愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

安倍所信表明にみる空元気の裏のブラックニッポンで総うつ状態と瀕死のニッポンへ!危険な道邁進に大喝!

2013-01-31 | 日記

メディアをとおして伝えられる安倍晋三首相の言葉や表情や身振り手振りの「元気のよさ」と、観念的情念的言葉、自らに酔っている言葉を見るにつけ、この人、大丈夫だろうか、と思うのは、愛国者の邪論だけでしょうか?

 ヒトラーの演説ほどではないにしろ、どこか共通するものがあるように思います。

 第183通常国会召集 安倍首相、所信表明演説(全録)

http://www.youtube.com/watch?v=gKsWTiySqyI

 所信表明演説にして然りでした。国防軍創設と人権制限の憲法改悪を隠し、強い経済を取り戻すを連呼しているのは、その際たるものです。

 安倍首相 所信表明演説で「危機」14回

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20130129-1078061.html

第183通常国会が28日召集された。安倍晋三首相は衆院本会議で、06年9月以来2度目の所信表明演説を行い、「危機」という言葉を14回使って経済や外交などで日本が置かれた現状からの脱却を強調したが、具体的な政策には踏み込まなかった。片仮名を多用した「意味不明の安倍造語」を羅列し、失笑を買った前回とは対照的に、安全運転演説で乗り切った。安倍氏は「国家国民のために再びわが身をささげんとする決意の源は、深い憂国の念だ」とした上で、「日本の未来をおびやかす数々の危機を、何としても突破しないといけない」と強調。芦田均元首相の言葉「どうなるだろうかと他人に問い掛けるのではなく、我々自身の手で運命を開拓するほかに道はない」を引用し、「最大の危機は、日本人が自信を失ったことにある。自らの力で成長しようという気概を失えば、明るい将来は切り開けない。強い日本をつくるのは私たち自身です」と呼び掛けた。(引用ここまで)

 確かに、ちりばめられた言葉のなかに「憲法改正」はありません。そういう点では「安全運転演説」だったかもしれません。しかし、だからと言って、「憲法改悪」はなくなったのか、と言えば、ウソです。そういう点では国民ダマシです。何故そのことを批判しないのでしょうか?さらには国民と国家を「数々の危機」に陥れ、脅かし、日本人の「自信」を喪失させたのは、他ならぬ自民党政権でした。何故そのことを批判しないのでしょうか?

 今、起こっている様々な「出来事」は、戦後の自民党政権の政策の結果です。

 勿論それを支持してきた日本国民も同じです。しかし、安倍首相や政治家が、それを言っちゃおしまいです。

 その点、安倍首相の「決意の源」である「深い憂国の念」は、反省なき、身勝手な、自己満足の「念」と言えます。しかも「私たち自身」などと、他人事で、これまた「一億総ざんげ」思想のぶり返しで、無反省ぶり極地で、極めて不遜です。「私」でなければなりません。いや「私たち自民党政治家」と言った方が良いのでしょうか?

 

しかも、「皆さん…ではありませんか」との呼びかけ、それに呼応した賛同の「よ~し」「どよめき」「拍手」には、辟易します。

 マスコミの評価も呆れます。6年前と比べて「現実的」「安倍カラーは抑えた形」などと評価、容認しましたが、中身は同じです。こうした評価が、日本の危機創出に強力加担してきたこと、その無反省ぶりは、今後起こるであろう危機の増幅によって証明されるでしょう。しかし、その時のためにも、この演説の報道について記憶にとどめておく必要があると思います。

 安倍首相、変化の背景

http://www.youtube.com/watch?v=1fj4cq2Kxso

安倍首相が所信表明、「危機突破」強調

http://www.youtube.com/watch?v=g9dQi_G_53I

 以下、安倍首相の無責任・無反省ぶりを示した言葉をあげておきます。

 デフレと円高の泥沼から抜け出せず、50兆円とも言われる莫大な国民の所得と産業の競争力が失われ、どれだけ真面目に働いても暮らしが良くならない、日本経済の危機。

32万人近くにもおよぶ方々が住み慣れた故郷に戻れないまま、遅々として進んでいない、東日本大震災からの復興の危機。

外交政策の基軸が揺らぎ、その足元を見透かすかのように、我が国固有の領土・領海・領空や主権に対する挑発が続く、外交・安全保障の危機。

みなさん。今こそ、額に汗して働けば必ず報われ、未来に夢と希望を抱くことができる、真っ当な社会を築いていこうではありませんか。

私がなぜ、数ある課題のうち経済の再生に最もこだわるのか。それは、長引くデフレや円高が、「頑張る人は報われる」という社会の信頼の基盤を根底から揺るがしていると考えるからです。

 政府がどれだけ所得の分配を繰り返しても、持続的な経済成長を通じて富を生み出すことができなければ、経済全体のパイは縮んでいってしまいます。そうなれば、ひとりひとりがどんなに頑張ってみても、個人の手元に残る所得は減っていくばかりです。

世界中から投資や人材をひきつけ、若者もお年寄りも、年齢や障害の有無にかかわらず、すべての人々が生きがいを感じ、何度でもチャンスを与えられる社会。働く女性が自らのキャリアを築き、男女がともに仕事と子育てを容易に両立できる社会。中小企業・小規模事業者が躍動し、農山漁村の豊かな資源が成長の糧となる、地域の魅力があふれる社会。そうした、あるべき社会像を、確かな成長戦略に結び付けることによって、必ずや強い経済を取り戻してまいります。

我が国が直面する最大の危機は、日本人が自信を失ってしまったことにあります。確かに、日本経済の状況は深刻であり、今日明日で解決できるような簡単な問題ではありません。

 しかし、「自らの力で成長していこう」という気概を失ってしまっては、個人も、国家も、明るい将来を切り拓くことはできません。芦田均元首相(在任:1948年3月10日~10月15日)は、戦後の焼け野原の中で、「将来はどうなるだろうか」と思い悩む若者たちを諭して、こう言いました。「『どうなるだろうか』と人に問いかけるのではなく、『我々自身の手によって運命を開拓するほかに道はない』」と。

 この演説をお聴きのひとりひとりの国民へ訴えます。何よりも、自らへの誇りと自信を取り戻そうではありませんか。私たちも、そして日本も、日々、自らの中に眠っている新しい力を見出して、これからも成長していくことができるはずです。今ここにある危機を突破し、未来を切り拓いていく覚悟をともに分かち合おうではありませんか。

 “強い日本”を創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。(引用ここまで)

 

 「強い日本」を目指すために、少人数学級は拒否し、生活保護費を減らし、原発を再稼動させる、日米同盟を基軸に集団的自衛権行使で、若者の血を流させる、いやそればかりか、他民族を殺させるのです。

 法人減税と消費税増税によって内部留保をシコタマ増やさせておきながら、さらに非正規雇用を拡充し、賃金低下を招き、デフレを進行させておきながら、賃金アップの条件に企業の法人減税とリンクさせ、さらなる企業の大儲けを保障してやるのです。

 これが安倍首相の「強い国」ニッポンなのです。

 このアベノミクスに対して、応援だからも懸念の声があがるのは、その政策もそうですが、彼の人格にも不安があるからでしょう。

 繰り返すな、6年前の誤り (1) - 安倍新総理は賃上げに動くべきだ -

http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/opinion/201301/2013-1-6.html

繰り返すな、6年前の誤り (2) - 安倍新総理は賃上げに動くべきだ -

http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/opinion/201301/2013-1-7.html

 …日本のGDP473兆円のうち賃金は52%の245兆円である。仮にこれを4%引き上げるとすれば、10兆円必要になる。他方、企業が保有している現金・預金は215兆円だ。(引用ここまで)

 

この指摘、どこかで見たことはないだろうか?以下をご覧いただければと思います。

http://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/11/20121126-1.html

http://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/11/2012-01.html

 

この企業の資金を国民のために使うかどうか、そこに安倍政権がどこまで踏み込めるか、国民との矛盾がここにあると思います。

株高の仕掛け人は海外投機筋「アベノミクス」の虚構2012年12月28日(金)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-28/2012122801_02_1.html

安倍バブル 恩恵を受けたのは欧米中の海外投資家という現実2013年1月30日(水)16時0分配信 

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/postseven-20130130-168710/1.htm

 

最後に以下の記事を紹介します。これらの諸事実の奥深いところに、戦後自民党政権の政策破綻があるのではないでしょうか?こうした事件などに無反省な安倍自公政権の政策に未来がないことは明らかです。そのためにも国民的運動の高まりが必要です。

うつ病 「心」と「現実」の混同は誤り 拠りどころ喪失が大きな要因に
加藤諦三氏(早稲田大学名誉教授)

2013年01月31日(Thu)  海部隆太郎 (ジャーナリスト)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2550?page=2

 雅子さま「歌会始で愛子さまの歌ばかり」に不安を抱く見方も

2013年1月30日(水)16時0分配信 NEWSポストセブン

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20130130-168119/1.htm

 女子選手に「死ね」、笑顔でも怖かった…告発文(2013年1月31日06時17分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130130-OYT1T01683.htm?from=main5

資産家事件、逮捕の社長「投資で損させられた」(2013年1月31日08時16分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130130-OYT1T00947.htm?from=top

 

コメント

日米軍事同盟深化派にお株を奪われた共産党はホントに日米軍事同盟廃棄を実現する気があるのか!?大大喝!

2013-01-29 | 日記

27日に「赤旗」2面の下段に、小さな記事で、公明党の山口代表の中国訪問と習近平との会談のことが、以下のように書かれていました。

  公明代表が訪中報告

 安倍晋三首相は26日、首相公邸で公明党の山口那津男代表と会い、中国訪問の報告を受けました。首相は山口氏と習近平共産党総書記の会談について「戦略的互恵関係を大局的立場で推進することで認識が一致したことは良かった」と評価。「対話の扉を開いていく。今後、政府・与党でその対話を重ねていきたい」と述べ、沖縄県・尖閣諸島をめぐり悪化した日中関係改善に向け、議員外交も含めて対話に努める考えを示しました。 首相は、習総書記が自身との会談に前向きな姿勢を示したことに関しても「対話に向けて努力していく」と語り、早期の会談実現を目指す考えを強調しました。(引用ここまで)

 ところが、中国に嫌悪し、日米軍事同盟深化派の「朝日」は社説で、以下のように書きました。上記の記事しか書かなかった「赤旗」とは、アベコベでした。

 朝日新聞 習氏との会談/これを雪解けの一歩に /2013/1/26 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2?

 その他の全国紙も、「日経」以外は、「社説」でそれぞれ、以下のように書きました。その特徴的表現と思われる部分を掲載してみます。

 「さらに知恵を出し合えば、ことを荒立てず局面を打開するきっかけになるかもしれない…いつまでも対立を続けることは日中両国とも望まないはずだ。尖閣で領土問題は存在しなくても、外交問題は存在する。機会を逃さず改善の糸口をつかむことは2人の首脳にしかできない決断」を迫った「毎日

 「溝が広がった政府間の橋渡しをしようとする意図は理解できる」としながらも「不測の事態を防ぎ、日中関係を改善するには、まず中国が威圧的な行動を控えるべき」とする「読売

「話し合いの環境整備をすべきは、第一に中国側」とする「産経

 「憲法問題などでタカ派色が批判される面はあるが、安倍政権は対中外交では冷静な対応で対話再開に道筋をつけた…公明党は…日中関係を重視してきた実績も会談実現に弾みとなった。…政凍経冷とでも言えるような難局だけに、大いに政治の力を発揮し、隣国との関係を改善軌道に乗せてほしい。安倍首相は前に政権を担った二〇〇六年、『氷を砕く旅』として訪中し、戦略的互恵関係の構築で合意した実績がある。日中友好議連会長の高村正彦自民党副総裁も近くの訪中を検討している。 政凍経冷とでも言えるような難局だけに、大いに政治の力を発揮し、隣国との関係を改善軌道に乗せてほしい。…何よりも武力紛争が起こらないよう、対話を進めることが肝要である」と期待を寄せる「東京

など、全体としては前向きな「評価」がなされています。

 今回の公明党の訪中は、さらに「対話」という落としどころを模索する動きになって発展していくのでしょうか?公明党山口代表の直後に村山元首相・加藤元自民党幹事長が訪中し、それを受けて安倍首相の訪中が計画されています。 

尖閣に言及しなかった首相所信表明、中国が評価(2013年1月29日21時07分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130129-OYT1T01111.htm?from=main1

東京 安倍首相、日中首脳会談に意欲 「関係再構築」とTV番組で 2013年1月29日 21時15分

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013012901002205.html

 こうした「対話」そのものは憲法の平和主義の具体化でもある訳ですが、一方では「武力」を前提とした「抑止力」論、「脅し」にもとづく外交の推進でもあるわけです。こうした日米軍事同盟深化派の外交が、日本国憲法の否定に連動していくことも、また事実でしょう。

 ただ、こうした「対話」による平和外交の推進が積み重ねられていけばいくほど、憲法を改悪して「国防軍」への改悪、集団的自衛権の行使へと一気に進むかと言えば、安倍政権にとっては、厳しい立場に追い込まれることも、また事実と言えます。

 ここに戦後平和主義が積み上げてきた歴史の到達点があると思います。日本を憲法改悪・自衛隊の国防軍化、集団的自衛権の行使にまで持っていくためには、安倍自公政権は、当面はハト色を強めなければ国民の支持を得られない、参議院選挙まではタカの爪とクチバシは封印しておく、ゴマカシ路線でいくしかありません。これが薄氷を踏む思いで議席を掠め取った選挙結果の裏返しと言えると思います。

 このように、このハト路線とタカ路線を混在させなければならない安倍自公政権の矛盾こそ、新しい時代を予感させているのも事実ではないかと思います。ここでも日米軍事同盟容認・深化派と日米軍事同盟廃棄派・憲法平和主義実践派の綱引き・鍔競り合いがあるというのが愛国者の邪論の見方です。

 こうした激しい鍔競り合いは、その言葉が示すように、アッという間に、どちらかが切られる可能性を持っていることも、また事実です。しかし、戦後70年近い歴史の到達点は、安倍自公政権の思うように平和憲法を切れないのも、また事実でしょう。歴史のジグザグは、着実に、戦争による紛争の解決から対話による紛争の解決へと進んできたからです。

 アルジェリアの悲劇を悲しむ日本国民の姿は、武力による紛争解決を望んでいないことを示していました。安倍内閣の支持率が上がったのも、紛争の平和的解決を強調して、アルジェリア政府に迫ったからではないでしょうか?

