それは何と言ってもK畑師匠です。
私が道場と並行して碁会所に通ったという話をしました。
道場は土曜日の時と日曜日の時が1週おきですから月に4,5回、これ以外の土日に碁会所です。
これは市内の住宅街にある碁会所、あるいは時として車で津田沼にある大きな碁会所に行きました。
津田沼の方が大きくて客も多いので対戦相手に困ることもないし、福井進先生の指導碁も観戦できるのですが、何といっても駐車違反の取り締まりが気になっていけません。
当時は駅前が再開発前なので、碁会所以外は何も無くて、交通渋滞も妨害でもないのですが、駅前の駐車禁止ゾーンなので取締は頻繁にやるのです。
そんな事で「囲碁は打ちたし切符は恐し」で自然と足が遠のいてしまいました。
当時働いていたところに出入りしていた取り引き先のYさんはそこの常連でしたが、とうとう対局する機会がありませんでした。
大きな碁会所で、あまりに客が多いので、ビジター的な私にとってお馴染みができなかったし、そこの席亭とも会ったことがなくて教わったことがない・・・そういうことも常連になる条件の重要な部分でしょう。
人間的なつながりができれば、足の方は車でなくても碁会所は(当時の呼び名で)国鉄電車の駅前にあるのですから。
そういう時期にK先生が急逝され、その後通っていたA席亭の碁会所が事情があって閉鎖となりました。
そこで探したのがN囲碁センター
その席亭は棋力としては当時の私よりは少し強かったけれど、この人はいかにも碁会所的な力碁で、商売気と言うより自分が打ちたい人・・・心の中で「この人は尊敬できる先生でも見習いたい先輩でも無いと思いました」。
それでも、そこそこの人数の常連がいましたし、家庭的と言うか皆と顔馴染みなったし、その中で私は若いほうから2,3番目だったので囲碁・人生の先輩達に可愛がって貰ったのです。
その碁会所には常連さんの名前が木札に書かれて壁に並んでいました。
段級位ごとに並んでいますが、それとは別に「師範」のところにK畑先生の名前がありました。
当時低段だった私としては高段者で師範のK畑先生にこちらから声をかけるのは・・・気おくれしてしまいますが、見ていると気楽に下手と打っているのです。
勇気を出して、「先生お願いします」と言えたのが先生との碁の付き合いの始まり・・・先生も”最近通ってきている若い者”と知っていたので気安く応じてくれました。
当然師弟関係ですが・・・やがて囲碁で遊ぶ兄弟関係に近に行ったかも・・・
はじめは5子から2番手直りで、やがて1番手直り。
普段3子で教わっていた頃、碁会所の企画で「オール互い先リーグ」がありました。
勉強のために参加させてもらいましたが、何とまぐれとは恐ろしいものでK畑先生に白番で勝ってしまった。
まぐれには違いないが、この時私の中で何かが変わったような気がします。(大ザルから小ザルの違い程度ですが)
ともあれ師匠の後ろ影が見えてきたような気がしたということでしょう。
こういう意識は錯覚であろうが、感じるということは自分の意欲にとって大きいと思う・・・そのために片八百長的に負けてくれた?
それはないでしょうが、先生は「負けるならきれいに負けてあげよう」とは思っていたかも知れません。
先生はいろんな所に出かけて打ってくるのが好き、また先生自身が元県代表の経験者と親しかったり、呉清源先生の通信講座に入会していたり・・・そういうところでの経験とか知識を惜しげもなく私らに教えてくれるのです。
ともあれ初めは5子で、、、30年近くたって互い先はおこがましいけれど先くらいにはなっただろうか。
「先生の元気なうちに追い付きたいものだ」なんて言ったらかなり挑発的に聞こえるでしょうね。
私は実の兄と11才違いますから、先生はちょうど兄くらいの年周り。
師弟も長い付き合いですと、弟子がずーずーしくなって兄弟みたいな感じで「兄貴的師匠」と言う感じ・・・マア甘えさせてもらっています。
それでK畑師匠との対局
置き碁の指導碁を含めたら・・・多ければ良いというものでもないでしょうが、顔を合わせれば2、3局は打ってもらいますから、年間で考えれば50局は下らないはずで、20年は付き合いがあるのだから・・・大雑把に考えて10000局!
