貧困の悪魔の連鎖を断ち切るためには
「人間」に迫る必要があるな!
人間の貧困・人間を視る目の貧困に迫る!
子どもの生命・身体・心は切れ目なく守られいない!脅威と危機に!だが政治は極めて貧困! 2016-08-31 | 子どもの権利条約
Unknown (Unknown)2016-09-01 18:40:23
子供の自殺って、しょうがないんじゃないか。 生きられないなら、死んでも良いんやで。 せめて、死ぬときには、他人に迷惑掛けないようにな。こういうテーマまで、政治に対策を求めるようじゃ駄目だろう。
上記のテーマに対して、上記のコメントが寄せられました。ありがとうございます。このコメントを考えてみました。
「子供の自殺って、しょうがないんじゃないか」というのはホントでしょうか?確かに数字を視れば、仕方ないことかも知れません。ゼロにするのはムリかも知れません。などという声が出て来るからです。しかし、「生命」を自ら断つ!仕方ないことでしょうか・生命とまっとうする!これこそが「命の大切」ではないでしょうか?
「生きられないなら、死んでも良いんやで」って「生きられない」のではなく、「生きられない」ように仕向けられている!これが実態ではないでしょうか?「生きる」を選択できない何かがある!
「せめて、死ぬときには、他人に迷惑掛けないようにな」って、いわゆる「死ぬこと」そのものが「迷惑」なんですね。だって、葬式しなければなりません。そもそも、人間は様々な「迷惑」をかけて生きているものではあいでしょうか?「人間」とは「人」の「間ま」ですから、色んな関係の中で生きている!「迷惑」をかけ合いながら生きているのが「人間」ではないでしょうか?その「迷惑」の掛け方が、現代社会はどうか!そこが問題ではないでしょうか?
「政治に対策を求めるようじゃ駄目だろう」って、私たちの暮らしに「政治」が、全く無関係でいるということはあり得ません。法治国家だからです。全ては国権の最高機関=国会で法律の制定によって、私たちの暮らしが決まっています。この法律に基づいて、地方自治体が議会で条例を制定し、それぞれの地域にあった「条例」に基づいて、国民の暮らしが決まる!
このシステムにこそ、生命を大切にしない思想と制度が組み込まれていると言えないでしょうか?
それは何か!自助・自己責任論のみが強調され、共助・協助・協働が、その次に。そして公助=国家・行政の責任は最後に!この構造にこそ、子どもの経済的精神的貧困の根源があるのではないでしょうか。
何故か!
国民の経済的精神的貧困を視ながら、大儲けしている輩が厳然として存在していることを視れば明らかだからです。
大儲けしている輩は、公助を受けているのですが、貧困に落とされている子どもには公助よりも自助・自己責任が強調されているのです。
国民の貧困対策無策!アフリカ支援の振りをしてアフリカ版アベノミクスの目標値公表!世界の恥・笑い者に!(2016-08-28 | アフリカ)
しかも、貧困に落とされている国民を攻撃する装置も満載です。情報伝達手段のマスメディア=テレビは強者を挫く装置、圧倒的多数の弱者の立場にたっていません。
ではどうするか!以下の記事をご覧ください。憲法を徹底的に活かす!これしかありません。
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