 こうした日本の局面を見たとき、共産党が、カヤの外にいるのは、「何をやってんだ!」ということになりますね。本来であれば、習近平氏が就任した段階で直ちに、会談を申し入れ、野党外交の真骨頂を国民の前に示していく必要がありました。ひょっとすると、会談の申し入れはしていたのかもしれません。政権党である中国共産党は、政権与党である公明党と会談することの方を優先したのかもしれません。

 それにしても、多くの国民は同じ「共産党」を名乗り、社会主義を目指していると感覚的に思っていることでしょう。その「共産党」が尖閣問題や北朝鮮の核兵器や拉致問題について、どのような解決方法を示すか、非常に興味のあることだと思います。

 共同で解決する手立てを示せれば、流石「キョーサントー」、できなければ、ヤッパリキョーサントー」ということになるでしょう。日本共産党は、まさに剣が峰に立っているのだと思います。動いて解決して当然!、やらなければヤッパリ!ということになるのではないでしょうか?

 そういう時に、言ってみれば、指を銜えてみているだけ、「赤旗」の記事も申し訳程度!?

 日米軍事同盟廃棄を展望すれば、日米軍事同盟容認・深化の口実となっている中国と北朝鮮の「蛮行」に対して、批判するだけではなく、具体的に行動していくことが国民的信頼を獲得し、日米軍事同盟廃棄の条件づくりとなるのだと思います。こうしたやり方は、方針にもあったはずです。しかし・・・・。

 以下の「朝日」社説の論理を打ち破るためのお膳立ての用意を、です。オセロの四隅を奪還するために、どんな手を打っていくか、そこにすべてがかかっているのです。それを旺盛にやらないから、嫌中派・日米軍事同盟容認・深化派の「朝日」が繰り返し中国共産党批判を行い、共産党ハブ化させ、共産党嫌悪の感情を国民の腹の中に溜めていくのです。実に上手いやり方です。一石二鳥ですから。

 朝日 防衛力見直し―首相の説明が足りない2013年1月28日(月)付

http://www.asahi.com/paper/editorial20130128.html

ここ数年、東アジアの安全保障環境は大きく変わった。とりわけ中国の軍備拡張、海洋進出は著しく、日本との間でも尖閣諸島問題で緊張が続く。ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮の脅威も増した。 国際情勢の変化をふまえ、防衛のあり方を不断に点検するのは当然のことだ。米国が「アジア太平洋重視」を打ち出すなか、日米の同盟関係を深化させることも必要だろう。…外交や経済をふくむ総合的な戦略を描く必要がある。防衛力強化だけを突出させるべきではあるまい。 説明を怠らず、無用の緊張をあおらない。これが安全保障政策の要諦である。…一方で、防衛政策をやみくもに変えていると受け止められれば、かえって地域の緊張を高めかねない。安倍政権の前のめりの姿勢を見ると、そんな懸念がぬぐえない。 言うまでもなく、戦後の日本は憲法9条の平和原則のもと、自衛権の行使にみずから厳しい制約を課してきた。自衛隊による海外での武力行使は禁じる、集団的自衛権の行使は認めない、などである。 ところが、安倍首相は集団的自衛権の行使容認に意欲を示している(引用ここまで)

 朝日 沖縄@東京―基地問う声が重く響く 2013年1月29日(火)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

 沖縄県民が求めているのは普天間の閉鎖・撤去そのものだ。経済的な手当てではない。根本的な解決がない限り、沖縄の怒りは消えず、日米同盟を不安定にする要素がいつまでも続く…地域の安定のために、日米同盟を必要だと考える人は多い。だが海兵隊をはじめ、国内の米軍専用施設の74%を沖縄に集中させたままの必要はどこにあるか。安倍政権は説得力のある答えを沖縄に返す必要がある。(引用ここまで)

 以上のような論理で日米軍事同盟容認・深化を浸透させていくのです。だからこそ、倍以上の中国共産党との「対話」路線を具体化していく必要があるのです。

 ところが、今日の「赤旗」に書かれた志位委員長の発言「共産党ここにあり」は、中国問題でハブにされている!そういう意味で、ピンボケだったかも知れません。「政治の大局」は、憲法の平和主義が着々と進行しているのは事実ですが、そんな「歴史の大局」観よりも大事なことがあるのではないでしょうか?

「共産党ここにあり」の奮闘で参院選勝利の道開く国会に 党議員団総会 志位委員長があいさつ 2013年1月29日(火)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-29/2013012901_01_1.html

 

 それでは、以下全国紙の社説を掲載しておきます。

 朝日 習氏との会談/これを雪解けの一歩に /2013/1/26 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2?

 中国を訪問していた公明党の山口那津男代表がきのう、習近平総書記と会談した。 日本政府による尖閣諸島の国有化で関係が悪化して以来、中国共産党トップが日本の政党党首と会うのは初めてだ。小さな一歩にすぎないが、パイプがつながったことを歓迎する。 山口氏は安倍首相の親書を手渡し、日中の首脳会談を呼びかけた。習氏も「ハイレベルの交流を真剣に検討したい」と応じた。習氏はそのための環境整備も求めており、にわかに実現するかどうかはわからない。 とはいえ、習氏みずから意欲を示したのは前向きのサインと受けとめたい。ぜひ実現につなげてほしい。 もちろん、首脳同士が会ったからといって、尖閣問題で溝を埋めることは望めまい。大切なのは、この問題を経済や文化など両国間の様々な交流に波及させないことだ。 この点でも、習氏は「中日関係は特殊な時期に入っているが、国交正常化の歴史をさらに発展させなければならない」と語った。ならば、尖閣を理由に関係を停滞させないよう、言葉通りの対応を求める。 山口氏は出発前、「将来の世代に解決を委ねることが、当面の不測の事態を避ける方法だ」と発言。中国側の主張に沿った、領有権の「棚上げ」論ではないかとの疑念を招いた。 尖閣が日本の領土であることは間違いない。ただ、「領土問題は存在しない」という、日本政府の棒をのんだような対応ばかりでは、話し合いの糸口さえつかめなかったことも事実だ。 両国のナショナリズムが沸き立つのを避けつつ、互いに知恵を出し合い、粘り強い対話を続けるしかあるまい。 尖閣周辺には、連日のように中国の船舶や航空機が姿を見せている。私たちはこうした挑発行為をやめるよう再三求めてきたが、やむ気配はない。 こんな状態が続けば、いつ偶発的な武力衝突が起きても不思議ではない。 山口氏はやはり出発前、「この島に両国の軍用機が近づきあうことは不測の事態を招きかねない。お互い空に入らないとの合意に至ることも重要だ」と提起した。両政府間で衝突回避の具体策を早急に協議すべきだ。 今回の訪中は、議員外交の意義を再認識させた。 関係改善に向けて、あらゆるパイプを総動員する。そこでつかんだきっかけを逃さず、政府間の話し合いにつなげる。 その積み重ねの中から、雪解けを図るしかあるまい。(引用ここまで)

 毎日 山口・習近平会談/対立緩和につなげたい/2013/1/26 4:00
http://mainichi.jp/opinion/news/20130126k0000m070173000c.html

 公明党の山口那津男代表が北京で習近平総書記と会談した。習氏は日中関係改善のためハイレベルの対話が重要だとして、安倍晋三首相との首脳会談に意欲を示した。 昨年11月の総書記就任後、習氏が日本の与党幹部と会うのは山口氏が初めてだ。安倍政権にとっても発足後初の与党党首訪中である。山口氏は習氏に安倍首相からの親書を手渡した。事実上の首相特使といっていい首脳会談の実現は安倍氏の希望とも合致する。トップ同士が早期に対話に乗り出し、尖閣諸島をめぐる対立の緩和につなげたい。 尖閣諸島については、習総書記の前に山口氏と会った王家瑞(おうかずい)中央対外連絡部長が「前の世代が棚上げし、中日友好が保たれた。後々の世代に解決を託すこともある」と問題の棚上げに言及した。棚上げは72年の日中国交正常化や78年の日中平和友好条約交渉の際、周恩来首相やトウ小平氏がとった手法だ。日本政府は明確な棚上げ合意はないとしているが、当時の交渉にかかわった外務省OBは棚上げで首脳間の「暗黙の了解」があったと証言している。 今回、中国側が再び棚上げを持ち出した真意ははっきりしない。そもそも92年の領海法制定で尖閣諸島を一方的に中国領とするなど、「棚上げ」了解を先に崩したのは中国の方である。そうした姿勢に日本が疑念を持つのは当然だ。再び棚上げを言うのなら、中国の対応が信頼できるものでなければなるまい。 ただし、「尖閣は固有の領土」という日本の立場を維持する形であれば、改めて棚上げが可能かどうか、検討してみてもいいのではないか。中国は尖閣周辺への船舶や航空機の接近をやめる。日本も公務員の常駐や船だまりの設置といった措置をとらない。さらに知恵を出し合えば、ことを荒立てず局面を打開するきっかけになるかもしれない。 このところ、アジアをめぐる外交が活発に動いている。クリントン米国務長官は尖閣について「日本の施政権を侵すあらゆる一方的な行動に反対する」と踏み込んだ発言で日本の立場を支持した。安倍氏は東南アジア諸国連合(ASEAN)訪問で、自由で安全な海洋のルール作りを外交の柱に据える考えを強調した。北朝鮮の事実上の長距離弾道ミサイル発射に対する国連安保理決議は、中国も含む全会一致で採択された。 山口氏への中国側の対応も、こうした国際環境と無関係ではないだろう。いつまでも対立を続けることは日中両国とも望まないはずだ。尖閣で領土問題は存在しなくても、外交問題は存在する。機会を逃さず改善の糸口をつかむことは2人の首脳にしかできない決断である。(引用ここまで)

 習・山口会談 首脳対話に必要な中国の自制(1月26日付・読売社説)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130126-OYT1T00136.htm

 途絶えている日中首脳会談が再開できる環境を整えるには、日中双方の外交努力が必要だ。

 公明党の山口代表が訪中し、中国共産党の習近平総書記と会談した。習総書記が昨年秋の就任後、日本の政治家と会うのは初めてだ。 山口氏は「難局の打開には政治家同士の対話が大事だ」として、安倍首相の親書を手渡した。 習総書記は「ハイレベル対話は重要だ。真剣に検討したい」と明言した。首脳会談の環境を整える必要があるとの認識も示した。 中国は尖閣諸島の領有権問題での日本の譲歩を求めているのだろうが、それは認められない。むしろ中国にこそ自制を求めたい。 昨年9月に日本が尖閣諸島を国有化した後、中国政府による日本の領海侵入は恒常化し、領空への侵犯も起きている。 不測の事態を防ぎ、日中関係を改善するには、まず中国が威圧的な行動を控えるべきだ。 公明党は、1972年の日中国交正常化の際、議員外交で大きな役割を果たした。今回も、溝が広がった政府間の橋渡しをしようとする意図は理解できる。

 尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない。日本政府の立場を堅持することが肝要なのに、気がかりな点がある。 山口氏が訪中前、香港のテレビ局に対し「将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ」と述べ、「棚上げ論」に言及したことだ。日中双方が自衛隊機や軍用機の尖閣諸島上空の飛行を自制することも提案した。 山口氏は習氏らとの会談では触れなかったが、看過できない発言だ。棚上げ論は、中国の長年の主張である。ところが、中国は1992年に尖閣諸島領有を明記した領海法を制定するなど一方的に現状を変更しようとしている。

 安倍首相が「自衛隊機が入る、入らないは、私たちが決める」と山口氏の発言に不快感を示したのは当然である。 村山元首相も、近く中国を訪れる。村山氏は、過去の侵略などへの「深い反省」を表明した村山首相談話をまとめた。村山氏から中国寄りの発言を引き出したい中国の意図が見え隠れする。 先に訪中した鳩山元首相は、尖閣諸島を「係争地だ」と述べた。領有権問題の存在を認めたことなどから、中国の主要紙が大きく取り上げた。中国に利用されていることが分からないのだろうか。 国益を忘れた言動は百害あって一利なしである。

(2013年1月26日01時36分  読売新聞)(引用ここまで)

