安倍首相の訪米前から昨日までの日米軍事同盟について「琉球新報」がどのような社説を掲載していたか、検討してみました。そこから見えてくるものは、以下のとおりです。
1.「社説」は、以下に見るように、日米軍事同盟の対米従属性・屈辱性を自覚していながら、なお、日米軍事同盟を廃棄して、対等な日米平和友好条約を締結しようという展望を示すことができていません。
(1)首相の日米同盟復活宣言は、基地の過重負担の軽減を切望する県民からすれば、対米追従路線の拡充・強化としか映らない。
(2)日米安全保障体制が沖縄の犠牲の上に成り立っている状況を抜本的に改善しない限り、日米関係の強化も完全復活も、幻想にすぎないと自覚すべき
(3)米軍が<オスプレイの安全確保策(日米合同委合意)を>完全に順守することなどあり得ないことを、米軍の実態を知る日本政府は百も承知だったはずだ…安全確保策のウソが今回の訓練で全国的にも露見する
(4)基地問題が実は日本の外交、政府の体質の問題である
(5)普天間飛行場周辺で市街地上空の飛行が常態化するなど、日米が沖縄への配備を前に声高にPRした「安全宣言」と称する合意事項は、全く守られていない。
(6)米本土では、住民の反対で低空飛行訓練が延期されている。なぜ、日本ではやすやすと実行できるのか。既成事実化は許されない。国民の安全確保に背を向け、米軍に従う政府の姿を、本土から、沖縄から厳しく問わなくてはならない。
(7)安倍晋三首相は式典開催の意図をこう(「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と)説明した。国を憂える政治家として面目躍如たる思いだっただろうか。しかし脳裏のどこにも、沖縄にとってその日が「屈辱の日」であることは浮かばなかったようだ。
(8)いまや「日本の沖縄化」の指摘も聞こえてくる。外国軍機が飛び交う現実を前に、これが主権ある独立国家の姿だと、誇りを持って言えるのか。2004年の米軍ヘリ沖国大墜落事故の際には、県警が米軍に締め出されて現場に近寄れないという主客転倒の事態まで起きた。米軍普天間飛行場移設問題やオスプレイの配備強行に象徴されるように、日本政府の対米追従姿勢はあまりにふがいない。(引用ここまで)
2.何故、「琉球新報」は日米軍事同盟の廃棄・日米平和友好条約の締結を要求できないのでしょうか?その原因は、以下の二つにみることができます。
《1》沖縄の基地の負担軽減をアメリカに「期待」「お願い」するという立場です。アメリカに「押し付け」られているという発想はありません。日米関係を主従の関係として捉えてはいません。完全に対等という認識ではありませんが、従属しているのは、日本政府側の問題だと考えているのです。
以下の社説の言葉に、その思想が見えてきます。
(1)議員時代にイラク戦争に反対し、核軍縮政策を唱えるなど穏健派として知られるヘーゲル氏には軍の論理を強硬に振りかざすことなく、民意を尊重する民主的安保への転換を強く求めたい。
(2)沖縄側からすれば大勢に流されない同氏の正義感、時代を洞察する力にこそ期待したい。米軍普天間飛行場問題をはじめ沖縄の過重負担解消で手腕を発揮してほしい。
(3)日米関係への信頼も瓦解(がかい)寸前だ。日米指導層は自らの思考停止が両国の民主主義をも危うくしていると気付くべきだ。軍事・輸送技術の革新、同盟・友好国の連携強化など安保は進化している。森本敏元防衛相ら軍事専門家は普天間移設先が沖縄であることの軍事的合理性を否定している。日米の政治決断により「普天間抜き」の安保体制の運用は十分可能なはずだ。
(4)米国防総省はアジア太平洋地域重視の新国防戦略に沿って、グアムを新たな軍事拠点にする計画を進める。在沖海兵隊は戦闘部隊を移すグアムを拠点にハワイ、沖縄、オーストラリア北部へ巡回配備するなど分散配置する方針だ。へーゲル氏も米軍のプレゼンスがアジア太平洋地域で果たす役割を認める現実主義者であり、今後、米国の軍事的優位性の保持と沖縄の負担軽減が追求されよう。
(5)日米は惰性に流されず、普天間日米合意見直しを含め安保政策を点検すべきだ。国民の信頼に根差した日米関係再構築で新国務・国防両長官の大局観に期待したい。
