愛国者の邪論

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高村自民党副総裁の立憲主義と最高裁判決を口実とした集団的自衛権行使論を墓場に!

2014-04-01 | 集団的自衛権

自民党の世論誘導装置「安保法制整備推進本部」が、いよいよ始まりました。昨日は、顧問の高村正彦副総裁が、欺瞞の珍論・詭弁を展開。いつものことですが、マスコミは、この暴論を無批判的に垂れ流しました。これについては、すでに昨日、一覧しました。

高村氏の考えの中心点は、すでに「国の存立を守るため最高裁が認める必要最小限度の自衛権の範囲内であれば憲法解釈の変更で(集団的自衛権を)行える」と、産経新聞で語っています。最大の特徴は、憲法改悪のハードル、憲法96条の改正要件のハードルを引き下げようとした発想・狙いが、国民的批判に晒されて頓挫したために考案された詭弁です。

これを読んで、あまりの大ウソとデタラメ、ゴマカシ、スリカエの酷さに怒りが沸いてきました。これは身勝手の極致と言わなければなりません。この「論理」が「丁寧な説明」として流布されること、自民党がつくった土俵で相撲を取らせる意図をもっていることは明らかです。これこそがナチスの手口です。そこで、高村氏の発言のポイントを以下にまとめてみました。ご覧ください。

高村氏は立憲主義を尊重しているか!

高村氏は自分の珍論・暴論を正当化するために「憲法に権力を縛る側面(立憲主義)があることは、時代が変わっても変わることはない。その立憲主義を守るため、日本国憲法には三権分立という制度がある」と言っています。これも、一見すると正当のようですが、閣議決定で集団的自衛権行使論を正当化するために持ち出してきたデタラメ論です。以下ご覧ください。

1、国権とは、三権のことであり、その三権とは、憲法によれば、立法(第三章)・行政(第四章)・司法(第五章)に明記されている権限のことです。高村氏は、その順序と役割をゴマカシています。

2.高村氏は、主権の存する国民による「正当性に選挙された」国会は、「国権の最高機関」、「唯一の立法機関」という規定をゴマカシています。行政権である内閣の職権(第73条)は、国会に優先しません。

3.司法の「独立」性ですが、その根底には、国民主権主義があります。

(1)すべて司法権は…最高裁判所…下級裁判所に属する(憲法76条)

(2)「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法76条)

(3)「最高裁判所の長たる裁判官」は「内閣の指名に基いて」「主権の存する日本国民の総意に基く」「天皇」(憲法第1条)が「任命」する(憲法第6条)

(4)「最高裁判所の裁判官の任命」は、「国民の審査に付す」として、主権在民主義を明記しています。

(5)最高裁判所の「長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する」(憲法79条)

(6)内閣は、「その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣」で「組織」(憲法66条)し、内閣総理大臣は、「国会議員の中から国会の議決」で、「指名」(憲法67条)するとあります。

(7)憲法の最高法規性(第10章)をみれば、日本国憲法の根底に、国民主権主義と人権尊重主義が二重三重四重と幾重にも貫かれているのです。この思想と制度によって議会制民主主義と平和主義・国際協調主義の具体化が展望されているのです。これが日本国憲法の立憲主義というものです。

以上を前提とするのであれば、これまで、自民党政権自身が根拠としてきた集団的自衛権行使論の不採用を、閣議決定で集団的自衛権行使論を正当化できないことは、これだけも判ります。そもそも憲法96条の改正要件が「各議院の総議員の三分の二以上」と、国会の重要性を明記しているのは、国会が国権の最高機関であるからです。それは主権在民主義が土台です。簡単に言えば、偉いのは国民です!

高村氏の根拠とする「最高裁判決」は集団的自衛権行使論を認めていない!