 産経 習・山口会談 恫喝の下では対話できぬ 2013.1.27 03:07

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/plc13012703080003-n1.htm

 中国共産党の習近平総書記が、訪中した公明党の山口那津男代表との会談で尖閣諸島をめぐる日中の対立に言及し、「対話と協議による解決が重要だ」などと語った。 山口氏が安倍晋三首相の親書を手渡し、途絶えている日中首脳会談を提案すると、習氏は「ハイレベルの対話を真剣に検討したい」と応じた。 関係改善の「意欲の表れ」(山口氏)といえなくはないが、習氏が「歴史の直視」との表現で歴史認識への「慎重な対応」を安倍政権に求め、首脳会談の実現に「環境整備が重要だ」と条件をつけたことは順序が違う。 習政権が真摯(しんし)な対話と首脳会談を望んでいるなら、尖閣を海と空から威嚇する恫喝(どうかつ)をただちにやめるべきだろう。そうでなければ、「日中間に領土問題は存在しない」とする安倍政権は一方的に譲歩を迫られ、国益を失うことになりかねない。 今回、習氏が強硬路線の転換をにじませたのは、クリントン米国務長官が「日本の施政権を害そうとする、いかなる一方的行為にも反対する」と警告したことが影響している。 それは日米同盟を強化することが、日本にとって最優先課題であることを意味している。 公明党はかつて日中国交正常化に向けた環境整備に尽力するなど、中国共産党とのパイプ役を務めてきた。その実績をテコに、山口氏は政権与党の党首として日中関係の改善で成果を挙げたかったのだろう。 しかし、訪中前に尖閣問題で中国側が唱える「棚上げ論」に同調する発言をした山口氏は習氏との会談前日、王家瑞中央対外連絡部長からも「棚上げ論」を持ち出された。宣伝戦に利用された印象がぬぐえない。 中国側は今月末、村山富市元首相らを招き、要人との会談を予定している。親中派とされる政治家と接触することによって日本の国内世論の懐柔を狙い、安倍政権を揺さぶる構えだろう。 山口氏の訪中の間も、中国公船は尖閣周辺の接続水域への出入りを続けた。領海侵犯さえ常態化している。領空侵犯も起き、中国機に対する航空自衛隊の緊急発進は昨年4~12月で160回と過去最多となっている。 話し合いの環境整備をすべきは、第一に中国側である。

 東京 習総書記が会談 対話の機運を大切に  2013年1月26日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013012602000110.html

 中国共産党の習近平総書記が訪中した公明党の山口那津男代表と会談したことは、対話再開に向けた一歩だといえる。粘り強く現実的な外交で、日中関係改善の糸口をぜひにも、つかんでほしい。 日本政府が昨年九月、尖閣諸島を国有化したことに中国が反発し日中関係は国交正常化以降で最悪と言われる状態にあった。 こうした事態になって以降、中国共産党トップが政権与党の党首と会談したのは初めてである。 安倍政権の成立後、中国側は尖閣の国有化について「民主党政権の決定」として新政権との対話は拒まない姿勢を示していた。議員外交によってようやく実現した対話の機運を大切にしてほしい。 安倍晋三首相は新政権スタート直後の会見では、靖国神社参拝を明言せず、選挙中に訴えてきた「尖閣諸島への公務員の常駐検討」の公約にも触れなかった。 憲法問題などでタカ派色が批判される面はあるが、安倍政権は対中外交では冷静な対応で対話再開に道筋をつけたといえる。 公明党は、中国で対日外交に影響力を持つ唐家〓元国務委員や程永華駐日大使らと太いパイプを持つ。日中関係を重視してきた実績も会談実現に弾みとなった。 昨年末、北京に着任した木寺昌人・駐中国大使は「第一の任務は日中の友好関係を深め、広げることだ」と述べた。 民主党政権時代は、与党政治家の対中パイプが細く、外交をバックアップする力に欠けていた。 安倍首相は前に政権を担った二〇〇六年、「氷を砕く旅」として訪中し、戦略的互恵関係の構築で合意した実績がある。日中友好議連会長の高村正彦自民党副総裁も近くの訪中を検討している。 政凍経冷とでも言えるような難局だけに、大いに政治の力を発揮し、隣国との関係を改善軌道に乗せてほしい。 習総書記は尖閣問題で「対話と協議で解決していく努力が重要だ」と述べた。双方が歩みよる努力をすることに異論はない。民主党政権は「(一時棚上げという)約束は存在しない」と閣議決定し、政治の知恵といえる棚上げ論を否定した。 日本に主権があることは疑いもない事実だが、国際社会で外交上の係争地と見られていることはそれも現実として否定できない。 それらを踏まえ、何よりも武力紛争が起こらないよう、対話を進めることが肝要である。 ※〓は王へんに旋(引用ここまで)

 朝日 防衛力見直し―首相の説明が足りない2013年1月28日(月)付

http://www.asahi.com/paper/editorial20130128.html

 安倍政権による防衛態勢の見直し作業が始まった。 先週末の閣議で、民主党政権下の10年にできた防衛計画の大綱の見直しと中期防衛力整備計画の廃止を決めた。新たな大綱と中期防は年内につくる。 13年度予算では防衛費も11年ぶりに増やす方向だ。  日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定をめぐる日米協議もスタートした。  まさに矢継ぎ早である。  ここ数年、東アジアの安全保障環境は大きく変わった。とりわけ中国の軍備拡張、海洋進出は著しく、日本との間でも尖閣諸島問題で緊張が続く。ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮の脅威も増した。 国際情勢の変化をふまえ、防衛のあり方を不断に点検するのは当然のことだ米国が「アジア太平洋重視」を打ち出すなか、日米の同盟関係を深化させることも必要だろう。 一方で、防衛政策をやみくもに変えていると受け止められれば、かえって地域の緊張を高めかねない。安倍政権の前のめりの姿勢を見ると、そんな懸念がぬぐえない。 言うまでもなく、戦後の日本は憲法9条の平和原則のもと、自衛権の行使にみずから厳しい制約を課してきた。自衛隊による海外での武力行使は禁じる、集団的自衛権の行使は認めない、などである。 ところが、安倍首相は集団的自衛権の行使容認に意欲を示している。一連の見直し作業もそれを前提にしたものだろう。 では、どのような事態のもとで、どんな形の日米協力を想定しているのか。自衛隊の活動を際限なく広げるようなことにならないか。首相は明確に説明する責任がある。 そうでないと、周辺国の警戒感を高め、激しい軍拡競争に陥りかねない。  防衛費の野放図な拡大も許されない。  現大綱は「動的防衛力」という考え方を打ち出した。防衛予算が削減されるなか、自衛隊を効率的に運用する狙いだ。 厳しい財政事情のもと、今後も装備や人員、活動を精査することは欠かせない。尖閣をふくむ南西海域の警備強化には、海上保安庁に予算を重点配分する方が効果的な面もある。 中国との向き合い方は一筋縄ではいかない。外交や経済をふくむ総合的な戦略を描く必要がある。防衛力強化だけを突出させるべきではあるまい。 説明を怠らず、無用の緊張をあおらない。これが安全保障政策の要諦(ようてい)である。 (引用ここまで)

 朝日 沖縄@東京―基地問う声が重く響く 2013年1月29日(火)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

 「オスプレイいらない」「基地ノー」と怒る沖縄県民の叫びが東京で響いた。本土に住む私たちと政府は、この声を誠実に聴かなくてはいけない。 主催者発表で4千人が、霞が関の官庁街に近い日比谷公園に集い、銀座を歩いた。 そのなかに沖縄県内の41市町村すべてからの首長、議長や県議ら約140人がいた。党派の異なる首長、議員らがこれほどまとまって上京するのは他県もふくめ異例だろう。  首長らは、新型輸送機オスプレイの配備撤回と米軍普天間飛行場の県内移設断念を求める建白書を、安倍首相に渡した。  首相は「基地負担軽減に向けて頑張っていきたい」と述べたという。この答え方は民主党政権時代の政府と同じだ。 沖縄県民が求めているのは普天間の閉鎖・撤去そのものだ。経済的な手当てではない。根本的な解決がない限り、沖縄の怒りは消えず、日米同盟を不安定にする要素がいつまでも続く。 どれほど訴えても負担が減らず、逆に安全性に疑問があるオスプレイが新たに配備され、沖縄の人たちは民意が踏みにじられたと受けとめている。 森本敏・前防衛相は退任前の昨年末、普天間移設先について「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄が最適の地域」と話した。  本土に新たな基地を造るのは住民が受け入れないが、すでに米軍基地が多い沖縄ならできるということなのか。沖縄の「戦略的な地理的優位性」を掲げる防衛省とは別の本音を、大臣が明かしたことになる。 日本各地で基地反対の闘争が激化した半世紀前、岐阜と山梨にいた海兵隊が沖縄に移った。  それ以来いまも続く海兵隊の沖縄駐留は、軍事上の必要というより、国内の負担分かちあいをできない日本政府の都合によるものではないか。そう、沖縄県民はみている。 在日米軍の再編見直し計画では、沖縄の海兵隊をオーストラリア、ハワイにも移転し、巡回展開する。地上部隊の主力である歩兵の第4海兵連隊はグアムに。沖縄に残る砲兵の第12海兵連隊は日本本土でも訓練し、およそ半年間は沖縄にいない。 常駐基地が沖縄でないといけない根拠は、ますます薄くなっている。 地域の安定のために、日米同盟を必要だと考える人は多い。だが海兵隊をはじめ、国内の米軍専用施設の74%を沖縄に集中させたままの必要はどこにあるか。安倍政権は説得力のある答えを沖縄に返す必要がある。(引用ここまで)

 尖閣に言及しなかった首相所信表明、中国が評価 (2013年1月29日21時07分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130129-OYT1T01111.htm?from=main1

 【北京=五十嵐文】北京を訪問中の村山富市元首相、加藤紘一前衆院議員らは29日、人民大会堂で中国共産党の李源潮(リーユエンチャオ)政治局員と会談した。 李氏は3月の全国人民代表大会(国会)で国家主席に就任する習近平(シージンピン)総書記の下で、国家副主席への起用が有力視されている。 加藤氏らによると、李氏は安倍首相が28日の所信表明演説の外交分野で尖閣諸島という具体名に言及しなかったことを指摘。安倍氏の対応を評価していることを示唆したという。また「歴史認識を後退させることがあってはならない」と述べ、過去の植民地支配を謝罪した「村山首相談話」の堅持を求めた。 村山氏らは同日、中国外務省で楊潔チ(ヤンジエチー)(よう・けつち)外相とも会談した。(引用ここまで)

 東京 安倍首相、日中首脳会談に意欲 「関係再構築」とTV番組で 2013年1月29日 21時15分

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013012901002205.html

 安倍首相は29日、日本テレビの番組に出演し、沖縄県・尖閣諸島をめぐり冷え込んだ日中関係に関し「必要があれば首脳会談から再び関係を構築する」と述べ、自ら局面打開に乗り出す意欲を示した。また環太平洋連携協定(TPP)交渉参加をめぐっては参院選前に方向性を打ち出す考えを明らかにした。 尖閣諸島に関し「日本固有の領土であり交渉の余地はない」と重ねて明言した。同時に日中両国が経済面において密接な関係にあるとし「戦略的互恵関係に立ち戻る必要がある」と強調。「常に対話すべきだ。問題があるからこそ首脳会談やハイレベル会談を開くべきだ」と述べた。(共同)(引用ここまで)

コメント

体罰=暴力に頼らない指導のあり方の国民的議論の土台は憲法しかないことをマスコミは声を大に!

2013-01-28 | 日記

今日も体罰=暴力の記事を書かざるを得ないのは、残念です。愛国者の邪論を駆り立てるのは、未来の社会に生きる彼らの幸福を願うからに他なりません。同時に彼ら一人ひとりが、人権と民主主義の大切さを自覚し、これらの人類的課題を担ってほしいからです。

 一人の幸せは、皆の幸せにつながり、皆の幸せは一人の幸せにつながる、どちらも支えあっているのです。どちらか一方が強調されれば、どちらも失うからです。学校で使われている有名なスローガン、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を子どもの心に刻み込んでほしいと思うからです。

 ところが、この考え方を憲法的視点から、なかなか捉えようとしないことも、また事実なのです。何故でしょうか?日本は国家の最高法規を何故軽視するのでしょうか?今回の時間の根っこのところに憲法軽視があるように思います。

 以下の2つの社説を読むと、憲法的視点が学校に貫かれていないことが判ります。部活動とは「民主主義を学ぶ場」、何と素晴らしいフレーズでしょうか?「『児童生徒の自主性』を前提とする運動部活動」、これまた素晴らしいフレーズです。

 しかし、これらの原則が必ずしも具体化されない事情がたくさんあることを社説は指摘しています。何故でしょうか?憲法的視点を学校という職場、教室に、そして学校を取り巻く社会に徹底させてこなかった戦後自民党の教育政策、憲法改悪政策に根本があるように思いますが、如何でしょうか?

 先生たちの置かれている事情、先生たちを研修で磨いていく行政のあり方、先生たち自身の自主性を尊重しない行政などなどがあります。最近では少人数学級を放棄した安倍自公政権が象徴的です。先生たちをバッシングするだけで、解決しないことは明らかなのに、バッシングで溜飲を下げているのも事実です。

 こうした構造を改めない限り、仲間内で傷口に塩を塗りつけているようなことをしている限り、子どもの未来は、晴れやかなものになることは難しいと思うのですが、如何でしょうか?

