安倍晋三首相は3日夜、自民党鳩山邦夫総務相主宰の政策グループ「きさらぎ会」が都内で開いた会合に出席し、過激派組織「イスラム国」による人質事件を受けて「日本は変わった。日本人にはこれから先、指一本触れさせない。その決意と覚悟でしっかりと事に当たる」と述べた。出席した河井克行衆院議員の説明によると、鳩山氏が「首相が『(テロリストたちに)罪を償わせる』と言ったことは、国民として本当に安心した」と述べたのに対し、語ったという。(引用ここまで

さて、皆さん、安倍首相の「覚悟と決意』何でしょうか?「日本は変わった」って、愛国者の邪論は何も変わっていません。

フツーの日本国民はどうでしょうか!貧困に苦悩する日本人は?安倍首相に「切れ目なく生活の安心を保障してほしい」と願っている国民は?

安倍首相の頭の中には、毎日毎日苦闘している国民の命や生活の安心・安全などには関心はないのでは?それは、あの東日本大震災というトンデモナイ経験をしたのに、そっちには全く関心がないことが、安倍首相の、この言葉で、いっそう浮き彫りになりました。

安倍首相の頭の中には、放射能汚染に怯える国民、仮設住宅で、震災関連死の脅威に怯えている国民、生活保護を受けざるを得ない国民の悲哀や苦悩、認知症への不安におびえている国民などなど、フツーの生活の中で体験している「テロ」以上の「恐怖」・諸「欠乏」など、全く想定できないのです。

人質の命を守れなかった「責任」について、口にはしましたが、「イスラム国」の「責任」だけに国民の目を向けさせています。しかも感情的です。あらん限りの感情を振りまいているのです。国会議員も、その質問の際には、必ず「イスラム国」の「蛮行」に抗議する日本語を並べています。今や日本においては、「イスラム国」は、残虐非道を糾弾する「枕詞」となっています。この枕詞を言わないと、「テロとの戦い」に参加しない「テロに屈した人間」とみなされるようなモードになってきています。

しかも、安倍政権の対応は「間違っていなかった」との「閣議決定」をつくったのです。これこそ、一方的なものです。この思考回路は、「イスラム国」の「身勝手さ」と同じです。何故か。周囲の意見に耳を傾けないという意味においては、安倍首相も同じです。

湯川さんの拉致以来、二人の映像が公表されるまで、安倍政権は人質問題について、どんな手を尽くしてきたか、「丁寧な説明」をしているでしょうか。

安倍首相は、質問されると、また批判されると、スリカエる。質問を単純化して詰められても、長々と、質問の趣旨とは大きくかけなれて、長々と自説をまくし立てて、スリカエる。ゴマカスのです。ヤジられると、黙って答えない。ヤジがなくなるまで答弁拒否をする。本質を突かれるからです。それがイヤでイヤでたまらなのです。暗記している言葉・フレーズが途切れるのを嫌っているのです。

今日も「仮定の話には答えられない」と答弁を拒否。スリカエました。しかし、その「仮定の話」に基づいて集団的自衛権のバージョンを創って閣議決定をしたのは、他ならぬ安倍首相自身です。こんな簡単なことが、国会議員の『先生』、マスコミも判っていないのです。

質問者も、この点を踏まえて、安倍首相に「いい加減にしろ!」と大喝を入れていません。国会も、安倍首相の答弁の仕方について、ルールをつくっていません。全くズルズルと安倍首相ぺースで事が進められているのです。

こんな「議論」「討論」にもならない国会で、事が進行しているのです!しかも、人質解放に向けて具体的に何をやっていたのか、質問されると「テロとの戦い」を口実に「非公開」であるとダンマリです。こうした対応そのものが国民の不信を招いていくようにしなければなりません。

肝心要の部分を公開しないことそのものが「特定秘密保護法」の具体化と言えます。これが許されるならば、何でもアリ!ということになります。その点で、大変危険なところに来ているように思います。

以上のことを踏まえると、ここに、人質を残虐な方法で虐殺された、いや虐殺に手を貸して、それを「イスラム国」の責任に転嫁して、身勝手な、自分の思惑を中心に、日本を動かしていこうという野望が透けて見えてきたという以上に、そのネライが一気に浮き彫りになったということです。

安倍首相派が「それは違う!」というのであれば、二人の日本国民の命を守るために、どのようにして、真摯に、何をやってきたか。ハッキリさせるべきです。確信・自信があるなら!