昨日の自民党の本部会議の講演で、高村氏は、「最高裁判所は、個別的自衛権と集団的自衛権を区別せずに、自衛権について『平和と安全、国の存立を守るための措置は当然取りうる』と言っている」としています。NHKも、「今の憲法の下でも必要最小限度の範囲に限定すれば、集団的自衛権の行使は容認されるという認識を示した」と報道しました。これについては、

1.高村氏の根拠とする最高裁判決の内容は、「自衛権·戦力·駐留軍 砂川事件 最高裁昭和34年12月16日大法廷判決」にありますが、そのポイントは、

一つには、安保条約は高度の政治性があり、司法の審査権は及ばない、いわゆる違憲審査権を回避したこと、立憲主義を否定したこと、

二つには、駐留米軍は、米軍の指揮管理権下にあり、日本の指揮管理権が及ばないから、憲法九条の「戦力」にはあたらないとしたことです。

2.高村氏の詭弁は、「最高裁判所の判決は、集団的自衛権そのものについて判断を示したわけではない」(27日公明党北側副代表)とあるように飛躍を通り越しています。

3.これについては、「現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない(南野南野森 | 九州大学法学部准教授 2014年3月7日」をご覧ください。

4、もう一つは、そもそも、この最高裁判決のデタラメさについて、問題にしていないことです。

(1)それは、いわゆる「砂川事件」の判決、「日本における米軍の駐留は憲法違反と断定した東京地裁の伊達判決」(昭和34(1959)年3月30日)を、政府と最高裁判所は、高裁を飛び越して、いわゆる「跳躍上告」によって、一審違憲判決を破棄・差し戻したのです。この最高裁大法廷判決昭和34(1959)年12月16日)に到る「経過」を黙殺していることです。

(2)その「経過」とは、マッカーサー駐日大使が、藤山外務大臣や田中耕太郎最高裁長官らと「密談」、さらに米国政府の意向を受けた駐日米大使館首脳と密談・謀議し、裁判日程や内容などを「報告」し、伊達判決を覆した「経過」を黙殺していることです。これについては、すなわち駐留米軍を違憲とした、いわゆる伊達判決を、「米国に屈して」というか、「追随して」、裁判所法75条にさえ違反して、国家主権と国民主権にもとづく立憲主義を否定した田中耕太郎最高裁長官を免罪していることです。

(3)この偽りの最高裁判決によって、戦後の日米関係と自衛隊、安全保障論がまかり通っていったのです。それが現在、当たり前のものして認知されてきている憲法と日米軍事同盟と自衛隊の関係なのです。偽装・偽造のオンパレードと言わなければなりません。

これについては、以下をご覧ください。マスコミは、以下の「密談」「密約」を検証した報道をすべきです。このことを検証してことこそ、問題の解決の展望がでてくると確信するものです。

末浪靖司『九条「解釈改憲」から密約まで 対米従属の正体 米公文書館からの報告』(高文研12年6月刊)

布川玲子・新原昭治編著『砂川事件と田中最高裁長官 米解禁文書が明らかにした日本の司法』(日本評論社13年11月刊)

伊達判決=日本の国家主権(司法の独立)の放棄·干渉した日米政府 ... 2013年4月8日

これに関しては以下記事にしましたので、ご覧ください。

日米軍事同盟推進派の情報隠蔽操作がもたらした国家主権侵害の事例=砂川・密約犯罪に何故怒らないか! (2013-11-11 11:18:01)

(4)そもそも憲法九条の淵源は、戦争を違法化した不戦条約と軍国主義と侵略戦争を否定し、民主主義の復活強化をめざしたポツダム宣言にあります。戦前、植民地膨張・侵略主義を推進するために「ABCD」包囲網論と「鬼畜米英」を叫び、国民を塗炭の苦しみに陥れた輩が、冷戦のなかで、アメリカが世界戦略として打ち出した「反共の防波堤」論に飛びつき、自らを延命させるためにポツダム宣言と「戦力」「不保持」を棄て、警察予備隊から保安隊、自衛隊を創設した歴史を黙殺しています。

(5)同時に、この砂川判決を否定した最高裁判決が、いわゆる60年安保闘争と言われた日米安保改定直前に急いで出された政治的背景を黙殺していることです。

(6)このことは、「砂川事件」(昭和32年7月)を「違憲」と裁いた「伊達判決」(昭和34(1959)年3月30日)を覆した「最高裁判決」(昭和34(1959)年12月16日)の裁判「経過」、その「慌てぶり」を無視して紹介するマスコミが、高村氏のゴマカシに加担していることです。どの記事も、「伊達判決」から「最高裁判決」までの時間について記事にしていません。しかし、そのことで、いっそう、その歴史の偽装・偽造ぶりが浮彫りになります。