 毎日新聞社説:視点・スポーツ指導 暴力は文明化への逆行=落合博 01月27日 02時30分

http://mainichi.jp/opinion/news/20130127k0000m070102000c.html

 知り合いの高校教諭が話していた。「体罰という言い方には違和感がある。彼はどんな罪を犯したのか」。これに答えられる人はいるだろうか。 大阪市立桜宮高でバスケットボール部の顧問教諭から日常的に暴力を振るわれていた男子生徒が自殺した。生徒は前日の練習試合でも顔を平手打ちされていた。通夜の席で顧問教諭は生徒の母親に「体罰」だったことを認めたという。

 ある団体競技の日本代表経験者によると、「見せしめ」によって恐怖を植え付けて子どもたちを追い込むような指導は一定の効果があるという。だが、それで本物の競技力が身につくはずはなく、自主性をはじめ失うものは限りなく大きいと指摘したうえで、「スポーツ指導者は選手を兵士に仕立て上げてはならない」と訴えている。 一生懸命にプレーしてもスポーツにミスはつきものだ。プロ野球の3割打者は3打席のうち2打席は凡退している。心身ともに成長過程にある高校生が失敗するのは当たり前と考えるべきで、試合や練習でのミスは決して「罪」ではない。

 運動部活動において顧問と生徒は絶対的な上下関係にある。自殺した生徒の父親が顧問教諭を暴行容疑で告訴したように桜宮高の「体罰」は「暴力」であり、「虐待」であることをおさえておかなければならない。 男性優位の文化として始まったスポーツは荒々しさを伴い、流血も珍しくはなかった。歴史社会学者のノルベルト・エリアスは18〜19世紀の英国でスポーツが発生する過程と議会制度の発生の過程が相関関係にあることを指摘している(「スポーツと文明化」)。武力を否定して議論によって物事を決める議会制度の発展とともに、野蛮な身体の闘争は非暴力化のルールを整えることで近代スポーツとして社会の中で位置を得た。 だが、自己抑制できなければ、スポーツは容易に暴力化する。一時の感情に駆られた指導者による子どもたちへの暴力が「文明化の過程」に逆行することは言うまでもない。 そのスポーツを好きな子どもたちが集まる部活動とはどんな場なのか。もっとうまくなること以上に重要なことがある。ルールに従い、対戦相手を尊重する。学ぶのは民主主義の基本であり、暴力ではない。 学校で教科として体育・スポーツを教えるのはフェアプレーをはじめ次世代に伝えていくべき価値を含んでいるからだ。勝敗、順位、記録など競争原理に支配されがちなスポーツのあり方を見直さなければならない。(論説委員)(引用ここまで)

 熊本日日新聞 運動部活動の体罰 「仕方ない」が問題生む土壌 2013年01月28日

http://kumanichi.com/syasetsu/kiji/20130128001.shtml

 大阪市の市立桜宮高バスケットボール部主将が顧問による体罰を受けた後に自殺した問題が、大きな波紋を広げている。自民党の「いじめ防止対策基本法案(仮称)」の骨子案は、「教諭による体罰もいじめ」と位置付けた。表面化しづらい体罰の実態へメスを入れる狙いがある。 文部科学省の調査によれば、体罰で処分を受けた全国の教職員数は過去10年間、400人前後で推移している。最も多いのは授業中だが、このうち4分の1以上は部活動に絡んだ事例。熊本県内ではこの10年間で24人が処分され、うち部活動での処分は6件。ただ、問題化しないケースもあると見るのが自然だろう。 問題の高校では、保護者を集めた説明会で顧問を擁護する意見も出たという。運動部を全国の強豪校に押し上げるような顧問教師は生徒の進路選択にも“顔”がきく。保護者の期待は大きく、部の強化のためには体罰も仕方ないとの空気が漂う。 熊本県内の何人かの公・私立校運動部顧問教師に聞いてみると、「大阪のケースはひどい」と受け止めている一方で、指導中に「つい手が出ることはある」「正直なところ、体罰があってもいいのではと思う」といった答えが返ってきた。ある30代の教師は「体罰を行うこともある」と認めた上で、「自分はプライベートの時間を削っても、家族との時間を犠牲にしても、部活動の指導で生徒たちと真剣に向き合っている」と、その自負を語る。しかしそれが、大阪の一件ですべて否定されるような複雑な思いも口にする。 一般に運動部活動の顧問はどうやって決まるのか。「まず保健体育以外の教師に希望を聞いてお願いし、最後に運営が大変な部は保健体育の教師が務めることが多い」との声が聞かれる。強豪校では土、日曜に遠征試合を組むことが多い。だが、練習試合は出張とはみなされず、経費を自前で賄う指導者もいる。負担は大きく、敬遠する教師も多い。 「児童生徒の自主性」を前提とする運動部活動ではあるが、現実には管理と指導に顧問教師の存在が不可欠。勤務時間外も“ボランティア”で携わる顧問の裁量は大きい。学習指導要領で「教育活動の一環」と位置付けられてはいるものの、あくまで「教育課程外」。その曖昧さが、運動部活動への関わりの難しさを生んでいる。 熊本県教委は「運動部活動指導の手引」で「担当顧問の意思のみで行われることなく、学校教育活動の一環として校長を中心とした責任体制のもと、学校の指導方針に沿って行う」と指導している。しかしこの趣旨が徹底されているとは言い難い。 「子どもに規律を守らせるためには多少の体罰は仕方ない」と考える教師はいまだに多い。そこにこの問題がなくならない根深さがある。しかし一方で、問題を生む土壌には、運動部活動の管理責任を顧問教師に任せっきりにする学校と、「勝利」を求める保護者という、二つの存在があることも忘れてはならない。 大阪の一件をスポーツ強豪校の行き過ぎた事例と済ますわけにはいかない。顧問教師だけでなく、学校も保護者も当事者として運動部活動の在り方を考える必要がある。(引用ここまで)

入試中止や予算停止に反対上回る 産経・FNN世論調査 2013.1.28 11:59 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130128/waf13012812020005-n1.htm

ここにみられる国民的意識の最大の特徴は、三つあると思います。

一つは、「体罰」容認の土壌です。

二つ目は、橋下市長の体質、本質を系統的に報道しないマスコミ、すなわち「体罰」容認と「命令」で「服従」させることで、物事を「決める」手法に対する無批判的土壌、「成果主義」温存体質です。

第三には、国民的不満・不安の鬱積を捻じ曲げて「解決」させるがごとくに「溜飲を下げさせる」手法、そのことによって巨悪を免罪する土壌です。

こうした手法の温存にもかかわらず、橋下市長の手法に対して批判的な世論が半数に達していることは、国民の中に憲法的感覚が根付いていることも事実と言えます。しかし、それでは憲法を生かしていくという点では不十分です。それは以下の発言に象徴的です。

橋下徹市長は同日午前、市役所で記者団に対し「賛否が拮抗しているのはうれしい」と述べた。

ここに戦後の到達点、安倍自公政権の存在できる局面があるのだと思います。こうした状況を国民的世論で凌駕していかなければ、憲法危うし!という状況も生まれるでしょう。

あの大正デモクラシー運動の後にファシズムが到来したことを教訓にしなければなりません。同じようなことが繰り返されるという意味ではありませんが、進歩と反動のジグザグをできるだけ排除して歴史を前にすすめていく、このことが、子らへの大人の責任であるように思うのです。

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ブラック学校から、ブラック企業へ、そしてブラックニッポンへヒタヒタとすすむ精神貧国大国ニッポンへ

2013-01-27 | 日記

昨日は、小・中・高において、子どもを大人の付属物としての子供として、いや人間以下の「犬猫」として扱う「大人」の視点が温存されているが故に、人権と民主主義がないがしろにされていることを記事にしました。

 こうした非人間的な扱いは、大学ではどうか、と思いきや、以下のような人権侵害が、横行していました。

森岡孝二『就職とは何か―≺まともな働き方≻の条件』岩波新書(2011年11月刊)参照

 しかし、大卒がエリートであった当時の大学進学率は、専門学校令による高等教育機関である専門学校を含めて、三%程度に過ぎなかった。いまでは大学進学率は五〇%を超え、二〇一〇年では、大学は五一%、短期大学を含めれば五七%に達している。今日の大学生の就職問題の背景には、「はじめに」で述べたような正社員の雇用減少下での大学進学者の増加がある。最近では高校と短大の深刻な就職難がさらに大学進学率を高めているともいわれている。

 学生にとって職業選択と職探しは一生の大事である。それだけに、多かれ少なかれ不安や迷いがつきまとう。その一方、就職は夢と希望の実現に向かう旅立ちである。これまでもそうであったし、これからもそうであってほしい。とはいえ、長く苦しい就職活動で打ちひしがれた学生たちを見ていると、安易に夢や希望を語れないのがいまの就職であると言わざるをえない。

 『朝日新聞』に「心も凍る、就職氷河期」という記事が出ていた(二〇一〇年一二月二七日)。それによれば、最近は就職活動中の学生が自信を失ったりうつ状態になったりして、専門家のカウンセリングを受けるケースが増えているという。その記事にあるように、私の勤める関西大学では、キャリアセンターのスタッフが「精神的なケアも必要」と判断した学生には、数大の臨床心理上や産業カウンセラーの資格を有した専門相談員(キャリアデザインアドバイザー)がいる「キャリアデザインルーム」を紹介し、さらに深刻なケースについては学内の「心理相談室」と連携をとっている。

 このところ就職活動の失敗に起因する学生の自殺が急増している。警察庁によれば、二〇一〇年の「就職失敗」を原因あるいは動機とする大学生の自殺者は、前年の二倍の四六人(男性四〇人、女性六人)になった。二〇〇七年は二三人(男性一八人、女性〇人)、二〇〇八年は二二人(男性一七人、女性五人)、二〇〇九年は二三人(男性一八人、女性五人)であった。二〇〇八年から二〇一〇年で見ると、大学生のあらゆる原因による自殺者総数は五三六人から五一三人に減少している。にもかかわらず、就活を原因とする大学生の自殺が増加していることはゆるがせにはできない(警察庁「自殺の概要資料」各年版)。

 近年は、三〇歳代、さらには二〇歳代の若い労働者の過労自殺が増えて社会問題になっている。過労自殺では企業の責任が問われるが、就活自殺は、面接の失敗や圧迫面接が引き金になったとしても、加害責任を特定することが難しく、労災保険制度のような補償の

あてもなく、内密にしたいという保護者の心情もあって、社会問題になりにくい。それだけに大学関係者は学生の就活自殺の増加に警鐘を鳴らす必要がある。

 就職の失敗による大学生の自殺者は男子のほうが女子よりずっと多い。しかし、このことは女子学生のほうが男子学生より就職活動の苦労が少ないということを意味しない。むしろ、女子学生は、総合職の門が狭いうえに一般職の採用も厳しく抑えられている。そのなかで、男子より多くの企業に応募しながら、内定がなかなか取れず、内定の出る時期も遅い。内定率が低いだけに、「泣いている率」が高い。

 学生が面接を経て内定を得るまでに思い知らされるのは、企業の強さと学生の弱さである。雇われる側と雇う側の網引きでは、いつの時代にも雇われる側が弱いが、「新就職氷河期」あるいは「超氷河期」といわれる昨今にあっては、雇われる側の学生は、とりわけ弱い立場に置かれている。(引用ここまで)

 どうでしょうか?現在の学生が置かれている深刻で、悲惨な、そして重要な事実が、ここに示されていると思います。

 就活にあけくれる学生と大学の生き残りのために、「いい企業」に就職させるために、あの手この手のカリキュラムを組み、就活に集中させる大学。今や幼児から児童、そうして少年から青年に至るまで、「狂ったように」、マジになって競争と選抜、没個性に向かって突き進んでいるかのようなニッポンです。

あの「リクルートスタイル」に、今日の経済大国ニッポンが精神貧国大国ニッポンに突き進んでいることが手に取るように判るというのは、愛国者の邪論の独断と偏見でしようか?

 青年である大学生が、気の毒であると同時に、かわいそうで・・・。言葉になりません!

そうしてやっとのことで就職したとき、どのような現実が待っているか。それは今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖快』文春新書(2012年11月刊)には、さらに酷い事実が書かれています。

 ■新卒=コスト」「人間としておかしい」と罵られる

 人格を傷つけるような暴言を含む異常なハラスメントの数々がまかり通るのは、常日頃から社員が恐怖によって支配されヽ社内の価値規範を強固に内面化しているからに他ならない。例えば、ここでいう社内の価値規範は、人事部執行役員による入社式の挨拶に端的に現れている。

「お前たちはクズだ。異論はあるだろうが、社会に出たばかりのお前たちは何も知らないクズだ。その理由は、現時点で会社に利益をもたらすヤツが一人もいないからだ」

「営利団体である企業にとって赤字は悪だ。利益をもたらせないヤツが給料をもらうということは悪以外の何物でもない。だから、お前たちは先輩社員が稼いできた利益を横取りしているクズなのだ」

「クズだから早く人間になれ。人間になったら、価値を生める人材になり、会社に貢献するように」

 これらはすべて執行役員の発言である。入社初日から、「新卒は歓迎されていない」ことを知らしめられた新入社員たちだったが、その翌日から始まる過酷な新人研修のなかで執行役員の「コストり悪」という価値観を叩き込まれていく。

 新人研修では、新人社員たちは膨大な課題を与えられ、徹夜もまれではなかった。あるときは、終業時間の1時間後に翌朝提出の課題を与えられ、研修施設が閉まってから同僚の家に集まって仕事をこなし、一睡もせずに出勤することもあった。彼らに「課題をこなせない」という選択肢はない。新人社員は数人単位のチームに分けられ、作業をこなすが、チームの構成員は連帯責任を負うため、例えば、1人が課題を提出できなかったためにチーム全員が椅子なしでの仕事を強制される制裁を受けることもあったという。ある若手従業員によれば、「研修期間中の平均睡眠時間は3時間未満」であった。

 このような肉体的な追いつめと並行して精神的な圧迫も間断なく加えられた。1年先輩の新卒教育担当者は、執拗に「新卒=コスト」発言を繰り返した。具体的には、「新卒は赤字であり、会社にとってコストだ。先輩社員の時間を取ることはコストを増やすことだ。コストを増やすことがないように」「新卒は赤字なので営業や先輩社員の出す利益を給料としてもらっている。そのお蔭で生活できている」といった発言である。ある新人社員は教育担当者に「成果を出せ」と言われ、研修の成果をレポートにまとめて人事部に報告すると、「成果とは会社に利益をもたらすことだ。そんなこともわからない新卒は最悪だ。人間としておかしい」と詰られたという。

「新卒はコスト」「人間としておかしい」と毎日のように罵られ、否定される環境下で、新入社員は睡眠不足と言葉の暴力から精神的にも肉体的にも追いつめられ、早く価値を生む人間にならなければ、ただのクズとして扱われるという恐怖に支配された。与えられた課題や仕事が終わるまでは寝ずに働く習慣が身に付き、彼ら/彼女らは上司への絶対服従と「コスト=悪」意識とを身に付けていく。この職場において新人研修は従業員の「奴隷化」の最も重要な手法のひとつなのであろう。しかし、新入社員にとっては過重な労働と圧迫の恐怖に耐える日々の始まりに過ぎない。(引用ここまで)

 日本中に、とまでは行かないまでも、人権と民主主義がないがしろになされている事実は、列島を覆っているのではないでしょうか?何故このような非人間的な実態が横行しているのでしょうか?