少なくとも私の中ではこの記録は破れませんね。
私が道場と並行して碁会所に通ったという話をしました。
道場は土曜日の時と日曜日の時が1週おきですから月に4,5回、これ以外の土日に碁会所です。
これは市内の住宅街にある碁会所、あるいは時として車で津田沼にある大きな碁会所に行きました。
津田沼の方が大きくて客も多いので対戦相手に困ることもないし、福井進先生の指導碁も観戦できるのですが、何といっても駐車違反の取り締まりが気になっていけません。
当時は駅前が再開発前なので、碁会所以外は何も無くて、交通渋滞も妨害でもないのですが、駅前の駐車禁止ゾーンなので取締は頻繁にやるのです。
そんな事で「囲碁は打ちたし切符は恐し」で自然と足が遠のいてしまいました。
当時働いていたところに出入りしていた取り引き先のYさんはそこの常連でしたが、とうとう対局する機会がありませんでした。
大きな碁会所で、あまりに客が多いので、ビジター的な私にとってお馴染みができなかったし、そこの席亭とも会ったことがなくて教わったことがない・・・そういうことも常連になる条件の重要な部分でしょう。
人間的なつながりができれば、足の方は車でなくても碁会所は(当時の呼び名で)国鉄電車の駅前にあるのですから。
そういう時期にK先生が急逝され、その後通っていたA席亭の碁会所が事情があって閉鎖となりました。
そこで探したのがN囲碁センター
その席亭は棋力としては当時の私よりは少し強かったけれど、この人はいかにも碁会所的な力碁で、商売気と言うより自分が打ちたい人・・・心の中で「この人は尊敬できる先生でも見習いたい先輩でも無いと思いました」。
それでも、そこそこの人数の常連がいましたし、家庭的と言うか皆と顔馴染みなったし、その中で私は若いほうから2,3番目だったので囲碁・人生の先輩達に可愛がって貰ったのです。
その碁会所には常連さんの名前が木札に書かれて壁に並んでいました。
段級位ごとに並んでいますが、それとは別に「師範」のところにK畑先生の名前がありました。
当時低段だった私としては高段者で師範のK畑先生にこちらから声をかけるのは・・・気おくれしてしまいますが、見ていると気楽に下手と打っているのです。
勇気を出して、「先生お願いします」と言えたのが先生との碁の付き合いの始まり・・・先生も”最近通ってきている若い者”と知っていたので気安く応じてくれました。
当然師弟関係ですが・・・やがて囲碁で遊ぶ兄弟関係に近に行ったかも・・・
はじめは5子から2番手直りで、やがて1番手直り。
普段3子で教わっていた頃、碁会所の企画で「オール互い先リーグ」がありました。
勉強のために参加させてもらいましたが、何とまぐれとは恐ろしいものでK畑先生に白番で勝ってしまった。
まぐれには違いないが、この時私の中で何かが変わったような気がします。(大ザルから小ザルの違い程度ですが)
ともあれ師匠の後ろ影が見えてきたような気がしたということでしょう。
こういう意識は錯覚であろうが、感じるということは自分の意欲にとって大きいと思う・・・そのために片八百長的に負けてくれた?
それはないでしょうが、先生は「負けるならきれいに負けてあげよう」とは思っていたかも知れません。
先生はいろんな所に出かけて打ってくるのが好き、また先生自身が元県代表の経験者と親しかったり、呉清源先生の通信講座に入会していたり・・・そういうところでの経験とか知識を惜しげもなく私らに教えてくれるのです。
ともあれ初めは5子で、、、30年近くたって互い先はおこがましいけれど先くらいにはなっただろうか。
「先生の元気なうちに追い付きたいものだ」なんて言ったらかなり挑発的に聞こえるでしょうね。
私は実の兄と11才違いますから、先生はちょうど兄くらいの年周り。
師弟も長い付き合いですと、弟子がずーずーしくなって兄弟みたいな感じで「兄貴的師匠」と言う感じ・・・マア甘えさせてもらっています。
それでK畑師匠との対局
置き碁の指導碁を含めたら・・・多ければ良いというものでもないでしょうが、顔を合わせれば2、3局は打ってもらいますから、年間で考えれば50局は下らないはずで、20年は付き合いがあるのだから・・・大雑把に考えて10000局!
少なくとも私の中ではこの記録は破れませんね。