘れてしまって、毎年未経験の冬を迎える気分になるのです。
だからオーバーに「今年の冬は越せるだろうか?」となる。
それを口にしたら家族からも馬鹿にされてしまいますから言えませんが
確かに自分の身体的条件から厳冬期は鬼門ではある・・・
ともあれ木枯らしが吹く季節はそういう季節の入口で、毎年新しく覚悟を決める時期なのです。
これが寒さに慣れる1月の中頃までは続きます・・・そのころになるとなんとか免疫?ができて、寒さにも腹が据わるのです。
思えば私の故郷の(その時代だけだったのかも知れませんが)小・中・高の教室には暖房がありませんでした。
私が住んでいた18年間で雪が降ったのが1度だけ(積雪2センチ)と言う土地柄ですから 無くてもやっていけたとも言えますが、職員室にはダルマストーブか石油ストーブがあったはずです(今でも恨めしい)・・・。
だから教室のストーブに関する楽しい思い出は無いしストーブにはアレルギー?的なものがある・・・
こじつけ気味に言うと、そのせいで今でも冬の暖房は炬燵、コタツがあれば丸くなって出て行かない。
できたら肩までもぐりこみたい気分だから家の者に、「親父は子年ではなくてネコ年だ」と言われている。
何と言われようとあったかいのがいい。
それも、エアコンとかストーブの部屋全体をあっためるのが好きではないのだから始末が悪い。
子供時代には当時飼っていた猫と並んで炬燵にもぐっていたものです。
炬燵にもぐって暖かくて、それでも顔はちょっと涼しいくらいが好きなのだから始末が悪いと自分でも思っています。
今年の冬は女房殿がうるさい亭主対策にデロンギとかいうオイルヒーターを用意しているのですが、今のところ私の部屋でカバーをかけたまま・・・
買ってくれた人に文句は言えませんが、「部屋は暖かければ良い」と言うのは困る・・・体はあったかくて顔と頭は涼しいのが良いのだから、多分どんな暖房機も合格しないはず。
ともあれ「ネットオヤジ」だろうが「引きこもりオヤジ」であろうが冬は炬燵または暖かなベッドの中でネット碁に限る。
打つのももちろん良いけれど、顔だけ出して囲碁観戦は幸せな時間です。
「日本人ってそんなに音楽好きだったっけ?」戦後すぐの生まれで田舎で育った私は首をかしげてしまいます。
マア、音楽好きと言うより通勤時に単に体を目的地に運ぶという行為だけでは時間の無駄みたいな感覚で耳から音楽を流しているのかも知れませんね。
これが音楽ではなく何かの語学レッスンだったらまさに時間の有効利用でしょうが。
イヤホーンの人は高校生が一番確率的に高いかも知れません。
一人で走っている人は耳にイヤホーンが入っている事が多い・・・2,3人で横1列と言うのも多くて困っていますが、そういう時は聞いていないようです。
私の場合はウォークマンもipodもありませんから物理的に無理ですが、代わりに何か頭の中で「下書き」をしたり、その日の予定、誰かにあったら何をどう伝えるかの予習の時間です。
但しBGMで音楽が流れていることもある・イヤホーン無しで、頭の中に若いころに聞いていたメロディーが流れていることが多い。
音楽好きと言うことではないけれど、体を動かす時に結構音楽を感じると言うことでしょうか。
スローで走っていますから、早いテンポの曲はだめです。
ともかく最近は全く音楽テープ・レコード・CDを買っり借りたりはしていませんから、すべて若いころに聞いて染みついたようなものを再生している。
季節・時間・気分によって、そう多くはないレパートリーの中から。
その時の気分ではテークファイブだったりグリーンフィールズ、場合によってはテネシーワルツだったり・・・ともかく頭の中に流れている。
そしてこの季節はシューベルツでしょうか。
クラッシックではありません昔のGSの方の「プラタナスの枯葉舞う(散るだたっけ)冬の道で・・・」
実際の通勤路にあるプラタナスの街路樹は200メートルくらいで、ナンキンハゼが4キロイチョウが2,300メートル。
町の中にはマテバシイ(どんぐり)が多くてヤマモモもあるのですが、この季節のイメージはプラタナスですね。
枯葉が散るのはここではイチョウやナンキンハゼのイメージ、自転車で走っていて上から降ってくることがありますから。
でも一旦落ちた葉がちょっとした風で舞うのはプラタナスのイメージ。
他の葉も強い風に吹き寄せられたりしますが、「カサコソ」というイメージとは違うような気がします。
もっともこの季節が好きなのではありません、、、むしろ一番嫌いな季節。
毎年今の時期に思うのです「今年の冬は寒そうだぞ!」
毎年そう思うのです・・・ひと夏越してしまうと前の年の寒さを忘れてしまって、毎年未経験の冬を迎える気分になるのです。
だからオーバーに「今年の冬は越せるだろうか?」となる。
それを口にしたら家族からも馬鹿にされてしまいますから言えませんが
確かに自分の身体的条件から厳冬期は鬼門ではある・・・
ともあれ木枯らしが吹く季節はそういう季節の入口で、毎年新しく覚悟を決める時期なのです。
これが寒さに慣れる1月の中頃までは続きます・・・そのころになるとなんとか免疫?ができて、寒さにも腹が据わるのです。
思えば私の故郷の(その時代だけだったのかも知れませんが)小・中・高の教室には暖房がありませんでした。
私が住んでいた18年間で雪が降ったのが1度だけ(積雪2センチ)と言う土地柄ですから 無くてもやっていけたとも言えますが、職員室にはダルマストーブか石油ストーブがあったはずです(今でも恨めしい)・・・。
だから教室のストーブに関する楽しい思い出は無いしストーブにはアレルギー?的なものがある・・・
こじつけ気味に言うと、そのせいで今でも冬の暖房は炬燵、コタツがあれば丸くなって出て行かない。
できたら肩までもぐりこみたい気分だから家の者に、「親父は子年ではなくてネコ年だ」と言われている。
何と言われようとあったかいのがいい。
それも、エアコンとかストーブの部屋全体をあっためるのが好きではないのだから始末が悪い。
子供時代には当時飼っていた猫と並んで炬燵にもぐっていたものです。
炬燵にもぐって暖かくて、それでも顔はちょっと涼しいくらいが好きなのだから始末が悪いと自分でも思っています。
今年の冬は女房殿がうるさい亭主対策にデロンギとかいうオイルヒーターを用意しているのですが、今のところ私の部屋でカバーをかけたまま・・・
買ってくれた人に文句は言えませんが、「部屋は暖かければ良い」と言うのは困る・・・体はあったかくて顔と頭は涼しいのが良いのだから、多分どんな暖房機も合格しないはず。
ともあれ「ネットオヤジ」だろうが「引きこもりオヤジ」であろうが冬は炬燵または暖かなベッドの中でネット碁に限る。
打つのももちろん良いけれど、顔だけ出して囲碁観戦は幸せな時間です。