 ここで指摘されていることが、実は、以下の本にも書かれているように思いました。読んではいませんが、以下をアクセスしてみて、そう思いましたので、参考までに掲載しておきます。

 「橋下徹は損得勘定が発達している人間」“行列仲間”丸山和也氏が書いた暴露本の中身

http://www.cyzo.com/2013/01/post_12427.html

同書によると、橋下氏は降板した弁護士の代役として登場し、茶髪に色つきメガネの風貌やテレビ向きのキャラが、番組の制作サイドや当時司会を務めていた島田紳助に気に入られ、あっという間にレギュラーに。当時は自身の法律事務所を経営していたが、「稼げないヤツはうちの事務所にはいらない」というスタンスで、丸山氏は番組内のトークの端々や日常会話から「ドライな現実主義者で、勝ち負けと損得勘定が発達している人間」という印象を抱いたという。(引用ここまで)

大阪市立高校の「体罰」=「暴力指導」事件、大学生の就活自殺事件、そうして企業戦士の自殺やパワハラや解雇事件などなど、「赤ちゃんから墓場まで」、この経済大国ニッポン、いや精神貧国大国ニッポンをみるにつけ、大変革が求められているようなところまで来ているように思います。

後は、国民がどのように動くか、そこにかかっているのではないでしょうか?

ちょうど、啄木が、100年前に記した「時代閉塞の現状」で、青年に呼びかけた言葉、思い、それが、今の日本に求められているのだと、確信して、今日は終わることにします。

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体罰という暴力指導が小中高で起こるのは、児童生徒を子供と見て、人間扱いをしていない歴史の遺産がある!

2013-01-26 | 日記

これからも「体罰」という名の「暴力指導」=人権侵害が起こるであろうことは、新聞をみていると判ります。その重要な事実が、下の記事です。

 児童を「犬猫」呼ばわりで小学校教諭を戒告 /広島 毎日新聞 2012年11月10日 地方版

http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20121110ddlk34010574000c.html

 県教委は9日、三原市立小学校の男性教諭(54)を戒告の懲戒処分とした。教諭は11年度、5年の男子児童1人に対して「犬猫」呼ばわりする発言を繰り返したほか、授業態度を指導する際に平手で頭をたたいた。今年6月には4年の男子児童を指導中、男児が笑ったと思い込んで腹を立てて右足を蹴ったという。教諭は別の小学校でも体罰をしたとして、10年11月に戒告処分を受けていた。 また、兄を殴ってけがをさせ、8月に傷害容疑で逮捕された廿日市市立小学校の男性教諭(54)を停職6月の懲戒処分とした。(引用ここまで)

 教師の年齢と2回目の処分、しかも足蹴にしたというのです。平手て頭をたたいたというのが、どのような「たたきかた」であったか、判りませんが、それにしても常習者のようです。子どもを「犬猫」呼ばわりするなど、異常です。

 同時に注目しなければならないのは、人権侵害にもかかわらず「戒告処分」という処分です。こうした「軽い処分」は、教育界の子ども観、指導観を物語っているように思います。

 本来は、「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する」(刑法231条)を適用すべきものかもしれません。しかし、日本では石原慎太郎都知事が、「クソばばぁ」発言をしても、何ら政治的立場を失墜することがないような状況ですので、刑法を適用することは、まずあり得ないと思います。ここに、日本における人間文化の水準があります。

 「足蹴にした」などというのは「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する」(第208条)という刑罰を科していく必要があるように思います。

 こうした刑法適用を厳しくしていない日本であるがゆえに、子どもたちにも「暴力」に対する「甘さ」が浸透していっているように思います。本来は人権と民主主義を教え育てるべき学校で、人権を侵害し、民主主義を否定乃至形骸化するような諸事実が、小学校・中学校・高校と継承発展させられ、積み重ねられていったとしたら、子どもたちの心の中に、人権と民主主義が育むことは厳しいと言わざるを得ません。勿論すべての子どもが「そうなる」ということではありません。

 市立桜宮高校の顧問の「体罰」を教え子の顧問が注意できなかったこと、練習試合に体育館でビンタを張っていたにもかかわらず、誰一人として注意をしていなかったこと、教育委員会に告発すらしていなかったことなどなどを考えると、この「体罰」=「暴力指導」容認の構造は深刻です。

 だからと言って、ここでは誰が悪いなどと言うのではありません。このような「しくみ」「装置」をつくりあげてしまった日本の文化、歴史を問題にしているのです。

 そういう点で、大の大人が、以下の記事ような醜い事実を見せ付けるのは、実にみっともないというか、日本の文化、歴史を象徴しているようで、マスコミを含めて、こうした教育関係者、政治家をつくりあげてしまっている日本社会の後進性、病理性こそ、大鉈をふるっていかなければならないと思います。

 府市教育委員長 激しく応酬 体罰対応めぐり(2013年1月25日  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130125-OYT8T00097.htm?from=popin

 そういう点で、以下の記事も、同じではないでしょうか?言っていることは間違っているとは思いませんが、あまりに抽象的で、妥当かどうか、です。何故ならば、体罰については、各教育委員会で、「誰がみてもこれは良い・悪いとはっきり分かり、その基準に抵触すればきちんと公表され、再発は必ず抑制されるというシステムを構築」してきたはずです。処分者に対する事実経過の有無、原因、そして公表、とやってきたはずです。にもかかわらず、「体罰」=「暴力指導」はなくならないのです。

 教師入れ替えても体罰問題なくならぬ 第三者による制度改革を 常盤大・長井教授2013.1.26 20:15 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130126/edc13012620170006-n1.htm

 常盤大の長井進教授

 高校運動部の指導者による体罰問題の発端となった大阪市立桜宮高では、橋下徹大阪市長が教員の総入れ替えなどを求めている。今後、どのような改革が必要なのか。平成13年の大教大付属池田小事件で遺族支援にあたり、校舎改築検討委員としても活動した常磐大の長井進教授(心理学)に聞いた。

 教師による体罰を苦に生徒が自殺した桜宮高校を改革するために、全ての教師を入れ替えても、質が良くなる保証はない。どれだけ優秀な教師を選び改善しようとしたところで、この種の問題が絶対にゼロになるということはないだろう。 必要なことは客観的な事実を確認し、どこに、誰に、どういう問題があったのかを明らかにすること。今回のことは一教員の問題ではなく、教育長、校長ら管理職など全関係者に課題がある。だから、内部関係者だけで改善しようとすることは適切ではない。第三者が「公益」を意図して改善し、制度そのものを見直すことが必要だ。腐ったリンゴが見つかったから、違うリンゴに変えます、というのでは解決にならない。生徒や保護者、受験希望者などからは桜宮高校の体育系学科の存続を求める声があるが、もし存続させるなら、あらゆる事柄に対し、明確な基準を作るべきだ。誰がみてもこれは良い・悪いとはっきり分かり、その基準に抵触すればきちんと公表され、再発は必ず抑制されるというシステムを構築したうえでなければ、存続は難しいだろう。 ご遺族にも、学校とは無関係の利益代理人が必要だ。思いや要望を聞き、必要なことを学校側に伝え、学校側からの情報も提供して、必要とされる全ての事柄にきめ細かく対応するというトータルサポートにより、コミュニケーション不足が招く不信感の増幅を避けるべきだ。(談)(引用ここまで)

 豊川工陸上部監督が体罰 12件、鼓膜に傷の部員も2013.1.26 20:20 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130126/edc13012620210008-n1.htm

 陸上部監督の男性教諭が部員に体罰を加えていた問題で、記者会見する愛知県立豊川工業高の竹本禎久校長(中央)ら=26日午後、愛知県豊川市

 高校駅伝の名門として知られる愛知県立豊川工業高(同県豊川市)で、陸上部監督の男性教諭(50)が昨年4月から今月にかけ、複数の部員に平手打ちなどの体罰を12件繰り返していたことが26日、分かった。竹本禎久校長が同日記者会見して説明。うち夏合宿中の1件で平手打ちを受けた男子部員は鼓膜が傷つくけがをし、転校した。 さらに他の部員の前でたたかれて退学した女子部員もいたといい、竹本校長は「行き過ぎた体罰だった。あってはならず、防げなかったことを反省している」と謝罪。一方、教諭は学校に「いずれも体罰ではなく指導だった」と話したという。 県教育委員会は25日に学校から報告書の提出を受け、教諭に部の指導を自粛させるよう学校に指示。教諭や校長から事情を聴くとし、詳細については「報告書を精査しておらず、現時点で内容を申し上げられない」として明らかにしていない。

 体罰:豊川工陸上部で12人確認 転校や退学も

毎日新聞 2013年01月26日 21時09分(最終更新 01月26日 21時19分)

http://mainichi.jp/select/news/20130127k0000m040077000c.html

 高校駅伝の強豪校として知られる愛知県立豊川工業高校(同県豊川市)陸上部の監督を務める男性教諭(50)が体罰をしたとして、県教委が監督による部活動の指導自粛を求めた問題で、同校は26日、監督の体罰をきっかけに昨年4月以降、部員2人が転校や退学をしていたことを明らかにした。この期間には他にも部員10人への体罰が確認されたという。 記者会見した竹本禎久校長らによると、監督は昨年7月下旬、長野県での高地合宿の際、男子部員の頬を両手で2回たたいた。その際、手が耳に触れ、部員は鼓膜に全治約2週間のけがをした。監督は「意識がもうろうとしていたのをはっきりさせようとした」と説明したという。その後、部員は部活動から遠ざかり、9月に転校した。また同年10月には、他の部員の前で数回の平手打ちを受けた女子部員が12月末に退学したという。 今月11日に県教委から指示を受け、同校が全校生徒に体罰の有無を尋ねるアンケートをした結果、陸上部員10人に対し平手打ちや足蹴りなどの体罰があったことがわかった。複数回の体罰を受けたと申し出る部員も複数いた。監督は学校に対し「指導の一環で体罰ではない」と説明したが、同校は体罰と判断。退学・転校のケースを含め、部員計12人への体罰があったと25日に県教委に報告した。 竹本校長は「あってはならないこと。反省したい」と述べた。体罰後の退学・転校を県教委にすぐに報告しなかったことについては「保護者や生徒の意向を優先させた」と釈明した。 同校は26日の陸上部員の保護者会で経緯を説明。保護者からは「駅伝の全国大会出場には監督の力が必要」などと監督続投を求める声がほとんどだったという。監督の指導は自粛するが、陸上部の活動は継続する。 一方、会見では、同校の男子バレー部顧問の男性教諭が部員に平手打ちをしたほか、別の男性教諭が教室で生徒に平手打ちをしていたことも明らかにした。【稲垣衆史、丸林康樹、鈴木英世】

 県教委:体罰高校教諭、減給10分の1の処分 /長野毎日新聞 2012年11月02日 地方版

http://mainichi.jp/area/nagano/news/20121102ddlk20040113000c.html

 県教委は1日、顧問を務める女子バレーボール部の部員の顔をたたくなど体罰をしたとして、東信地区の男性高校教諭(39)を2カ月の減給10分の1の懲戒処分にした。

 県教委によると、教諭は9月上旬、部の練習試合後、部員のほおを平手で1回たたいた。8月にも他の部員の頭をボールや拳で1回ずつ軽くたたくなどしたという。いずれも、けがはなかった。

 別の部員が10月上旬、担任教諭に相談して発覚。顧問の教諭は「信頼関係の中で(体罰も)『許されるのでは』という甘えがあった」と謝罪したという。

 また、県教委は同日、公務中に速度違反で免許停止処分を受けたとして、中学で東信の女性教諭(50)と北信の男性教諭(38)を戒告の懲戒処分にした。【小田中大】(引用ここまで)

 こうした「体罰」=「暴力指導」は、「子供」である高校までで、大人への入り口にある大学ではどうでしょうか?