(6)航空輸送の発達や軍事作戦の質的変化などにより、海兵隊の常駐は沖縄にも日本にも不要だ。政府がどうしても日本に必要と考えるなら、オスプレイの訓練だけでなく海兵隊を丸ごと県外に移転してもらいたい。
(7)「4・28」後の日本の実態は「従属の日々」なのではないかとさえ思える。(引用ここまで)
《2》従属している日本政府の側の問題のみに関心を持っているからこそ、というか、「沖縄差別」論から論じているからこそ、日米軍事同盟を廃棄するなどという発想は微塵も出てこないのです。アメリカの「日本差別」論・「見下し」論は微塵もありません。日本政府、政治家、官僚をして米側を忖度させるアメリカの圧力はほとんど問題になりません。基地の負担を課している、地位協定を無視しているアメリカなのに、です。それは日本政府の側の問題だと、マジで思っているのです。
以下の指摘にも、明確に出ています。
(1)県外移設を拒む政界や官僚機構の背後に潜むのは沖縄差別だ。「抑止力」「地政学上」の虚構性を突き崩す必要性を痛感する。
(2)米側のジャパン・ハンドラーの意向を忖度する、対米追従の日本外交の在り方こそが本質的な問題であり、そのことが厳しく問われるべきだ。
(3)沖縄への構造的差別や、いびつな日米関係を顕在化させた政治家の責任を肝に銘じてほしい。
(4)長年にわたって沖縄が強いられている構造的差別を解消する方向に直ちにかじを切ってもらいたい。
(5)県民は、在日米軍専用施設の74%の沖縄への集中、米軍絡みの事件事故、米兵犯罪など過重負担の強制を「構造的差別」と認識している。県民はもう過重負担を甘受しない。
(6)県内移設は知事が事実上不可能との立場を鮮明にし、県内全41市町村長が明確に反対している。日米合意自体が有名無実化している現実を、両首脳はいいかげん直視すべきだ。
(7)県内では県議会、全市町村議会が県内移設に反対を決議し、全首長、議長らが上京して安倍晋三首相宛てに普天間の閉鎖、撤去を求める「建白書」も提出している。
(8)米側に何も言えない自らの外交的非力を、沖縄にこと寄せて取り繕っただけではないか。沖縄の負担軽減を言うのなら、オスプレイ配備を撤回するのが筋だ。
(9)訓練を機に、米軍基地の在り方を沖縄と本土で真剣に、共に考え、議論していきたい。
(10)沖縄の「屈辱」に触れずに「主権回復」を祝おうというのなら、県民にとってそれは、過重負担を強いる「構造的差別」の深化を再認識する日でしかない。(引用ここまで)
3.それでは、「沖縄差別」論の本質は何でしょうか?どのような役割を持って機能しているのでしょうか?以下のように考えることができます。
《1》戦前は、天皇政府の「小中華」思想・「捨石」論として機能していました。
《2》戦後は、天皇の手紙に象徴されているように日米支配層の反共の防波堤論と天皇の戦争責任免罪共同謀議論として機能していました。
《3》現在は、「本土」との連帯構築を妨げるものとして機能していいます。国民的連帯によって日米軍事同盟廃棄を目指すのではなく、アメリカ政府への「期待」と「お願い」という、アメリカの「善意」を待つという視点を補完するものして機能しているのです。
《4》さらに言えば、ソ連崩壊後の今日、中国・北朝鮮「脅威」論に対して、本土に比べて最前線を担って負担を課せられているとの「抑止力」論を補完するものとしても機能しています。
《5》以上の指摘を曖昧にするものとして「県外移設を拒む政界や官僚機構の背後に潜むのは沖縄差別」という指摘がなされていますが、これでは「沖縄を差別する者」の正体は曖昧です。
4.それでは「社説」のなかで、「沖縄差別」論が国民の連帯感の醸成をどのように分断しているか、具体的にみてみます。
(1)沖縄でのあまりにあからさまな「合意破り」「空の無法状態」のほんの一部を、本土も目の当たりにすることになろう。ただそれはわずか3機3日間であり、認識はごく狭い範囲にとどまるはずだ。合意は「人口密集地上空を避けて飛行」「基地内のみヘリモードで飛行」とうたうが、沖縄ではあまりにも公然と破られ通しだから、もはや笑い話だ。本土では市街地上空の飛行はほとんどないはずで、こうした認識を共有できるとは考えにくい。とはいえ、基地問題が実は日本の外交、政府の体質の問題であることを知るきっかけにはなろう。訓練を機に、米軍基地の在り方を沖縄と本土で真剣に、共に考え、議論していきたい。