特にNHKと産経の説明をご覧ください。トリックの典型です。ということは、最高裁判決を持ち出す高村氏の最大の弱点が、ここにあるのです。以下一覧してみます。

①集団的自衛権について最高裁判所は「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」(1959年の砂川事件の判決)と、行使は当然だと言っている。これまで内閣は抑制的に「必要」を「必要最小限度」と解してきたが、戦争や侵略といった最大の人災で想定外という言い訳は許されない。集団的自衛権の分類に属するものでも、すべての行使が許されないのか。最高裁判決の範囲内で検討するのは、内閣の国民に対する義務(朝日

②国の存立を守るため最高裁が認める必要最小限度の自衛権の範囲内であれば憲法解釈の変更で行える(産経

砂川事件 昭和32年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対し基地内に侵入したデモ隊への刑事罰をめぐり、日米安全保障条約と米軍駐留の合憲性が争われた裁判。34年12月、最高裁大法廷は判決で、日本国憲法について「主権国として持つ固有の自衛権を何ら否定されたものではない」と判断。「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」とした(産経

④高村副総裁は、在日米軍の合憲性が争われた1959年の砂川事件の最高裁判決に言及し、「個別とか集団とか区別せず、国の存立をまっとうするために必要な自衛の措置を取ることは当然であると(判決は)言っている」と指摘。集団的自衛権にはさまざまなケースがあるとした上で、一部は最高裁が認めた自衛権の範囲内であり、憲法の解釈変更で対応可能と語った。(ロイター

⑤高村氏は「自国の存立を全うするために必要な自衛措置を取りうるのは当然」とした1959年の最高裁判決(砂川判決)を紹介。日本近海での米国艦船の護衛を例に挙げ、必要最小限の行使は合憲と強調した。(毎日

⑥「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛措置を取り得るのは当然」とした1959年の最高裁判決(砂川判決)を示し、日本近海での米艦船防護といった必要最小限の集団的自衛権行使は認められるとの見解を表明した。(時事

⑦自民党の高村副総裁は先週、「昭和34年に最高裁判所は『平和と安全、国の存立を全うするための自衛権の行使は当然できる』という判決を出している。安倍政権は、十把一からげに集団的自衛権を認めようとしているわけではない」と主張しました。(NHK)

⑧安倍首相は28日、自民党の高村副総裁と首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈見直しで、日本の存立のために必要な自衛権の行使は認められるとした砂川事件を巡る1959年の最高裁判決に基づき、集団的自衛権の行使を限定的に容認する考えで一致した。(読売

⑨高村副総裁は講演で、自国の存立に必要な自衛措置は認められるとした1959年の最高裁判決(砂川判決)を根拠に、「個別的とか集団的とか区別せず、国の存立を守るための措置は当然あり得る」として、必要最小限度であれば集団的自衛権に当たる行為は可能(時事

⑩【最高裁の判決とは

集団的自衛権の行使容認を巡って、自民党内で始まった論議で取り上げられたのは「砂川事件」の裁判です。裁判では、憲法9条と自衛権の関係が審理の過程で焦点となりました。昭和34年、最高裁判所は判決の中で、「戦力の保持を禁じた憲法9条の下でも、主権国として持つ固有の自衛権は否定されない」と指摘しました。砂川事件は昭和32年、東京のアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に立ち入り、学生ら7人が起訴されたものです。1審の東京地裁は「アメリカ軍の駐留を許した日米安全保障条約は、戦力の保持を禁じた憲法9条に違反している」として、全員を無罪としましたが、2年後の昭和34年、最高裁は「日米安保条約は、わが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の対象外だ」としてこれを取り消し、その後、7人全員の有罪が確定しました。この裁判の審理で焦点になったのが、憲法9条と日本の自衛権の関係で、この点について、最高裁は「戦力の保持を禁じた憲法9条の下でも、主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されない」としたうえで、「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を取りうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない」と指摘(NHK

つづく


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