大学の部活動には、あるかもしれませんが、授業ではどうでしょうか?小中高と、大学では諸条件が違いますので、このことを考慮しなければなりません。(大学生に対しては別の意味で人権侵害がありますが)そこに何かヒントがあるように思いますが、それは次にします。

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アルジェリアの殺人事件を「テロとのたたかい」とする論調と自衛隊法「改正」に疑問あり!真相の究明を!

2013-01-25 | 日記

大阪市立桜宮高校の事件について、ずっと記事を書いてきました。まだ書くことはありますが、今日は、アルジェリアの殺人事件について、3つの社説を読んだ感想を述べておきます。

まず、今回のような殺人事件を引き起こした武装集団の蛮行は否定されなければなりません。このことを前提にしたうえで、今後のことを踏まえて、以下述べてみます。

 1.この事件、「テロとのたたかい」と報じられていますが、果たしてそうか、どうかです。これは日本からみた見方であり、現地の民衆から見た場合、どうか、です。その理由は、アフリカの「資源開発」に対する見方、現地政府の対応の仕方などをみると、単純に「テロとのたたかい」と言えるかどうか、です。

「テロリスト」=「武装集団」に対するアルジェリア政府の対応に対して日本政府の要請は無視されました。この対応に対する認識の違いについての意味も検証が必要です。

しかも日本の場合、歴史的に見ていく必要があるようにも思います。中国・朝鮮への侵略に対して反抗した民衆に対して、侵略した側はどのような評価をしていたか、そのことが頭にあるからです。イラク戦争の時も同様でした。

 2.一民間会社の企業進出と日本政府の日常的な連携プレーと、その安全管理はどうだったか、です。「テロリスト」の暗躍する地域に、何故このような「資源開発」を行ってきたのかです。多くの日本人は、アフリカにこのようにして企業が進出していることなど、知っていたでしょうか?タイの洪水によって、あれだけ多くの日本企業が進出していたことに驚いた時の感覚と同じ驚きをもったのは、勉強不足ですが、率直な感想でした。

 もう一つは、だからこそ、と言っておいた方が良いのでしょうか。殺された方々の年齢や経歴、雇用形態に釈然としないものがあります。

アフリカに進出する企業に対して政府は、情報提供を含めて、どのような指導をしていたのか、検証が必要でしょう。企業も、アルジェリア政府の軍隊に守られているとの「安心感」と「確信」の下、現地労働者や諸外国の労働者を働かせていたのかどうか、検証が必要でしょう。

そうした認識と現地政府と反政府派との関係はどのように認識していたのか、どうか、もです。

 3.自民党は自衛隊法の「改正」を目指しているようですが、まさに「地頭は転んでもただでは起きない」との諺のとおり、バカらしい発想です。これでは殺された方々は浮かばれないでしょう。「テロとのたたかい」を口実に憲法という「規制」の「緩和」を策してきた歴史を、再度検証すべきです。とりわけ、アフガン・イラク戦争の検証です。

 4.これまで日本はアラブ世界では信頼されているとの評価がありましたが、伝えられるところでは、日本人が標的にされたのではないかとの情報もあります。そのような情報が存在すること事態、アフガン・イラク戦争でとった日本政府の立場と、この戦争を検証していない現実が、そこにあります。アラブ世界では、「日本」は「安全装置」にはならないということが事実とすれば、ここでも日米同盟深化路線の破綻を意味していることは明らかです。

 5.今日、遺体が帰国した映像が流されて、会社に弔問に来た人々、遺族の声が紹介されていますが、自民党が目指している憲法改悪と「国防軍」の未来を暗示している場面でした。自民党は、湾岸戦争以来、アメリカのために日本人の血を流すことをアメリカに迫られ、憲法の改悪を策してきました。この日本人の血を流すとはどのような場面か、如実に示したのが、今日流されている映像です。

 マスコミは、そこまで想像して、安倍自公政権の行方を占っているか、疑問です。このような映像を流すことで、海外の「法人救出」に自衛隊を使う、亡くなった方々を、海外の「最前線」などと表現して「英雄視」する見方などによって感情移入と論理飛躍で、スリカエていくことは明らかです。靖国派の安倍首相の黙祷前の言葉は、躍っていました。監視が必要でしょう。

 以上、感想的意見を述べておきます。

 それにしても、命の大切さを、憲法の人権と民主主義の視点から、再度問い直してみることの大切さを、大阪市立桜宮高校の自殺事件とアフリカアルジェリアの殺人事件を見て思った次第です。

 殺された方々のご冥福を!二度とこのような「殺人」を繰り返すな!

 以下、3紙の社説を掲載しておきます。

 

愛媛新聞 邦人人質事件 「テロの温床」を断つために 2013年01月25日(金)

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201301255988.html

 アルジェリアの人質事件は多くの日本人の犠牲者を出した。生還を信じてやまなかった家族や関係者の心痛は、察しても察しきれない。  テロは断じて許されない。その温床を断つために、日本をはじめ世界はより堅く、抜け目なく協調するべきだ。息の長い取り組みになろうが、各国間の信頼関係の醸成と情報共有こそ要である。  武装勢力の標的とされたガス田プラントは資源国の屋台骨であり、国際的な経済権益そのものだ。犠牲者の国籍は10カ国に及んだ。日本を含む関係企業の幹部会合の日が狙われたとの見方もある。民族問題や宗教観の葛藤と縁遠い日本人も、グローバル社会の裏側を直視しなければならない現実を突きつけられた。  被害を受けたプラント建設会社の日揮がアルジェリアに進出したのは40年以上前のことで、危機管理の蓄積も相当にあったはずだ。安全確保の再点検は必要だが、民間企業の努力には限界があろう。  テロは常に姿を変え、戦術を柔軟にしている。それに合わせて邦人保護の態勢を見直すことに異論はない。ところが、政府が喫緊の課題として挙げたのは武器使用の権限拡大を含む自衛隊法改正だ。戦闘行為のある地域での邦人輸送を想定するようだが、少し勇み足が過ぎないか。  今回の事件は、テロの温床を抱えるがゆえに強行策しか選択できない国がある実情を浮かび上がらせた。危機管理の前提となる情報が際立って不足し、各国の働きかけが宙に浮いた状態では、初期の段階から自衛隊が活動する場面は到底考えにくい。旧宗主国や情報機関を持つ国でさえ打つ手がなかったのだ。  近年は資源獲得競争に乗り遅れまいと、各国が続々とアフリカ入りする。が、過去の植民地支配や独裁体制の混乱が生み落とした負の遺産として、貧困や民族問題があり、過激な反政府組織が存在することには目を向けない。  日本のアフリカ外交も投資の道筋をつけるのに躍起だ。事後的な地域情勢の調査や理解を深める努力、進出企業との情報共有が十分とはいえない。閣僚や高官の往来が少なく、情報収集の拠点となるはずの在外公館もアフリカでの要員は極めて手薄である。  アルジェリアには常設の日本大使館があるのに、今回の事件では機能した跡がみられない。自衛隊から在外公館に派遣する防衛駐在官を充実させる案が政府内で浮上しているが、大国の駐在を減らしてアフリカなど危機管理を要する国々に回すことも検討したい。外務省の本省内での情報共有に盲点がなかったのか検証する必要がある。  まずは足元の情報収集能力を高めること。平時の備えから、見えるものがある。

 

琉球新報 アルジェリア事件 強硬策は妥当だったか 2013年1月25日

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-201782-storytopic-11.html

 外国人が多数巻き込まれたアルジェリア人質事件は、安否不明だった1人を含め日本人10人が犠牲となる最悪の結末となった。被害者や遺族、関係者の無念とやり切れない思いは察するに余りある。罪のない外国人を標的にテロに及んだ犯行グループへの強い憤りをあらためて深くする。 16日の発生から1週間余が経過したが、現地からの情報は依然錯綜(さくそう)している。21日にはアルジェリアのセラル首相が外国人人質37人の死亡を発表したが、事件の全容はおろか、軍事作戦の実態や外国人人質の死亡時の状況など、分からないことがあまりにも多過ぎる。アルジェリア政府は、得られた確かな情報を包み隠さずに開示すべきだ。 日本政府は事件発生直後から、アルジェリア政府に対し、人命最優先で臨むよう求めていたが、軍事作戦は事件発生の翌日から電撃的に展開されるなど、人命が尊重されたとは到底言い難い。 生存者らが「軍は動く者全てを撃った」と口々に語った内容が事実であれば、アルジェリア軍は犯行グループの壊滅ありきで無差別攻撃を強行したことになり、人命軽視との批判は免れないだろう。 事件直後からアルジェリアは「テロリストと交渉する余地はない」と強硬姿勢を崩さなかった。だが、催涙ガスの使用など犯行グループを無力化する手段は皆無だったのか。軍事作戦は被害を最小限に抑える方策など十分な検討がなされたのか、疑念は尽きない。 今回の事件は人命を最優先する人道主義と、「テロとの戦い」を掲げる国際協調の両立という“矛盾”も浮き彫りにした。グローバル化し、かつ局地化するテロの脅威に国際社会はどう対処すべきか。情報収集や分析、テロ対策で各国は連携を深める必要がある。同時に日本政府や日系企業には海外リスクの危機管理が問われる。 一方、日本政府と被害に遭ったプラント建設大手の日揮(横浜市)は、日本人犠牲者の氏名や年齢を明らかにしていなかったが、菅義偉官房長官は24日、遺体帰国後に公表する考えを示した。遺族や関係者の証言は事件の全容解明に加え、今後のテロ撲滅に向けても不可欠だけに、公表は当然だろう。 また政府・自民では自衛隊法改正に前のめりの姿勢も散見されるが、事件の背景や現地の安全対策など検証作業こそ急ぐべきだ。

 

読売社説 邦人人質事件 テロ封じに国際連携が肝要だ (1月21日付)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130120-OYT1T00964.htm

 イスラム武装勢力によるテロが引き起こした惨劇である。 事件の全容を解明し、再発防止策につなげたい。 アルジェリア東部イナメナスの天然ガス関連施設で発生した人質事件は、アルジェリア軍が制圧作戦を強行し、発生から4日間で終わった。 アルジェリア政府によると多数の武装勢力と人質の死亡が確認されている。プラントメーカー「日揮」の邦人関係者の死亡情報もある。事件に巻き込まれた犠牲者に哀悼の意を表したい。 アルジェリア政府は、事件発生の翌日の17日、武装勢力への攻撃を開始した。早期に制圧しなければ、同種のテロを誘発しかねないという危機感からだろう。 1990年代に政府とイスラム武装勢力との内戦で、約15万人もの死者を出したという事情もある。テロリストとは「いかなる交渉も拒否する」方針だった。 武装勢力の人質事件は卑劣なテロ行為であり、断じて許すことはできないのは当然だ。ただ、アルジェリア政府の軍事行動は、人質救出の観点から周到に練られたものだったのだろうか。 安倍首相は20日、アルジェリアのセラル首相との電話会談で「人命最優先と申し入れてきた。日本人の安否に関して厳しい情報に接することになったのは残念だ」と軍事行動に遺憾の意を示した。 キャメロン英首相も、事前通告がなかったことに不満を表明した。アルジェリアと関係国の意思疎通は円滑ではなく、安否に関する情報の提供も不十分だった。 アルジェリア政府は、外国人が大勢働く重要な施設に武装勢力の侵入を許した原因や、救出作戦の詳細など、事件の全貌を国際社会に明らかにする必要がある。 イスラム武装勢力はアルジェリアだけでなく、アフリカ北・西部一帯を股にかけて活動している。事件の解明により、その実態をつかむ手がかりが得られよう。 今回の事件を、国際社会がテロに対して毅然(きぜん)として立ち向かい、有効な手立てを講じるための一歩としなくてはならない。 一方、事件は、海外展開する日本企業にも課題を残した。危機への備えの再点検が急務である。 日本政府は安倍首相が陣頭指揮に当たった。首相官邸を中心に精力的な対応を見せたと言える。

 ただ、政府の情報収集・分析が十分とは言えまい。在外公館の陣容の見直しなど必要な措置を検討すべきだ。危機管理体制を一層強化してもらいたい。

(2013年1月21日01時50分  読売新聞)

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橋下市長の政治的パフォーマンスに根源批判を展開しなければ、自殺を余儀なくされる少年が再びまた…!