(2)本土でも自治体を中心に不安の声が高まるのは当然だ。 だが、沖縄県民の思いは複雑だ。今回の訓練は3日間だが、沖縄では年中、オスプレイが傍若無人に飛び交い、住民生活に深刻な影響を及ぼしている。この日も県内ではオスプレイが訓練飛行した。 本土での訓練は、本土の国民が、安全保障の負担を負う当事者意識を持つことができるかを問い直している。岩国基地前では、市民団体が「岩国にも、沖縄にもオスプレイはいらない」と訴えた。 過重に基地が集中する沖縄の痛みを共有し、日本全体で分かち合う機運が高まり、撤収要求のうねりにつながることを望みたい。
(3)昨年6月、海兵隊の環境審査書が全国各地で飛ぶ計画を公表し、「沖縄の問題」だったオスプレイへの不安は全国に飛び火した。だが、沖縄だけで訓練される間に、全国的な関心は冷めていった。それは、1月末の県内41全首長による東京要請行動に対する本土メディアの冷淡な報道に表れた。
(4)いまや「日本の沖縄化」の指摘も聞こえてくる。外国軍機が飛び交う現実を前に、これが主権ある独立国家の姿だと、誇りを持って言えるのか。(引用ここまで)
これらの「社説」の指摘は正しいと思います。しかし、これらの事実に、「社説」のようなメッセージではなく別の視点のメッセージ、分断ではなく、連帯と団結のメッセージをどのように発信するか、です。
「年中、オスプレイが傍若無人に飛び交い、住民生活に深刻な影響を及ぼしている」沖縄と比べて「わずか3機3日間」しか飛ばない本土は「沖縄でのあまりにあからさまな『合意破り』『空の無法状態』のほんの一部」しか体験しないという沖縄県民の「複雑な思い」は、確かにその通りでしょう。しかし、だからと言って、沖縄の負担を全国で分担することで、「安全確保策のウソ」や「米軍に締め出されて現場に近寄れないという主客転倒の事態」などの問題は解決するでしょうか?
とりわけ、「本土メディアの冷淡な報道」によって、「過重に基地が集中する沖縄の痛み」の「認識を共有できるとは考えにくい」という言葉と現実をどのように「琉球新報」というメディアが変えていくのか、そこにかかっているように思います。
そのためにも「日本全体で分かち合う機運」「基地問題が実は日本の外交、政府の体質の問題であることを知るきっかけ」をどのようにメッセージしていくか、です。
「外国軍機が飛び交う現実を前に、これが主権ある独立国家の姿だと、誇りを持って言えるのか」という状況が外国軍機だけでなく、社会の隅々にまで、実は「飛び交う」様を報道していくか、です。
「訓練を機に、米軍基地の在り方を沖縄と本土で真剣に、共に考え、議論して」いくのではなく、憲法9条をいただく日本として「米軍基地の在り方」ではなく米軍基地のない日本の「在り方」をどのように「沖縄と本土で真剣に、共に考え、議論して」いくか、そのメッセージをどのように発信していくか、です。
こうした沖縄からの視点の意味づけは、フクシマ・東日本大震災の被災地からの視点でもあるわけです。ここに日本のマスコミ、メディア、政府の問題があることを強調しておきたいと思います。
5.日米軍事同盟は、軍事面からみると、沖縄に負担を過重に課していることは事実です。しかし、本土も同様に負担を課せられているのも事実です。さらに日米軍事同盟は、軍事面だけではなく、経済面でも主権国家である日本をアメリカに従属させ、アメリカの支配層も要求を実現する装置として捉えているとの認識をもつ必要があります。中国「脅威」論に対する「抑止力」としてのTPPは、日米軍事同盟の経済条項の具体化として、好例ですが、「琉球新報」には、「社説」を見る限り、その視点はありません。
このことについては、以下の記事で書きました。
自由と民主主義はお坊ちゃまに全てお任せで決着したデタラメ声明=TPP参加決定は国民との矛盾拡大で・・・
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/f10c42afd5d638d2e89f296fe19ba0f5
対米従属を卑屈なまでに露わにした安倍首相と全国紙社説、政権公約違反の声を晒して内閣打倒を!
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/54513b753ac6e24defa3a8333533d745
では「社説」の指摘を見てみます。
(1)首相はオバマ米大統領の全面協力を取り付けたとアピールしたいのだろうが、例えばコメや麦、サトウキビなど具体的な品目の例外扱いが決まったわけではない。…TPPの対象は労働規制や衛生・検疫、公共事業発注ルールなど21分野にもまたがる。
(2)安倍政権が交渉参加に前向きな背景には、輸出の増加などで企業活動を後押しするTPPを成長戦略に生かす思惑がある。そうであるなら、なおさら国内で産業空洞化や国民生活の疲弊を招いた政治の責任を自覚すべきだろう。
(3)日本は、東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国、インドなどによるアジア広域自由貿易協定や、日中韓の自由貿易協定の議論も進めている。今必要なのは、両協定とTPPの整合性を含め成長アジアを日本再生の糧にする国家戦略だ。(引用ここまで)
6.沖縄こそが東アジアの平和のハブ基地として機能するのは歴史の必然です。このことを高らかに掲げてこそ、沖縄経済の活性化が図れるのではないでしょうか?これは琉球王国時代の歴史の教訓を活かす運動です。また沖縄の地政学的位置づけの根本的転換を示すものです。
ペリーが中国貿易のために到来したこと、アメリカが沖縄戦を冷戦の「要石」として位置づけたことを平和の側から教訓化することです。そのためにも、憲法の地方自治の原則を如何なく発揮することです。基地の県外移設から基地撤去に向けて「オール沖縄」戦線を「沖縄と本土で真剣に、共に考え、議論して」どのように発展させていくか、というのはどうでしょうか?
そのためにも平和共同体や非同盟運動の歴史的教訓を活かし、積極的に東南アジア友好協力条約運動や世界社会フォーラム運動との関わりをもり、平和のための諸会議を沖縄で開催するというのはどうでしょうか?尖閣問題を紛争から平和の島へ、友好と連帯の島へと発展させる取り組みを多様に、というのはどうでしょうか?
世界社会フォーラム憲章
http://www.japan-aala.org/legacy/wsf.htm
最後に、この記事を書くために参考にした社説を一覧しておきます。
鳩山氏講演 対米追従の内幕開示を 2013年2月22日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203078-storytopic-11.html
日米首脳会談 犠牲強いる“同盟”は幻想 2013年2月24日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203155-storytopic-11.html
TPP交渉 見切り発車は許されぬ 2013年2月26日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203237-storytopic-11.html
米国防長官承認 民主的安保へ転換の時 2013年2月28日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203329-storytopic-11.html
埋め立て同意申請 「県内ノー」の民意は不変 2013年2月27日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203289-storytopic-11.html
オスプレイ本土訓練 この程度で負担軽減とは 2013年3月4日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203502-storytopic-11.html
本土で初訓練 沖縄の痛み共有する契機に 2013年3月7日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203645-storytopic-11.html
「主権回復の日」 「屈辱」続いて独立国か 2013年3月9日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203726-storytopic-11.html