2013-01-24 | 日記

昨日と今日の社説に、特徴的な記事が掲載されました。そこで以下の3つの社説に対して、思うところを以下のようにまとめてみました。

 1.橋下市長に対する評価に注目してみました。

2.体罰容認、競争と勝利第一主義、命令と服従を強要する橋下市長の言動、政治姿勢に対する評価がどのようになされているか、そこに注目してみました。

3.今回の「決定」にあたって憲法とこどもの権利条約の視点からみて、子どもが学校の主人公であるかどうか、そこに注目してみました。

4.市教委の「機能不全」を指摘は当然としても、その原因について、どのように捉えているか、注目してみました。

5.文部(科学)省と中央教育審議会が強力に推進してきた「特色ある学校」の具体化として設置された市立桜宮高校の体育科と普通科のあり方について、各紙はどのような捉え方をしているか、そこに注目していました。

 総じて言えることは、「北海道」には小アッパレを、沖縄タイムスには○白丸を、「朝日」には、●黒丸をつけておきたいと思います。

 しかし、特に、以下の記述の部分については、橋下市長の「改革」の本質に関わる部分であり、同時に戦後自民党政権が推進してきた教育政策の根幹に関わる部分、とりわけ安倍自公政権の政策の中心部分にあたるものです。マスコミが曖昧な、傍観者的な、上から目線の記事を書くのは問題と言わなければならないと思いますので、指摘しておくことにしました。

 沖縄タイムス―「手を上げる指導方法が、正当化されている雰囲気がある」と橋下市長が指摘するように事態は深刻だ。…今、優先すべきなのは、まず、体罰の実態を徹底的に調査し、明らかにすることだ。そして、なぜ顧問が体罰を肯定し、周囲も容認してきたのか、背景を解明し、根絶のための対策を議論することだ。 責任の所在を明確化するため

 北海道―生徒が意見を言える環境が整っていれば、いじめや体罰などの問題が起きても常態化には至らないはずだ。市教委や高校には、学校をそうした自由で開放された場にする真剣な取り組みを強く求めたい。

 朝日―体罰容認の実態が改まっていない現状では新入生を迎えられない。今回の中止は、橋下氏がそう発言したのがきっかけだ。…体罰をめぐる意識改革などを、教育現場の自発的な発案、責任ある行動で進めていく。その過程があってこそ、学校は変わっていける。

 以上の指摘をみるにつけ、マスコミが取るべき視点の弱点を指摘しないわけにはいきません。それは憲法であり、第一次安倍政権が改悪した新旧教育基本法であり、子どもの権利条約に対する評価と具体化について、もっと頑張れ!ということ、このことに対する確信です。

 同時に、戦前の大日本帝国憲法観、教育勅語、軍人勅諭と歩兵操典などの思想が、今日の社会や学校に色濃く残っていること、このことを踏まえた記事にすべきであることを強調しておきたいと思います。

 このことを通して、日本の社会の「後進性」を克服していかなければ、第二第三の犠牲者が出てくると思うからです。

 以下、社説を掲載し、特に注目した部分を強調しておきました。

 沖縄タイムス社説[体育科募集中止]生徒へのケア優先せよ2013年1月23日 09時27分

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-23_44296

 大阪市立桜宮高バスケットボール部主将の男子生徒が顧問から体罰を受けた後に自殺した問題を受け、市教育委員会は、今春の同校体育系2学科の募集を取りやめることを決めた。橋下徹市長による入試中止要請を一部受け入れた格好だ。 計120人分の定員は同校の普通科に振り替えるものの、そのカリキュラムはスポーツに特色のある内容にするという。試験科目や通学区域も、これまでの体育系学科と変わらない。 受験生に配慮し、現実的対応で決着した印象だが、一方で、改革をアピールするため、つじつまを合わせた政治的折衷案の感も拭えない。願書提出が迫ったこの時期に、突然、入試の中止を打ち出し、いたずらに受験生を振り回しただけではなかったか。 もちろん一人の生徒が体罰に苦しみ、自ら命を絶った事実は、重く受け止めなければならない。体罰は、子どもの人権を無視した行為であり、学校教育法によって禁じられている。

 その上で、問いたい。今回の募集中止の判断は、改革に向けたプラス効果と、受験生へのマイナスの影響、それぞれを十分検討した結果なのか。 体育科とスポーツ健康科学科は、卒業に必要な単位の約3割を体育関連の科目で占める。全員がスポーツの部活動に所属し、部活と関連した指導に特色があるという。今回、普通科に入学後の教育内容はどうなるのか。市教委は丁寧に説明し、混乱の解消に努めるべきだ。

    ■    ■

 同校では、複数の部で顧問による体罰があったことが明らかになっている。「手を上げる指導方法が、正当化されている雰囲気がある」と橋下市長が指摘するように事態は深刻だ。 バスケ部顧問をめぐっては、体罰の情報が市に寄せられていたにもかかわらず、学校側は顧問からの聞き取りだけで、生徒から事情を聴かずに「体罰はなかった」と市教委に報告していた。学校も市教委も事なかれ主義が甚だしい。 今、優先すべきなのは、まず、体罰の実態を徹底的に調査し、明らかにすることだ。そして、なぜ顧問が体罰を肯定し、周囲も容認してきたのか、背景を解明し、根絶のための対策を議論することだ。 責任の所在を明確化するためにも、一定規模の人事刷新は確かに必要だろう。ただ、予算の執行権限を振りかざしてまで、全教員を異動させよとの橋下市長の要請は、あまりにも乱暴だ。

    ■    ■

 橋下市長は「伝統、校風を一度断ち切り、全く別の学校に生まれ変わらせる」と主張する。だが、その激しい言葉には在校生や保護者から反発の声も上がっている。 在校生は、大人が引き起こした体罰問題の被害者であることを忘れてはならない。体罰の末の自死で仲間を失った事実に傷つき、今は文化系も含めすべての部活動が中止され、動揺が広がっている。 受験生や在校生らを置き去りにすることなく、冷静に議論してもらいたい。(引用ここまで)

 

北海道新聞 体罰と入試 本質論不在の募集中止(1月24日)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/436166.html

 大阪市教育委員会は、部活動の顧問教諭から体罰を受けた生徒が自殺した市立桜宮高校の体育系学科の募集中止を決めた。  自殺した生徒がこの学科に属していたとはいえ、体罰が常態化していたのは、部活動の中だ。  募集中止が体罰の根本的解決になるのか。受験生にしわ寄せが及んでもいいのか。納得できぬ措置と言わざるを得ない。  募集中止を求めたのは、橋下徹市長だ。自らの発言に従わない場合は、予算削減も辞さない構えを示した。市長が圧力で市教委をねじ伏せた構図と言えるだろう。  教育関連予算の編成権は首長にあるとはいえ、これは明らかな教育行政への介入である。  入試まで1カ月に迫ったこの時期に志望学科がなくなった受験生の気持ちを思うとやりきれない。市立中学校長会が、通常通りの入試を市教委に申し入れたのも当然だ。

 橋下市長は、桜宮高校の校長をはじめ全教諭の総入れ替えも求めている。教育を政治的なパフォーマンスの場として利用しているとのそしりは免れまい。現場の混乱は必至だ。 市教委がまず取り組まなければならない本質は、体罰を容認することがないよう、学校教諭の意識改革を進めることにある。部活動を心と体の鍛錬、信頼関係の構築といった本来の姿に戻す努力が不可欠だ。  募集中止に当たって、体育系学科の定員120人分は普通科に振り替える措置が取られるという。  しかし、普通科のカリキュラムの制約から、体育系と同じ授業を行うのは難しい。体育系を目指してきた志望者は、不利益を被ることになる。教育の機会を失わせる由々しき事態だ。 今回はさらに、市教委が問題解決の当事者能力を欠いていたことも明らかになった。  大阪市に体罰の具体的な情報が寄せられていたにもかかわらず、調査を学校任せにし、体罰の常態化を見逃してきた責任は重い。  大津市のいじめ自殺への対応の不手際も含め、教育委員会はまたも機能不全を露呈し、信頼を大きく失墜させた。 迅速かつ自律的に、問題の解決を図る機動的な組織に生まれ変わらなければならない。 募集中止の措置をめぐり、在校生たちが「新入生の受験の機会を奪ってほしくない」と訴えた。 生徒が意見を言える環境が整っていれば、いじめや体罰などの問題が起きても常態化には至らないはずだ。市教委や高校には、学校をそうした自由で開放された場にする真剣な取り組みを強く求めたい。(引用ここまで)

 

桜宮入試中止―わかりにくい折衷案だ 2013年1月24日(木)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_gnavi

 体罰が明らかになった大阪市立桜宮高校の入試について、市教委は橋下徹市長の求めに応じ、体育科とスポーツ健康科学科の入試をとりやめる。  ただし普通科として入試をする。体育系2科と同じ試験科目で受験できる。市教委が市長の顔を立て、同時に入試方式を変えないで受験生に配慮した折衷案での決着だ。  桜宮高校はスポーツを中心にした教育で全国に知られる。体育系2科を志願してきた中学3年生にとっては、入試中止の事態は避けられた。  とはいえ、わかりづらい点も少なくない。市教委はスポーツに特色のあるカリキュラムにする方針だ。「勝利至上主義ではなく他者を慈しむ心を育てる」というが、具体的に何を教えるのか。体育系2科と比べて履修教科に変更はないのか。出願まで1カ月を切っており、早急に示す必要がある。 来年度、市教委は改革の進み具合をみて学科のあり方を再検討するともいう。体育系2科が復活するのか、普通科で入学した生徒は編入できるのか。不安を抱えたままの受験となる。 体罰容認の実態が改まっていない現状では新入生を迎えられない。今回の中止は、橋下氏がそう発言したのがきっかけだ。 高校受験は人生の大事な節目である。本来、受験生にしわ寄せがいくのは好ましくない。  学校教育は生身の人間が主役であり、改革も現場主導が、あるべき姿だ。だが今回、橋下氏が前面に乗り出した。 もとのまま入試が実施された場合の予算執行停止にまで言及して、市教委を追い詰めたことには強い違和感が残る。  入試の中止に加え、教員の全員入れ替えなどのかけ声が先行し、学校やクラブ活動をどう良くするかという本質論が先延ばしになったのは残念だ。  入試の中止が決まった日、桜宮高校3年の運動部元キャプテン8人が市役所で記者会見し、「勝利至上主義ではなかった」「市長には生徒の声をもっと聞いてほしい」と訴えた。 市長が直接、方針を示す「荒療治」を是とする意見もある。社会には、教育現場への不信感があるのも事実である。 だが、橋下氏は生徒の声にもっと耳を傾けるべきだったし、一方的な発言で対立を深めるのでは、根本的な問題解決の糸口はつかみにくい。 体罰をめぐる意識改革などを、教育現場の自発的な発案、責任ある行動で進めていく。その過程があってこそ、学校は変わっていける。(引用ここまで)

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橋下市長を改革者に仕立て上げるマスコミに渇!橋下市長の扇動責任の真実を全国的に明らかにすべき!

2013-01-23 | 日記

大阪市立桜宮高校の父親が顧問を警察に訴えたとの報道に接し、賛同します。ご両親、ご親戚、関係者の皆さんの「勇気」と言ったらいいのでしょうか?何と表現してよいものやら、判りませんが、これで、法的な場で真相が解明されることを希望します。

 読売新聞 高2体罰自殺、父親が顧問を暴行容疑で告訴(1月23日21時38分)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130123-OYT1T00947.htm?from=ylist

 毎日新聞 大阪・高2自殺:父親が体罰の顧問を暴行容疑で告訴 01月23日 19時46分

http://mainichi.jp/select/news/20130124k0000m040045000c.html

 生徒の父親がバスケ部顧問を刑事告訴 大阪府警が受理 2013.1.23 15:58 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130123/waf13012315590030-n1.htm

 「体罰」は教育の場において、「指導」でないことは、戦前から判っていることでした。しかし、「命令」に「服従」させる人間をつくるために、人間を「鋳型」にはめ込むための最良の方法として「暴力」が使われ、戦後も継承されてきました。

 この顧問は「指導」の名の下に「暴力」をふるっていましたが、彼なりの「信念」について、世間に、その真実を明らかにすべきです。そのことが「暴力指導」に悩み、苦しみ、自ら命を絶った少年に対する最大の供養というものです。

 しかも加害者としての顧問の認識と被害者としての本人とご両親の認識は大きく隔たっています。これは侵略国と被侵略国の立場の違いと同じです。以下の記事です。

体罰の理由について「キャプテンなので厳しい指導をした」「発奮させるためだった」などと話したという。一方、22日の体罰の回数について、男子生徒は母親に「30~40発ぐらい」と話していたといい、大きく食い違っている。(読売

 そもそも、この少年は、この顧問の指導を容認して、この学校に入学したはずです。そうして新チームになった時、自ら志願して主将になったようです。そこまでは、顧問と少年は「一体感」で結ばれていたと思います。当然「指導」の名の下に「暴力」を受け入れていたはずです。何故ならば、顧問の「体罰」という「暴力指導」は、この少年だけではなかったからです。

 しかし、まさに、顧問との「一体感」が「一線を越えてしまった」、その時、自らが確信をもって行っていた「暴力指導」は破綻したのです。顧問への「一体感」、信頼は崩れていったのでしょう。このことを踏まえ、顧問は真実を明らかにすべきです。そうして「指導」の名の下に行われていた「暴力」によって、この少年の未来を奪ったことに、この顧問は真正面に向き合い、心に刻み、二度とこのような青年をつくりださないことを誓い、生きていくべきです。

 毎日新聞 大阪・高2自殺:体罰の暴走、止まらず 顧問の「王国」で 2013年01月13日 11時23分

http://mainichi.jp/select/news/20130113k0000e040094000c.html

 ここで、改めて、この記事を読むにつけ、橋下市長の責任の重さについて、言及しないわけにはいきません。それは、この桜宮高校は、大阪市の学校であること、この任命権者は大阪市教育委員会であること、この教育委員会に対して絶大なる権限を有しているのは、他ならぬ大阪市長であることです。このことは、橋下市長がもっとも判っていることでしょう。この間の憲法違反の条例や「職務命令」、予算や人事で脅してきたことが、何よりの証拠です。

 しかし、橋下市長の発言から判ることは、彼の頭の中は、全く他人事、無責任で、自己弁護と自己免罪しかありません。だからこそ、スリカエているのです。

こうした手法に対して、マスコミの報道の仕方は、甘い!と言われても仕方のないものです。昨日掲載した「読売」と以下に掲載した「産経」に寄せられている「声」をみると、橋下市長に賛同する内容は、橋下市長の暴力容認、競争扇動に基づく「改革」については、ほとんど知識を有していないようなものが多いのが実情です。

「学校現場でこういう事態が生じたのは大変重く受け止めなければいけない。普通の状態ではない。桜宮高校の在校生や保護者、新入生は自分たちでこの学校をどうするのか徹底的に話し合い、再生に向けて頑張ってもらいたい」(毎日

「大変重く受け止めなければならない。在校生も保護者も新入生も学校再生に向けしっかり議論をしてほしい」(産経

 以上のように体罰を容認し、「命令」による「服従」を「改革」と掲げてきた橋下市長自身の手法も検証すべきです。以下の指摘に、どのように応えるか。いっさいのゴマカシは許されません。

 (1)反響続々「入試中止」は是か非か2013.1.21 12:17

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130121/waf13012112200009-n1.htm

橋下市長は当初、クラブ指導現場での体罰を「あり得る」と容認するような発言をしたが、12日に遺族と面談後「自分の考えが間違っていた」と言明。その後「問題を黙認してきた過去の連続性を断ち切るため」などとして、桜宮高体育系2科の入試中止や教員の総入れ替えを市教委に要請。受け入れられない場合、市長の権限で、入試に必要な予算を含めて支出を認めない考えまで示した。(引用ここまで)

 この論理には大きな飛躍とスリカエがあります。彼のやるべきことは、少年がやむなく命を絶ったからこそ、二度とこのようなことを起こさないためにも、彼の「改革」、すなわり学校づくりにどのような影響を与えて言ったか、検証すべきです。これこそが少年への「供養」であり、ご両親やご家族への首長、最高責任者としての「責任」の取り方です。

 毎日新聞 大阪・高2自殺:体罰の暴走、止まらず 顧問の「王国」で 01月13日 11時23分

http://mainichi.jp/select/news/20130113k0000e040094000c.html

市教委は同一校での勤務を原則10年までと定めるが、同校は職員42人のうち体育科を中心に13人が勤続10年超。元校長から何度も異動を勧められた顧問は「学校に貢献したい」として残留し続けた。(引用ここまで)

 マスコミも、この視点で報道してこそ、「指導」という名の「暴力」=人権侵害がなくなっていくことを肝に銘じるべきです。

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世論は体罰・服従を扇動した橋下市長の免罪を許さず責任を取らせるべき!橋下市長は潔く責任を取るべき!

2013-01-22 | 日記

大阪市立桜宮高校の体罰による生徒自殺事件は、同校の入試中止問題によって終わらせてはなりません。

 

昨日の「決定」について、各紙はどのような社説を掲載したか、注目すべき指摘を掲載してみました。その中でとりわけ注目すべきところは、ゴシックの部分です。

 

読売―橋下市長の主張をそのまま指摘しています。こうした報道が橋下市長擁護の意見となって表れていいます。渇!

日経―橋下市長の言動や今回の市教委の決定に対しても厳しく批判しています。アッパレ!

東京橋下氏のそんな強硬姿勢が異論を封じ込めたことの意味は、体罰で服従を強制するのと同じです。橋下市長の政治的パフォーマンスに対してもっともっと厳しく批判すべきです。

京都―橋下市長の市教委脅しとその手法、体罰問題と入試中止問題のスリカエを批判しています。アッパレ!

徳島―橋下市長と市教委を厳しく批判しています。特に意に沿わなければ力で従わせる。体罰やいじめの構造と根っこは同じではないのかとの見解はアッパレ!

 

桜宮高体育入試 深刻な体罰が招いた中止決定(1月22日付・読売社説)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130121-OYT1T01510.htm?from=ylist

入試を中止せざるを得ないほどに、桜宮高の体罰問題が深刻だという判断だろう。

 橋下市長は「体罰を容認する風潮が残っている状況で新入生を迎え入れることはできない」と主張した。入試を実施する場合には、市長の予算執行権を行使し、入試関連予算の支出を凍結する可能性にも言及していた。5人の教育委員のうち、教育委員長を除く4人が「入試を継続すれば、学校改革につながらない」などと市長に同意した。勝利至上主義の下、体罰を常態化させた学校の体質を根本から変えることを重視した結論と言えよう。…橋下市長が入試中止を求めた背景には、桜宮高や市教委への不信感がある。…橋下市長は市教委に、桜宮高の運動部顧問の教師を入れ替えることも求めている。 少なくとも、体罰を行った教師については、厳しい処分と異動が必要だ。適切な人事配置で体罰の根絶を図らねばならない。

 入試中止で体罰がなくなるか  2013/1/22付 http://www.nikkei.com/article/DGXDZO50851820S3A120C1EA1000/

体罰を生む体質を残したままで新たに生徒を受け入れるべきではない」として、橋下徹市長が入試中止を強く求めていた。

 これに沿った決定だが、体罰問題を新規の生徒募集停止に結びつけるのは筋が違う。しかも入試は来月に迫っていたから混乱も避けられまい。あくまで市教委の多数決で決まったとはいえ、橋下氏の強引さを物語る展開である。 市教委は2つの科の入試を中止する一方で、志願者を普通科に振り替えたうえ、試験科目はもとの2つの科と同じにするという。いわば折衷案だが不自然な選抜方法であり、そもそも今回の判断に無理があることを示している。…こうした問題の背景には、外部の目が届きにくく、都合の悪い事実を隠蔽しがちな教育界の閉鎖性がある。いじめ問題にきちんと対応できない学校や教育委員会の失態と同根だ。桜宮高だけをやり玉にあげて済む話ではなく、地道で構造的な改革が欠かせない。 橋下氏も本来は同様の認識を持っているはずだが、唐突に「入試中止」を唱えはじめ、市教委が拒否すれば予算を止めるとまで発言をエスカレートさせてしまった。受験生はチャンスを失ったとしても「生きているだけで丸もうけ」などと口走ってもいる。 不用意な言動で、体罰問題の議論を矮小化させた非も大きいと言わざるを得ない。

 桜宮高入試問題 子どもの夢が奪われる 2013年1月22日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013012202000133.html

橋下徹市長の要請に市教育委員会が折れた形だ。大人の一方的な理屈で落ち度のない子どもの夢が奪われるのは残念だ。…全教員を異動させ、体罰を容認する伝統や校風を断ち切り、生まれ変わらせる。市教委が入試の中止を拒否するなら予算を出さない。橋下氏のそんな強硬姿勢が異論を封じ込めた。…自らの実力ではなく、いわば大人の論理で未来への門戸が閉ざされたのだ。教育行政への不信感が募りかねない。 在校生は「人生の一部である新入生の受験の機会を奪ってほしくない」と訴えた。橋下氏も市教委も、子どもや保護者の声をもっと真摯(しんし)に受け止めるべきだった。…橋下氏は弁護士らの外部監察チームをつくり、市教委と共に徹底調査に乗り出したはずだ。優先すべきは入試の中止ではなく、実態を調べて勝利至上主義の風潮を改め、責任を明確にして再発防止につなげることだ。 それがバスケを愛しながら自殺に追い込まれた男子生徒の思いに報いることになると考える。体罰の真相さえ判然としないのに、罪のない受験生や在校生に負担を与えるやり方は理解できない。…桜宮高では体罰が発覚したバスケ部やバレーボール部だけではなく、文科系を含めてすべての部活動を自粛している。子どもへのしわ寄せが大きすぎる。…政治的パフォーマンスが感じられる橋下氏に対し、市教委は見識を示せなかったのか。

 桜宮高募集中止  受験生に最大の配慮を [京都新聞 2013年01月22日掲載]

http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/index.html

激変回避のためとするが、大人のメンツ争いに入試目前の、何の落ち度もない受験生を巻き込んだ罪は重い。…だが、教員の総入れ替えや、まして廃校を急いで体罰の再発防止策が十分に練れるだろうか。橋下市長が入試中止方針を突然ぶち上げたことで、問題がその是非にすり替わってしまった印象も強い。
 橋下市長はきのう男子生徒の自殺後初めて同校を訪れたが、生徒代表らからは「人生の一部である新入生の受験の機会を奪ってほしくない」と悲痛な声が上がった。物事を単純化して勝ち負けをつける橋下流の政治手法に最も翻弄されたのは誰あろう子どもたちだ。
 教育委員の判断にも首をかしげる。入試中止の是非を検討するため同校を訪れ、生徒の切実な声を直接聞いたはずである。にもかかわらず、なぜ結論が中止なのか。
 市教委の予算執行権を盾に強硬姿勢を崩さない橋下市長に屈する形で受験生へのしわ寄せの方に目をつぶったのならあまりに情けない。

徳島新聞 桜宮高体育系入試 中止の判断は不可解だ 1月22日付

http://www.topics.or.jp/editorial.html

体育系で能力を伸ばしたいと同校を目指していた受験生に配慮した措置と言えよう。しかし、それで不安を拭えるのかどうか。市長の強硬姿勢に屈し、生徒や保護者を犠牲にしたと批判されても仕方ないだろう。…だが、教諭が起こした不祥事は本来、教諭自身や学校、教育委員会が負わなければならない責任である。関係のない生徒や保護者に負わせるのは筋違いだ。…生徒の間にも動揺が広がっている。同校体育科3年の女子生徒は「市長から大切な学校を侮辱され、多くの生徒が傷ついた。私たちの先生を奪わないで」と訴えている。「市長が『伝統を断ち切る』と言ったことに、娘は泣いていた」とは、別の女子生徒の母親の話だ。
 市長は、市教委が入試の中止や教諭の異動を拒否した場合、給与などの人件費を執行しない意向も示した。予算を「人質」に取るようなやり方は乱暴と言わざるを得ない。
 意に沿わなければ力で従わせる。体罰やいじめの構造と根っこは同じではないのか。体罰が禁じられている理由の一つは、力による解決への志向を助長させるからである。この問題の行方を見つめている子どもたちへの影響が心配だ。
 「体育系学科の新しい教育方針が決まっていない現状では、受験生を迎えることはできない」というのが市長の主張だが、新たな教育方針を定めることと入試を行うこととは別の問題だろう。
 体罰が常態化していた実態と原因を解明し、二度と悲劇が起きないようにすることが市や市教委に課せられた責務だ。その教訓と対策を全国の教育関係者も共有できるようにしてほしい。(引用ここまで)

以上の社説を読んだ観想をまとめてみますと、以下のようになります。
1.橋下市長の脅しに屈した市教委、その手法は、子どもに責任を取らせることでは完全に一致しています。

2.橋下市長の脅し手法は、体罰教師、いじめの構造と同じとの評価は示唆に富んでいます。

3.橋下市長が府知事時代、市長就任時にどのような主張をして、どのような条例制定を行ったか、そうした政治姿勢が、部下である現場の教師たちにどのような影響を与えていったか、更なる検証が必要です。

4、以上の指摘から思うことは、橋下市長の犯罪的役割について、さらなる検証が必要でしょう。

5.「市長から大切な学校を侮辱され、多くの生徒が傷ついた。私たちの先生を奪わないで」との訴えから思うことは、子どもの権利条約の意見表明権です。この視点での報道がもっとなされるべきです。

 大阪・桜宮高体育科入試を中止 橋下市長に生徒ら抗議、“受験の機会奪うな”

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-22/2013012201_01_1.html

 なお、以下の読売の記事には、大アッパレを送りたいと思います。読売の読者欄は、朝日と比べても、公平さを感じることはありません。その読売が、ネットではイメージチェンジです!

Biz活 みんなのYes/No

http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/yesno/?from=yoltop

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体罰、いじめを人権問題として意味づけられるかどうか、ここに解決の糸口がある!

2013-01-21 | 日記

市立高校の体罰による自殺事件をみていて思うことは、人権と民主主義を教えていかなければならない学校において、人権と民主主義が保障されていないことが判ります。

 以下の記事が、それを物語っています。信じられませんが、人権と民主主義という言葉すらないのです。

 そのような言葉を使わなくても、当たり前のように思うかもしれないが、このことは、人権と民主主義を学び、継承していく子どもらが、どれだけ、人権と民主主義の大切さを理解しているか、でしょう。

 人権と民主主義を受け継いでいくためには、まず、この理念について、歴史はどうなっているか。どのようにしてこれらが、現在の自分たちの生活を守っていてくれるか、どうやって学んでいくか、どうやって自分たちで、つくり発展させていくか、そのようなことを学校でどのように学んでいるか、そこの点を検証していく必要があるように思いました。

 

15歳のニュース:公立学校、減らぬ体罰 「感情的に」「激高して」 /大阪 毎日新聞 2013年01月19日 地方版

http://mainichi.jp/area/osaka/news/20130119ddlk27100413000c.html

 

一掃へ意識改革徹底を 根強く残る体罰 2013年01月21日 12:46 http://www.chibanippo.co.jp/c/serial/119400

 

大阪・高2自殺:体罰は許されない「運動部だけでなく学校全般で」−−県立学校長会で県教育長 /和歌山 毎日新聞 2013年01月17日 地方版

 ◇今年度4〜8月、いじめ236件も報告

http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20130117ddlk30040346000c.html

 

これでは体罰やいじめはなくならないでしょう。子どもの中に人権を擁護する責任、そのための民主主義を学級や授業や部活動で使うという発想が培われないからです。

 そういう意味で、文部科学省や行政の責任は重いと思います。学校と教師は、国家や行政の下で、意見を言えるような民主主義が現場で保障されているとは言えないと思うからです。

 具体的にどうか、今後注目していきたいと思います。今日は時間がありませんので、これで終わります。

 それにしても桜宮高校の入試問題、玉虫色の解決のようです。15の春は泣かせない!ことになったかどうか、検証して見たいと思います。それにしても、橋下市長を改革者のように演出させているマスコミの犯罪的役割は指弾されねばなりません!

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